眞王廟への道をゆっくりと辿るノーカンティーの歩調の振動も、背中に感じるもたれ

かかったコンラッドの温かさも心地よくて、有利が先に帰ってしまったというのに機嫌

は最高にいい。

それに有利がいないとなると、早くコンラッドを城に帰さなくちゃと焦らなくていいし。

「帰りはまっすぐ城に戻っちゃうの?」

できればちょっとゆっくり目に帰れたら嬉しいかもと見上げながら訊ねると、コンラッド

は驚いたように目を瞬いた。

「帰り?」

「え、なにか変なこと言った?」

「だって……このままニッポンに戻るつもりだったんじゃ……?」

「なんで!?」

訊ねておいて、なんでも何もないと思い出す。前回、有利に置いて行かれた時はすぐ

に帰ると騒いでいたんだった。

「戻るつもりなら、向こうの服を着てきてるよ」

騎乗するためにパンツルックな分、ドレスよりはマシとはいえ、こっちの衣装で日本に

戻れば、またお母さんに見つからないよう、服の保管に気を使わなくてはいけない。

「そう………そうか、うん」

わたしがまだ日本に戻るつもりがないと納得したのか、コンラッドは頷いて髪にキスを

落としてきた。





054.そして、これからも(2)





「陛下が戻られたということは、がニッポンへ渡る準備もできたということだろう

と思っていたから、てっきりもそのつもりかと……」

「ああ、そっか。あんまりそれは考えてなかったな。じゃあ朝食のとき元気がなかった

のって、有利が帰ったことじゃなくて?」

「……態度に出てた?」

「コンラッド、かわいい〜」

「かわっ……」

顎を上げて真上を見上げるように窺ったコンラッドは、意外な言葉を聞いたように絶句

した。その表情もあまり見たことがなくて、また笑ってしまう。

「いやにご機嫌だな」

ちょっと困ったような、呆れたような溜息でコンラッドが肩をすくめる。

「だって楽しいんだもの」

わたしは右足を上げてノーカンティーの背中をまたぐと、両足をそろえて横向きに座り

直した。それからコンラッドの胸にぴったりと頬をくっつけるようにして抱きつく。

「馬上だと積極的だね」

「ここは人の目がないし。コンラッドは両手が塞がってるし」

手綱を握っているから、甘えてみたら恥ずかしい逆襲を受けるという心配もない。

安心してぎゅうっと抱きついていたら、そっと頬を撫でるものが。

「あのねえ、。これでも俺は武人だから」

これでもだなんて謙遜……という言葉は出なかった。

だって、頬を撫でていた手が滑って、顎を持ち上げたから。

「片手で手綱は捌けるし、短時間なら足だけで馬の制御くらいできるんだよ?」

にこりと笑って落とされたキスは触れるだけのものだったけど。

「わ、わき見運転は危ないよっ」

しまった。馬上って逃げ場がない。

「大丈夫。彼女は賢い馬だから、判断力も賢明なんだ」

もう一度降りてきたキスは、深くて激しいものだった。

角度を変えて何度も重ね直し、唇を辿る舌にゾクゾクと背中に悪寒にも似た感覚が走る。

「ふっ……」

唇を割って入ってきたぬめったこれって……舌?コンラッドの舌!?

思わず逃げ腰になるけど、ぐっと抱き寄せられる。

わ、ちょっとコンラッド、ホントに両手とも手綱を放してる!?

だけど抱き寄せられた腰に移った意識はすぐにキスの方に戻される。

舌先が歯列を辿って、それからゆっくりとわたしの舌を絡めとる。逃げようとしても、すぐ

に追いすがってきて、狭い口の中なんて逃げ場がないから捕まってしまう。

「ん……」

鼻に抜けるような変な声が漏れて、泣きたくなるくらい恥ずかしい。

なにこれ?

なにこれ!?

舌を入れられるのも初めてじゃないけど、こんなにキスって長かったっけ?

くちゃりと耳に届く湿った音が更に恥ずかしい。

息継ぎをする間がほとんどなくって、やっと解放された頃には酸欠寸前だった。

「――――、はっ……く、くるし……」

「キスが終わってすぐ深呼吸とはまた色気のない」

「だって苦しいんだもんっ!息できないよっ」

「息はキスの合間に。あとは鼻でもするといい。練習する?」

「いいから手綱を握ってっ」

油断したわたしが悪かったです。

赤くなった顔を見せるのが恥ずかしくて、コンラッドにぎゅうっと抱きついて顔を埋めて

しまうと、大きな手が頭を撫でた。

「失敗したな」

「……なにが?」

「馬上だとこれ以上のことができない」

馬の上でよかった……。




眞王廟へ行く山道は、中腹からは馬では上がれない。途中でノーカンティーから降りる

と、わたしは謝罪の意味をこめて彼女の首に抱きついた。

「ごめんね、ノーカンティー。二人分で重かったでしょ?……帰りもお願いね」

更に言えばわたしが彼女なら、背中の上であんな不謹慎なことをされたら逆上するよ。

「さ、行こうか。ウルリーケとの話がどれくらいになるかは判らないけれど、早け

れば昼前には戻れるだろう」

コンラッドに手を差し出されて、さっきのことを思うとちょっと迷う。

だけど、ここには他に人なんていないし、わたしかコンラッドの部屋以外で思いっきり

甘えられる時間を逃すのも惜しい。

結局手を繋いで山道を登ることにした。

「お昼前に戻ったってゆーちゃんいないもん。急がなくてもいいよ」

いけない、半日でもう有利欠乏症が出てきている。城に戻るどころか、逆立ちしたって

今この世界では有利に会えないと思うと、益々恋しくなってしまう。

ああでも、日本に帰ったら今度はコンラッドがいない。

コンラッドか有利か、どちらかといえば、兄妹の有利の不在の方に慣れないといけない

よね。有利が結婚とか、そこまで飛躍しなくても家を出て行ったら別々に暮らすように

なるんだから。

……だからもうちょっと、こっちにいてもいいよね?

そんなことを考えていたら、コンラッドの手を握る手に力が篭った。

「戻るのは、城じゃなくて街。せっかく城を出たんだから、少し街でデートをしよう。最初

にヴェールかなにかを買って頭から被れば、髪の色も隠せるし」

「うんっ、行く!」

耳元で音を立てたイヤリングを指先で触る。

ヒルドヤードでも十分楽しかったけど、今度は有利のことが気にならない分、ゆっくりと

楽しめる。

「本当は、こっそり買って渡したかったんだけど。まあ、本人に欲しい物を選んでもらう

というのもいいよね」

「なにを?」

の誕生日プレゼント」

「え?」

「もちろん、も国の大切なお姫様だから臣民一同からという形のものも用意する

だろうけど、俺個人としてのプレゼントを。陛下があちらにお戻りになられたからには、

もいつ帰ってしまうかわからない。だから今日、買っておきたいと思ってね」

「ええ!?で、でもこのイヤリングを買ってもらったし!」

慌てて空いている方の手を振ったら、その手を握り締められた。

「それはそれ。俺の気持ちとして、誕生日のプレゼントとした物を贈りたいから」

「きゅ、急にそんなこと言われても……」

欲しい物って言われても、特にこれという物は、今はない。

服や靴は山ほど用意されているし、アクセサリーだってそれに合わせてたくさんあるし、

第一アクセサリーは質素と言われようと、コンラッドの瞳と同じ色の石をあしらったこの

イヤリング以上に欲しい物があるとも思えない。

「今欲しい物は特にないし……わたし、コンラッドが側にいてくれるだけで嬉しいから。

物より約束の方がいいな」

「どんな?」

「あのね、これからも側にいて欲しいの。もしも…もしもだよ?……わたしのこと、好き

じゃなくなっても……嫌いにだけは、ならないで」

……」

コンラッドは肩を落として溜息をついた。

「え、む、無理……?」

先のことなんて保証できないとか言われるのかと思ったら、コンラッドにぎゅっと抱き

締められた。

「それは俺へのプレゼントになるよ。……それに、嫌いになるなんて不可能だ」

「……ホント?」

「もちろん。……なら、それを誓った証とした物を今年のプレゼントに選ぼうか」

「あ、やっぱり物も必要?」

「今はいらないだろうけど、言葉を尽しても心はわかりにくいものだからね。この先に

何か不安になることがあっても、物で誓いを思い出して信じられることだってあるかも

しれない」

「そういうものかなあ?指切だけじゃダメかな?」

「指切り?」

「うん、こうやってね」

握っていたコンラッドの左手を一旦離して、小指同士を絡ませる。

「約束するの。指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますって」

「それはニッポンの約束の仕方?」

「そう。約束を破ったら、拳骨を万回、針も千本飲ませるぞっていう」

「……結構怖い約束だね」

「だから、絶対破らない約束をするときに使うの。小指は約束の指なんだよ」

「じゃあ指切りを。プレゼントは後で街でね」

「結局プレゼントも買うんだ……」

顔を見合わせて、ふたりでちょっと笑ってしまった。

「じゃあ、約束だ。指切りげんまん」

「嘘ついたら、針千本でも二千本でも飲ませちゃう」

節を変えて歌ったら、コンラッドはますます可笑しそうに声を立てて笑った。




そうして、眞王廟に到着したら、やっぱりコンラッドだけ門のところで止められた。

「コンラート閣下はこちらでお待ちください」

「やれやれ、今回も駄目か」

「ごめんね、コンラッド」

「いいよ、気にしないでゆっくり行っておいで」

そんなことを言いながら、コンラッドが髪にキスなんてするものだから門衛の人たちが

顔を赤らめて目を逸らす。

思わずコンラッドを睨みつけたけど、まったく堪えた様子もなく笑ってわたしの背中を

押して送り出した。

「なるべく早く帰るようにするから」

「ゆっくりでいいよ。急ぎすぎて転ばないように」

またもや門衛のふたりが顔を逸らしたけど、今度は笑いをごまかしたのだとわかる。

もう、コンラッド!恋人扱いか、子供扱いするのか、はっきりしてよね!

色んな意味を込めてもう一度睨みつけると、先に立って歩き出した出迎えの巫女さん

の後について階段を上がる。

振り返ったらコンラッドがまだ見送ってくれていたので、手を振ったら振り返してくれた。

プレゼントはともかく、話を聞いて帰ったらデートだ、と思うと足取りも軽くなるってもの

でしょう。

磨き上げられた黒曜石のような床は、足音を大きく反響させていた。

自分で言い出したものの、眞王陛下が素直にあの白い手とか、魔術の発動不良に

ついて教えてくれる可能性はほとんどないと思っている。

だからこそ今も気楽に歩いていられるんだけど。

だってここで教えてくれるなら、前回どうして一瞬しか声をかけてくれなかったのか。

ウルリーケさんに伝言なんて形じゃなくて、直接話した方が絶対にいいはずなのに、

言いたいことだけ伝えて、後は一瞬声をかけて要素たちとの盟約を結ばせるなんて、

どう考えてもわたしとは話したくないってことなんだろうし。

ここで駄目なら、今日のところはとりあえずデートを楽しんで、他の方法も探しながら

今度こそコンラッドにちょこっとずつ相談してみよう。それには、どこまで口にしてOK

かは熟慮しないと。

コンラッドが眞王陛下とかいう存在に酷い目に遭ったりしたら、わたしは眞王廟に殴り

込みをかけかねない。

我ながら短気だと嫌な再確認をしているうちに、以前に来た建物の再奥に到着した。

「どうぞ、言賜巫女様が奥でお待ちです」

やっぱり前回と同じことを言われて、押し開けられた大きな扉の中に入ると、銀に輝く

長い髪を床に垂らして座っているウルリーケさんが待っていた。

「殿下、お待ち申し上げておりました」

「今日は是非眞王陛下にお聞きしたいことが……」

「はい、陛下のご意志に従いまして、殿下をチキュウへお送りいたします」

……はい?

「ちょ、ちょっと待ってください。昨日の手紙には聞きたいことがあると書いておいた

はずなんですけど」

「ええ、ですが陛下はただ殿下をチキュウへお送りするようにとだけしかお答え下さい

ませんでした」

「なっ………」

半ば予想していたとはいえ、なんなの、その強硬な態度は!

「……じゃあ出直します。まだ日本に戻る気はないんで」

ここでウルリーケさんを怒っても仕方がないと、どうにかこうにか自分で自分を宥め

すかしながらそう言ったのに、ウルリーケさんはその可愛らしい顔を曇らせる。

「ですが、陛下はもう準備を整えられてしまいましたので……」

「え?って……また強制イベント!?」

踵を返そうにも、足は黒曜石のような床に、沼にはまったみたいに沈み込んでいて

動かない。

「コンラッドが待ってるのにーっ!」

一緒に城に帰ろうって約束したのにっ!

「ウェラー卿には私が責任を以って、殿下はチキュウへお渡りになったとお伝えして

おきます」

「そういう問題じゃ……ぷっ」

文句を言っている間に、完全に飲み込まれてしまった。

「それでまた高速落下!?いい加減にしてよねーっ!」

今度は、闇の中から声が聞こえてくることもなかった。




そういえば、眞魔国に着いたときも鏡から放り出されて受身も取れなかったんだ。

でも、今回は真下にベッドなんかないわけでね!?

「ぎゃーっ!」

放り出された拍子に上がった悲鳴とともに、背中から床に落下した。

モロに背中から落ちて、一瞬息が詰まる。

「くっ………」

ごろりと転がってうつ伏せになると、フローリングの床に苦しさと悔しさで爪を立てた。

「し……眞王の………」

コンラッドが待ってたのに!

せっかくデートだったのに!

まだ一緒にいたかったのに!

「鬼ぃーーーーっ!!」

悔しさのあまりに握り締めた拳で床を殴りつけると、ほぼ同時に部屋のドアが開いた。

「呼んだ、ちゃ……ど、どうしたんだ!?」

お兄ちゃんだった。

お兄ちゃん、じゃなくて鬼と叫んだんだけどね。

床に這いつくばって悶えているわたしに驚いて、お兄ちゃんが部屋に駆け込んできて

抱き起こしてくれる。

「転んだのか?怪我なんてしてないか!?」

「ご、ごめん、大丈夫」

ここでお兄ちゃんに八つ当たりしてもしょうがない。お兄ちゃんは悪くない、なにも悪く

ない。

口の中でぶつぶつと繰り返しながら起き上がると、耳元で小さくイヤリングが鳴った。

よかった、これがどこかに飛んでいっていたら、やっぱりわたし、次に向こうに行った

時に眞王廟に殴り込みをかけるところだった。

両方とも無事にあることを触って確かめると、ほっと安心して息が漏れる。

同時に、誕生日のことを思い出す。コンラッドと指切りをした指をぎゅっと握って、今頃

ひとりで眞王廟から帰っているだろうコンラッドを思うと、悔しいより胸が痛い。

もっと側にいたかったのに。

次に眞魔国に帰ったら、わたしは断じて悪くないけどもっと何も悪くないコンラッドには

たくさん謝って、どうにか許してもらわないと。

そんなことを考えていると、わたしに怪我なんてないと確認して安心したお兄ちゃんが

首を傾げた。

ちゃん、風呂に入る前に着替えたのか?」

「あっ!」

そういえば、あっちの服を着たまんまだった。

「そ、そーなの……。え、えっと……あ、あの服はお兄ちゃんに不評だったからー」

く、苦しい。

無理やりな言い訳でそうごまかすと、お兄ちゃんは疑うどころか大いに納得したよう

に頷く。

「そうだろう、お兄ちゃんの言うことは聞かないと駄目だぞ。ちゃんに不埒な男

なんて寄ってこないように、お兄ちゃんがちゃんと守ってあげるからね」

「………………うん」

わたしの笑顔が引き攣っていることは、あまり気にならないようだった。

お兄ちゃん、コンラッドに会ったらどんな顔するんだろう……。

ちょっと見てみたいような、ふたりが会えなくてよかったような、微妙な思いでわたしは

とりあえず、素直そうに頷いた。

ごめんね、お兄ちゃん。

わたし、これからも側にいるって、約束した人がいるんだよ。

コンラッドを思い出すと、くすぐったくて恥ずかしくて、そして戻ってきたばかりなのに

もう今からとても逢いたくて仕方がなかった。







お兄ちゃん……(そっと涙を拭う)
手の届かないところで悪い虫、ついてますよ(^^;)
今夜マの始まりと同じく、ちょっと空回りの勝利兄さんであしたマ編は終了です。



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