気がつけば朝だった。締め切ったカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。

ベッドから起き上がって横を見ると、隣のベッドの毛布がきっちり畳んであった。

ベッドメイキングされた形からは動いているから、だれかが眠ったことは確かで。

「ええっと……」

どこか霞がかった思考をどうにか動かそうとするのだけど、昨日いつの間に自分が

ベッドに入ったのかもわからない。

「昨日……覚えてるのは……えーと……温泉から帰ってきて……」





052.酔い潰れた後(3)





温泉から宿に帰って、有利とヴォルフラムとグレタが部屋に入るのを見送ってから、

ふと思い出してコンラッドを振り返った。

「そういえば、コンラッドの新しい部屋はどこになったの?」

「え?ああ、あれか。どうも今日はこの上の階じゃないと部屋が空いてないらしくて。

明日には隣の部屋が空く予定だから……」

「今日も床で寝るの!?もう四日も床なのに、そんなのダメ!」

「そうは言っても、他に方法もないし。坊ちゃんやから離れた部屋は絶対に借り

ないんだから、仕方ないさ」

仕方なくない。だって、もうひとつ方法がある。

わたしの部屋のベッドがひとつ空いている。

でも、朝のコンラッドの言葉がその一言をなかなか言わせてくれない。

「ふたりきりの部屋で本当に一晩を過ごすとなると、ちょっと理性に自信がないな」

こんな言葉を聞いていて、その上で誘ったら、了承したことにならない!?

俯いて、汗の滲んだ掌でスカートをぎゅっと握り締める。

それでも、コンラッドがこれ以上床で眠る日を作りたくない。

「………わ、わたしの部屋のベッドがひとつ空いてるから」

でも、やっぱり、怖いし、だけど、相手はコンラッド……なんだから。

「じゃあ、グレタに部屋を移動してもらおうか」

驚いてコンラッドを振り仰ぐと、軽く顎を撫でてわたしの部屋のドアを見ていた。

「グレタなら荷物も少ないし、もうを傷つけるような心配はないから……」

相手はコンラッドなんだから。

……きっと最後にはわたしの気持ちを優先してくれる。

急に恥ずかしくなった。

どうしてわたしは自分のことばっかりなの!

コンラッドは、こんなにわたしを優先してくれるのに。

普通の恋人なら、もっとコンラッドにだって喜んでもらえるようなことができるんじゃ

ないの?

「わ、わたしコンラッドがいい」

気がつけば、コンラッドの服の裾を握り締めて、軽く踵が浮かせて背伸びをしていた。

「コンラッドと一緒がいい」

コンラッドは驚いたように目を瞬き、笑顔でわたしの頬をそっと撫でる。

「本当にいいの?……夜は長いよ?」

「そ、それは………うん……その……………だ」

大丈夫、と言おうとしたのにコンラッドは小さく声を出して笑った。

「冗談だよ。ちゃんと大人しく眠る。が信頼してくれただけで十分だ」

軽く肩を叩いて、それでお終い。

そう先回りして、わたしを安心させようとしてくれる。

でも、わたしだって……コンラッドなら、きっともう大丈夫だよ。

違う。そうじゃなくて。

わたしだってコンラッドのこと、触りたいんだよ。

それは本当の気持ちなのに、心のどこかでコンラッドの言葉にほっとしてしまう。

例え相手がコンラッドでも怖い。

有利と一緒にいるのは楽しいし、安心できるから側にいるのは好き。

コンラッドは、有利とは違う。もっともっと近くに寄りたい、触りたい、感じたい。

そう思うのはコンラッドだけで、でも有利には絶対に感じない怖さがあるのもそれは

コンラッドで。

だから、したくないわけじゃなくて、まだ怖くて、でも。

「コ、コンラッド、わたし……」

「あれ、ふたりともそんなところでなにやってんの?」

いつの間にか、有利が部屋から出てきて側にいた。




「…………それから有利の部屋でお酒を飲んで………?」

ヴォルフラムからワインをもらって、何杯飲んだっけ?

そこから先の記憶がない。

「そのまま酒に飲まれて眠っちゃったんだよ」

バスルームの方から聞えた声に驚いて振り返ると。

「い……いやーーーっ!?」

思わず悲鳴を上げて毛布を頭から被ってベッドの上で丸まった。

コンラッドが、コンラッドが!

……そんな悲鳴を上げられると、俺が悪い事をしたみたいじゃないか」

してる!

だってお風呂上り、ズボンだけ履いて上半身は裸、肩に掛けたタオルで濡れた髪を

拭きながら登場なんて、ハードボイルド映画の主役登場シーンじゃないんだから!

「ふ、服着て!早く服っ!」

「一緒に温泉も入ってるのに、これくらい今さら……」

「だって温泉ではなるべくコンラッドのこと見ないようにしてるんだもんっ!」

毛布を隔てた向こうから、思わずといった笑い声が聞えた。

「それはそれとして、頭痛はしない?気分が悪いということは?」

「だ、大丈夫」

起きたときはぼんやりとしていたけれど、お風呂上りのコンラッドを見て一気に目が

覚めました。

「そうか、よかった。随分酔っていたみたいだけど、摂取したアルコールを吸収せず

に出しちゃったのがよかったんだろうな。昨日はあんまりいい酔い方じゃなかった

から。苦しそうにが唸っているのは可哀想だった」

酔い方に良いも悪いもあるの?

お父さんとかお兄ちゃんが酷くお酒に酔ったときは、大抵ろくな目に遭わないので

逃げ出すわたしとしては、どんな酔い方ならいいのかわからない。

「もう服、着た?」

「着たよ。だからそんなに丸まってないで。朝食は食べれそうかな?それとも先に

も風呂に入る?」

蓑虫みたいに毛布から顔だけ出すと、コンラッドはちゃんと着替え終えて、荷物を

まとめている小さな鞄の口を縛っているところだった。

「………ところでコンラッド」

「なに?」

「わたし、服が変わってるんだけど」

ベッドから起き出してみれば、昨日着ていたのとは違う、寝巻用のゆったりとした

服に変わっていることに気がついた。

記憶がないことからも、コンラッドの言ったお酒に飲まれてそのまま眠っちゃったと

いうのは本当なんだろう。

有利の部屋からここまではコンラッドが運んでくれたんだろうけれど(それだけでも

酷い醜態)、服を着替えさせた人は誰……?

恐る恐るとコンラッドを窺うと、にこりとこちらが思わず怯えてしまうくらいに爽やかな

笑顔が。

「どう着替えたか、聞きたい?」

「ま、ままま、まさか!?」

ばっと両手で自分の身体を抱き締める。

コンラッドには以前、下着だって見られているけれど、酔って正体を無くした状態で

着替えまで!?

ふと気付いてシャツの下を覗いてみれば、ブラもしっかり外されている。

「よよよ、酔っ払ったのはわたしが悪いけど、服はそのまま放置しておいてくれたら

よかったのに!」

「服は汚れたからそういうわけにもいかなくて。ちなみに心配しなくても、着替えさ

せたのは陛下だよ」

「え………?」

すごく含みのありそうな笑顔だったから、てっきりコンラッドが着替えさせてくれたの

かと思った。なんだ、有利がしてくれたんだ。

「俺も手伝いはしたけど」

安心させておいて、二段落ち!?

「手伝ったって!」

それは確かに、酔って眠ったわたしを着替えさせるなんて重労働を有利ひとりで

できるわけないけど、手伝ったって……ブラもしてないのに……ってことは!?

、全部顔に出てる。そんなに青褪めなくてもいいじゃないか」

「だだだ、だって!」

「安心して。俺は、陛下のご命令で目隠ししてたから」

「め、目隠し?」

「そう。なぜか陛下の警戒心が非常に強くなっていて、本当に見えていないか十回も

テストされたから、残念ながら少しも見えなかった」

強くなっていてって、今までも有利は十分警戒していたと思うけど。

あれ以上強くなっているというのは一体どういう状態なのか……。

見えていないかのテストって一体どんなことをしたんだろうとか思っていると、コンラッド

の長い指が寝起きでまだ括っていなかったわたしの髪を一房掬った。

「でも、視覚が塞がれると別の感覚が鋭くなるものだから」

「は………?」

掬った髪をそのまま口元に運び、軽い口付け。……この人はハードボイルドじゃなくて

恋愛映画の主人公だったか。

「目で見ているときより、の腕は折れはしないかとか心配したり」

「ああ……そういう意味。でも、別にそこまで細くないと思……」

「肌がスベスベで柔らかいなあとか、指先がね、こう……今でもあの感触覚えてるんだ。

酔ったの吐息は随分扇情的で、見えないだけにまるで誘われているのかと……」

「セクハラだよっ!」

コンラッドに枕を投げつけて、長い指先から逃れた髪を巻き込むようにしてベッドの中

で蓑虫に逆戻りだった。




「お前なあ、昨日は本当に大変だったんだぞ」

ヴォルフラムはまだ寝ているとのことで、朝食の席についたのは有利とコンラッドと

グレタとわたしの四人。

オートミールをかき混ぜながらちょっと不機嫌な有利に面目なくて頭を下げる。

「ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしました………」

、ヴォルフラムと枕を投げっこしてたの。楽しそうだったよー」

グレタが無邪気に空白の時間を少し埋めてくれた。

……グレタにも醜態を見せたのね……。

「楽しそうだったか、あれ………?」

有利は難しい顔で首を捻る。

「ところでコンラッド」

「はい、なんですか?」

黙って食事を進めていたコンラッドは既に食べ終わっていて、有利に呼ばれると飲ん

でいた水をテーブルに置く。

「確認するまでもないけど、大丈夫だったんだよな……?」

「ご存知の通り、昨日のの状態はああだったので、指一本触れてません」

「ああ〜よかった……」

有利は大げさなほど大きく息をついて、オートミールを一気に食べ終えてしまう。

「……有利、知ってたの?」

「なにが?」

「コンラッドが部屋を移動したの」

だって今の会話はそういうことでは……?

一層警戒が強くなっていたという有利がよくそのまま許可したよね。

「ああ、まあ、コンラッドに普通の布団でゆっくりして欲しいっての気持ちもわかる

しね。ヴォルフは兄弟なのに、絶対コンラッドとの二人部屋は嫌だと言い張るし」

「ふうん……でも、船であんなに反対したのに」

有利もヴォルフラムもグレタもいる船室でベッドを折半しようとしたら、あんなに猛反対

した有利がどうしたことかと思ったら、呆れた表情を向けられた。

「だってお前、昨日はそれどころじゃないってわかってたし」

「まあ……なにもかも忘れるくらいに酔ったけど……」

きっと死んだように眠っていたのかとか、酔ったお父さんみたいに鼾をかいて眠って

いて色気の欠片もなかったのかと想像する。

ああ、いや!コンラッドの前で鼾に大口を開けて寝てたらどうしよう!

「覚えてない!?全然、まったく!?」

「……全然覚えてない。ワインを二杯くらい飲んだことは覚えてて…あとはぼんやり

……思い出そうにも、風景がぐるぐる、ぐるぐる………」

眉を潜めて記憶を手繰り寄せようとすると、有利は空になったお皿を横に避けて身を

乗り出してくる。

「じゃ、じゃあ……あの発言も、覚えてない?」

「あの発言って、どの発言?」

「え、えーと……い、いや覚えてないならいいんだ。酒を何杯飲んだか覚えてる?」

「え、二杯じゃないの?」

「ああ、いいわかった。十分だ。よかった、ついでに発言した気持ちも消去してくれる

とありがたいんだけどな……」

だからどの発言?

どこか遠い目で階上を見上げた有利は、あくびをしながら降りてくるヴォルフラムを

見つける。

「めっずらしー。結構起きるの早いな。おーいヴォルフこっち」

有利が手を振ると気がついたらしく、まだ少し眠そうな顔でヴォルフラムはこちらの

テーブルに向かってくる。

「でもさー、じゃあはコンラッドに吐いたの覚えてないんだ。よかったなー」

「坊ちゃん、教えてしまったら意味がないです……」

ガチャンとスプーンが陶器のお皿にぶつかる音が聞こえて、初めてスプーン取り

落としたことに気付いた。

有利はいかにもやっちゃったという顔で、コンラッドは苦笑い。

「は…吐い……た?……コ、コンラッドに………って……コンラッドに……向かって

って、こと………?」

「あー……覚えてなかったんなら、今謝っとけー。結構モロだったから」

「いやーっ!ご、ごめんなさいーっ!!」

「坊ちゃん、そんな言い方。いいんだよ、。酒の上での失敗はよくあることだし、

怒ってないから」

どうして怒らないのかと聞きたい。そんなことになったら、わたしなら大激怒だ。

その場で土下座しようと椅子から飛び降りると、コンラッドが慌てて腕を掴んで引き

上げる。

「本当にいいから。そういうことを気にするより、せっかく二日酔いにならずにすんだ

んだから、いつも通りにしてくれた方が俺も嬉しいよ」

「ででで、でも………」

おろおろとうろたえていたら、半分寝惚けたヴォルフラムが到着した。

「こんなところでなんの小芝居だ」

「ヴォ、ヴォルフラムにもごめんなさい……」

ヴォルフラムと枕投げって、状況がさっぱり掴めないけれど、場所は有利たちの部屋

だったんだから、間違いなく迷惑をかけているだろう。

泣きたいような逃げ出したいような居たたまれない気持ちで謝ると、ヴォルフラムは

目を瞬いて、それから椅子を引いてテーブルについた。

「気にするな。初めて飲んだなら、こういうこともあるだろう。これに懲りたら、酒量を

探りながら飲むようにするんだな」

「はい……」

「いやいや、ちょっと待てよ!まだ飲酒自体が駄目だろー!?」

「あ、そうか」

有利が慌てて日本人なら当たり前の突っ込みを入れた。

「メニューが無いぞ」

「ああ、さっき隣のテーブルに持っていかれて」

コンラッドが席を立ってメニューを返してもらいに行くと、ヴォルフラムは水を飲み

ながら、ふとわたしに向き直る。

「そうだ、に聞いておこうと思っていたんだ。ユーリの説明はどうにも要領を

得なくてな」

「なに?」

「えっちとはなんだ?」

「………は?」

えっち。スケッチとか、ワンタッチとかの聞き間違いじゃなくて?

「ヴォルフっ!」

が言ったんだぞ。コンラートとしたくないわけじゃないってなにをだ?えっち

とはなんの武術だ?」

血の気が一気に引いた。

有利を見ると、やっぱり青い顔色で額を押さえている。

あの発言って………その発言のこと!?

有利に言ったの?

ま、まさかコンラッドにも!?

「ほらヴォルフ、メニュー」

声が背後から聞こえて、メニューを持った手がわたしの肩先を掠めて伸びてきて、

それだけでもう限界だった。

椅子を蹴って立ち上がる。

?」

「待て、質問に答え……」

「Gの後! I の前!」

それだけ言うのが限界で、そのまま部屋に逃げ帰った。

後で部屋を訪ねてきた有利に、お前ってやっぱりおれの妹だよ、とよくわからない

慰めをされた。







ちなみにエッチとは「変態」のローマ字変換の頭文字を取って作った日本語だそうなので、
Gと I でのヒントでHの文字を導き出しても、コンラッドには意味がわからない、と。
よかったね……(^^;)



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