厩舎で待っていたギュンターさんとグレタと合流してそれぞれ別れて馬に乗る。

グレタは馬に乗れないからコンラッドと一緒に。

「でも、危ないところならグレタを連れて行って大丈夫なの?」

「さすがに国内にまで脅威が迫っているわけじゃないからね。陛下を城までお連れする

時間はないから、一目でも会いたいだろうと思って」

「申し訳ありません殿下、お早く。そろそろウルリーケが報せてきた陛下のご到着の時間

になります」

「はい、それは急がなくっちゃ!」

どこに現れる予定なのかと訊ねると、この王都の中ということだった。

それじゃあひとまずは安心?






056.涙降る夜(2)






かと思いきや。

「え、ここ?」

雨の街中を馬ですっ飛ばして着いた先は居酒屋だった。

こういうところで酔っ払いに絡まれるのが有利なんだよねえ……。

馬を降りようとしたら、先にグレタを降ろしていたコンラッドが手を貸してくれる。ひとりでも

降りられるけど、こういうちょっとした触れ合いが嬉しかったりして。

ひと月足らずでわたしの中のコンラッドが不足していることがありありとわかって、重ねて

いた手を離すのが寂しかった。……もっと側にいたいのに。

「陛下ーっ!」

わたしが馬を木に繋いでいる間に、ギュンターさんは少し離れていた居酒屋まで駆けて

行って、ドアを壊れんばかりの勢いで乱暴に開けていた。その後をグレタが追っている。

「さ、も早く」

コンラッドが左手を差し出して待っていて、その手を握ろうとしたわたしは思い直して腕に

抱きついた。

コンラッドは一瞬驚いたような顔をしたけれど、ちょっと苦笑するだけで歩き出す。

本当に、今日はコンラッドの厳しい表情ばかり見ているから、こういう少しだけ気を許した

ような顔を見ると嬉しくなる。

「ことが終わったら真っ先にを呼ぶから、いい子にして待っていてくれ」

「きっとだからね」

「ああ、ほんの少しの辛抱だ。………でも、もし俺に何かあってもどうか心を強く

持っていて」

「どうしてそんなこと言うの!?」

危険な状態だとはコンラッドの話からも様子からもわかったけど、そんな不吉なこと聞き

たくない。

「悪いことは考えていたら引き寄せちゃうんだよ。危ないことをするんだったら、そんな時

こそ絶対大丈夫って信じなくちゃ!」

「……そうだね、ごめん」

コンラッドの苦笑が今度は何か痛みを堪えているかのように見えて、畳み掛けるつもり

だった言葉を飲み込んでしまった。

……コンラッド、何か隠してる?

他国が危険な兵器を手に入れたという話では確かにギュンターさんも同じように緊迫した

様子を見せていたけれど、どうしてだろうコンラッドの緊張にはその奥に覚悟のようなもの

があるように見えて。

「コ……」

「店に入るよ。もうちょっとフードを深く被って。酔っ払いなんかに、の可愛い顔を

見せて刺激するのはよくないし、俺が面白くないからね」

素直に黒い目を見せると不味いと言ってもらいたい。

こんなわかりやすい手口で照れてなんてあげるもんですかと思うのに、顔が赤くなって

いそうで慌ててコンラッドの腕を離してフードを被り直した。

「なぜ乳吊り帯など握っておられるのですか!?」

ギュンターさんの悲鳴が聞えてお店の中を覗くと、二週間ぶりの有利がいた。

……けど。

「な、なにあの格好……」

青いエプロンはいいよ、エプロンは。それでいてサーファータイプの水着は有利のもので、

それもいい。

けど、それだけしか着ていないというのはどうなの!?

別々に着ていたら問題はないのに、そのふたつだけを合わせられるとなんだか非常に

いかがわしい。

思わず隣のコンラッドの服を握り締めて込み上げる失望に溜息をついたら、コンラッドも

溜息をついた。

があの格好で来ていたら、俺はギュンターを捻っていたかも。……いや、思い出

したら十分腹が立ってきた」

そう言うや否や、有利のいかがわしい格好に本日二度目の鼻血を押さえてうずくまって

いたギュンターさんの背中を爪先で蹴った。

「べほっ」

「コ、コンラッド!」

ギュンターさんが床に倒れて、わたしが驚いてコンラッドの服を引っ張ると、グレタと感動

の再会をしていた有利が驚いてこちらを振り仰ぐ。

「コンラッド!あれ、も一緒?」

「有利……なんて格好……おまけにビキニまで握り締めて……」

「こ、これ!?これは村田ん家の制服!海パンとエプロンが制服なの!んでビキニは

お客さんのだよ!」

「……へえ……バイト先のお客さんとなにやってるのかなあ?」

これはいよいよヴォルフラムの怒りが爆発する事態なのでは。

「だ、だから違うって!お客さんのビキニが流されて!バイトの身では頼まれたら取りに

行くしかないだろ!?」

有利が必死に言い訳している間に、コンラッドは近くいた酒場の客からズボンを買い取っ

ていた。

「陛下もお年頃ですから色々あるでしょう。さあ、これを穿いて」

「お年頃ってなに、お年頃って!?誤解だってば!」

コンラッドに渡されたズボンを穿きながら、有利はなおも言い募る。一通りの説明を受け

たら、それが真実だってことは有利の性格からしてわかるけどね。

有利がズボンを穿き終えると、コンラッドは外套の下の革ジャケットを脱いで有利の肩に

掛けていた。濡れた相手に上着をかけるのも、これまたコンラッドには本日二度目だね。

「なんだよ、もコンラッドもなんか不機嫌だな」

わたしが不機嫌なのはコンラッドとすぐに別れないといけないからだ。それに、どうもコン

ラッドの態度が気になるせいもある。

コンラッドが不機嫌なのは、本当に箱のせいだけ……?

「できるだけ早く安全な場所へお連れしたいので」

「安全な場所って、だってここ国内だろ?なんか問題でも勃発したの?あ、それでおれ

が呼ばれたのか」

「いいえ、陛下。今回は、我々は陛下をお呼びしていません」

床に這いつくばっていたギュンターさんがいつの間にか復活していた。





わたしがコンラッドから受けた箱の説明をギュンターさんから受けながら、有利は首を

捻る。

「そんなヤバイもんなのに手を出すのかな?」

「危険だからこそ手をつけるんです。自分たちになら使いこなせると思ってね。だけど

それは過信だ」

コンラッドの茶色の瞳が暗く陰って、後ろを振り返る。

「異国人の足音が聞える。念のために裏口に回ろう」

「では店主に裏口を使わせてもらえるように言ってきましょう」

話しているうちに鼻血の止まったギュンターさんが店の奥に移動していく。

「……有利、お酒くさい……」

有利はバイト先で一体なにをしているのだろうと胡散臭げに見るととんだ濡れ衣だと両手

を振って否定した。

「違うって!おれが飲んだんじゃなくて、今回は酒樽の中に出たの!蓋も閉まってるし、

結構マジで危険な状態だったんだぞ!?」

「え、あ、じゃあこの床を濡らしているのって……」

床一面を濡らす水滴はわたしたちが入ってきたせいじゃなくて、お酒なのね。よく見れば

壊れた木枠も転がっている。

「ギュンターが呼んでいます、さあ陛下お疲れだとは思いますが……」

厨房の方からギュンターさんが手招いて、コンラッドが有利の背中を押すと、お決まりの

セリフが出た。

「陛下って呼ぶな、名付け親」

また段々と厳しい表情になっていたコンラッドの顔が緩んだ。

「……はい、すみません。とにかく、事が終わるまではとふたりでチキュウにいて

ください。あちらでもご自分の立場を忘れずに、慎重に動いてください。あなたが無茶を

すれば、漏れなくもついて行くでしょうからね」

有利はぐっと詰まったようにわたしを見た。

コンラッド、わたしには有利を、有利にはわたしを、都合よくあてがって行動と反論を封じ

てくれるわね。悔しいけれど、とても有効な手段だ。

「……わかったよ。を危ない目に遭わせたくないのはおれも一緒だからね。でもおれ

がいないうちに戦争になるのだけはだめだからな!」

有利がグレタの手を引きながら肩越しに振り返って睨みつけると、コンラッドは神妙な顔

で頷いた。

「承知していますよ」

コンラッドはわたしの手を引いて、少し前を歩かせるように斜め後ろについて肩に触れる。

も約束を守ってくれ」

「うん……」

やっぱり残りたいという言葉は喉まで出掛かっている。

コンラッドの側にいたいのはもちろんだけど、どうしても嫌な胸騒ぎが収まらないのだ。

日本で有利が危険な目に遭う可能性なんてほとんどありえないし、だとしたらやっぱり

わたしはこっちに……でもだめだ。

わたしが残ると言って、有利が自分だけ大人しく帰るはずがない。

厨房を通って店の外に出ると、再び夜の外気と強い雨が待っていた。

行きは明るく輝く石をギュンターさんが掲げていたけど、その石も明度が落ちていると

思ったら、何事かを口の中で唱える。すると、その高い鼻が赤く輝きだした。

「もっとカッコイイ照明はないのかよ」

もう一度石を明るくしちゃダメなの?

有利とわたしが緊迫した状況のはずなのにがくりとうな垂れると、後ろでコンラッドが

苦笑した。

「どうりで。チキュウのクリスマスについて根掘り葉掘り聞くと思ったら」

「……トナカイなの?」

何かが違う。何かが間違っている。

でもきっとギュンターさんは、有利に役に立つという言葉を期待しているんだと思う。

一言くらい、言ってあげれば?

全員で雨避けの外套を深く被りながら小走りで移動する。

ギュンターさんを先頭に、有利とグレタが続いて、わたしの後からコンラッドが後ろを気

にしながらついてきていた。

店を迂回して馬を繋いでいた木まで戻ってくると、行きと同じくグレタをコンラッドが引き

受けて、有利はギュンターさんと同乗することになった。わたしだと手綱捌きが未熟だ

から遅くなるからね。

「うう……首筋に鼻息が……」

「贅沢言わない!」

「じゃあが代わるか?」

「冗談でしょ?」

「……陛下、殿下……」

短いけど真剣なわたしたちのやりとりに、ギュンターさんが傷ついて泣いていた。

ご、ごめんね。





夜の街中を再び馬で疾走する。眞王廟とは逆の方向で驚いた。

「ど、どこ行くの?」

「この先に教会がございます。巫女たちはすでに帰りの手筈を整えているはずですので、

そこから陛下と殿下をお送りできることになっているのです」

そんなに。

そんなに早くこの国から出してしまいたいの。

斜め後ろを走るコンラッドを振り返ったら、その表情が一瞬硬くなった。

風を切る音が。

「陛下、危ないっ!」

隣で有利の身体がわたしの方へと傾いた。ほとんど時を置かず、ギュンターさんが後方

へと揺らめいて馬上から転がり落ちる。

「ギュンター!」

有利の悲鳴が聞こえても、一体何が起こったのかわからなかった。ただ反射で手綱を

引いて馬の足を止めようとしたら、有利が残されていた馬が激しくいなないた。

「有利!」

「ユーリ、早く降りて!」

コンラッドが駆け出す寸前の馬の横に飛び降りて、馬上から落ちかけた有利を上手く

抱きとめてくれた。

今度は乗り手に乱暴に降りられて落ち着かない馬にグレタがひとり残されてしまった

ので、わたしも慌てて馬から降りて腕に向かってグレタに飛び降りてもらう。

「コンラッド、ギュンターが!」

「ユーリ、落ち着いて。あの灯りが見えますね?一気に走り抜けますから、絶対に振り

返らないで。さあもグレタも一緒に!」

「でもギュンターが」

有利がふらふらと危うい足取りでギュンターさんの側に行こうとすると、コンラッドが強く

引き戻す。

「走って!」

わたしは弾かれたように有利と反対側にグレタの手を握って、コンラッドが示した灯り

の方に走り出した。

、ギュンターが!」

「コンラッドの邪魔になっちゃうよ!とにかく言われた通りにして!」

有利は何度もギュンターさんを振り返り、五十メートルくらい走ったところで、思い切る

ように頭を振るとわたしの手を離して前だけを見て走り出した。









大変なことになりました。



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