「すごい……傷が……」 爛れていた傷が消え去って、栗色の髪の女の子は驚いたように足を摩る。 「自然治癒よりは脆い状態だから、痛くなくてもしばらくは無理をしないでね」 ギーゼラさんの受け売りをそのまま話す。一時間近く駆け回っていたら、治癒術のコツが わかってきたような気がする。あくまで気がする程度だけど。 やっていることといえば、できるだけ気を紛らわせることができるように、今以外の話題 を取り上げて世間話の延長みたい。これでもどうにかこうにか形になっているのだから、 まあよしとしよう。国に帰ったら、きちんとした技術も学びたいと思います。 さすがに疲れてきて息をつきながら俯いたら、つけたままだったイヤリングが小さく音を 立てて少し元気が出た。 コンラッドにはかなり不本意だろうけれど、ちゃんと癒しの魔術が使えるかどうか、さっき の激しい痛みにもう一度襲われはしないかと、恐る恐るだったわたしを落ち着けてくれた のは、このイヤリングだったりする。 コンラッドの瞳と同じ色のこの石をつけていると、離れていてもコンラッドの側にいるとき のことを思い出して、勇気が出てくるから。 額に浮かんだ汗を拭って立ち上がろうとしたら眩暈がした。 「おや、その黒い髪。もしや噂の陛下の妹君でいらっしゃるのでは?」 地面に手をついて額を押さえたところで、ハキハキとした声を掛けられた。 噂のって、なんの噂? 陛下というからには魔族の人なんだろうと振り返ると、真っ赤な髪の小柄な美女が立って いた。 049.愛という意味(2) 水色の瞳は強い光を宿していて、意志の強い人なのだろうとわかる。 「お初にお目にかかります。フォンカーベルニコフ・アニシナと申します」 え、こんなところでいきなり十貴族の人とご対面? 慌ててこちらも頭を下げかけて、すんでのところで留まった。 ギュンターさんに、王の妹はめったなことで頭を下げないでくださいと散々言われていた んだった。 「初めまして、フォンカーベルニコフ卿。わたしは渋谷と言います。このような事態で はありますが、貴方にお会いできて嬉しく思います」 「光栄です。ですがどうやら殿下は随分お疲れのご様子。どうぞあとの治療はわたくしに お任せあって、少し休まれるとよいでしょう。陛下もあちらで汁だらけでへばっておられ ましたよ」 「し、汁だらけ……?」 有利の方を見ると、いつの間にかヒスクライフさんが帰ってきてなにやら話し込んでいる。 「グレタのことを話してるみたい」 アニシナさんについてきていたグレタが爪先で立って耳をそばだてた。 「おや、ではあなたも殿下と一緒にお戻りなさい」 休むこと決定にされてしまった。どうしようかと思いながら立ち上がると、貧血みたいに 目が回る。 がしりとわたしを片手で軽々支えたのは、細身で小柄なアニシナさんだった。一体どこに こんな力が。 「どうぞお気をつけて」 「は、はい、ありがとうございます」 戻ること、決定ですね……。 「、ユーリがね、イズラの怪我を治そうとしたらコンラッドが怒ったの。どうして 駄目なんだろう?」 手を繋いで有利たちの方へ歩き出すと、グレタがしゅんと萎れて呟いた。 そう……コンラッドは怒ったの。 ちょっと戻るのが恐ろしい。 あれだけ心配かけて、ごめんなさいとも謝ったくせに、ここにいろという言い付けさえも 守らずにどの面さげて対面すればいいんでしょう? でも、怪我で苦しんでいる人たちがいて、ほんの小さなことでも自分にできることがある ときに、なにもせずにいるなんてできない。 まして、わたしにはこの事態に対する責任があるのに。 「コンラッドは、有利の心配をしているんだよ。有利はさっきとても大きな力を使ったから、 疲れてしまっているの。無理をしすぎたら、今度は有利が病気になっちゃうからね」 「は?」 「え?」 「も魔術を使ったでしょ?大丈夫なの?」 そんなに心底不安そうに聞かれると、どうしよう、本当に可愛いなあ。 「大丈夫、わたしは有利ほど大きな力は使ってないからね」 グレタを心配させないように微笑みかけながら、どうしても思い出してしまうあの暗い穴 に嫌な感覚を覚えて、それを振り払う意味も込めて首を振った。 あの時聞えた声と見えた白い手は、本当にわたしの前世と言う人なのか、それすら確証 がない。はっきりいって気持ち悪い。 「……ユーリがね、グレタはうちの子だって言ってくれたの」 「え?ああ、うん、そう言ってたね」 「でも、グレタ、眞魔国に行ったら、市中引きまわしになっちゃうんだよね?」 ………ギュンターさん、あなたって人は。 「大丈夫、有利の子になったんだから、絶対そんなことにならないよ」 「は」 「え?」 「はいいの?グレタがユーリの子供になっても、怒らないの?」 一瞬、言葉に詰まった。わたしはグレタを最初嫌っていたから、そういうことを聞かれる かもしれないとは思っていた。 「そのことについてはね、グレタに謝らないといけないなー」 「え?」 はいかいいえかの答えのはずなのに、どうして謝るという話が出てくるのかわからない らしく、グレタはわたしを見上げて忙しく瞬きした。 「……わたしはね、グレタのしたことに怒りました。有利を傷つけようとする人は誰だって 許さないから」 グレタの眉が寄って、繋いでいた手から力が抜ける。 「だけど、ごめんね。グレタのことをしつこく許せなかったのは、グレタがしたこと以外の ことも、混ざってしまったからなの」 「え……?」 弱々しい声が返ってきて、小さな子供に可哀想なことをしたかと少し後悔する。なにも 言わずに嫌いじゃないよと言えばよかったのかも、と。だけど今更引いても遅い。 「ずっと前にね、有利のことを傷つけた人がいたの。自分が楽しむためだけに、人のこと を傷つけることをなんとも思わなかった人。有利は、そいつからわたしを庇って大怪我を したの。その時の事を思い出して……その男に対する……それから有利に怪我をさせた わたしに対する怒りを、そのままグレタにも重ねてしまったの。だから、ごめんなさい」 「が謝ることじゃないよ!」 グレタは繋いだ手に今度は力を込めて、身を乗り出すようにわたしに詰め寄る。力が入ら ない身体は、少し傾いてしまった。 「だってグレタも一緒だもん!グレタは、スヴェレラの王様と王妃様に誉めてもらいたいって、 勝手なことでユーリを殺そうとしたんだよ!グレタ、その男と一緒だよ!」 「一緒じゃないよ」 「一緒だよ!」 「でも、今のグレタは有利のことが大好きだから」 グレタは驚いたように目を瞬いた。今さら言われるまでもないことなんだろう。 疲れで指先が冷たくなっていて、きっと顔色も悪いだろうという自覚があったから、できる だけ優しく笑うように心がけた。青白い顔で引き攣った笑いなど今のグレタに見せようもの なら、きっと彼女はわたしの言葉を半分も信じてくれないだろうから。 「あなたはそうやって、有利を傷つけようとしたことに心を痛めている。間違いを見つめて、 反省する強さを持っている」 有利が許してくれたから、もういいやとは思えない。だから、周りにも確認する。有利の娘 でいいの、と。 「わたしたち、状況も立場も全然違うよね。でも、ひとつだけ同じことがあるよ」 不安そうな目が、それはなんだと訊ねている。わたしは、繋いだ手を揺らす。 「わたしは有利に怪我をさせて、グレタは有利を傷つけようとして、申し訳なくて、つらくて、 でも有利の側にいたいの。ごめんなさいって、いっぱい思うのに、どうしても有利が大好き なの。ねえ、違う?グレタは、有利のこと大好きじゃない?」 「大好きだよ!グレタ、悪いことしたのに……したけど……ユーリの側にいたいよ……」 「じゃあグレタは同志だ」 「どうし?」 「同じ想いを持っているってこと。仲間だっていうこと」 「……グレタ、ユーリのこと好きでいていいのかな?ユーリの側にいていいのかな? はグレタのこと嫌いじゃないのかな?」 「グレタは有利のこと好きでもいいんだよ。もちろん、側にいたっていいんだから。 それから、わたしは」 力が入らない手に、無理にでも力を込めてグレタの手を握り締める。 「大好きだよ、可愛いグレタ」 お互いに、ちょっと泣きそうになりながら手を繋ぎ直した。 「グレタのお話ししてた?」 すっかり元気になったグレタが草の上に座り込んだ有利の元に駆けつけると、有利は 少し困ったような顔をした。 ヒスクライフさんはわたしに軽く頭を下げてから、グレタをまっすぐに見る。 「お嬢さん、今お父上と話していたのですが……」 「グレタ、ヒスクライフさんと一緒に行くかい?」 「え?」 驚いたのは、グレタもわたしもだ。 だってどうしていきなりそんな話になるか、さっぱりわからない。 「ヒスクライフさんの育った国で、彼の娘さんと一緒に勉強する?」 「……なんで?」 「ベアトリスは今年七歳で、年の半分は両親から離れて、王女様としての心得や、国と 国との関係とかを勉強しているんだ。よかったらお前もそこに……」 「いやだ!」 グレタは悲鳴のような叫びで、少し離れて呆然と立っていたわたしのところまで戻って きて、腰にぎゅっと抱きついた。 しっかりと抱き留めてあげたいのに、力が入らない身体はふらついて、転びそうになった ところで何かにぶつかって止まった。 何かって、後ろにいつの間にかコンラッドが来て支えてくれていた。 「グレタはうちの子だって言ったのに!なのに、国のためとか難しいことを言って、ユーリ もお母様みたいにグレタをよその国にやっちゃうんだ!グレタのこともう要らないんだ!」 「そうじゃないよグレタ」 グレタはますますわたしに強くしがみ付く。 まさか、本当にヒスクライフさんに預けてしまうつもりなんだろうか? スヴェレラの王宮に預けられたことといい、今のグレタの言葉といい、グレタはどこかの国 の王族ということ? 確かに、それはとてもややこしそうな身の上だけど、有利がそれでグレタを放り出すなんて、 そんな。 「有利、子供はあちこちに預けられるだけでも、相当ストレスになるんだよ?スヴェレラに 預けられて、それから眞魔国で暮らす約束をしたのに、今度はカヴァルケードに送るの?」 「、陛下のご判断だ」 「だって!」 コンラッドが後ろから宥めるように言ってきて、つい反論してしまう。 だって、グレタはわたしの同志なのに。有利のことが大好きなのに、その有利に突き放さ れたら、どれだけ傷つくだろうと思うと、いくら有利の判断とはいえ簡単には頷けない。 なんだかもう、グレタには身につまされるようなことばかりだ。 「違うんだよ。おれだってグレタを手放したくないよ。でもさ、このまま眞魔国でグレタを 育てたら、誰が人間の国の王族の心得とか教えられるんだ?眞魔国でだけで育てて、 グレタに魔族至上主義を押し付けたくないんだよ!」 「難しいこと言って、やっぱりグレタがもういらないんだ!お母様と同じなんだ!」 「同じじゃないよ!」 「同じだろうが」 突然割って入った声に驚いて有利もグレタもわたしもヴォルフラムを注目する。 ヴォルフラムは、有利から少し離れたところで片足を投げ出して座り込んでいた。 「母親がスヴェレラに送ったのも、ユーリがこのハゲに預けるのも、理由は同じだ」 うわ、ヴォルフラム。そんなきつい一言を織り混ぜるなんて。いえ、そんなことより。 「お前のためを思って、そうするんだ」 グレタは、二度、三度と瞬きをして、涙を浮かべた目で有利を見る。 有利も、泣きそうになりながらグレタを見つめていた。 「そうだよ、グレタのためにその方がいいかなって……」 グレタが泣きながらよたよたと有利に近付く。 「魔族だけの中で生活して行くより、半分は人間の社会を経験して、もう半分はおれたち の国に住む方が、グレタのためになるって……でもグレタが嫌ならそれでいい。おれと 一緒に王都に戻ればいい」 「……半分……って……留学ってこと?」 最悪の想像をしていたわたしは、考えを覆されて目を瞬く。 有利はグレタを放り出そうとしていたわけではなくて。 「グレタ、ハゲのうちの子になるの?」 有利は苦笑しながらゆっくりと首を振った。 「馬鹿だなグレタ、お前はおれの隠し子だろ?ぴっかりくんちの子供になんてさせないよ!」 ごめん、わたしも馬鹿だった。てっきり有利が人間の国の王族同士ってことでグレタを渡し てしまうのかと、そう思ってた。 「離れていたってお前はうちの子だし、一緒にいなくたって家族は家族だろ?」 「うん」 「誰も知らない所に行ったって、グレタは眞魔国の渋谷ユーリの娘ですって、胸を張って 大声でいえばいいんだ。帰りたければいつでも帰ってきていいんだ」 「うんっ」 グレタが涙ながらに有利に抱きついて、たぶん腕を上げることさえできないのだろう。 有利は両手を投げ出したまま、その小さな頭を見て目を細めて涙を堪えていた。 |
これできっちりグレタのこれからも決まりました。 グレタとは有利大好き同盟を組んで仲良くできそうです(^^) |