「お、お見苦しいところを」 羊の群れの中から有利が立ち上がった。どうやらこちらの羊は地球よりも大きいらしくて、 立ち上がっても腰より上まで埋もれている。 外の話が聞こえるように身を乗り出して馬車のドアを少し開けると、隣のお姉さんたちが ぎょっとしたようにわたしを馬車のシートに引き戻した。 「出ない、外には出ないです。でも外の声が聞こえた方がいいと思いません?」 無抵抗を表して手を上げながら訴えると、二人は顔を見合わせて結局ドアを少し開けた ままにした。彼女達も主のことが気になっているんだろう。 フリン・ギルビットが喉を押さえて口をぱくぱく開けて、有利にジェスチャーで何かを訴え ている。 ……あれ、そういえばノーマン・ギルビットは声が出ないんじゃなかったっけ? 062.似合わない言葉(2) 「これはノーマン殿!……久しくお会いできなかったために、ついご無礼なことを申しま した。ですが我が娘に向けたほんの戯言ゆえ、どうかご容赦いただきたい」 「いやあー、無理もないよ。三年も会ってないしね。それにしても、国民が兵士に向いて いないからって、おれ……うーん、まろ?そう、まろに統治能力がないとは失礼千万で おじゃる!」 フリン・ギルビットが首を振って溜息をついていた。 いや、なんて言えばいいのか有利……どこのお公家さん? それ以前に、だからどうしてノーマン・ギルビットが潰れてもいない声でベラベラ喋って いるのか。せっかく声が出ないことになっているんだから、姿だけ見せて喋る方は妻に 任せておけば、どんな話し方か知らなくてもどうにかなるでしょうに。 つまりは、有利も混乱しているんだろう。ノーマン・ギルビットは声が出ないという基本 情報を忘れているんだ。 「こう見えても吾輩は……そうか、吾輩だ。病み上がりながら吾輩、全身全霊をかけて カロリアを治め、民と国のために命を捧げておるぞよ」 フリン・ギルビットは諦めたようにがっくりと肩を落とした。 娘のその様子には気付かずに、だけどもちろんアフロのおじさんは不審に顔をしかめる。 「しかしノーマン殿、いつの間に声を取り戻されたのであろーか」 指摘されてようやく思い出したようで、有利は目に見えてびくっと震えた。 「えー、声はー……えー……ですね……」 うろたえること甚だしく、嘘だとその挙動不審ぶりのすべてが物語っている。 何か助けになるものはないか、馬車の窓に張り付いて周囲を見回したら、一台前の馬車 に乗っていた村田くんと窓越しに目が合った。向こうもわたしに気付くと、指で外を指す。 何か打開策が、とその指差した方向を見ようとしたら、村田くんの馬車のドアが勢い良く 開いた。 「ノーマン・ギルビットさんの声を取り戻した奇跡の人は、この僕でーす!」 人工金髪と碧眼の村田くんが両手を大きく広げ、派手な登場をする。 あっちを見ろじゃなくて、外へ出ろってこと!? 「ちゃらららららーん……とぁいてっ」 口でオリーブの首飾りを演奏(?)しながら踏み出そうとして、有利と同じく段差で転がり 落ちた。さっきの有利のを見てなかったの……? 「いたた……眼鏡メガネ……」 「いや、ムラケン、お前最初っからメガネかけてねーし」 村田くんのサングラスは現在は有利手元だ。もっとも今はマスクマンだからかけてない けど。 「あれは誰ですかな、ノーマン殿」 そう訊ねるのも当然だね。話をふられた有利はどうにか体面を取り繕いながら村田くんを 紹介するように掌を向けた。 「わ、吾輩の側近。ロビンソンくんです」 「ロビンでぇーす、よろしくぅー。そして僕の妻で奥方様のお気に入りの……スーザン、出て おいで」 は? スーザンって……。 「わ、わたしぃ!?」 思わず自分を指差して間の抜けた声を上げる。 あ、で、でも確かに取りあえず外に出るチャンス。 馬車のドアに手をかけたら、腕を掴んで引かれた。彼女達も不測の事態続きに混乱して いるらしい。ただ、役目として外に出していいものかと迷っているだけで。 「今わたしが出て行かないと、あなた達の奥方様が困るだけだと思うけど」 二人は困ったように顔を見合わせ、そして結局腕を放した。 わたしが馬車の外に出て行くと、村田くんは満足したように頷きながら平原組という人達 の方へ向き直った。 わたしは先の二人の轍を踏まないように段差に気をつけて羊の溢れる地面に降り立つ。 「お舅さんともなれば愛娘の嫁いだ先の婿さんのことは寝てても気になることでしょう。 そして三年も音信不通ともなれば、久しぶりに会った婿の雰囲気がガラリと変わっている こともあるでしょう!出なかったはずの声が元に戻ってる?ご安心ください。それはこの 僕、奇跡の治療師、東京マジックロビンソンが、アガリスクとプロポリスとスッポンエキス で前以上のゴージャスボイスに治して差し上げました!へい、レッドスネークカモーン!」 「イエスボース」 村田くんの怪しげな説明と怪しげな掛け声に応じて、どう説得していたのか見張りのはず の女性兵士が従うように何かの小瓶を渡した。 「はいこれ。万能薬ね。風邪も治すし育毛もする。おまけに追い詰められても役に立つ。 これ、こんな感じ」 村田くんが容器ごと地面に叩きつけると、轟音を立てて黄色い煙が濛々と舞い上がる。 きっと村田くん以外は驚愕しただろう。 わたしも思わず足を止めて口を押さえてしまった。 「ほら、大佐も妹ちゃんもぼさっとしないで逃げるよっ!」 「あ、そ、そうか!」 この煙と混乱に乗じて……って有利はどこ!? 音と煙に驚いて羊が一斉に走り出したので、ますます有利の居場所がつかめない。 「早く、羊毛にしがみつくのよ!」 まともに煙を浴びて激しく咳き込んでいる平原組の方向から女性の声が聞こえる。フリン・ ギルビットだ。 「はあ!?ひ、羊に!?」 「なによ、羊くらい乗りこなせないで、どうやって軍人になったっていうの!」 ……こっちでは羊って軍馬の代わりにもなるの? これぐらい大きければなるのかもね、とちょうど隣を駆け抜けようとした羊の毛を思い切り 掴んで身体を引き摺り上げる。 激しく走る羊の上でどうにか「掴まる」から「乗る」に態勢を整えると、後ろを走っている羊 の背中にしがみ付いている有利と村田くんの姿が見えた。フリン・ギルビットも一緒に。 「待てやー!羊泥棒―ぉ!」 遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえた。 ごめんなさい、飼い主さん。 羊がようやく落ち着いて速度を落とすと、有利と村田くんはずるりと滑るようにして地面に 落ちた。 「有利!」 わたしも羊の背中から降りて慌てて駆け寄る。 「大丈夫?」 「ゆ、指が……しがみ付くのに必死で指が硬直して……腕痛ぇ」 「妹ちゃん……羊を乗りこなせるなんて……」 「乗りこなしてない、跨っただけ」 「いや、十分すげーし……」 羊は毛がもこもこして乗り心地は悪かったんだけど、本当にこっちでは軍人なら乗れるの かしら。 「クルーソー大佐、それにあなた達も立って。すぐに移動するのよ。平原組が追ってくるわ」 後ろからフリン・ギルビットが声をかけてきて、思わず睨みつけるように振り返る。 「今、この状況であなたの指図を受ける筋合いはないわっ!逃げるなら一人でどうぞ! その平原組とやらを引きつけて逃げてくれれば大いに結構だわ!ここからは別行動よ。 それとも、その細腕で腕力に訴える?」 フリン・ギルビットは明らかにうろたえた。 何しろ、現在わたし達は三人、彼女は一人。多少護身術なんかに自信があったとしても、 有利の強大な魔術も見ている。力づくで三人も押さえられるとは思えないだろう。 「ちょっ、お、落ち着けよ。色々と鬱憤が溜まってるのはわかるけど、逃げなきゃなん ないのは確かなんだし……」 「そうよ!逃げなくちゃならないの。平原組からも、この人からも。今ならこの人の配下は いないわ。だから……っ」 「でも、ここがどこなんだか僕等にはわかんないよねー」 地面に座り込んだまま、村田くんが首を傾げた。 「そちらはわかっているのかな?」 「……もちろんよ」 蒼白の顔色のフリン・ギルビットが両手を握り締めて頷くと、村田くんは肩を竦めてわたし に笑いかけた。 「だってさ。逃げるって言っても西か東か、南か北か、それに方角そのものもわからない。 なら、もうしばらくは同行決定だね」 「だけどっ」 「こんな草原の真ん中で、方向すら不案内な人間だけでうろうろしてたら、あっという間に 平原組の方に捕まるね。賭けてもいい。クルーソー大佐だけならそれでも顔を見られて いないから逃げられるかもしれないけれど、僕と君が同行していたら偽ノーマンだって声 でバレる」 反論の言葉もない。 わかってる。理性では村田くんが正しい事はわかる。 でもこの人は、大シマロンと繋がっているの。 わたし達を襲った連中と同じ武器を持っていた、あの大シマロンと。 強く目を瞑って、片手で目を覆い、片手で服の上から首に提げた小袋を握り締める。 可能な限り安全に、有利を眞魔国に連れて戻らなくてはいけない。 絶対に、コンラッドは心配して待っているんだから。 ……だから。 「……わかった。この人について行こう」 せめてわたし達の、現在位置がわかるまでは。 |
つい感情的になってしまいます。 |