「ユーリ、も一応武器は抜いておけ」

「わたしは初太刀は抜き打ちだから」

「武器って……これ、花がでちゃうんだよ」

カッコよく答えたとは対照的に、マジシャン志望でないのにタネ付き杖を持っている事

を嘆いたら、油断なく前を注意したままのヴォルフラムに怒られた。

「ばか!握りの部分を捻るんだ。なぜそいつが喉笛一号と呼ばれていると思ってるんだ?

何人もの喉笛を掻き切っているからだろうが!」

なんだか持つのが怖くなってきた。

ずっと続いていた金属音に、鈍い音が突然飛び込んだ。

はっとコンラッドを見ると、同時に布団を投げ出したような音が続いて、床に長身の男が

転がっていた。

「コンラッド!」

おれとと、どちらが先に出たのか、ほぼ同時に決着をつけたコンラッドの下に駆け

寄った。





046.優しさの裏側(2)





「コンラッド、血を……」

こめかみの辺りと左腕から血を流すコンラッドに顔色を悪くしながら、が気丈に

止血を始める。

「し……死んだの……?」

「まだです。近付かないで」

戦いを見るのは初めてじゃないけど、コンラッドが人を斬ったところは初めて見た。

頭部を覆っていた天蓋は真っ二つに割れ、男の素顔が晒された。

左目が爛れた皮膚で塞がれていたし、頬や鼻にも治療を怠った火傷がある。腹から

はおびただしい量の血が流れ出て、呼吸は今にも止まりそうだ。

この傷は、コンラッドの剣がつけたんだ。思わず唾を飲み込む。

「こ、この傷……」

「恐らく拷問の跡でしょうね。ユーリ、近付かないで!こいつはまだ生きてるし、かなり

魔術も使える。最後の力を振り絞って、あなたを狙わないとも限らない!」

「わ、判ったよ」

「……知り合いなの?」

コンラッドの左手に布を巻きつけていたが、恐る恐るとコンラッドを見上げた。

「は?、なに……」

「だって、魔術が使えるって、どうして知ってるの?」

「ヒューブ!」

おれを突き飛ばすような勢いで、小さな影が転がり出た。

「ヒューブ、しっかりして!死んじゃだめ!」

危ないと止める間もなく、男の傍らに膝をついてその身体を揺さぶった。

「グレタ、駄目だよ。そいつはとコンラッドを殺そうと……」

「ヒューブって、グリーセラ卿ゲーゲンヒューバー!?」

の悲鳴のような声に、おれとヴォルフラムの絶叫が重なった。

グリーセラ卿ゲーゲンヒューバーといえば、グウェンダルの従兄弟で魔笛探索の任に

ついていた、あの?

グリーセラ家に嫁いで身重の身体でニコラが帰還を待っている、あの?

「そんな……グウェンに似てるって……全然わかんねえ」

なにしろ顔の半分に火傷の跡が広がっているのだ。

「グ、グレタ、そいつはヒューブじゃないんじゃないかな?」

「いや……ゲーゲンヒューバーです」

腕の止血が終わり、こめかみの血をが圧迫するのに任せたまま、コンラッドは深刻

な顔で告げた。

「剣を交えればわかります」

「ちょ……ちょっと待てよ!じゃあ、あんたは顔見知りだってわかってて、手加減なしで

殺そうとしたってこと!?」

「有利っ!」

激しい叱咤の声に、続けて言おうとした言葉を瞬間的に忘れた。

反射で振り返って、見たこともないほど厳しい顔でおれを睨みつけているに、喉が

詰まる。

「手加減していれば、俺がああなっています」

そんなにヒューブが強いってことなのか?

「ヒューブ!これを返すから、死んじゃだめ!」

グレタだけが懸命に男の手にコインのようなものを押し付けて、必死に声を掛け続けて

いる。

「あれは徽章だな」

手当て中のコンラッドに代わって、おれの腕をしっかりと掴んでいるヴォルフラムが目を

細めた。

「グリーセラ家に伝わる徽章だ。……つまり、ユーリの暗殺にもあいつが関わっていた

ことになる」

「い、いや違うんだ。おれの暗殺については、グレタが自分で考えたんだ」

「なにを言っている?お前が言ったんだぞ。あんな子供が自分で暗殺など考えないと」

「グレタにはそれが手段だったんだよ。ああ、もう、今はそれも関係ない。とにかく、おれ

の暗殺とヒューブは関係ない」

「だが、を殺そうとしたのは事実だ」

返答に詰まる。

に剣が向いたとき、おれはまったく反応できなかった。

が自分で避けて、コンラッドが守った。が斬られたのかと思った、あの恐怖は

今でもおれの背筋に冷たいものを覚えさせる。

なんでだ?会ったこともないのに、どうしてを殺そうとしたんだ?

静かな室内で、グレタの必死の呼び掛けだけが続く。

「王様は女の人じゃなかったよ。でもね、ユーリはすごくいい人なの。これを見せなくても、

グレタを隠し子だって言ってくれたんだよ。も、最初はすごく怒ってたのに、グレタの

こと一杯心配してくれたんだよ。ユーリももいい人なの。だからこれは返すよ。返す

から、死なないでヒューブ!」

「うあひゃひゃひゃひゃ」

悲痛なグレタの叫びを、不愉快な笑いが消し去った。

グレタと死にかけている男以外の目が、不愉快な声の発信源を見た。

ペットの伊勢海老を掴んだまま、もう一方の手でルイ・ビロンが指差しているのは。

「賭けの対象が決まった!」

だった。




「その娘を賭けるなら、西地区の権利書を賭けてもいい!」

「ふ……ふざけんな、このエロ親父!!おれのになにするつもりだよ!?」

「黒を宿すものを煎じて飲めば、不老長寿にも万病にも効くという!双黒でないことは

残念だが、瞳だけでも高く売れるぞ!」

あっと、おれたち全員がを見た。も慌てて自分の顔に手をやるが、薄い色付き

のメガネは床に転がっている。

黒の両目はなにを隔てることなく、部屋中の人間に晒されていた。

「その生ける秘宝がそちらのチップだ!それ以外は認めん!」

「か、賭けって……?」

が止血の終わったコンラッドと困惑したように顔を見合わせると、ぴっかりくんが

口を開いたので、おれが慌てて首を振って止めた。

だけどぴっかりくんを黙らせることはできても、ビロンはおれの味方じゃない。

「ヒスクライフ氏とミツエモン殿とやらは、ワタシの商売にケチをつけましてな!商売を

やめろと言ってきた。だがこの西地区はワタシの商用地だ!ワタシの商売をやめなけ

ればならない謂れはないし、もちろんこの地を金で手放すつもりなどない。金などこの

先いくらでも稼げるのでね!」

「文字も読めぬ年端もいかぬ娘たちを騙してか!」

ぴっかりくんが目を吊り上げて糾弾すると、もピンときたらしい。ああ、ヤバイ。

「……ここの子たちは、騙されて働いているの?」

「そのとおりですぞ、オギン殿!食糧難のスヴェレラで、文字の読めぬ親に適当な説明

で書類にサインをさせ、娘を攫ってこのような施設で働かせているのです、この男は!」

「―――スヴェレラ?」

「ぴっかり……じゃなかった、ヒスクライフさん、そこまで!」

おれが慌てて割って入ったものの、打ち合わせでもしているのか、ぴっかりくんが黙る

とまたビロンが声を張り上げる。

「人聞きの悪い!ワタシは飢えて死ぬしかない者たちに救いの手を差し伸べたまでの

こと。四ヶ月前から法石まで採れなくなったのだ。座して死ぬか、働きに出るか、それ

だけだ!文字が読めぬなど言い訳にすぎん。読めても娘を差し出すだろうさ!」

「四ヶ月前……」

おれがイズラから聞いたことを、は最悪のタイミングで聞いてしまった。

ならわかるだろう。四ヶ月前というのは、おれがスヴェレラで暴れたときだ。乾いた

土地で、唯一の資源だった法石の採掘場をひとつ壊したときだ。

あれは収容所だったから、イズラたちが飢えたこととは直接は関係ないかもしれない

けれど、法石がどこからもでなくなったのは……たぶん、魔笛が絡んでいるんじゃない

だろうか。

「ヒスクライフさん」

狂ったように笑うルイ・ビロンを見ずに、はぴっかりくんを振り返った。

「西地区の興行権をあなたが手にすれば、スヴェレラから連れてこられた娘たちは、

強制送還するんですか?」

「い…いや、それは……なにか、もっとまともな職を斡旋するつもりではありますが…

娼館を潰せば別の店を作ることになるので」

「そう……ですか」

「コンラッド!を止めろ!羽交い絞めにしろっ!」

おれの指示は、ちょっと遅かった。

は、せっかく被っていたウィッグを勢いよく引っ張って放り出したのだ。

!」

「馬鹿!っ!!」

「なんと!?双黒か!!」

ビロンだけ、嬉しそう。そりゃそうだ。なんたって、念願の双黒だ。

はびしっとビロンに向かってまっすぐに指を突きつける。

「西地区の興行権、賭けてもらおうじゃないの!」

「待っ……」

「交渉成立だ!」

ビロンの狂喜乱舞に、おれとコンラッドとヴォルフは同時にがくりと肩を落とした。

いつもと逆じゃん、

おれの短気をが止めるのに、今日はが短気を起こしたよ。

どうしちゃったの?おれの短気が移ったか?

物事は五つ数えて決めるんじゃなかったのか?

……どうしちゃったもないけどね。

は、性を売り物にすることにひどい抵抗があるからだ。ましてや、そこに本人の

意志がなかったとなると。

ぴっかりくんもすっかり置いてけぼりだ。に現状を説明したのは勢いで、賭けの

対象にするつもりはなかったに違いない。困ったようにおれとを見比べている。

「賭けの方法は?」

「それはもちろん……珍獣レースだ!」

珍獣レース?

さすがにこのときばかりはも目を瞬いた。

なんだ、それ。




珍獣レースとは。

馬の代わりに珍獣が走るレース。以上。

とにかくそれぞれ馬主になって、珍獣の足を競い合うというものらしい。

一旦宿に戻って珍獣を調達だということになったとき、ビロンが後ろの用心棒たちに、

顎をしゃくって命じた。

「そのゴミを片付けろ。まったく、勝手に動いて場を壊してしまいおって」

「へい」

ビロンがゴミと称し、男たちが物のように捨てようとしたのは、血を流して床に転がって

いたヒューブだった。

「やめて、ヒューブが死んじゃう!」

グレタが男の腕にぶら下がって訴えかける。

「あんたな!被雇用者の扱い悪すぎだぞ!?」

おれもグレタに加勢しようとしたら、後ろからコンラッドに肩を掴まれた。

「この非常時にまだ近付くなとかいうつもり!?」

「もちろんです」

「彼はこちらで引き取らせてもらうわ。文句は言わせない」

喚きまくるだけのおれの横で、が冷たく凍えた声でほどけた髪を払いながら言い

切った。

「文句は言わせないとはこれまた……」

「そもそも、そちらはわたしが双黒でないと思っていたときから賭けを持ちかけていた

のよ。双黒であることがわかったのなら、その分を上乗せしてもらわなくては困るわ。

彼はこちらで引き取る。捨てるつもりだったあなたには安いものでしょう」

腕を組み、刺すような目でビロンを睨みつける。お怒りモードの降臨だ。

木刀を担いだリーサルウェポン渋谷の噂は知らないはずだが、ルイ・ビロンは

の眼光にひれ伏したように、さっと視線を外して手を振った。

「自分を殺そうとした男を連れて行くとは物好きな。そ、そんな死にかけの男、いくらでも

くれてやりましょう。さ、連れていくがいい」

放り出されたヒューブの身体を戸板に乗せて、コンラッドが怪我をしているので宿までは

ぴっかりくんの部下に運んでもらった。

なにしろ、コンラッドを除けばあとのメンバーはおれととヴォルフとグレタ。どちらにし

ても、だれかひとりは借りないといけなかっただろう。

「まさかこのようなことになるとは……ミツエモン殿、申し訳ない」

ヒューブに張り付いていて、小走りで戸板と並んで進むグレタの側に行きたがっている

を、コンラッドが引き止めている。

その後ろ姿を見ながらぴっかりくんが溜息をついた。

気持ちはわかる。おれも溜息をつきたいくらいだ。

「いや、まあそのぉ……むしろ、交渉をめちゃくちゃにしたことをこっちが謝るくらいで

……そもそも、興行権を賭けたらいいって提案したのはおれだしね」

そう。ビロンの言い出した賭けは、最初におれが言ったのだ。

ルイ・ビロンは賭博で手に入れた元手で商売を始めたらしいと聞き、金では興行権を

売らないと言い張るから、じゃあなにか賭ければ、と。

まさかを賭けることになるとは思わなかったけどさ!

こんなことなら、同じ双黒としておれを賭けた方が何十倍もマシだった。

そうか、はいつもこんな気持ちでおれの行動を見ていたのか。こりゃ頭が痛いよ。

そう、おれが賭けを言い出したんだ。







有利には、いつもの自分の行動を傍目でみるのもいい薬かもしれません。
どちらにしても、コンラッドの胃は痛みそうですね(^^;)



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