目立たないところにいろよ、とは言われたものの目立たないところって、やっぱり安全なの は人のいないところだろう。 今回はコンタクトもサングラスも持っていないから、あまり正面から人の顔を見る事もでき ないことを考えれば、ますます誰もいないところに行くのが妥当だった。 村田くんは金髪に染めてるし、カラーコンタクト着用だから心配ないとして、有利の帽子や 村田くんから借りたサングラスが外れはしないかが心配だった。 街外れに行くにしてもできるだけ人に会わないようにと裏路地から裏路地へと通り抜けて、 もうすぐ街外れかなと周りを見回しながら歩いていたら、道を曲がってきた人とぶつかって しまった。 058.地図の無い世界(1) 「わっ……いたっ!」 相手は背の高い立派な体格の男の人だった。 そんなに勢いをつけてぶつかったわけでもないのに、体格差のせいか後ろに転んでしまう。 つい咄嗟に右手を地面についてしまって、激痛に手を押さえ込んでうずくまる。 「おっと、すまんな。大丈夫か?」 「へ…平気です……」 差し出された手に、目を見せないように俯いたまま、でもせっかくの好意だから立ち上がる のに手だけは借りるかと右手を押さえていた手を外すと、血がダラダラと流れ落ちた。 「怪我をさせたか!」 「あ、い、いいえこれはちょっと、傷口が開いただけで……」 め、目立つなと言われたばっかりなのに何をやってるの、わたしー! 地面に座り込んだまま右手を押さえ直して少し逃げるように膝を引き寄せると、相手は逆に わたしの右手首を掴んで引き上げてようとする。冷静に考えれば立たせてくれようとしたん だろうけれど。 「やっ……」 大きな男の人に前触れもなく触られて、つい反射で振り払ってしまう。 何をやってるの、本当に!と頭を抱えたくなったらわたしの考えを見透かしたかのごとく別 の男の人の声が聞こえた。 「何をやっているんだ」 ぎゃー!人が増えたー! こんなことならもうさっさと平気ですー、大丈夫ですーと言い切って逃げるべきだった。 この右手が、血さえ出てなかったら本当にそうできたはずなのに。 「……任務の途中に本当に何をやっているんだ」 「なっ!?ご、誤解だぞ!私はただこの娘とぶつかっただけで……!」 ここですべきは、平気ですと言って立ち上がって何でもないように立ち去ることだ。とにかく 人との接触は気をつけないと。 「だ、大丈……」 「ぶつかっただけねえ……まるで襲われて怯えているように見えるが……」 「ち、違う!単にこの娘が……そうだ、確かお前は法術が使えたな。どうもこの娘は怪我を しているらしくてな、治してやってくれないか」 わ、わー、親切だなあ……。 怪我を治してもらえれば確かに何かと助かりますが、あんまり人と接触したくないのにー。 「ん?ああ、結構血が出ているな、どれ見せてみろ」 ぶつかった人のお連れさんもこれまた親切なことに、わざわざしゃがみ込んで押さえていた 右手を引っ張る。 思わず顔を上げそうになって慌てて俯いた。目を見られると困る。 「どうした、そんなに怯えなくても……」 頑なに顔を上げずにびくびくしていることを怯えていると勘違いしてくれた……もっとも目を 見られないように怯えているには違いないけど……そう思ったら、うっかりしていたことを 指摘される。 「また随分とサイズの違う服を着ているな」 ぎゃー!そうだった!これはコンラッドの革ジャケットでぶかぶかという言葉では済まない くらいにぶかぶかなんでしたー! 「え、えっと……」 どうにか誤魔化さないとと俯いたまま石畳の上に視線を彷徨わせていたら、自分の血で 赤く染まった左手が目に映った。 血に染まった左手。 サイズの違う、コンラッドの服。 コンラッドの……。 「お、おい……?」 声をかけられて、自分が泣いていることに気がついた。涙がぽたぽたと左手の上に落ちて いる。 「どうした、まさか本当にこいつに襲われたわけじゃ……」 「言いがかりだ!」 慌てて違うという意味で首を振って、血と涙に濡れた左手で拳を作って甲で涙を拭ったら、 顎に手を当てて顔を上げさせられた。 「は、離してくださいっ」 慌ててその手を振り払って強く目を瞑る。一瞬だし、まさか黒だって見られてないよね? 「あ、いや、別に何をするつもりというわけじゃ……血のついた手で顔を拭くから……ほら、 やっぱり顔にも血がついてるじゃねーか……ところで、どうして目を瞑ってるんだ」 「目、目を痛めていまして……」 「……見えないのか?」 「いえ……ちょっと痛いだけで……い、一時的なことだと、思います…潮風の影響かも…」 なんて苦しい言い訳だろう。どうせ嘘ならいっそ見えないとしておいてもよかったかも。 丁寧に布か何かで顔を拭かれて、それからおもむろに右手を改めて引っ張られた。 右の掌が熱くなる。目を瞑っているから何も見えないけど、お陰で感覚はいつもより鋭敏 だった。脈打つような痛みが段々小さくなってくる。 「大人しくしてろ。治してやるから」 そういえば、さっき法術がどうとか言っていたような。 痛みが完全に消えて、離してもらえた手を左手で擦る。目は開けられないから、左手の 指先と右手自身の感覚だけが頼りだったけど、どうやら完全に傷がなくなっていた。 「あり……」 目の前の人が立ち上がった気配がして、慌ててお礼を言おうとしたら、ふたりがこそこそ と話している声が聞こえて言葉を飲み込んでしまった。 「どうも賊に襲われたように見えるが」 「まあ、そんなところだろうな」 「ち、ちが……」 違うけど。 だけどせっかく勘違いしてくれたのなら、そのままにしておくほうが都合がいいかも。 ……第一、まったく違うわけじゃない。眞魔国からこんなところにまで流された元々の原因 は、正体不明の集団に襲われたからだ。 襲われて、今コンラッドはどうしているだろう……。 コンラッドのことを考えていたら、また涙が零れる。あの教会からずっと、泣いてばっかりだ。 しっかりしないとと思ったはずなのに。 「お、おい……」 「あんたひとりか?」 ぶつかった方の人がちょっと戸惑ったように上擦った声を上げたけど、それに被せるように して傷を治してくれた人が話し掛けてきた。 涙を拭いながら首を振る。 親切そうな人たちだし、もし保護してもらえれば助かるかもしれないけれど、ひょっとしたら もっと窮地に陥る可能性だってある。ここは人間の土地で、有利もわたしも黒の髪や瞳を 完全に隠せていないのだから、慎重に行動しないといけない。 「あ、兄と友人が港に……」 「目の見えない妹を放ってか?」 ちっと舌打ちされて、これは虚言だとわかっているのに有利を非難されているようで弁明 したくなる。 「お金がなくて、働いているんです」 口から出まかせでボロが出ないが不安になったけれど、どうやら相手は同情的なようだ から、基本的な情報だけでも得られないだろうかと思案を巡らせた。 船で海賊に襲われて海に落ちてしまい、兄と友人はそれを追って一緒に海に飛び込んで くれたんです。この傷はその時のもので……気がつけば三人でこの街の外れに流れ着い ていて、親切な人が濡れた服の代わりを貸してくれた上に、無一文になってしまったことを 憐れんで兄たちに、働き口を紹介してくれて……。 思いつくままにしどろもどろに説明していたら、いつの間にかそういう話になっていた。 考えてみれば色々とツッコミどころがありそうな話だったけど、最初に同情している思い 込みがあるからか、二人はどうやらわたしの作り話を信用したようだった。 このしどろもどろ具合が怯えているように見えるらしく、それなら男が怖くても仕方がない かとやっぱりこそこそ話し合ってる声が聞こえた。 いい人だよね……。 単純……もとい、いい人を騙しているようで気が引けたけど、とにかく情報が欲しくて必死 なのよ。心の中で二人に謝りながら、ここがどこかとか聞いてもそれほど不自然じゃない かな、どうかな、とやっぱりしどろもどろになりながら訊ねてみる。 「あの……それで、ここは一体どこの街でしょう……?」 「ここか?ここはギルビット商業港だ。我が小シマロンの領内にあるカロリア自治区の南 端に位置する」 シマロン!? ここがカヴァルケードだとかヒスクライフさんのいるミッシナイだとか都合のいいことはない だろうとは思っていたけれど、何もそんな超がつくほど魔族と険悪な土地じゃなくてもいい じゃないですか。 これは絶対目を開けられないと血の気が引く思いでいると、それがますます憐れに見え たのかもしれない。さっき傷を治してくれた人が、またわたしの前にしゃがみ込んで優しく 声をかけてくる。 「どうだ、目の方も一時的なものなら治してやろうか?」 「い、いえ、だ、大丈夫だと、思います。ぼ、ぼんやりとなら見えるので、もうすぐ回復する かと……」 本当は痛めてなんかいないし、見えるかどうか目を開けてみろなんてなったら大変だと ずりずりと後退りすると、手を掴まれる。 「ひゃ……っ」 「おおっと、勘違いするなよ。オレは無体な真似をするような連中とは違うさ。無一文なら 困ってるだろう。ほら、持っていくといい」 掴まれた右手に乗せられたものを指先でたどると、麻袋だった。中に硬い物が入っている と思ったら、チャリンと金属のぶつかる音が聞こえた。お、お金? 無一文で困っているということは間違いなく本当なんだけど、嘘で塗り固めた話で同情し てもらってお金までもらうって……。 でも眞魔国まで戻るのにはどれくらいお金がかかるかわからない。今日有利たちが稼い でいるお金がどれくらいになるかはわからないけれど、まず服を一通り揃えたらほとんど なくなってしまうと考えるべきだろう。 ズキズキと良心を痛める罪悪感に苛まれながら、深く頭を下げて好意を受け取らせて もらうことにする。なんとしてでも有利を、無事に国に連れて帰らないといけない。 「か、重ねがさね……ありがとうございます……」 「なに、勝手にやったことだ気にするな」 気にします。だって嘘なんだもん。……とは言えずにもう一度深く頭を下げる。 「しかし、目がよく見えないなら不便だろう。どこに行くつもりだったんだ。送ってやろう」 「え!?」 「調査くらいひとりでもできるよな」 「無論だ。お前は娘を送ってやるといい」 二人の間で話し合いが決定してしまい、本格に戸惑うはめになる。 身から出た錆とは正にこのことだねー! ……ど、どうしよう……。 「ほら、立てるか。手を引くぞ」 傷を治してくれた人は、声を掛けてからゆっくりと手を取って上に引いてくれる。 「では私はこの辺りから聞き込みを始めておく」 「じゃあオレはこの娘を送り届けたら反対側から聞き込みしておくぜ」 「あ、あの、そこまでご迷惑をお掛けするわけには……」 「なーに、気にするな。乗りかかった船だ」 やっぱり嘘つきにはそれなりに報いがあるものなのね……。 「で、どこに行くつもりだったんだ?」 街外れに、と言えばあまりにもおかしいだろう。一体なんの用事があるのかと聞かれたら 答えようがない。 「……み、港にいる兄に会いに……」 「ああ、じゃあこっちだな」 来た道を手を引かれて歩くことになってしまった。あわわ……。 「あ、あのでも、何かお仕事があるのでは……」 「なーに、ちょっとした聞き込みだ。もうほとんど裏は取れてるんだがな、最後の詰めって やつかね。ここの領主が小シマロン本国の政策に反対しているっていうから、街の住人 の意識調査みたいなもんさ」 そういえば、さっきここは自治区とか言ってたっけ。自治権は持っていても属領みたいな ものだから、色々と本国と軋轢があるんだろう。いろいろ大変だなあと人事のように思っ ていたら、とんでもない話が待っていた。 「ま、戦争なんて誰だって嫌なもんさ。だが小シマロンは今でも魔族の地を狙っている。 いや、大シマロンも同じか。お互いに出し抜かれないように必死ってわけだ」 「魔族と!?」 今、戦争って言わなかった!? 思わずぱっちりと目を開けてしまったら、親切な人の金髪が一瞬だけ見えた。 一瞬だったのは、わたしの大声に驚いて親切な人が振り返ったから、また慌てて目を 瞑ったからだ。 「どうした、お嬢ちゃんも魔族が怖いか。ま、当然だな」 「い、いいえ」 「なんだって?怖くないのか」 「こ、怖いのは、戦いを起こそうとすることです。だって、今の眞魔国は大人しくしている じゃないですか。どうしてわざわざ血が流れるようなことを……」 だって永世平和国にするぞと息巻いている有利が主導しているのに、眞魔国から開戦 の兆しが見えるはずがない。好戦的な貴族の人だっているけど、頑張って有利やギュ ンターさんやグウェンダルさんたちが説得しているのに。 戦いなんて……。 最後に見えたコンラッドの背中を思い出したら、また泣きたくなってきた。 どうして、あんなひどいことを、好んで起こそうとするの? 「……そうだな。人間どもは度し難い……」 「え……?」 魔族に敵対しているはずなのに、今の言い方だと人間の方を批判していないだろうかと 顔を上げるけど、目を瞑ってるから一緒なんだよね。 しばらく黙って、目が見えにくい(ことになっている)わたしに合わせてゆっくりと手を引い て歩いてくれた親切な人は、潮の匂いがする風が吹いてくるとまた口を開く。 「兄貴は港のどの辺りだ?」 「え?あ、えっと……も、もうここまでくれば大丈夫です」 「そうか?連れて行ってやるぞ?」 「だ、大丈夫です、本当に。だいぶ見えるような見えないような状態になってきてます から……」 自分でもなにを言っているのかちんぷんかんぷんだったっけど、必死に大丈夫だと繰り 返したら、親切な人はそうかと納得したように手を離してくれた。 「じゃあな、転んでまた怪我するなよ」 「本当にありがとうございました」 深々と声のする方に頭を下げて、たっぷり二十秒は数えてから頭を上げる。 一応警戒して、そちらの方向に背を向けてから目を開けた。 ずっと瞑っていたから、緩やかな日差しでも少し目に痛い。 ……シマロンが戦争の準備をしている。 「……できるだけ早く有利を連れて戻らないと……」 ずっと悲しいとしか考えられなかった心に、やっと前を向かなくてはならないという決意 が戻ってきた。 |
思わぬところで重大なことを聞いてしまいました。 |