今年の夏休みはすこぶるつまらない。

なんでって、有利が居ないから。有利がメガネに拉致されたから!

「なにがMの一族よー!有利を返してー!」






055.淡色の夏の記憶






この夏、有利は村田くんの親戚の経営するペンションに泊り込みのバイトに行ってしまった。

バイト代と年代を感じさせるガールハントという言葉に釣られて。

ガールハントだなんて、眞魔国に帰ったらヴォルフラムに言いつけてやる……。

出発の日、有利を迎えに現れた村田くんは外見からして随分変わっていた。

イメージチェンジだそうだけど、金髪に近い脱色した髪にブルーのカラーコンタクトって。

でもメガネという呼び方は止めなくてよさそうだった。カラーコンタクトでは度が足りなかった

らしく、やっぱりブルーのサングラスを頭に載せていたからだ。

忘れ物をしたと慌てて有利が部屋に駆け上がっている間に迎えにきた村田くんにわたしが

愚痴のように不満をぶつけると、彼は反論しようのない正論を述べた。曰く。

「行くと決めたのは渋谷自身だよ、

「気安く名前で呼ばないでよ!」

中学時代だって別に友達だったわけじゃないし、今だって有利を挟まなければ会うことも

ない相手に、どうして呼び捨てにされなくちゃいけないんだと睨みつけると、村田くんは軽く

肩を竦める。

「だって『渋谷』だと渋谷と区別つかないだろ?」

「じゃあ渋谷『さん』とでもつけたらいいじゃない」

「いつも思うけど、なんだか理不尽に敵視されてるよね、僕」

だってあなたのせいで酷い目に遭ったのに有利はちっとも気にしていないし。

なにより、最近現れたばっかりなのに波のごとく有利を浚って行っちゃう人にどう好意的で

いろと。

それに。

「あなたのこと苦手なの」

「僕は君のこと嫌いじゃないからつらいなー」

「そういうあざとい言い方されるのがいやなの」

睨みつけても暖簾に腕押し。村田くんはにっこり笑ってわざとらしく溜息をつく。

「でも僕と渋谷は友人だから、それはきっと渋谷はガッカリするだろうねー」

「くっ……だ、だからそういうあざといところが……」

「わりぃ、村田!お待たせ!」

着替えその他を詰め込んだスポーツバックを担いで有利が階段を駆け下りてきて、慌てて

口を閉ざしたら、村田くんは楽しそうに笑った。

「気にしなくていいよ、渋谷。妹ちゃんが楽しくおしゃべりに付き合ってくれたからね」

「妹ちゃん?」

って呼ばれるのとどっちがいい?」

……だから苦手なのよ。この確信犯め。

「楽しくおしゃべり〜?」

有利が不審そうな目をわたしと村田くんに交互に向ける。

「なに渋谷、その疑わしい顔。友達と妹が仲良くてなにか問題でもあるの?相変わらずの

シスコンだなー」

「シスコンは認めるけど、たったこれだけで限定するなよ!」

「認めるんだ……」

目の前で楽しく繰り広げられるおしゃべりに、スポーツバックに引っ掛けてあったブルーの

帽子を取って有利に被せて割って入った。

「海のペンションでバイトなんて、日射病とかに気をつけてよね」

「大丈夫だよ、心配性だな。普段から炎天下の中で走り回ってるんだから、日射病と脱水

症状の怖さはちゃーんとわかってます。どっちかっていうとインドア派っぽい村田を心配

してやってくれよ」

どうしてわたしが村田くんの心配なんて。

「倒れて有利に面倒をかけないように、気をつけて」

「………そこまで徹底されるといっそ天晴れだよ」

こうして有利は夏の海辺に行ってしまった。村田くんとのやりとりは、いつも後で思い返す

と大人気ないなあと自分でも思うんだけどね。

今までの有利の友達より、ずっと親密なものを感じてついつい刺々しく……ああ言い訳だ。

次に会ったときはもうちょっと普通の対応を心がけたい。

なんだかんだ言っても、今や有利の一番親しい友達なんだから。





「ゆーちゃんが帰ってくるのは確か明日だったな」

お兄ちゃんがカレンダーを指差し確認して頷いた。

「そうだねー、やっとだね」

本当は、一緒に行けるものなら行きたかった。だけど有利のバイト予定期間のうちに、

弓道の大会があったので行けなかったのだ。

クーラーの効いたリビングでソファーにうつ伏せに寝転んで、床でひっくり返っている

ジンターのお腹を撫でながらそう返すと、近付いてきたお兄ちゃんが少し捲くれていた

スカートの裾を引っ張って直した。

「ちょっと足が見えてたぞ」

「ちょっとだけだもーん」

「……最近ちゃん、お兄ちゃんに何か隠しごとしてないか?」

思わずぎくりと震えてしまった。

隠し事って、ひとつ大きなものが確かにある。

異世界に行って大冒険も十分に大きな話だとは思うけど、そんなことはお兄ちゃんに話し

たって信じてくれるはずがない。

そうじゃなくて。

「ミニスカートはいたり、ウイッグをつけたりするのはまあ友達付き合いだからわかるけど、

最近妙におしゃれに気を使うようになってないか?」

ギクギクと再び鋭い指摘にジンターのお腹を撫でる手が早くなる。

「以前はアクセサリーや化粧なんて見向きもしなかったのに、グロスとかこのイヤリング

とか……」

グロスってほどのもんじゃないですよ。ちょっと色のついたリップくらいで。今時の高校生

なら逆に全然手を入れてない方だよ、という言い訳は耳を飾っていた琥珀のイヤリング

に触れられて引っ込んだ。

これ、彼氏に買ってもらったの。

そんなことをお兄ちゃんに報告したらどんな答えが返ってくるだろう。

想像するだけでも恐ろしい。

もしも会わせろって言われても絶対に無理な話しだし、会おうと思ってもなかなか会え

なくて、なんて説明をしたら別の意味に取られて別れろなんて騒ぎ出すに決まってる。

なかなか会えなくて。

「……会いたいなー……」

「誰に?」

口に出したつもりはなかったのに、うっかりしてたらしい。聞き返されて、驚いて起き

上がったらその勢いに床のジンターも驚いたように跳ね起きた。

「だ、誰って……ゆ、ゆーちゃん!」

「そうだな、でもゆーちゃんは明日帰ってくるから、今はお兄ちゃんとの話をだな」

「わたし、庭に水撒きしてくる!」

これ以上ここにいて突っ込まれたら大変だと、リビングから庭に飛び出した。





物置からホースを取り出す前に、イヤリングを外してポケットに入れていた小袋に入れて

首に下げることにした。

この袋は、イヤリングを学校にだって持って行けるようにと日本に帰って来てから自分で

紐を通して作ったものだ。どんな色の服を着ていても目立たないように、クリーム色の布

と白い紐。学校じゃなくても、服装に合わないと思ったときはこの袋に入れて持ち歩くよう

にしている。

今はお兄ちゃんの追及を受けないためだけど、どうやら家でもあんまりつけない方がいい

みたい。これがなんなのかを知っているのは有利だけなんだもんね。アクセサリーに興味

のないはずのわたしが常用している時点でお兄ちゃんやお母さんがおかしいと思うのも

無理はない。

茶色の石を太陽に掲げると、中の気泡は白銀色に見えた。

「会いたいなー」

あれからまだ一ヶ月経っていないけど、コンラッドに会いたくて会いたくて仕方がない。

だって眞魔国では毎日一緒にいたのに、もうずっと顔も見てないし声も聞いていない。

改めてイヤリングを袋に入れて、口をしっかりと閉めると服の下に袋を入れてホースを引き

摺りながら庭の蛇口の元まで歩いていく。

もっと自分の意思で行き来できたらいいのにという気持ちと、そしたら毎日往復しそうで、

できなくてよかったという気持ちの間で複雑に思いながら蛇口にホースをとりつけている

と、リビングのガラス戸が開いてお兄ちゃんがリボンで作った花の飾りをつけた麦わらの

帽子を投げてきた。

ちゃん、帽子かぶらないと日射病になるぞ」

「いいよ、水撒いたらすぐ入るから」

「いいから被りなさい。白いワンピースにサンダル、そんな格好で水撒きとくれば麦わら

帽子は必須だろう!」

……お兄ちゃんのこだわりはよくわからない。

フリスビーみたいに投げられた麦わら帽子をキャッチして、返しに戻るのも面倒だったの

で頭に載せるとお兄ちゃんが違う違うと首を振る。

「いいか、ちゃん、麦わら帽子は少し後ろに斜めに被るんだ。ちょっぴり落ちそうな

ところを両手で軽くつばを持ってくるんと振り返るんだ!」

「……お兄ちゃん、わたし水撒きするんだけど」

なんで帽子を両手で押さえる必要があるの。お兄ちゃんの頭の中では一体どういう映像

が流れているのか知りたいような知りたくないような。

ゲームのワンシーンの再現がしたいのかなあと思いながら、蛇口を捻って水がホースを

伝ってくるとそれを花壇や植え込みに向かって撒き始める。

「いいなあ、絵になるなあ。ちゃん、そこでホースの口を押さえて水の勢いをちょっと

強くしてだな、水を撒きながら片手で帽子を……」

「もー!注文がうるさーいっ!麦わら帽子ネタはもういいの!」

ホースの口を指で押さえて狭くして、水の勢いを強くするのだけはお兄ちゃんの言う通り

にしながら、その出口をお兄ちゃんの方に向けた。

「うわっ!こら、家に水が入るだろう!」

お兄ちゃんは慌ててガラス戸を閉めた。これで静かになる。

そう思ったのも束の間、閉めたガラス戸の向こうで何かを訴えている。まだ懲りないの。

呆れながら微かに聞こえる声と口の動きを頼りに解読したところ、カメラを持ってくるから

水撒きを続けておくようにということだった。

……変な注文を受ける前に、さっさと終わらせてお風呂にでも入ろう。

蛇口を捻って水の量を一気に増やすと、急に増した水量にホースがうねってその勢いに

手から跳ね出してしまった。

「ぎゃーっ!」

まともに水を被って、慌てて地面を生きているみたいに跳ねているホースを水浸しになり

ながら掴んだら、そのまま手が吸い込まれる。

「わっ!……って……やったっ!」

コンラッドに会える!

このとき、わたしの頭の中はそれだけだった。

熱い夏の、楽しいことしか頭になかった最後の日。









例によって例のごとく、お兄ちゃんできっとマ編スタートです。



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