ベッドが三つしかなかったので、だれがどこで寝るかを少しだけ揉めた。 女の子は病人なので、ひとりでゆったり眠れる方がいいだろうという意見は満場一致 で決まった。それ以前に、一応危険人物だけどね。 だけど、後のふたつがすんなりいかなかったのだ。 揉めた結果コンラッドの意見が通って、有利とヴォルフラムが一緒。わたしはひとりで ひとつを使い、コンラッドは部屋の隅で剣を抱えたまま床で寝るという。 最初は、いくら本人が大丈夫だと主張しているからといって、コンラッドだけ床でなんて 気が引けて、色々と勇気を振り絞って一緒に寝ようと誘ったら、有利が激怒した。 「一緒のベッドで眠るだけだよ。そんなに怒らなくても……」 「は嫁入り前の大事な身体なんだから、ダメ!だれかと一緒に眠るなら、おれしか いないだろ!?」 「じゃあ、コンラッドはヴォルフラムと……」 「ふざけるな!いくらの願いでも、こんなやつと共寝など絶対にいやだ!」 「そこまで警戒しなくても、さすがにユーリがいる部屋でになにかしたりしないよ」 コンラッドが当たり前のことを言うと、有利はじろりと凄い目でコンラッドを睨み付ける。 「その言い草だと、おれがいないとなにかするみたいに聞えるけど?」 「まあ、婚約者ですし。少しくらいは」 「大却下だっ!!」 こうしてコンラッドは床で寝ることに。あれはわたしがひとりでベッドを使えるようにわざ と有利を怒らせたように見えるけど。 043.頼りない指先(2) 目を覚ますと、船室の中をランプのほの暗い光だけが差していた。 窓の外は暗く、まだ深夜だと思われる。 目が覚めたので病人の様子はどうだろうとベッドから起き上がると、女の子のベッドの すぐ脇にコンラッドが移動していた。 「……コンラッド?」 有利たちを起こさないように小さく声をかけると、コンラッドは振り返って柔らかく笑う。 「まだ夜明けは遠いよ、もう一度眠って」 「いい。昼に寝すぎたみたい。看病を代わるからコンラッドがベッドを使って」 自分で言いながら、夜中に目が覚めた理由に納得した。そういえばわたし、港町まで の移動の間中、コンラッドの膝で寝てしまったんだった。 ヴァン・ダー・ヴィーア行きの船の中で、コンラッドに膝枕してもらったときはものすごく 動揺したのに、今では自分から甘えてる。考えてみれば、驚くべき進歩。 ……わたしにしては、ね。 わたしが怖がってばかりいるから、お付き合いの進度が遅いことはわかっている。 わたしから告白したその日にキスしてきたり、ちょっと気を抜けばすぐに押し倒してくる (大体はおふざけ半分の過剰スキンシップだけど)ことから見ても、今の距離はたぶん、 コンラッドにとっては子供のままごとの延長くらいの交際でしかないんじゃないかと思う。 付き合い始めて四ヶ月も経っていることを考えると……ホントにわたしに合わせてくれ ているんだよね。 大事にしてもらえているようで嬉しいし、同時にもっとコンラッドにも喜んでもらいたくて 申し訳なくなる。 ベッドから降りようとしたのに、軽く押し戻された。コンラッドは腰を折り曲げて、わたし の額にキスをくれる。 「ダメだよ。いろいろあって疲れているだろう?大丈夫、ベッドに入ればすぐに眠れる」 いろいろあって。 全部ひっくるめてそんな言葉でまとめてしまう。 「……なにも聞かないの?」 わたしと有利がぎくしゃくしていたのは、刺客の女の子のことだけではないことを薄々 わかっているはずなのに、コンラッドは一度も理由を話せとは言わない。 「言いたくなったら言って欲しい。言いたくないなら、ずっと言わなくてもいい」 柔らかく微笑んで、でもその言葉はやっぱりコンラッドがなにかを感じている肯定でも あった。 わたしがじっと見上げると、コンラッドは眠らせるのを諦めたように横に腰を降ろす。 「のことをたくさん知りたいと思うよ。同時に俺のことも、に知って欲しい とも思う。だけど、俺もも、短くない時間を生きてきた。すべてを話すには、まだ 時間が足りないよ」 「うん……」 コンラッドはわたしの肩を押し、同時に腰を抱き寄せた。テコじゃないけど腰を支点に してベッドに倒されてしまう。 ……鮮やかな流れは、ちょっとコンラッドの過去が見えるような。 「それに、すべてを打ち明ける必要もない」 そう言いながらコンラッドが覆いかぶさってきて、二重の意味で驚いた。 「必要ないって……っていうか、その、有利が隣に……」 「必要ないよ。だって、必要なのは『今まで』じゃなくて、『これから』だから」 「これから……」 「『今まで』がどうでもいいわけじゃない。『今まで』があって、今のがいるから、 とても大切な時間だ。だけどそのすべてをお互いに知らなければ、『これから』が築け ないというわけではないだろう?」 柔らかな口づけが降りてきて、素直に目を閉じてしまう。だから隣に有利がいるのに。 触れるだけのキスを交わして、そっと少しだけ離れる。 もう一度触れ合いそうな距離のままで、視界一杯に精悍な男の人の整った顔。銀の 光彩の散った瞳に、魅入られたように目を逸らせない。 誰も起きていない部屋なのに、コンラッドはわたしにだけしか聞えないような小さな声 で囁いた。 「愛しい。君がなんと言おうと、逃がしてなんてあげない」 身体中が熱くて、血が沸騰したのかと思った。 「うっ………」 隣のベッドから苦しげな呻き声が聞えて、驚いてコンラッドを押し返した。 声は、隣の女の子から上がっていた。 熱に苦しんでいる病人の横でなにやってるんだろう。 不謹慎なことをしてしまったようで、申し訳ない気分になる。 コンラッドが先に起き上がり、苦しげな女の子を覗き込んだ。 わたしも乱れた服を調えてその横に移動した。苦しいのか眉をぎゅっと寄せて浅い 呼吸を繰り返していた。 「熱が上がってるな」 額に触れていたコンラッドが眉をひそめて立ち上がる。 「さすがにこれ以上はよくないと思う。熱冷ましをもらってこよう」 「じゃあわたしが行ってくる」 「こんな夜中に部屋から出ないでくれ。はこの子についていて」 濡れタオルをわたしに手渡すと、コンラッドは医務室に向かってしまった。 残されたわたしは女の子に向き直ると、汗で額に張り付いていた髪を指先で払う。 女の子の口がわずかに動いた。 流したままだった髪が女の子の口に掛からないように後ろにまとめながら、何か 欲しいのかと口元に耳を寄せて、どうにか微かな声が聞き取れた。 「………お……かあ……さま………」 ……お母様? ああ、そうか。熱が出て苦しいから、つい無意識に一番好きで一番頼りにしたい人を 呼んでしまっているんだろう。 今ならわたしは、有利を呼ぶだろうか。それともコンラッド? 濡らして冷やし直したタオルを、髪を払った額に乗せる。 女の子がうっすらと目を開けた。 どこか虚ろなその瞳が、ゆっくりと動いてわたしを映す。 「おかあ……さま……?」 薄暗いし、熱で視界がぼやけているのかもしれない。 わたしを母親と勘違いしているのか、はたまた熱でうなされているときに側にいるのは 母親だという過去の経験の思い込みがあるのか。 返事をしてあげるべきかもしれないけれど、声を聞いたら母親でないことに気付いて しまうだろう。どうしたらいいのか困りながら、そっと汗で湿った髪を撫でたら、気持ち よかったのか眉間の皺が少しだけ浅くなった。 「…………?どうした……?」 驚いて振り返ると、有利が眼を擦りながら起き上がっている。 女の子の苦しげな声と、会話で起こしてしまったらしい。 ぱちんと乾いた音が響き、僅かに痺れるような小さな痛みに反射的に手を引きながら ベッドに視線を戻すと、熱に紅潮した顔でぐっと唇を噛み締めてふいとわたしから目を 背けた。 もしかしたら、わたしを母親と間違えたことで、より傷ついてしまったのかもしれない。 母親ではないことがわかってしまったので、もう黙っている必要もない。寝惚けている 有利に状況を説明する。 「この子の熱が上がって。今、コンラッドが熱冷ましの薬と氷をもらいに行ってるの」 「あー……そうか、熱が上がっちゃったか」 有利はぱたぱたと枕元にあった杖を手探りで探し出して掴むと、ゆっくりと様子を見る ために近付いた。 「熱が高いと、なにも喉を通らないんだよな。冷たいものとかだったらいけるかな? アイスがあればいいよな、アイス。ああ、それより母親がいるのが一番だけど」 さっきのうわごとが聞えていたのかと思ったけれど、どうやらそうでもないようだ。 アイスと言ってたし、きっと自分が熱を出したときのことを思い出したんだろう。 有利が風邪なんかで熱を出すと、うつるといけないからとわたしは部屋から閉め出さ れていた。もちろん、わたしが大人しく有利の熱が下がるのを待っているわけもなく、 お母さんの目を盗んでは有利の枕元にへばりついて、よく嘆かせていたっけ。 背中を向けた女の子は、有利の独り言なのか話しかけているのか、微妙に判断の 付けづらい言葉を完全に無視する。 「……きみはどこからきたの?どこの国の、どこの家に帰せばいいんだろう?」 言いながら、有利がちらりとわたしを窺い見た。 心配しなくても、病人が聞いているのに暗殺者を解放するなんてとんでもないなんて 言わないよ。 「帰れない……」 女の子は背を向けたまま、小さく言った。初めてまともな返答が返ってきた。 有利も少し期待したようで、杖を掴む手に力を入れて身を乗り出す。 足に負担がかかりそうな体勢に、わたしが慌てて手を添えて身体を抱き起こした。 「帰れない?なんで。金銭面かな?だったらおれが肩代わり……じゃなくて、えーと、 なんならこのまま送ろうか?住所は言える?」 暗殺にきたのに、その対象に住所を言うわけがない。どこの国が放った刺客なのか 白状するのと同じだ。むしろ、この状況で告げた住所は信用ならないと思うけど。 やっぱりというか、予想通り女の子は有利の質問を黙殺した。 「ああ、肩を出してると冷える」 子供の発熱で熱いと言ったときは、ちょっとくらいは毛布を外す方がいいんだっけ? どうだったかなあと、付け焼刃の看病知識は早くもボロを出しまくり。 とりあえず毛布を被せておこうと手を伸ばすと、横で有利が女の子の左肩の刺青に 気付いたらしく、たどたどしくそれを読んだ。 「イズ……ラ?これ名前?それとも合言葉?なんか女性の名前っぽいよな。じゃあ これからイズラって呼ぶことにするわ」 「イズラはお母様の名前だ!」 強い反発の声が返ってきて、有利は仰け反りながらも再度アタック。 「じゃあ君の名前は?」 「グレタ」 ぶっきらぼうな返答だったけど、ようやく名前を聞き出すことに成功した。 偶然とはいえ、搦め手から入って名前を聞き出すなんて、有利って意外とナンパの 才能があったりして。 |
ナンパ師になるには有利は実直すぎるかと(^^;) 船旅一日目の夜はまだ続きます。 |