宿に帰ってくると、コンラッドとはおやすみなさいと部屋の前で別れた。 買ってもらったイヤリングをつけてみて、鏡を見ながらやっぱり思ったとおりの色合い だったことに満足していると、隣がにわかに騒がしくなる。 なんだろうと部屋を出て覗いてみたら、コンラッドがヴォルフラムを叩き起こしていた。 「ヴォルフ!陛下はどこにいらっしゃるんだ!」 「え、な、なにごと?」 部屋の中を見回せど、確かに有利の姿はどこにもない。 「んあ……?ぼくは知らな……な、なに!?ユーリのやつ、ぼくに黙って出て行った のか!?あいつ、まさか女のところにでも……!」 「ユーリが出て行ったことにも気付かなかったのか!」 コンラッドはヴォルフラムを放り出して溜息をついた。 「やってくれるよ……」 大きな掌で額を覆って、深い深い溜息だった。 046.優しさの裏側(1) コンラッドが部屋に帰るとグレタがいなくなっていて、一応有利のことを確認しておこう としたら、その有利もいなくなっていたらしい。 有利が良からぬ夜遊びに出たのだと怒り心頭のヴォルフラムは、寝起きとは思えない ハイテンションで仕度を整えて、わたしもその間に着替えに戻った。 ヴォルフラムと一緒に部屋を出てきたコンラッドは、動きやすい服に着替えて剣を携え たわたしに困ったような顔をする。 「……ここで待ってい……」 「絶対に嫌。行こう、ヴォルフラム」 有利が夜の街で楽しく遊んでいるだけだというなら構わない。けど、グレタを連れて 行ってそれはないと思う。有利になにかあったのなら、ひとりで宿で待つなんてでき るはずもない。 立ち止まって口論する間も惜しんでヴォルフラムの腕を引きながら階段を降りると、 後ろから溜息と足音が追ってきた。 するとフロントでなにか揉めていた。そのまま素通りしようとしたのに、コンラッドは フロントで有利を見ていないか聞いてくると行ってしまう。 「いちいち客の出入りをチェックしているか?」 イライラと貧乏揺すりをしてコンラッドを待つヴォルフラムに、わたしは肩を竦める。 「どうだろう?でも、今の有利の格好は目立つから、ひょっとしたら」 なにしろ、杖をついてピンクの毛糸の帽子と黒いサングラス。かなり怪しい。 驚いたことに、コンラッドがフロントに行くと別の客との揉め事もぴたりと止まった。 フロントでなにかを訴えていた男性は、今度はコンラッドになにか説明している。 「なんだろ?」 「さあな。それよりぼくは先に行くぞ!」 「ああ、待って。別行動にしても集合時間を決めておかないと」 今にも街に飛び出しそうなヴォルフラムを慌てて引き止める。 「ええい、離せ!こうしている間にも、ユーリの奴はきっと不埒な真似を……」 有利が遊びに出ているだけなら、射的とか輪投げとかそんなものだよ。 ヴォルフラムが考えているようなことができる有利じゃない。 むしろ、遊びじゃないかもしれないのが大いに問題なのであって……。 「居場所がわかったよ」 フロントから帰ってきたコンラッドは、なにかを話していた男の人と一緒だった。 「わかったの!?」 「ああ。西地区のルイ・ビロンという人物の店にいるらしい。たまたま彼の主」 コンラッドが軽く視線を送ると、男の人が軽く会釈したので、こちらも会釈を返す。 「ヒスクライフ氏と店の中で会って、今はそのビロン氏との会談に同席していると いうことらしい。彼はユーリの伝言を伝えにここに送られたそうなんだけど、なに しろ伝言相手がカクノシンだったから……」 それは宿帳には載ってないね……。 「……えーと……ヒスクライフ氏というと……確か、ヴァン・ダー・ヴィーアに行く船で 同乗した人だっけ?カヴァルケードの元王族の。でもその会談に有利が同席って、 なんで?」 「さあ?」 そこまでは使いの人にもわからないならしい。首を振られてしまった。 「まあいい。居場所はわかったんだ。迎えに行くぞ!」 意気込んで歩き出したヴォルフラムは、ふと振り返る。 「ところで念のために聞くが、その店とはなんの店だ?」 「娼館です」 簡潔な答えは、ヴォルフラムの寛容という感情を一刀両断にした。 「あの尻軽ーーーっ!!」 一直線に走り出したヴォルフラムを追いかけながらコンラッドを見上げる。 「有利が自分で娼館に入ると思う?」 「まさか。おまけに子供連れなのに」 「だよねえ……」 耳元でチャリっと音がしてイヤリングをつけたままだったことに気が付いた。 しまった。こんなにバタバタするならつけるんじゃなかった。なくさないにしないと。 そんなことを考えながらイヤリングを触ると、隣でコンラッドがくすりと笑う。 「早速つけてくれてるんだ?」 「ええっと……う、嬉しかったので……外してくる暇がなかったの。なくさないように 気をつける」 「そうしてくれるとありがたい。なくしたらなくしたで、また買ってあげるよ」 「これじゃないと意味ないし……」 「え?」 「有利は大丈夫かなって言ったの!」 少々強引にだったけど、思わず口が滑りそうになって慌てて話を切り替えた。 コンラッドは特に不審がることなく気軽に答える。 「まあ、すぐにどうこうということはないだろう。ヒスクライフ氏はユーリに好意的だ。 なにしろ命の恩人と思っているわけだから。彼自身もかなりの剣の使い手だし、 他にも」 一緒に並走しているヒスクライフさんの部下の人を横目で見た。 「ヒスクライフ氏には部下も一緒だ。もしものときは己の主が最優先だろうけれど、 店での会談でそこまで危ないことにはならないと思う」 じゃあそんなに心配はいらないわけだよね。 ヴォルフラムの心配は、問題外だし。 「まあね。なにか予想外の事態にでもなってない限りは」 到着した時点では、まだ予想外というほどではなかった。 着いた店がこれまたいかがわしくて、中年の男性の膝に座っているのがまるで 中学生くらいの女の子という、教育上にあまりにもよろしくない雰囲気。 ヴォルフラムはますますエキサイトして店の奥に憤然として歩いていく。 自分と同じかそれよりも年下くらいの女の子を見ていると、それがつらくて思わず コンラッドのコートを握る。 コンラッドは、コートを握り締めたわたしの手を軽く上から撫でてくれた。 まったく客ではないというのはすぐにわかるだろう。店の人が飛んで来て、用件を 尋ねる前にヴォルフラムが胸倉を掴みあげた。 「ユーリはどこだ!」 「ヴォルフ、揉め事を起こすな」 コンラッドが割って入り、店の人に謝罪をして言い直す。 「オーナーとお会いしている、ヒスクライフ氏に同行している者がいるはずだ。彼は 我々の主なのだが」 一緒にいるのがヒスクライフさんの部下だとわかったからなのか、すんなりと部屋 へ案内してもらえた。 ノックの後、ドアを開けると部屋中の視線がこちらに集まった。ちょっと気後れ。 「おお、これはオギン殿、婚約者殿、カクノシンど……」 「ユーリ、貴様!!」 半ば立ち上がり、挨拶しようとしたヒスクライフさんを丸々無視して、大きなソファに 埋まるように沈み込んでいた有利までヴォルフラムは一直線。 「ぼくというものがありながら、こっそり色町で遊びに興じようとは!お前という奴は どこまで節操がないんだ!」 有利の襟首を掴んで引き摺り立たせる。 「ちょ、ちょっとヴォルフラム、乱暴はやめて、乱暴は」 「は黙っていろ!コンラートはこんな遊びなどしないからお前は構うまいが、 このへなちょこときたら毎回毎回っ!」 慌てて割って入ったら、ちょっと嬉しいことを言われてしまった。 そっかー、コンラッドはこんな遊びの心配はないんだ。 じゃなくて。 「でもたぶんというか、ものすごく誤解だと思うけど」 「そうだよ、の言う通り!おれだってそんなつもりは」 「でも有利、なんでそんなに薄着なの?」 コートどころか上着も着ていない。こんな季節にこの格好で外に出たはずがない よね? 「イズラとニナにあげたんだよ」 足元で声がして、三人でそちらを見る。 説明をしてくれたのは、今まで有利と一緒にいた赤茶の髪の可愛い少女。 「イズラとニナ?」 「イズラはね、グレタたちを助けてくれたの。イズラが寒そうだったからユーリが服を 貸してあげたんだよ。でもそのまま着ていっちゃって。ユーリはいいんだって言って たけど、今度はニナが風邪を引いていて、それでニナにも上着をあげたの」 ごめん、ちょっとよくわからない。 わかったのは、寒そうな格好をしていた女の子にコートをあげて、そして風邪を引い ていた女の子に上着をあげたと。経緯はともかく、事実関係だけはわかったね。 「やはり女か!この尻軽っ!!」 「ちょ、し、締まって……」 「ああ、ヴォルフ。首が絞まっている。離れて」 再びヴォルフラムが有利を締め上げて、コンラッドが割って入って止めてくれた。 わたしはグレタを引き寄せて、有利とヴォルフラムから離れる。 「夫婦喧嘩はあんまり子供が見るものじゃないからね」 「夫婦じゃねえよ!」 「ユーリが優しいのはよく知っているけれど、あんまり無茶はしないでください。 怪我の治療にきて風邪でも引いたら本末転倒でしょう」 コンラッドは自分が着ていたコートを有利に巻きつけて苦笑する。 「ユーリが風邪なんて引いたら、が心配してユーリも大変ですよ?」 にこりと悪戯のように微笑まれて、バツが悪い。 悪かったですね。超ブラコンで。 「あー、ミツエモン殿、カクノシン殿?ユーリとかコンラートというのは誰の……」 「ごめんごめん、おれのこと。越後の縮緬問屋のミツエモン。またの名をユーリ」 ヒスクライフさんのもっともな質問に有利が適当な返答をしていると、グレタに袖を 引かれた。 「あの人……」 「え?」 グレタの視線を追って、部屋の隅に虚無僧がいることに初めて気が付いた。 こ、虚無僧? 長身で痩せていて、どちらかというと少し猫背気味のようだった。腰の剣もかなりの 長剣で、わたしの肩くらいまではあるんじゃないかというほど。 だけど、その目が。 燃える様な殺意があったわけじゃない。突然の闖入者に怒っていたわけでもない。 憎しみも、怒りもないのに。 でもなにか、まるで探るような。 「あのね、グレタは人を捜し………」 グレタに再び袖を引かれて視線を外した瞬間。 「………っ!」 叩きつけるような殺気を感じて反射的に、グレタを抱えて後ろに転がった。 同時に金属のぶつかり合う音が聞こえる。 薄い色をつけていたメガネが転がって、視界が一気にクリアになる。 グレタを小脇に抱えたまま床に膝をついて起き上がると、すぐ目の前にあったのは コンラッドの大きな背中。 「!?」 「斬られたか!?」 有利とヴォルフラムが駆け寄ってきて、おろおろとする有利の横でわたしが無傷だと 確認すると、ヴォルフラムは安心したように頷いた。 「よし、無事だな」 斬られ……かけたんだ。 こんな、特に言い争っていたわけでも、ましてや戦っていたわけでもないのに。 いきなり、あんな、初めて会った人から、斬りつけられた。 どくどくと心臓が早鐘のように脈打っている。今ごろ震えがきて、上から腕を押さえ たらその手も震えていた。 情けない。 怯えている場合じゃない。 心構えができていなかった、では今までなんのためにコンラッドに剣を習っていた のか、わからないじゃない。 コンラッドと謎の虚無僧の戦いは、最初の鍔迫り合いが双方互角で弾きあうと同時 に、一気に過熱する。 激しく斬り合うふたりを部屋の中央に、向こう側では三人の護衛らしき男たちが既に 剣を抜いていた。向こうが狙っているのは、わたしたちだ。 「ユーリとは隙を見て宿へ戻れ。子供も連れて行け」 ヴォルフラムとヒスクライフさんも、油断なく警戒しながら剣を抜く。 「……わたしは残る」 震える手で、一度強く鞘を握り締めた。 止まれ。 震えている場合じゃない。 ここは戦場だ。 殺されかけただけで、戦意喪失するな。 「、なに言って!」 「有利はグレタを。わたしは……」 「、ユーリひとりでは心もとない」 戦う、と言う前にヴォルフラムに上から被せられた。 有利ひとりでは……確かに、ちょっと不安だ。 部屋の外にこの喧騒が伝わっていれば、部屋から出ても店から出られるか わからない。 柄に手を掛ける。 大丈夫、震えは止まった。 「有利はグレタを。わたしが、ふたりを守るから」 わたしの剣は、守るためのものだったよね。 ありがとう、ヴォルフラム。 |
デートの次は殺されかけて……。 浮き沈みの激しい一夜です。 |