扉が開かれると、有利と村田くんが息を飲んだ。目を閉じていたわたしにはその理由が

わからなったけれど、有利の失礼な挨拶で大体の事情がわかった。

「主のノーマンさまでございます」

落ち着いた感じのお年寄りの声がすぐ隣の有利の側から聞こえたかと思うと、席を立った

有利の挨拶は。

「は、はじめまして、マスクマン領主どの」

ノーマン・ギルビットでしょうに。つまり、どうやら領主さまとやらはマスクを着用している

ようだった。

ほんのちょっとだけ目を開けて見てみると、確かに銀に輝く覆面を被っていた。頭部全体

を覆い隠し、頭の後ろで革紐を編んで結んでいる様は、どうみても仮面じゃなくて覆面。

それだけ確認すると、その領主の薄い緑色の瞳がこちらに動いたような気がして慌てて

目を瞑った。






059.知らない過去(2)






有利の側から人の離れる気配があって、音からすると有利の正面のテーブルについて椅子

に座ったようだった。

目を閉じているから、人の気配だけは感じられるようにできるだけ精神を研ぎ澄ませる。

人の配置くらいは把握しておかないと、咄嗟の時に動けない。

正方形のテーブルの一角に有利、その左右にわたしと村田くん、向かい側にはノーマン氏

とその執事のベイカーと名乗ったご老人。現在この部屋にいるのはこの五人だけだ。

「仮面のことは街でもお聞き及びでしょう。主は幼少のみぎりよりこのお姿で生活しておら

れます。しかも三年前には不運な事故でまともな声さえ失いまして……不躾ながら私が主

の言葉をお伝えいたします」

「おれは別に……」

構わない、と有利が言いそうになったところを、わたしとは反対側に座る村田くんが割って

入る。

「いや、それは奇遇!実はうちのクルーソー大佐も漂流中に潮水や潮風で目と喉をやられ

ましてね!」

え、と有利とふたりで小さく呟いたけれど、村田くんは絶好調に話を続ける。

「スーザンお嬢さんも目を傷めて、元来の内気な性格がますます強調されちゃって」

「お若く見えますのに大佐とは……」

「ええ、キャリア組の超エリートですので。けれど若いのに髪だけはヤバイ感じで、本日は

失礼ですが帽子とサングラスをつけたまま、大佐の言葉も代わってお伝えする事になると

思います」

目はともかく帽子を取らない理由にそれは苦しいのでは。それよりどうして喉まで傷めて

いることにしなくてはいけないのだろうと、どこからツッコメばいいのか。そもそも人前で

なぜそんな嘘をと問い正すわけにもいかないし。

とにかく、せっかく内気な性格ということになっているから、俯いてようやく強く閉じていた

目を開けた。ときどきはこうやって開けておかないと、やっぱり咄嗟のときに灯りに目が

眩む事になる。早くサングラスを手に入れないと何かと不便だー。

失礼しますと廊下から声が掛かって、また目を閉じた。今度は緩く。強く瞑るとちかちか

するし。

「お食事をお持ちいたしました」

ガラガラとワゴンの音が聞こえる。入ってきた人の数は……四人だ。たぶん。

いまいち自信が持てないのでじっと耳を澄ましていると、付き人さんから質問が。

「不躾ではございますが……クルーソー様はウィンコット家とはどのような……」

当然といえば当然の質問に、村田くんは先ほどの話を繰り返した。

「この石は大佐の母上からの遺品でして。恐らくウィンコット家の血を引く女性だったん

でしょうね」

「おふくろ死んでねーよ!」

有利が小声で村田くんに抗議した。あの有利……そもそも全部、嘘なんだから。長男

が受け継ぐなら、お兄ちゃんが持ってるはずだし。

「彼女は大佐を産む直前に亡くなったし、大佐自身は別の場所で育ったので、直接に

お会いしたことはないんです」

待って村田くん。産む直前に亡くなったってどういうわけ?

だけど相手はそのおかしなことに気付かなかったのか、それとも気付かないふりをした

のか、質問を続ける。

「そのウィンコットの血を引く女性の……お名前は」

それは、そうくるよね。でもウィンコット家の人の名前って、現当主のデル・キアスン閣下

くらいしか知らない。あーでもたしかその奥さんの名前は聞いたっけ?

適当な名前を言ってもわからないかとも思うけど、訊ねてくるからには家系図を熟知して

いる可能性があるのでは、とわたしが焦っているのも気にしないで村田くんはあっさりと

答えた。

「ジュリアです」

「ぐひぇええ!?」

それってさっき有利が呟いた名前、と思う間もない。横で有利がつぶれた蛙みたいな声

を上げて、わたしはその声にびっくりして椅子から落ちかける。

「うちの大佐ってば母上の名前を聞くだけで、感極まって妙な声がでちゃうんですよ」

それってどんな理由!?と思ったけれど、相手はそれを信用したようだった。村田くんの

嘘は本当にいい加減なのにね……。

「それで、こちらとウィンコット家の関係はどういったものなんでしょう」

間があって、ぼそぼそと話している声が聞こえる。領主が執事に伝えているのだろう。

その間に、テーブルセッティングが終わったのか食器を並べていた音が止まって人の気配

が遠ざかる。でも、部屋から出て行ったのは二人だけだ。足音は壁際にふたつ向かった。

「もう何千年も前の話になります。この土地も民も、元はすべてウィンコット家の所有でした。

彼等は世界を飲み込もうとした古の創主達を打ち負かし、この世界を存続させた偉大なる

種族の一員だったのです」

創主という言葉に、どくんと大きく心臓が跳ねる。じわじわと嫌な感覚がそこから広がって

いくようで、気分が悪い。

不快感に眉をしかめて、膝に置かれたナプキンを握り締める。なんだろう、息苦しい。

今までギュンターさんの歴史の講義中にもこの言葉にはなぜか嫌な感覚をおぼえたけど

ここまで強烈じゃなかったのに。冷や汗が滲む。

「英雄達になにがあったのか定かではありませんが、次第に民を虐げるようになったと

言われております。民衆達は理不尽な圧政に立ち上がり、新たな時代とよき国主を求め

て戦ったのです。その結果としてカロリアは立国されました。ご存知の通り、ウィンコットの

一族はその後、西の果てで魔族となられたわけですが……」

そういえば、アニシナさんの一族フォンカーベルニコフ家も元はムンシュテットナー出身だと

聞いたことがある。そうやって、あちこちから追われた種族が集まって、眞魔国は建国され

ていったんだろうか。

「ですから、私どもカロリアの国民とウィンコット家は、歴史的に深い因縁があるのです。

ですが過去のことは過去のこと。我がカロリアは今こそウィンコット家の方々と和解したい

と思っているのです」

「そんな歴史を信じる奴が……」

村田くんの低い声をかき消す勢いで、広間の扉が大きく開かれた。

「そんな馬鹿げた歴史を信じる奴がいるとでも思うのか!」

わたしは驚いて振り返る。

だってその声は、怒りに染まってはいたけれど、確かにわたしの傷を治してお金をくれた、

親切な人のものだったから。

当然、有利も村田くんも一緒になって振り返ったけれど、有利は小さく息を飲んで目をそら

した。

入ってきたのは七人もの団体だったけど、五人は引き摺られているだけだ。

金髪碧眼、見上げるほどの高身長。いかにも軍人なんだろうなっていう立派な体格。青い

瞳は怒りに燃えている。

もう一人は……ちょっと変わった髪形だけど濃い茶色の髪の両脇刈り上げて、後ろの髪を

ポニーテールに結い上げている。髪と同じ色のヒゲはもみあげから細く長く続いて口元を

飾っていた。たぶん、この人がわたしのぶつかった方の人だろうけど、まだ声を聞いてない

から確信はできない。

それにその鋭利な視線は、街でぶつかったときの人の良さそうな様子なんて少しも見えな

かった。

そこまで確認すると慌てて目を閉じた。こんな明るい部屋で凝視していたら、目の色なんて

すぐにバレてしまう。

「ウィンコット家が圧政を敷いたから民衆が蜂起しただと!?都合のいいふざけた御託を

並べやがって!この世の脅威から救ってもらっておきながら、闘いが終われば掌を返した

だけだろうが!人間どもの考える事はいつでも同じだ。自分と異なるものは排除する……

どんな汚い手を使ってでもな。和解、遺恨?笑わせるな!」

街で会ったときの親切な人の優しさや穏やかさなんて欠片もない。

その言葉には、あのとき人間を批判したのと同じ響きがあった。

一瞬だけ確認した顔立ちは、人間というより魔族の人たちに近いものだった。恐らく魔族

なんだろう。そんなに人間が嫌いなら、どうしてシマロンにいるのか。それはわからない

けれど。

「申し訳ありません、ギルビット様!お止めしようとはしたのですがっ」

必死に叫んだのは、二人を止めていた邸の人だろう。あの引き摺れていた五人の誰か。

「マキシーン様、このような夜に、いったい何の……」

「そのままで」

執事さんの上擦った声に、ぶつかった方の人の声が聞こえた。響きはとても冷たいけれど

間違いない。

わたしの後ろを人が通り過ぎた気配がした。ぶつかった方の人、マキシーンさんだろう。

ちらりとだけ目を開けると、わたしと領主さんの間に立って、正面から相対している背中が

見えた。わたしの背後にも人が立った気配。こっちは間違いなく、あの親切な人の方だ。

すごく怒っているような殺気がひしひしと伝わってきて、思わず膝の上のナプキンを強く

握り締めた。









村田は嘘八百、有利は挙動不審、なんなんだろうと思う間もなく、数時間前に会った
恩人が登場しました。場はますます緊張するようで。



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