錯乱しているギュンターさんから逃げ……ギュンターさんをグウェンダルさんに押し付け ……えー……ヴォルフラムの助言に従ってとりあえず旅行の荷解きのために部屋に 戻る途中で、廊下のずっと先から有利に呼ばれて振り返った。 後ろにはコンラッドもいて、有利の格好からしてロードワークに出かけていたらしい。 「、聞いてくれよっ!球場が出来てんの!ボールパーク!」 「は……?」 有利は転がるように長い廊下を駆けて来て、足をもつれさせて本当に転びそうになる。 「有利っ!」 慌てて手を差し伸べたら、どうにか態勢を持ち直した有利が勢いのままでわたしに抱き ついてきて、ふたりで廊下に重なるように倒れこんだ。 053.帰る場所がある幸せ(3) 「ユーリ!」 「陛下、!」 横ではヴォルフラムが、廊下の向こうからはコンラッドが驚いて声を上げる。 わたしはというと、押し倒された勢いで廊下に強かに頭を打ちつけて返事どころでは ない。 「ご、ごめん!でも球場がさ!」 人が悶えているというのに、有利はにじみ出る嬉しさが止められないような様子で、 起き上がることすらなくぎゅっと抱き締めてくる。 「ユーリ!お前、なにをしているっ!」 ヴォルフラムが怒って有利の襟首を掴み上げるものだから、抱きつかれたわたしは 首が絞まって苦しい。 「いてて、やめろってヴォルフ!でさ、レフト、ライト、センター、外野の広さもベースの 間隔も全部完璧なんだっ!」 「ちょ……待っ……」 「よせヴォルフラム!陛下も一旦起き上がってっ」 コンラッドがヴォルフラムの手を離させてくれた。 ……のはいいけど、その時わたしの頭も既にちょっと床から浮いていたわけでね。 ゴンッと鈍い音が聞こえて、目の前に火花が散ったのかと思った。 「有利の馬鹿」 「ご、ごめんなさい……」 ようやく起き上がって、痛みのあまりに涙目になりながら睨みつけると、有利は申し訳 無さそうに小さくなって床に土下座する。 「いたっ!」 「すまない、血が出てないか確かめておこうと。ああ、腫れてるな、可哀想に……」 すぐ横で膝をついたコンラッドがわたしの後頭部を撫でると、電流のように痛みが走る。 二度も強打した場所は、コンラッドが手を離した今もズキズキと脈に合わせて痛むよう。 「まったく、普段から落ち着きがないからそんな失敗をするんだ」 「お前のせいだってちょっとはあるだろ!?」 ヴォルフラムから辛辣な言葉を浴びせられると、有利はすぐに謝る態勢から立ち上がって 突っかかっていってしまう。 反省の色は!? 最近、本当にヴォルフラムばっかり! 「………もういい。帰る」 血盟城の廊下に埃なんて落ちていないけど、こけたときの反射行動で服を払いながら 立ち上がると、コンラッドが転がっていた鞄を拾ってくれる。 「部屋まで送るよ」 「待った、おれも一緒に行くっ」 ヴォルフラムは自分の荷物を部屋に置きに戻ると言ってそこで一旦別れた。 フェミニストというか何というか、コンラッドは鞄を持ったまま返してくれないから一緒に 来るのもわかるけど、有利はというと、反省というよりはとにかく伝えそびれたことを話 したくて仕方なかったらしい。 「そういえば有利、さっき球場がどうとか……」 「そうなんだよ、聞いてくれるかっ?」 わたしが水を向けると、とっても嬉しそうにさっき初めて見てきたという、まだ建設中の 眞魔国特設球場について語り出した。 頭はまだ痛いけど、この際それはもういいとして。 「誕生日に球場を作ってプレゼントしちゃうの……?」 さすが一国の国王様。スケールが違う、スケールが。 唖然というか、呆然というか、ぽかんとするわたしを置いて有利は大興奮だ。 「そうなんだ、両翼ともちゃんと百メートルあるし!バックスクリーンはないけど、観客席 はあるんだ!すごいだろ!?」 「なんというか………うん、すごい」 すごい。こんな風に、有利を満面の笑顔で喜ばしちゃうなんて。 ボールパークなんて、もちろんコンラッド以外に発案者がいるはずない。 嬉しいのか、感謝したいのか、とにかく隣のコンラッドの手を握りしめて見上げると、 コンラッドはちょっと驚いた後にすぐに笑い返してくれる。 「俄然、世界初の野球チーム設立に燃えたよ!国技になるくらいまで盛り上げないと。 そのためにはたくさん頑張って、国を豊かにしてさ!……頑張るよおれ、やれる限りの ことをやるよ、。みんな、休日を返上してまで球場を作ってるんだ。おれのために…… おれのためにさ……」 有利が涙を堪えて言葉に詰まり、俯いたままわたしの手を握った。 「おれ、この国のこと好きだ。もしこのまま日本に帰れなくても、ここだっておれの居場 所なんだ。おれの住む国なんだって」 「……うん」 「おれなんかまだへなちょこなのに、それでもいい王様になるって信じてくれるみんな に応えたい」 「頑張れ、有利」 日本に戻れるという根拠のない確信は、今でもわたしの中にある。だけど、もうそんな 励ましは有利には必要ない。 コンラッドやヴォルフラム、グウェンダルさんやギュンターさん。そして眞魔国にいる多く の魔族の人たちと、遠く国外にもいる大切な人々。 彼らが、有利を励ましてくれたから。 有利の手をぎゅっと握り返す。 わたしも、出来る限りのことをするよ。 わたしにできることなんてほんの僅かだけど、それでも少しでもなにかやれることが あるなら。 今なにもできないというのなら、この先に力になれるように。 有利のために、コンラッドのために、大切な人のために。 出来る限りのことを。 部屋に戻ると、荷解きよりも頭を冷やせとコンラッドにソファに座らされて、後頭部に は濡れたタオルを押し当てられた。 「荷解きってあれだろ?汚れ物を出しておくくらいだろ?おれがやっとくよ」 そう言って、有利は下着も入れてある鞄を持って寝室へ移動してしまう。 有利相手なら今更下着くらいと思わないでもないけれど、洗濯したものならともかく 汚れ物は……さすがにちょっと。 「有利、いいよ!後でするからっ」 「そんな遠慮するなよ。おれのせいで頭打ったんだから、ゆっくりしとけよ」 「陛下、そういう下働きのするようなことなら俺が……」 「コンラッドは絶対触っちゃダメっ!」 「わっ」 コンラッドが寝室に移動しようとしたので、慌てて服を掴んで力の限り引っ張ったら タイミングが悪かったらしく、中腰だったコンラッドはわたしの上に倒れこんできた。 コンラッドの身体をわたしが支えられるはずもなく、今度はソファに押し倒される。 「いっ、たっ!」 例え下にクッションがあっても、すでにコブができているお陰で十分に痛い。 「すまない!……大丈夫?」 背もたれに手をかけて、ソファにまでは一緒に倒れこまないようにしていたコンラッド の反射神経に拍手。さすがにその体重をかけられるのは苦しいに違いない。 「平気。それよりわたしこそ、ごめんなさ……」 「どうした、……って、なにやってんのあんた!?」 寝室から顔を覗かせた有利は、ぎょっと顔色を変えて駆けつけてくる。 「怪我人のになにするつもりだ!?」 「違うってば。これは不幸な事故で」 わたしのせいだと説明しようとして、有利が両手に洗濯物を抱えた姿が目に止まる。 おまけに、こちらで用意してもらっていた紐パンツが手から零れかけてぶら下がった 状態。 「有利ぃーー!!コンラッドがいるのに、なんて物をっ!」 「え?……あ!ご、ごめんっ」 洗濯物はまとめて置いておけば侍女の人たちが持っていってくれるのに、慌てふた めいた有利はそのまま部屋から駆け出そうとしてしまう。 「待って!そんなもの持って廊下に出ないでーっ!」 蒼白になってわたしが叫ぶより、コンラッドが動く方が早かった。 テーブルと向いにあったソファを軽く飛び越えると、ドアに前に立ちふさがって両手を 差し出す。 「陛下、お帰りの前に手の中のものを」 「あ、はい」 急に目の前に現れたコンラッドに驚いてしまって、有利はあっさりと洗濯物をコンラッド に丸ごと渡した。 「渡すなーっ!」 怒鳴りつけると有利は、そのまま部屋の外まで逃げてしまう。 「そんなに怒らなくても」 「怒るよっ!もう、返してっ」 「俺が取ったみたいに言われるとちょっと心外だなあ」 「う……それはその、ごめんなさい。返してください」 コンラッドのお陰で下着やその他の洗濯物を大っぴらにさらすことなく済んだことは確か なので、謝って両手を差し出すと、素直に返してくれた。 「有利についていかなくていいの?」 洗濯物をまとめてバスルームの方に持っていきながらそう訊ねると、後ろでコンラッドは 部屋の外を確認したようだった。 「居たたまれなかったのか、の叱責が怖かったのか、もう影も形もない。城内だし、 あの調子だと部屋にまっすぐ帰ってくれるだろう」 わたしと有利の部屋の距離はごく近いし、部屋に戻ればヴォルフラムがいる。 ならいいかと居間に戻ってくると、コンラッドが放り出してあった濡れタオルを片手にソファ から笑顔で手招いている。 コブを冷やしておいた方がいいのは事実なので、側まで行くと膝を叩かれた。 「冷やしてあげるよ。乗って」 膝の上になんて、恥ずかしくて座れるものかと隣に腰を降ろすと、コンラッドは溜息をつい て頭にタオルを当ててくれた。 「膝の上くらい、どうってことないのに」 「そんな話を一週間くらい前にもしたような記憶があるわ……」 あの時はまだヒルドヤードに行く前で、お父さんと座っているみたいだと言ってコンラッド に小さな小さな、本当に小さなやり返しができたんだった。 そう考えると、あれからまったく進歩していない。まあ、一週間やそこらでは進歩のしよう もないか。 大体進歩って、コンラッドとの関係の場合は一体どうすればいいんだろう? 心の問題なんてそれこそ一週間やそこらで変わるわけもないし、だとすると。 ……まだ無理。もうちょっと時間をください。こう、上手くタイミングさえ噛み合えばどうに かなるかと……ヒルドヤードで相部屋を言い出したとき、有利がこなかったらもう少しは 進めたかも……ううん、それは言い訳だわ。お酒に逃げずにもう一度勇気を出せれば よかったんだから。 お酒と関連して醜態をさらしたことを思い出して、ちょっと気分が下降したら、ふと今更 恐ろしい事実に気がついた。 コンラッドはわたしに合わせて待ってくれると約束してくれている。 それって、つまり、わたしからしたいと言い出さないといけないってこと……? ヒルドヤードでのコンラッドの対応を見ている限り、ほとんど決定のような気がする。 だって、わたしが相部屋にしようと言ったら、先に「大人しく眠るよ」って約束してくれた わけで。 それらしくなったときに、それとなく流されるままに受け入れるということはほぼありえ ない。 したいと、わたしの方から意思表示。 ……それってハードルが高すぎますっ! いっそやっぱり結婚までとか逃げ腰になるものの、それって何年後?とか思うとそこ までコンラッドを待たせるなんて、そんな一方的なという気もする。 ああでも、これは違うよね。だってコンラッドはわたしもしたくなったら、と言ったんだ から、コンラッドがしたいからするじゃダメなんだ。 したいって思うのはどんな気持ちなの!? ひとりで泡を食って蒼白になっていると、そんなこととは露知らずコンラッドは気楽に 膝の上のわたしの手を握った。 「あ、あのっ!」 不埒なことを考えていたせいで、手を握っただけで過剰反応。 振り仰いだコンラッドが軽く首を傾げるのを見て、恥ずかしくなる。 何をやってるんだろう。 変に意識しすぎて、コンラッドといる時間にぎくしゃくする方が嫌だ。 「……有利を励ましてくれてありがとう」 意識するんじゃなくて、自然に動いたらコンラッドの胸に寄りかかることができた。 「お礼を言われることなんて。陛下にこの国をもっと好きになって欲しいというのは、 俺たちの望みだからね。もちろんにも……」 胸に迫るようなその笑顔に、どうしようもない愛しさが込み上げてくる。 両手を伸ばして、ソファから少し腰を浮かせると、コンラッドの首に腕を絡めながら キスをする。 「もうこれ以上ないくらい好きだよ。だって、ここはコンラッドの国だから」 抱き締めて、キスをして。わたしからできる意思表示はまだこれだけしかないけど、 どうかわかって欲しい。 「嬉しいな……。この国を、この世界を受け入れてくれて……ありがとう」 コンラッドは、それだけでわたしが幸せになってしまうような笑顔で囁いて、もう一度 唇を触れ合わせた。 どうか、わかって欲しい。 あなたを、これ以上なんてないくらいに好きなんだってことを。 |
眞魔国だってもう十分に母国と言えますよね。 |