夜明けの街は、深夜に比べればまだ落ち着いていた。この眠らない街で唯一のまったり

とした時間帯なのかもしれない。

ただそうなると、雰囲気的にもとにかく寒い。

ポケットに手を突っ込む。

「手袋も持ってくればよかった」

「後で買おうか?」

「あー……いい。勿体無いし。グウェンダルさんに編み物を習って自分で作ろうかなぁ。

不恰好でもその方が安上がりだし……」

の立場で安上がりにこだわらなくても……」

苦笑しながら、コンラッドはなぜか肘を掴んでわたしの手をポケットから引っ張り出す。

あ、転んだら危ないからか。

そう納得した直後、コンラッドはわたしの手を握り、そしてそのまま一緒に自分のポケッ

トに手を入れた。

頭の中では某男性グループの歌が流れましたよ。

「は、恥ずかしい……」

「でも暖かいだろう?」

暖かいけど、かなり微妙なんですけど。





047.癒えぬ傷跡(1)





「先に言っておくけど」

なんだろうと見上げると、コンラッドはまっすぐに前を見たままだった。

「万が一負けても、取るものも取りあえず逃げるから、心配しなくていいよ」

「この場からは逃げても、双黒の娘なんて探すの難しくないと思うけど?」

「国に入ってしまえば、違法商人の賭けなんて握りつぶせる」

なんだか随分黒い意見を聞いてしまった気がする。

「うん、でも、負けられないよね」

それで助かるのはわたしだけだ。それでは意味がない。

有利を助けてくれたイズラという子や、ニナという子、スヴェレラから騙されて連れて

こられた女の子達はこのままの状況になってしまう。

「冷静に考えれば、ヒスクライフさんの正攻法的交渉をぶち壊しちゃったんだよね」

それだけはすごい反省点。

ヒスクライフさんのまっとうな交渉から始まる正攻法は、上手くいっても時間が掛かる。

でも、労働条件の改正など細かな点だけでも向上の可能性もある。

わたしの取った行動は、勝ちさえすれば今すぐ状況の改善に乗り出せるけれど、負け

ればなにひとつが変わらない。すべてか、ゼロか。

「まさかがあの賭けに乗るとは思わなかったよ。やっぱり陛下の血筋なのかな?

それとも、おふたりの母上の血というべきかな?」

「短気でお恥ずかしい。でも、今回のこれはやっぱり黙ってられない」

「……少し厳しいと承知で言うけれど、賭けに勝ったとして彼女たちが感謝するとは

限らないことは、覚悟しておいてほしい」

再び見上げると、そう言ったコンラッドの方がつらそうな表情をしている。

「彼女たちの働き口がなくなれば、それは恨まれると思うよ。彼女たちは国に残って

いる家族のために働いているんだから」

だから次の興行主になる予定のヒスクライフさんに一応訊ねたのだ。

彼女たちを国に送り返すのかと。

もちろん、ヒスクライフさんの色よい返事をすべてと安心してはいけないとは思う。

娼館を取り潰したからといって、次の仕事でそこで働いていた少女たち全員を雇える

かといえば、それはわからない。

ヒスクライフさんも慈善事業を行うわけではないのだから、彼女たちを雇い直すことを

中心として、採算や将来性を度外視した商売はできないだろう。

「わかってる。でも、なにかせずにはいられなかったの」

賭けは、すべてかゼロか。

でも動かなければ、ゼロ以外になにもありえない。

「賭けに勝っても、娼館のすべてがなくなるわけじゃない。それもわかってる。ひょっと

したら、一度解放した少女たちの中から、自分で選んでそういう店に雇われる子もいる

かもしれない。だけど、その場合はせめて本人の意志が入ってる」

「そう……そこまでわかっているなら、いいんだ」

コンラッドの表情が和らぎ、なにを心配していたのかわかってしまった。

思ったような反応が彼女たちから返ってこなくて、それどころか恨まれて罵声を浴び

せられて傷つくわたしを見たくなかった、というところだろう。

「本当にコンラッドは過保護だよね」

「最愛の女性が傷つくところをなるべくなら見たくない、というのは当たり前だと思うよ」

「さ……」

最愛って……。

そういう話になると分が悪いと見て、咳払いで誤魔化して周囲を見回したりする。

人もまばらな道だったのは、旅館街の辺りだけだった。

食堂なんかが多い辺りになると、今度は朝の仕込みが始まっていて、また活気に溢れ

ている。

人が増えると恥ずかしいのでコンラッドのポケットから手を抜こうとするのだけど、掴ま

れていて抜けない。なんでこの人、平気なんだろう。

昨日、見世物小屋が立ち並んでいた辺りはテントが取り払われていて、一晩のうちに

特設レース会場が出来上がりつつあった。木槌の音が周囲に響いている。

この調子だと、昼前には完成していそうだ。

「……仕事は速いんだよね」

だからこそ、スヴェレラの窮状にいち早く動いたんだろう。

法石が出なくなったのは四ヶ月前で、彼女たちがここにやってきたのは三ヶ月ほど前

からだと聞いている。

どうして、その才能を別の方法で活かせないのだろう。

「……あちらはどんな珍獣を連れてくるのやら」

コースを眺めながら、コンラッドは何かを思案するように指先で顎を撫でた。

「どうかした?」

「ああ、いや。今、このヒルドヤードにはどんな種類の珍獣がいたかと思ってね。まあ、

気にしてもわかるはずもない。さ、俺たちは俺たちで用意しないとね」

コンラッドに背中を押されて、ライアンさんのいる見世物小屋へと向かった。




「た、大変なことになっているんですね」

昨日は夜、今日は早朝の訪問だというのにライアンさんは快く迎えてくれて、事情を

説明すると眉を潜めた。

「確かに、あの少女たちのことはどうかとは思っていたんですよ。ですが殿下が自ら

お出ましになられるなんて、なんてお優しい。ええ、任せてください!このケイジが

見事に殿下のお役に立って見せますとも!」

そう言いながら、ライアンさんは自分の胸板をどんと強く叩いた。

すごい自信。

調教師の太鼓判をもらって、来た道をゆっくりと帰る。今度はコンラッドに手を取られ

ないように、ポケットには入れずに後ろで指を組んで歩く。

「……なにか気になることでも?」

横を歩いていたコンラッドが少し声のトーンを落として聞いてきて、驚いて振り仰いだ。

何も言っていないのに。

「別に、なにも」

「そう?さっきより元気がなくなったようだから」

「ああ、さすがに疲れちゃったのかも。船旅が終わってすぐにこの騒動だったから…」

自分で言っていて、溜息が漏れた。

こんな嘘、コンラッドに通じるはずがない。

「あのね、さっきライアンさんが、わたしのこと「優しい」って言ったでしょう?」

「ああ……言ったね。でも実際そうじゃないか。関係のない少女たちのために」

「それは違うの。……ええっとね、スヴェレラということにも確かに意味はあるの。有利

なんかはそう思っているんじゃないかな」

「どういうこと?」

「……彼女たちが騙されて連れてこられたのは、法石が採れなくなったからでしょう?

たぶん、有利はそのことに責任を感じていると思うんだ」

「例え法石と魔笛に因果関係があったとしても、それはユーリのせいじゃないだろう」

「そう考えられるなら、有利ももっと楽に魔王でいられると思うな」

わたしの苦笑に、コンラッドは黙り込む。

そう、そんな風に理詰めで考えられるなら、有利はもっと楽に王様の椅子に座っている。

「じゃあ、あんな賭けを受けたのは、ユーリのため?」

「だから、それも入っている。それで彼女たちがもう少し、せめて自分の意思で仕事を

探せるだけでの選択肢があれば、有利も自分を許せると思うから。でも、それだけじゃ

ない」

声が震えそうになって、息を吸い込んだ。

優しくなんかない。

だってこれは。

「わたしが、つらいの。彼女たちが自分の意思で選んだなら、仕方が無い。だけど違う

んでしょう?……騙されたんでしょう?………無理やりだったんでしょう!?」

?」

段々と声が高くなってくるわたしに驚いて、コンラッドが背中を摩ってくれる。

感情が高ぶっている。

自分でもそれがわかったから、深呼吸をする。

泣きたくもないのに涙が滲んで、唇を噛み締める。興奮が収まらない。

言いたくないなら言わなくていいと、コンラッドは言ってくれた。

わたしだって言うつもりはなかった。だけど、今回のことではコンラッドに酷く心配を

掛けている。コンラッドは口にこそしないけれど、ずっとわたしを心配している。

グレタのことでも、賭けのことでも。

グレタのことが上手く収まったと思ったら、次は自分の身柄を賭けて娼館を潰そうだ

なんて、心配しないわけがない。

だって、負ければ相手は娼館を取りまとめる男で、そうでなくても双黒だとわかった

上での取引だから。

だから、せめてどうして、こんな馬鹿な真似をしたのか、それだけでも。

……それも言い訳かもしれない。

コンラッドに、納得を……せめて仕方が無いと理解して欲しいだけなのかもしれない。

わたしの暴挙を。







心配をかけているとわかっていても引けない理由を理解してほしい気持ちで、
とうとう話をする決心がつきました。



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