「………見世物小屋?」 昼間、グレタが看板に怯えていた見世物小屋とは別の場所だった。 コンラッドは入場客用の入り口を迂回して、どうやら裏口を探しているらしかった。 そういえば、知人に会いに行くって言ってたっけ? ここまで来て、わたしの存在はせっかくの再会の邪魔になるのでは? と気がついたけれどもう遅い。 「あー、お客さん。今日はもう終わったんで明日また来てくれませんかねー」 外に人の気配を感じたのかたまたまか、顔を出した店の人にコンラッドは意外な 名前を出した。 「ここに、ライアンという砂熊の調教師がいると聞いたんだが」 045.眠らない街 通されたのは珍獣厩舎で、ちょうど世話の最中なのかと思えばライアンさんは ここに住んでいるという話だった。やっぱり厩舎だけあって獣臭い。 大事に世話をするのはわかるけど、ここに住み込めるとは恐ろしいほどの愛情 だね。 「閣下!お久しぶりです!」 「ああ、元気そうでなによりだ。上手くやっているようだな」 「はい!ケイジもこの通りすっかりここに慣れて……ああ!?で、殿下!?」 笑顔で元気にコンラッドに近況報告していたライアンさんは、ふとコンラッドの後ろ に引っ付いていたわたしに気付いて、慌ててびしりと敬礼する。ウィッグで髪の色 を隠しているから、一目でわからなかったらしい。 「こ、このようなむさくるしいところに殿下がいらっしゃると思いもせず……い、今 片付けます!」 「あわわ、い、いいですよ。わたしはコンラッドに引っ付いてきただけですから、 どうぞお気になさらずに」 というより、この砂と藁とが入り混じる場所をどう片付けると? 後ろで何肉かを咀嚼していたケイジは、夕食を終えると徐に後ろ足で立ち上がり ライアンさんに覆いかぶさった。 「お、おいっ!?」 「た、大変っ!」 トラブル発生だ。いかによく訓練されている獣とはいえ、やっぱりこういう事故は いつ起きるかわからないのが、動物芸の怖いところで……。 「大丈夫ですよ。心配には及びません。ケイジは甘えたで、じゃれてるだけなん です」 半分押し潰されて真横に首を倒しながら、ライアンさんは笑顔で言い切った。 本当に?ものすごく鋭い爪が今にも胸を引っかきそうにカチカチ鳴ってるんです けど。 「怖かった………わたし、ケイジの芸は見たくないかも……」 ライアンさんのところを出て、少し離れてから半泣きになりながらコンラッドの腕 にぎゅっとしがみ付いていた。 「ううーん……」 コンラッドも微妙な唸り声を上げる。 だってケイジときたら、鋭い牙の生えた口にライアンさんの頭を飲み込んだのだ。 今度こそ大変な事故が起きたと悲鳴を上げたら、それもケイジ流の甘え方なの だそうで。 「まあ……あれも、ひとつの愛の形かな……」 コンラッドは乾いた笑いでそう結論付ける。まさに命がけの愛情……? 「用事も済んだことだし、気を取り直して夜のデートを楽しもうか」 コンラッドの用事は、ライアンさんに退職金を渡すことだったらしい。女の影を微か にでも疑ったことが恥ずかしくてならない。 わたしの軽い自己嫌悪に気付いた様子もなく、表通りまで戻ると手を繋いで昼と は違う活気に満ちた街を並んで歩く。 コンラッドが気にしないなら、わたしが落ち込んでせっかくのデートを台無しにして しまっては勿体無いと、気持ちを切り替えることにする。 「にはなにかやりたい遊びとか、リクエストはある?」 「うーん……」 昼間も色々と見て回ったから、いくつか楽しそうだと思うものもあったのは知って るけど、基本的にはコンラッドとこうしてふたりきりでいるだけで、もう満足なんだ よね。 わたしの希望が曖昧だったので、では行き当たりばったりで、と通りをゆっくりと 歩く。 手を繋いで色んな店を覗いて回りながら、輪投げとか弓の射的とかの遊戯もした。 コンラッドはもちろん、わたしもおもちゃの射的くらいは完璧で、店の人を大いに 嘆かせた。 喉が渇いてくると、まだ一言も言ってないのにさり気なく飲み物が差し出される。 ちょっと疲れたなと思うと、屋台の軽食に誘ってくれた。 「か……完璧……」 「なにが?」 メニューは読めても、結局それがどんな料理かさっぱりわからないわたしに代わっ て、注文を終えたコンラッドが軽く首を傾げる。 「コンラッドのエスコートは完璧だって言ったの」 「そう?光栄だね」 「喉が渇いたのも、ちょっと疲れたのも、どうしてわかったの?」 「軽く喉を押さえたり、時々足を見たりしていたから」 そんなちょっとした動作でわかるものですか。何気なく見逃しそうだけど。 デート慣れしてるよねーとは思ったけれど、今度はそんなに気にならなかった。 だって慣れているにしたって、ちゃんとわたしのことを見ていてくれているから、 そんな小さな変化にも気づいたわけでしょ? 「遠慮せずになんでも言ってくれていいんだよ?」 「言う前にコンラッドが気付くの」 「それはよかった」 エスコートが完璧なコンラッドは、笑顔も完璧だった。恐るべし。 休憩も終えて、次はどこへ行こうという話になると、どちらともなくそろそろ帰ろう かと言い出した。 だってここは眞魔国じゃない。ヴォルフラムがいるとはいえ、あんまり有利と長く 離れているのも気になる。お互いに、この辺りが素直に楽しめるタイムリミットと いうところだったからだ。 屋台を出て通りの店を軽く眺めながら宿に戻るというルートが決定して、繋いだ 手を揺らしながら特に急ぐわけでもなくゆっくりと歩く。 「明日は陛下もお誘いしようか?」 「そうだね。そしたらもう少し落ち着いて遊べるかも」 ふたりきりのデートは眞魔国での方が、素直にそのまま楽しめる。ここでは有利 やヴォルフラムも一緒に騒いだ方が、心配事がないと思う。 「それに、グレタのことも気になるし」 「随分、仲良くなったね」 「うん……わたしがずっとこだわっていたら、有利が一番困るみたいだから」 コンラッドは少し眉を下げて微笑むと、わたしの頭を軽く撫でるように触る。 「小さいの子の世話に慣れてる?あの子もに懐いているし」 「全然。わたし末っ子だし……って言っても有利とは双子だけどね。甘さかされて は育ったけど、甘やかしたことなんてないよ。グレタとの会話はいつも必死」 「へえ……慣れてなくてもあれなら、はいいお母さんになりそうだな」 「えー?でもグレタはあの子自身が素直だから……」 どうして笑って流してしまわず、気付いてしまったのだろう。 ……いいお母さんになるというのは、つまりは子供がいないと成立しなくて。 違うって!あれは話の流れなだけでコンラッドは待つって言ってくれたし、そんな 意味じゃなくて……混乱してきた! 「?」 急に黙り込んでしまったのを不審に思ったのか、コンラッドが腰を屈めて覗き込ん でくる。 きっと赤くなっているに違いない顔を見られて理由を追求されたら大変だと、その 視線から逃れるためにぐるんとそっぽを向いた。 それは意図したわけではなくて、追い詰められてのことだったのだけど、思わず足 が止まってしまう。 「あら、お嬢さん!可愛いわ〜!あなたならなんでも似合いそう!そっちの彼氏さん、 なにか買ってあげてよ!」 そこにあったのは、宝石や装飾品の露店だった。 店のお姉さんが気軽に声を掛けてくる。まあ、興味がありそうだったらそうするよね。 「なにか気に入ったのがあった?」 コンラッドが後ろからこっそりと耳打ちしてきて、否定しようと思っていたのに、心地の いい声につい首を前に倒すようにして頷いてしまう。 「どれ?」 「え、あ?あ!ち、違う!今のなしっ!」 慌てて否定したけれど、時すでに遅し。やっぱりコンラッドはわたしの手を引いて店の 前まで移動した。 「い、いいよコンラッド」 「そんなに遠慮しないで」 「そうよ、お嬢さん!気前のいい彼氏なんて羨ましい!買ってもらっちゃえ!お嬢さん は顔映りが良さそうだから、なんでも似合うわよ」 お姉さんが調子良く合の手を入れて、コンラッドもにこにこと笑顔で引く様子はない。 ほ、本当はすごく欲しいけど、でもなんか、こういうおねだりってなんか、その。 ああ!自分で自由にできるお金があったら自分で買ったのに! こっちではお小遣いなんてないから、せめて血盟城でバイトでもできれば。 有利にお仕事くださいというのが妥当なところだけど、それもまた難しいよね。王の妹 が雑用に雇ってもらえるとも思えないし、かといって王族の仕事なんて重大かつ恐ろ しいことを自らやり遂げるとなどと言い切れるような実力は持ち合わせていない。 正直、給料の問題を横に置いても、今の居候状態はどうにかしないとと思うのだけど、 お仕事くださいと有利に頼んで、一体どんなことがわたしにできるのか……。 ああ、止め処なく思考がずれてきた。 とにかく、今ここでお金がないことが問題なのであって、後々のことじゃないってば。 全然違うことで悩んで固まっている間にも、コンラッドと店のお姉さんのふたりで宝石 当てクイズが進んでいる。 「、これ?」 コンラッドが指差したのはエメラルドのような石(こっちの宝石はわかんない)のネック レス。 「えー、こっちでしょう!ね?」 お姉さんが指差したのはルビーのような石の指輪。 「ど、どっちも違う。ねえ、コンラッドいいよ」 「じゃあこっちかな?」 「あら!お嬢さんにはこっちの方が似合うと思いません?」 店のお姉さんはわかるけど、なんでコンラッドまでわりと熱くなってるの? 「、ヒントは?」 「だから買ってくれなくていいってば!」 「ええ〜?」 お姉さんごめんね。 だけどコンラッドは、指先で軽く顎をひと撫でしてお姉さんにとんでもないことを言い出 した。 「じゃあ、適当にここからここまで全部包んでもらおうかな」 「あら、太っ腹!」 「待って待って待って!!」 冗談だとは思うけど、冗談に決まっているけど、お姉さんは今にも包みだしかねない 勢いだし、コンラッドはちっとも訂正しようとしない。 あー、もう……。 「……これ」 わたしが目を奪われたそれを指差すと、コンラッドはちょっと意外だったらしく目を瞬く。 「これ?」 トパーズ色の琥珀(多分)のイヤリング。 トパーズじゃなくて琥珀だと思ったのは、気泡らしきものが中に少し見えるから。 銀の台座に楕円の曲線を描く石が下がっている、ごくシンプルなデザインのもの。 「にはもっと華やかな色の方が似合うんじゃないかな?」 「……そう?じゃあ、やめようか」 これでお終いとコンラッドを引っ張ろうとすると、コンラッドとお姉さんが同時に呼び 止める。 「待ってお嬢さん!もったいない!」 「反対しているわけじゃないよ。ならどんな宝石も似合うから」 ……今また、さらっと歯の浮くようなことを言ったわね。 わたしが歩き出してもコンラッドが立ち止まったままだから、引き戻されてしまう。 「本当にこれが気に入ったんだね?」 「……うん」 諦めた。ここで違うと否定したら、コンラッドは本当にまとめ買いしかねない。 それに、すごく気に入っているのも、本当は欲しかったのも、本音だし。 「じゃあ、これを包んでもらえるかな」 「ありがとうございます!」 綺麗に包装してもらった箱を、コンラッドから手渡される。 「はい、」 「ありがとう……」 結局ねだってしまったことは申し訳ないけれど、やっぱり嬉しくて受け取った箱を 大事に抱えてコンラッドを見上げる。 ちゅっと。 まだお店の前だと言うのに、コンラッドが軽く触れるだけとはいえ唇を重ねた。 「あら、ご馳走様」 「こ……コココ、コンラッド!?」 「があんまり可愛い顔をするから」 「だからって人前で!」 「またどうぞ〜」 わたしが足早に歩き出すと、後ろからお姉さんの声が聞こえた。 もちろんコンラッドもぴったりと後ろについてくる。 「ごめんね、。怒った?」 もうお店が見えないくらいまで歩いてから、ちょっとだけ振り返った。 「ううん。恥ずかしかっただけ……」 そう言うと、大通りだというのに後ろからぎゅっと抱き締められる。 「コンラッド!」 「だってが可愛いから」 口は災いの元だわ。 |
……なにも言いません(言えません^^;) |