何でこんなところにアーダルベルトが出てくるんだよ!? 刈り上げポニーテール(略して刈ポニ)と一緒に登場した魔族の男におれはとっさに帽子を 深く下げて、顔も俯き気味にした。 正しくは、元魔族かもしれない。彼は魔族を憎み国を捨てたのだから。 それにしてもまずい。ここには何にも判っていない村田と、おれが襲われたらマッチョ相手 だろうと、素手でも突っ込みそうなしかいない。おれが渋谷有利だとバレると大変な事 になるぞ。 何でこんなことになってるんだろう、とこの一日で何度考えたかわからないことを心の底 で叫んだ。 060.それぞれの事情(1) 救いなのは、アーダルベルトがの顔を知らないことだ。 おれがアーダルベルトに会ったのは一回目のスタツアのときで、初対面のときはおれ自身 が、誰が敵なのか味方なのかわかっていなかった。二度目の対面では魔族の側につくと 決めたのかと殺されかけた。 あの時ははこっちの世界に来てなかったから。 そして、アーダルベルトに顔を知られているおれは現在、野球帽とサングラスで銀行強盗 並みに顔を隠している。 このままそっと物置みたいに振舞ってやり過ごせないだろうかと思ってたら、マスクマンの 真横、つまりの真横でもある場所に移動した刈ポニ、マキシーンとやらは枯れた渋い声 を上げた。 「さて、ノーマン・ギルビット殿。貴公に尋ねたいことがあって参ったのだが」 「マキシーン様、主はただいま迎賓の……」 「私はノーマン殿に質問があると言っているのだ!」 マキシーンが激しく手を払う動作をして、床で硝子が砕けた音がする。の手元にあった 食前酒だ。 「失礼、つい興奮し……」 冷たい目で僅かにだけを振り返って見下ろしたマキシーンは、そのまま驚いたように 目を見開いた。 「お前は……」 「……知り合いか?」 まだ歯軋りでもしたそうな顔でノーマンを睨みつけていたアーダルベルトまで自分のすぐ 下で座るを見下ろした。アーダルベルトにの顔は知られてないはずなんだけど、 心臓が跳ね上がる。 あのグローブみたいにでっかい手が、もしもに触れたらすぐにでも飛び出せるように、 床に着いた足に力を込める。 「……昼間は、お世話になりました」 だがおれの気合いをまるで空振りさせるかのように、が目を閉じたまま深々とふたり に頭を下げた。 昼間はって、もう会ってたの!?新魔王の命を狙っている超ヤバイ奴といつの間に!? おれがひとりで、あわあわと焦っていると横で村田が感心したように呟く。 「なるほど、あの人たちが噂の単純な人たちだね」 噂ってどの噂!?と聞き返しかけて自力で思い出した。 じゃあ今、おれのポケットに入っている金はアーダルベルトの金かよ!そういえばあいつ は法術を使えたんだっけ。 「では、あっちの奴が兄貴か?」 アーダルベルトの青い目とマキシーンの茶色い目が同時におれと村田に向いて、おれは つい帽子を更に下に引く。あんまりこっち見るな―! おれの心配をよそに、サングラスがよかったのか帽子がよかったのか、それとも合わせ 技一本だったのか、アーダルベルトはおれには気付かず、連れの男と一緒にすぐにノー マン・ギルビットの方に視線を移した。ほっと溜息が漏れる。 少しだけ安心したけど、部屋の中の空気は緊迫したままだし、根本的に何も解決しては いない。依然ピンチのままだ。 「失礼した、話を戻そう。さて、ノーマン殿。貴公が魔族との開戦を避けるために色々と 画策しているというのは本当だろうか。我がシマロンの意向に異を唱えているという話 だが、ことによっては本国へ出向き申し開きをしていただくことになるかもしれんが…… さて、お答えは」 腰を折ったベイカーは耳元で主の言葉を聞き、青白い顔でマキシーンを真っ直ぐに見る。 「そのようなことはありません。我がカロリアは……」 「どうも顔が見えないと真実と虚言の区別がつけにくい。声を失ったのは知っているし、 幼児期の病も気の毒に思う。だが幸いなことにこの場に痘痕やび爛などを目にして卒倒 するようなご婦人も居られない。この娘の目もまだ回復してないようだしな。その無粋な 銀の仮面を外してもうらわけにはいかぬものか」 「マキシーン様、それはあまりにもっ」 執事は狼狽するし、ノーマンは緊張するし、すぐ横のやり取りにも困惑してるし、ここ はいっそおれが見る勇気ありませんーと、泣き喚けばどうだろう。の目が見えること にするわけにはいかないんだし。 ただしあまり目立つ真似をして注意を引くと、アーダルベルトにおれのことを気付かれる 恐れが増す。 「それとも、仮面を外せぬ本当の理由は、見た目の話ではないのかな?どうなのだノー マン殿!」 男の冷酷そうな光りを宿した目がノーマンを鋭く射て、執事のベイカーが慌てたように主 との間に割って入る。 「マキシーン様がお聞きになりたいのは、主の顔や過去なのですか?」 中年男の根性か、ここに来て声を張り上げて本国からの使者を間近で見上げる。 「それとも我々カロリアの民が、本国に対して持っている意見ですかな。開戦へと転じて いくその方針に……」 「どちらであろうと執事などから聞くつもりはない!」 怒鳴りつけるのと殴りつけるのは同時だった。マキシーンが左腕を振って、ヒゲの執事は 数メートル先まで吹っ飛ばされると壁に叩きつけられてぐったりと床に倒れ伏す。 見えないのにすぐ側で起きた暴力沙汰に、が小さく悲鳴を上げた。 おれは思わず立ち上がったが、同時に村田まで小さく叫んで出鼻を挫かれた。 「うわっ、ベイカー!」 「なんで村田が動揺するんだよっ」 「ごめん、つい。プロレスでも見てるみたいで」 村田は放っておいて、おれはの隣に寄る。あんまりアーダルベルトの側に行きたくは なかったが、あんな間近で動けないが可哀想だ。 が役柄の上でもおれを兄貴と説明していたから、アーダルベルトはすぐ脇に移動して きた野球帽を被った小僧を一瞥しただけですぐに興味をなくしたようだ。助かった。 「……」 膝の上に揃えられた震える手を取って、途端に拍子抜けする。 怯えた演技かよ! 床に膝をついて下から覗き込むと、俯いて目を開いていたはこっそりと入り口の方に 目配せする。 怯えた子猫みたいに震えるを口実に、ここから上手く抜け出せということか。確かに アーダルベルトもマキシーンも、おれたちには興味もないようだから、怯えた妹を廊下に 出したいと言えば許可をくれるかもしれない。 の話を信じれば、目を悪くした少女に優しかった男達だ。とてもそうは見えないけど。 「あの……」 「妹を隣の部屋に連れて行け」 おれがそう言いだす前に、低い声が降ってきた。 驚いて思わず仰ぎ見てしまったが、アーダルベルトはこちらを見ていなかった。 「漂流者ならお前たちはこの国とは関係ないのだろう。この場を離れても構うまい」 ラッキー、大チャンス。 アメフトでもやってそうなマッチョだが、ひょっとしてアーダルベルトもグウェンダルと同じ で小さくて可愛いものが好きなのかも知れない。おれを相手にしたときに比べてに はずっと優しいように思える。 「、立てるか?」 肩に手をかけて、できるだけ小さく耳元で声を掛けると、こくりと頷く。 手をとって肩を抱いてゆっくりと立ち上がらせている間にも、当然マキシーンVSノーマン の戦い続いていた。 「よろしいかノーマン殿、本国から疑いをかけられているのに声が耳障りなどと言っている 場合かね?今すぐ仮面を捨てて、真実を述べる時ではないのか!」 見れば壁に叩きつけられたベイカーは脳震盪を起こしたのか駆け寄ったメイドさんの膝枕 で呻いていた。 「小シマロンの属領でありながら、我々を差し置いて何をした?大シマロンの王室と通じ、 直接取引きをもちかけたのではないのか!?」 黙ったままのノーマンに焦れたのか、マキシーンは一歩前に出て覆面に指を掛けて無理 やり剥ぎ取ろうとする。 に服を引っ張られ、入り口を示されてのろのろと歩き出したが、どうしてもあの乱暴な やり方が気に食わない。 そのままではマスクを剥がせないと気付いたのか、マキシーンは後頭部の革紐を解きに 掛かる。当然ノーマンも細い指で押さえようとしているが、頭を押さえつけられてうまくいか ないようだ。 執事は動かない。ノーマンの抵抗はまだ続いているが、少しずつ紐は解かれている。 おれがついていた席まで戻ってくると、既に村田は待っていて三人で部屋を出ようとした。 最後に後ろを振り返ったとき、ノーマンの薄い緑色の瞳と目が合った。 ……気がした。 「ああ、くそっ!」 も一緒なのにとか、何も知らない村田を巻き込むわけにはいかないのにとか、そんな ことはわかっている。わかっているけど我慢できないんだよ! 「有利っ」 が小声でおれの服を掴んだけど、その指を外して村田に押し付けるようにしてを 預ける。 「ちょっとアンタ、マキシーンさん!さっきから黙って見てたけど、ちょっと乱暴過ぎないか? ノーマンさんは事故も病気もあったんだからさ、喋れだのマスク脱げだの要求がきついと 思わない!?」 アーダルベルトと顔を合わせなくていいように、距離を開けるより詰めることにする。マキ シーンのすぐ正面まで行けばあいつには背中しか見えないはずだ。 二度会っただけのおれが声でわかるはずはないとたかを括って、アーダルベルトの横を 通り過ぎた。 後ろで村田がクルーソー大佐、と呼んだがこの際無視だ。 「どなたかは知らぬが口出し無用。この男は宗主国である我が国を裏切り大シマロンと 取引きしたのだ。背信行為が事実ならば、自治権も何もかも取り上げねばならない」 マキシーンの冷たい茶色の目がサングラス越しにおれを射抜いた。だがそれに怯むくらい なら、今頃さっさと部屋から逃げ出している。 「けどそんなに無理やり押さえつけられたら息もできないだろ!?このまま窒息して死ん じゃうよ。その首を絞めている手を離しなよ」 「……客人はいったいどこの何方なのか。我々シマロンのやり方にけちをつけるつもりか」 「お、おれはただのクルーソーだよ。ちょっと出身地は遠くて言えないけどさ」 そうは言いながら、確かに息もできないということを認めたのかマキシーンが手を離すと、 ノーマンは数回激しく咳き込んで、細い声を発した。 「……そんなに……」 あまりにか細い声に、部屋にいた誰もがノーマンに注目して口を閉ざす。意識していない と聞き取ることすら困難そうな高く細い声だった。 「そんなに私の顔が見たいのですか」 「おやめください、ノーマン様っ!」 意識を取り戻したのか、ヒゲの執事が羨ましいメイドさんの膝枕から懇願の声を上げる。 「お顔を見せてどうするおつもりですか!?民や土地はこの先どうなります!」 「……ベイカー……でも……もう、疲れました」 ノーマン・ギルビットは自ら細い指で革紐を解き始めた。執事とメイドさんがそろって哀願の 声を出したが紐が最後まで解かれると、銀色の仮面が外された。 中に押し込められていたプラチナブロンドが、波うって背中に流れる。もう何年も陽に当たっ ていないせいか、抜けるように白い頬と額。 自暴自棄気味の苦しい笑みが浮かんだ顔には、覆面のせいで両目の下や耳の脇に細く 赤いミミズ腫れのような跡があったが、それくらいでは彼女の美しさは損なわれていなか った。 ……彼女? 「これは一体どういうことだ!」 呆然と彼女の美しさに見惚れていたが、マキシーンの激発した大声で我に返る。 ノーマン・ギルビットは、息を飲むほどの美しい女性だったのだ。 |
ラッキー……と便乗して見捨てる事ができないのが有利といいましょうか。 |