二日かけて眞魔国に到着すると、有利は地面に足を降ろした途端に大きく伸びをした。 「あー、やっぱり揺れない地面は落ち着くよなあ。地に足ついた感じっていうか」 「用法が違うよと突っ込むべきなのか、そのままじゃないのと突っ込むべきか……」 呆れて肩を竦めていると、コンラッドが眠ったままの怪我人を伴って船を降りてきた。 「ゲーゲンヒューバーはこのままグリーセラ家に送ることになります。あちらの家には報せ を入れていますから、途中で迎えと合流できるでしょうし、医療者が最後まで付添います。 ご安心を」 ちゃんと眞魔国まで連れて帰ってくることができたし、特に異論を唱えるような扱いでは ないので、有利は口を開かず頷いた。 大怪我で眠ったまま、顔には拷問の跡。ニコラさんはどんなに悲しむだろう。 でも、生きてる。 生きて帰ってきた。 コンラッドに斬られて死のうとしたグリーセラ卿。 どうか目を覚まして、あなたの帰りを待っている人がいることを、知ってください。 053.帰る場所がある幸せ(2) 馬車に乗って数時間、王都に戻る頃には日が中天高く昇った昼頃になっていた。 「あ〜、城に帰るの、気後れするなぁ」 血盟城が近くなってくると、有利は落ち着きなくそわそわと左右を見渡す。 「ギュンターがどんなことになっているかと思うと……」 「……あんまり考えないほうがいいかもね」 あらゆる汁を飛ばすギュンターさんが有利に抱きつくところが容易に想像できて、そっと 有利から顔を背けた。 黒髪フェチのギュンターさんがわたしに飛び掛ってくることは、最初の頃こそあったけど、 今はもうほとんどない。 だってその度に、わたしが殴り倒してしまったり、コンラッドがどこかへ引き摺っていって しまうから、さすがに懲りたのだろうと思う。 ちょっと申し訳ない気がする反面、年頃の女の子に許可なく抱きつこうとしたのだから 当然という気もしないでもない。 「情けない。自分の城に帰るのにどうしてそんなに落ち着きがないんだ。へなちょこめ」 「へなちょこ言うな。後ろめたいんだからしょうがねえじゃん」 「後ろめたいことを力説するのもどうなの……?」 でも今回の旅の参加者全員、職務放棄して旅行に出た立場は一緒なのに、有利だけが 落ち着かないというのは、小心者というべきなのか、根が真面目だというべきなのか。 コンラッドの場合、本職が有利の護衛だから職務放棄とは少し違う気もするけど。 少しでも反省の色を見せようということで、有利は荷物を抱えたままで執務室に向かう ことにする。 そっと扉を開けて、その隙間から執務室を覗く姿はどう見ても魔王という立場の人には 見えなかった。 「あのー……ギュンター……いや、ギュンターさん?」 「ああ、陛下!お帰りなさいませ」 泣きながら有利に飛び掛ってくるかと思っていたけれど、ギュンターさんは落ち着いた 足取りで席から立って、有利が薄く開いた扉を全開にして、主をそっと抱き締めた。 「このフォンクライスト・ギュンター、再びお会いできる日を心待ちにしておりました」 「お、怒ってないの?しかも泣いてねーの……?」 驚いたことにギュンターさんは、ヴォルフラムが怒鳴ることもコンラッドが引き離す必要 もないままに、すぐに有利を解放した。そこを驚かれるというのもどうかと思うけど。 「いいえ、陛下。私は悟ったのです。愛とは全てを受け入れること、愛するお方の望む とおりに、自分自身から変わること。そして愛に付随する厳しい試練は、何もかも大い なる存在の思し召し」 「は、はあ」 どこか陶酔したギュンターさんについていけず、有利は当惑した相槌を入れる。 「ですから陛下にお会いできない日々が続いたのも、厳しい試練だったのです。私は それに打ち勝ちました。こうして陛下に再びお会いすることが叶ったのですから!」 両手の指を組んで天に向かって祈るポーズ。どこからか微かなヒーリング音楽が流れ てきて、ほんのりとしたライトが当たっていた。 叶うもなにも、有利はちょっとした小旅行に出ていただけだから、帰ってくるのが当然 では。 「ど、どうしちゃんだギュンター。悪いものでも食べたのか?」 有利がこっそりと耳打ちしてくるけど、一緒に城を出ていたわたしにわかるわけがない。 コンラッドが部屋を横切って、不自然に部屋の隅に置いてあった大きな箱を持ち上げた。 「………何をしているんだ、ダカスコス」 箱の下では、綺麗に頭髪を剃ったダカスコスさんがライトとオルゴールの螺子を巻いて いた。 「ああ!ダカスコス、だからあれほど目立たぬように動けと申したではありませんか!」 「ダカスコスさんのせいというより、設定自体に無理があったのでは」 箱の中にいたのに、目立つ目立たないの問題ではないと思う。 「それよりギュンター、全然悟ってねーじゃん」 あれだけ煩悩まみれの人が一週間やそこらの間に悟るはずが無い。 横からガリガリと羽ペンを走らせる音が聞こえてきて、全員の視線がそちらに向くと、 久しぶりに見たグウェンダルさんが書き終えた書類を一枚、紙の束に乗せていた。 有利が行方不明になったせいで血盟城に呼ばれるだろうとは予想通りだったけど、 髪は少し解れているし、どこかやつれた印象が。 「うっ……」 ギロリと鋭い視線が向いて、有利は一歩後ろに下がった。 「貴様ら……いいから仕事をしろ……っ」 目の下に隈までできている。 「ど、どうも……ご迷惑をおかけしまシタ……」 有利はグウェンダルさんの執務机の上に、そっと温泉饅頭…はなかったのでご当地 名物のカステラみたいな洋菓子と、砂熊ケイジをイメージしたという絵柄のペナントを 置いた。 あんなペナントがあるなんて、ケイジって本当にもうヒルドヤードの人気者なのね。 お菓子には見向きもしなかったけれど、ディフォルメ激しい二頭身の砂熊ペナントに ぴくりと眉を動かすと、グウェンダルさんは無言でそれを取り上げて書類に戻る。 「静養が終わったなら、仕事をしろ」 「グウェン、陛下は長旅でお疲れだから。また後で」 「なんだと!?コンラート!お前がそんなことだから王がいつまでもふらふらと…… 待て、!」 「え?」 コンラッドが鮮やかに有利を執務室から連れ出してしまい、それに続こうとしたらなぜか わたしが呼び止められた。 有利が無事に逃げ出せるように、戻ってこようとしたコンラッドには一緒に行くように 手で示してから室内に戻ると、グウェンダルさんが大きな封筒を差し出してくる。 「お前宛にミッシナイの商人から手紙が来ていた。不審物の可能性も考慮して中を 確認したが、一体どういうことだ」 何の気まぐれか……コンラッドが有利についていったから、わたしについていてくれる つもりだったのかもしれない……こちらに残ってくれたヴォルフラムが後ろから一緒に 封筒から取り出した手紙を覗き込む。 それは手紙というより、分厚い紙の束の書類だった。 「ああ……西地区の委任契約の話のこと」 「なぜお前がヒルドヤードの土地を所有しているのだ!」 「ええっとぉ………」 どこから説明したものかと困惑していると、ヴォルフラムが腰に手を当てて大きく息を 吐き出した。 「兄上、は前土地所有者と賭けをしたんです。その配当がこの土地で」 「賭けだと!?一国の王族が、賭博で土地を得たというのか!」 「と、土地が目的だったわけでは」 言い訳の半ばでグウェンダルさんは大きな掌で顔を半分覆って、深い溜息をついた。 「まったく……お前たちときたら碌なことをしない。湯治に出かけて地上げのような真似 をした挙句、暗殺者を養女にしたり、追放したはずの男まで国内に連れて戻るなど…」 「ご存知だったのですか!?」 ヴォルフラムが驚いて机に詰め寄った。 「コンラートが報せを送ってきたので」 有利の逃亡にハンカチを噛み締めていたはずのギュンターさんが、いつもとは違う深刻 な表情で説明してくれた。 「殿下。陛下と殿下はご存じではないでしょうけれど、グリーセラ卿ゲーゲンヒューバー は過去の過ちを償うために重大な任務を帯びて国外活動に従事していたのです」 「ええ……聞きかじりでしか。でも、グリーセラ卿は任務は果たしています。だって魔笛 探索がその任務だったんでしょう?ニコラさんの手を介して、今は宝物庫に戻っている じゃないですか」 「お前はなにも知らぬからそのようなことが言えるのだ!」 拳で机を叩き、グウェンダルさんは目を逸らしながら苦しそうに吐き出した。 「故国の地を踏む資格などない男を……よりによってコンラートに連れ戻させることに なるとは」 ヴォルフラムもギュンターさんも、床や窓の外を見たまま沈黙している。 ヴォルフラムもそんなことを言っていた。グリーセラ卿はコンラッドと遺恨があった、と。 だけど、わたしと有利はそんなことくらいしか知らない。 誰も教えてくれないし、何があったのと聞き出すことが正しいのかもわからない。 「ヴォルフラム、お前たちは何も言わなかったのか」 「ぼくとコンラートは止めました。ですが、ユーリとはゲーゲンヒューバーを見殺 しにするなと……死にかけていたゲーゲンヒューバーを癒したのはぼくですが……」 グウェンダルさんの視線が不審そうにヴォルフラムに向いたので、慌ててわたしが 説明を付け足す。 「わたしと有利がお願いしたんです。コンラッドはわたしたちがグリーセラ卿の側に 近付くことを絶対に許してくれなくて」 「当たり前だろう!ゲーゲンヒューバーはお前に斬りかかったんだぞ!」 「なんですって!?」 ギュンターさんがどこから出したのか驚くほどの裏返った声で絶叫した。 「なんたる許せざる行為!なぜコンラートは生かして連れ戻ったのですか!」 「だから、それがユーリとの望みだからだと言っただろう」 「……兄が暗殺者を養子にすれば、妹は自らを殺そうとした男を国内に連れ戻るか」 「コンラッドは、自分を本気にさせて斬られたかったのだろう、と」 「そのためには最適な人選だろうな。お前にもしもがあれば……」 グウェンダルさんは一旦口を噤み、そして重い息を吐き出した。 「とにかく、の言うとおり役目だけは果たしたのだ。大人しく蟄居している限りは 敢えて排除にまでは乗り出さん。それが王の意思なのだからな。これで満足か」 「そ、そんな……」 そんな言い方、結局グウェンダルさんは見ない振りで、グリーセラ卿の帰国をやり過ごす ということ? でも、わたしはコンラッドやグウェンダルさんたちと、グリーセラ卿の間の出来事は何も 知らない。 何も知らないのに、皆がこんな表情をするような、コンラッドにはつらいだろうことを お願いしたんだ。 ぎゅっと唇を噛み締めて、強く目を閉じる。 何も知らない、昨日今日の新参者が言えることはとても少ないんだから。 「グレタのことは、大丈夫なんですね?」 それが消極的であろうとも、グリーセラ卿のことは認められたのだと気を取り直して もうひとつの気になっていたことに話題を変える。 「大丈夫もなにも、王が自らカヴァルケードの王族と誼を持つ者に養女として預けて しまったのだ。今更偽りにはできんだろう」 ああ、グウェンダルさんの眉間に皺が増えてしまった。 疲れたように目を閉じて、眉間を指先でぐりぐりと押しながら机に肘をついたグウェン ダルさんに、申し訳ない気分になる。 なにかグウェンダルさんに優しい話題はないだろうかと脳内検索して、手にした書類 に目が止まる。 「そういえばグウェンダルさん、わたしヒルドヤードでアニシナさんにお会いしました」 「な、なにぃ!?」 「ぎぃょえっ!」 グウェンダルさんと親しそうな口ぶりだったと思ってコンラッドに聞いたところ、ふたり は幼馴染みだという話だったので、その近況でも報告すればと思ったのに、グウェン ダルさんは明らかに動揺した。 おまけになぜか背後でギュンターさんまで奇声を上げて、仰け反っている。 慌ててヴォルフラムを見ると、肩を落として軽く首を振る。 話題選びを間違えたかしら? 「なぜだ……あいつはムンシュテットナーに向かったのではなかったのか?」 「なにもされませんでしたか、殿下!?」 グウェンダルさんが低く呟くと、ギュンターさんは素晴らしい腹筋で立ち直り、その勢い でわたしの両手首を掴んで詰め寄ってくる。 最近は大丈夫だったから油断してしまった。手首を掴まれると後は蹴りくらいしか反撃 方法がない。で、でもさすがにそこまでは。 「だだだ、大丈夫です!むしろお世話になったくらいでっ!お、お願いですからそれ 以上は顔を近づけないでっ」 鼻息が吹きかかるほどの距離に顔を背けてそう言ってしまったら、ギュンターさんは ショックを受けたように青い顔色で、よろよろと二、三歩下がって床に崩れ落ちた。 「殿下に疎まれてしまうなんて……ああ!私は一体どうすればよいのでしょうかっ!」 「今のは疎まれるとかの問題じゃなくて……」 「ということは、私をお嫌いになったのでは……っ!」 わたしの否定に喜び勇んで顔を上げたギュンターさんは、ヴォルフラムの後ろに隠れ ながら様子を伺っていたわたしの姿を見て、再び床に泣き崩れた。 「殿下に嫌われてしまったなんてーーーっ!!」 おいおいと声を上げて泣く大人なんて、そうそう見ることはない。 わ、わたしのせい……よね? 「ど、どうしよう……」 背中を借りているヴォルフラムにそう窺うと、呆れた溜息と共に簡潔な答えが返ってきた。 「放って置け」 |
出てくるたびにこの扱い……ギュンター、国の重鎮なのに(^^;) |