一時間ほど仮眠を取ると少しは体力が回復したので、今度はコンラッドに頼み込んで 絶対に魔術は使わないという条件のもと、怪我人の治療に戻る事を許可してもらった。 監視にコンラッドが後ろについてきたけれど、信用がないのは自業自得ということで。 わたしはやっぱりこの事態に対する責任を感じていたし、そう言えばコンラッドはわたし のせいではないと言ってくれただろう。いたちごっこになるから、お互いに口にはしなか ったけれど。 夕方頃に全員の治療が終了すると、彼女たちの当座の避難場所もヒスクライフさんが 確保してくれていて、ようやくわたしたちも宿へと戻った。 050.眠りを覚ますもの 有利は完全にダウンしていて、宿まではコンラッドが運んだ。 わたしもヘトヘトで、手を繋いで引っ張ってくれたのはヴォルフラムだった。 コンラッドもヴォルフラムもそれぞれちょっと不満そうだったものの、反対の役だと効率 が悪いので仕方がない。 アニシナさんやわたしの手伝いにたくさん駆け回ったグレタも、横を歩きながら眠そうに 目を擦っていた。 宿に戻ってコンラッドたちと別れると、部屋に入るなりついそのままベッドに倒れ込んで しまう。 だめだ、起きないと。泥と煤だらけなのも我慢ならないけれど、なにより血を洗い流した い。だけど目が開かない。 コンラッドに謝ってからは魔術を一切使っていないのに、その前に慣れないことをしてし まったせいか、起き上がることも出来ない。 でも、せめて手だけでも洗いたい。血を洗い流したい。 根性でベッドから降りたものの、そこでもう駄目だった。床を這いずりながら意識が遠の いて、果たしてお風呂に向かっていたのかも謎のまま、意識の底に沈んでいった。 結果的に言い訳にしかならないけれど、昼間のことはヴォルフラムにも言った通り、最初 は本当に消毒したり包帯を巻いたりなどの応急手当を手伝うだけのつもりだった。 自分が双黒をさらしたままだということを忘れていたのだ。 あの状態で魔術を使った魔族が治療を手伝うといえば、治癒術を期待されるに決まって いる。 本当は、怖かった。 コンラッドが側に居ないのに、またあの激痛に襲われたらどうしようとすごく怖かった。 だから、風の魔術を使ったときに見えたあの白い手や暗い穴が見えたら、申し訳ない けれど治療に魔術は使わないと決めていた。 スヴェレラでグウェンダルさんを少し癒したらしいときは、なんの問題もなかったから、 あの白い手とこの穴さえ見えなければ、と。 目の前の暗い穴を見ながら、コンラッドに言えなかった言い訳を思い返していた。 久々の夢だ。 今日は起きているときにこの穴が見えたけど、あれはたぶん魔術を使おうとしたからだ。 小さい頃は、こうやって夢に見て怖くて泣いていたと思う。 有利が側に居ればこの穴に対する恐怖が薄らいで、それでわたしは一人部屋になった 後も夜中にたびたび有利のベッドに潜り込んだものだった。 治療の時は見えなかったけど、まさか今ここでまとめてドンなんてことないよね……? 久々のただの夢だよね……? すぐ目の前の暗い穴を前に、ごくりと唾を飲み込んだ。 今日、初めて穴の中に手を入れることができた。 恐る恐るしゃがみ込みながら手を伸ばす。 自分でも焦れるほどゆっくりと伸ばした手は、いつものようにぺたりと透明のガラスの ような膜に触れて止まった。ほっと息が漏れる。 「ああ、こんな夢見て怯えているくらいなら、目を覚ましてお風呂に入りたい……」 ペタペタとガラスを叩いてお風呂お風呂と繰り返しながら、どうやったら目が覚めるの だろうとぼんやりと考えた。 「聞けばどうだろう?」 あの、白い手の持ち主に。 怖いけど、本当に怖いけれど、魔術を使おうというわけじゃないんだから、このガラスが ある限り大丈夫な気がする。あくまで、気がする。 この夢を見ていて、こんなに大胆なのは初めてじゃないだろうか。しかも、今日はあんな ことがあったのに。 「と、いうわけで、聞きたいことがあるんだけど、答えてもらえませんかー?」 ガラスの向こうに聞えているのか謎だけど、大きな声で呼びかけてみた。 「あなた、だれですかー?なんでわたしは魔術を使うとこういうものが見えるのー?それ からこの夢から覚めたいんですけどー」 返事がなければ、反響すらない。むなしい。 「……なんか、こういう童話がなかったっけ?」 王様の耳はロバの耳。 穴に向かって、秘密を大声で言ってすっきりしていたのに、最後にはその言葉の全部が 町全体に聞えてきた……というオチだったと思う。 今のところ、聞かれて困るようなことは言ってないよね? 穴の淵で、首の後ろを撫でながら溜め息をついた。 「眞王陛下といいあなたといい、なんでわたしの周りの物知りそうな人は、みんなそうや ってなにも教えてくれないのかな?」 ―――時ではないから。 「あ、返事が……」 自分で呼びかけておいて、返事があると怯えてしまう。声は同じ女性のものだったけど、 昼間ほどの冷たい印象ではなかった。 ―――来てはいけない。 バチンと電気が消えたように真っ暗になって、あの穴どころかなにも見えなくなる。 「ああ、これ覚えがある」 一回目に眞魔国に来たときの帰り、それから今回こちらに来たとき、こんなところをひた すら落下した。 「………待って………まさか、地球に帰ってるとか言わないよね!?」 落下はしてないけど。 踏んでいる地面は酷く曖昧でふわふわとして頼りない。想像で雲の上を歩けばこんな 感じ?といいたくなるような曖昧さ。踏んでいる気がしない。 「帰りたいけど今は駄目!有利を置いていけないし、このまま離れたらなんかコンラッド と気まずいし!」 次に会ったときはもういつものコンラッドかもしれないけど、一ヶ月くらいドキドキと不安 を抱えて待つのは嫌だ。やっぱり円満に一時の別れを告げておきたい。 「やだっ、待って!コンラッドーっ!!」 「でも、服を脱がないと風呂に入れないよ」 聞きたかった声が聞こえて目を開けると、すぐ真上にコンラッドがいた。 「起きた?」 にこにこと、コンラッドは笑顔のままで手を引いた。しゅるりとシルクの生地が擦れる音。 「え?あれ……?」 床に落ちたと思ったんだけど、いつの間にかベッドの上だった。コンラッドが運んでくれ たんだろう。 でも、なんでわたしの上に馬乗りになっているのでしょうか? 「疲れただろう?もう少し寝てていいよ。身体も俺が隅々まで洗ってあげるから」 「へ………?」 今、とても不穏で不適切な単語が並んでいたような気がしたのは、きっと空耳で……。 コンラッドがわたしの肩を撫でるようにすると、布がずれて肌が空気に触れた。 「ぎゃー!?な、なに、なんで脱がしてるの!?」 慌てて両手をクロスして自分を抱き締めるよう二の腕を握り締め、黒い布……ドレスが これ以上脱げるのを阻止する。 こんな簡単に脱げるってことは、背中の紐はもう全部解かれているということよね!? 大ピンチじゃない! 「なんでって、夕食はどうするんだろうと様子を見に来てみれば、が床で倒れて いて、俺がどれだけ心配したか」 「は………?」 床を這いずる格好で倒れていたはずだから、変死体のようでそれは確かに酷く驚いた でしょうね。でもそれと脱がせる因果関係がわかんない! 「抱き上げたら、お風呂お風呂ってうわ言のように繰り返していたから、きっと風呂に 入りたいけど体力がもたなかったんだろうと、要請に応えて俺が―――」 「普通応えないでしょ!?」 しかもそれは、ただの寝言であって別にコンラッドへの要請でもなんでもない。 「心配しなくても、約束だからなにもしないよ。一緒に風呂に入るだけで……」 「それ、十分なにかしてるっ!」 水着で混浴でも動揺していた乙女の純情をなんだと思ってんの! 「い、い、いくら恋人だって婚約者だって、デリカシーってものはないの!?」 「陛下となら一緒に入るのに……」 「家族のゆーちゃんとコンラッドじゃ全然違う!」 「俺も未来の家族なのに?でもまあ、そう言うと思って、ちゃんとほら」 コンラッドが起き上がってサイドテーブルから大きなバスタオルを取り上げる。 「にはこれを巻いてあげようと思っていたんだ。完璧だろう?」 勢いよく腹筋で起き上がり、コンラッドの手からバスタオルを引っ手繰ると顔面目掛け て投げつけた。 「今すぐ出てけーーっ!!」 コンラッドを追い出して、ようやく念願のお風呂に入ることができた。 あのセクハラに唯一感謝することがあるとすれば、今自分の力でお風呂に入らないと、 きっと眠っている間に裸に剥かれて一緒に入浴、などという事態になると恐れたお陰で、 お風呂に入るだけの気力を振り絞れたことくらいでしょうか。 寝言にまで気をつけることなんてできないよ! 「……時じゃない……かぁ……」 ユニトッバスに沈みながら、右手を天井に向かって掲げてみた。やっぱり怪我なんて どこにもない。切り傷もないし、もちろん溶けてなんかいない。 いくらこうして手を眺めても、あれはなんだと考えてみても、判断材料がそろっていな いのだから、わたしにはなにもわからない。 知っている人は教えてくれないし。 無駄を承知で、国に帰ったらもう一度眞王廟を訪ねてみよう。夢よりはまだいくらかは 確実だし。 あとは、歴史書を丹念に読んでみるとか。眞王がわざわざお告げするくらいの人なら、 歴史に名前が残っている可能性だって高い。でも、自分の前世がわかったからって、 今のわたしの状態の対処に繋がるとは限らないんだよね……。 「ああ、もう、嫌になっちゃう」 お風呂から上がると、身軽な普段着を着て髪を拭きつつ部屋に戻った……ら。 「ああ、お疲れ様。夕食を一緒に取ろうと思って、色々持ってきたけど……」 ベッドの前に移動していたテーブルの上には、確かに色々な多国籍料理が乗っていた。 昆虫料理からは目を逸らすとして。 「鍵掛けたはずなんだけど?」 さっきの教訓を生かして、コンラッドが部屋から出たあと鍵を掛けてからお風呂に入った。 なのに。 「ツインの部屋だから、鍵はふたつ渡されているんだよ」 コンラッドは合鍵を指先にぶら下げた。 鍵の意味ないし……。 「貸して」 「は自分の鍵があるだろう?」 「有利ならともかく、コンラッドが合鍵を持ってたら落ち着かない!」 「でも、夜中に襲撃があったときに、鍵が掛かっていたら駆けつけるまでに手間取る。 その分の身に危険が迫ることになるからね。駄目」 「誰が襲うっていうの!?」 むしろ、一番可能性の高い人が鍵を持っている。 「忘れないで。は双黒だということが周囲に知られてしまったんだよ?」 「う………」 「俺としては、一緒の部屋に寝泊りしたいくらいだ」 「鍵はお預けします」 ずずいっと捧げるポーズを取ると、コンラッドは苦笑しながら鍵をポケットに仕舞った。 「なら解決だ。心配しなくても、ちゃんとの気持ちを待つという約束は有効だから」 そうしてコンラッドはベッドに座って、自分のすぐ横を軽く叩く。 「さあ、食事にしよう」 「なぜ椅子じゃなくてベッドなの…?」 「とベタベタしたいから……というのは冗談で、は随分疲れているようだから、 硬い椅子より柔らかいベッドの方が座り易いんじゃないかと思って。背もたれがいるなら 俺の膝に座ってくれてもいいよ」 「…………そう」 反論するのも無駄というか、疲れたというか、もう諦めてコンラッドの隣に腰を降ろした。 コンラッドの言うとおり、疲れすぎていて固形物を食べる気がしなくて、まずスープに手 を伸ばす。 「有利はまだ寝てるよね。ヴォルフラムとグレタは?」 「グレタも疲れてぐっすりだよ。ヴォルフは陛下の様子を見ながらひとりで部屋で食べる そうだ」 「ふーん。わたしもそっちにお邪魔したかったなあ……」 有利の睡眠は魔術発動の反動だから、心配いらないとはもうわかっているけどね。 「は食べたらすぐに眠ること。それならここで食べた方がいいだろう?」 「それはそうだけど……」 コンソメらしき不透明なスープを一口飲むと、味はまるでポタージュスープだった。 見た目と味のギャップって変な感じがする。 「コンラッドがわたしを、自分だけの鎖で繋いでおきたいだけじゃないの?」 昼間、有利に教育的指導を受けた言葉で意地悪く言い返すと、コンラッドはまるで動じる ことなくにこりと微笑む。 「あれは言葉の綾。鎖で繋いだり、ガラスケースに閉じ込めたいという欲求が無いといえ ば嘘になるけど」 「あ、あるんだ……」 「でも、俺の好きなは今のだから。危ないことはして欲しくないけど、 のしたいことを邪魔することも、やっぱりできないんだよ」 「キザだっ!」 どんでもなく気障なお言葉に恥ずかしくなって、スープを一気に飲み干したら、ガリッと 口当たりの悪い具があった。 なんだろうと噛み砕きながらカップを覗くと、飲み残しの具の中にバッタみたいな昆虫 の黒焼きが。 「ああ、それはが昼間拒否したクルダルの料理のひとつだよ。滋養強壮にいい から、ぜひ食べて欲しかったんだ。よかった、が選んでくれて。それからこっちの 料理は……」 ただでさえ疲れていた意識が、ぷつんと途切れた。 |
食文化の違いは仕方ないですねー(^^;) |