おれを暗殺しようとした女の子を連れ出すことに迷いはなかった。

あの子にひどい尋問はしないとコンラッドは約束してくれたけど、そのコンラッドはおれと

一緒にいなくなるわけで、残るのは打ち首獄門、市中引き回しを主張していたギュンタ

ーだけだ。

こんな子供にそんなひどいことさせるわけにはいかない。

ただひとつ、心配だったのはのことだ。

おれに武器が向けられて、それがナイフだったことも朝焼けの残る時間だったことも、

過去の最悪の記憶を呼び覚ましてしまって、完全に失調していたから、この子を連れ

出したことがバレたら、また落ち込むんじゃないかと思ったからだ。

案の定、おれの前ではめったにベタベタしないのに、コンラッドに抱きついてその膝で

眠ってしまった。





042.素っ気無い態度(2)





「……眠った?」

ひそひそと話し掛けると、コンラッドもわずかに声を落として頷いた。

「ええ。本当に眠るつもりはなかったようですけど、馬車の振動がちょうどいい具合に

揺り籠代わりになったみたいです」

その、頭を撫で続けているあんたの手も、大きな理由だと思うけどね。

ちらりと女の子を見てみると、馬車の端っこで膝を抱えてこちらを警戒している。

「あ、あのさ、別に取って食おうってんじゃないから……」

声をかけたらますます強く膝を抱え込んだ。逆効果だ。

仕方がないのでちょっと腰を浮かしてコンラッドの膝の上のの顔を覗き込んだ。

泣いてはいないようで、ちょっとだけ安心する。

「お前はなにがしたいんだ」

ヴォルフラムが不機嫌そうに組んだ足を揺らした。もはや不機嫌の原因がなにかも

わからない。黙って旅行に出ようとしたことか、暗殺者の女の子を連れ出したことか、

を動揺させたことか。全部かもしれない。

「言っただろ。城に置いてきたらギュンターがなにをするかわからないから連れてきた

んだって。でも、さすがになにひとつ聞き出せてないのに自由にしてあげるわけには

いかないみたいだしさー……ほら、温泉とかで気分をリフレッシュすれば、なにか違う

かなーと……」

「自由!?お前は自分を暗殺しようとした相手を解放する気なのか!?」

「え、だって、話を聞ければもういいんじゃないの?あんなに小さい子なら、きっと親御

さんだって心配してるだろうし……」

ちらりと横目でバレないように女の子の様子を確認すると、青褪めた顔色で膝を抱えて

震えていた。

「小さい子がいるんだ。大声を出すな、ヴォルフラム」

コンラッドが苦笑いで弟を押さえてくれる。

「うるさい。お前に指図される謂われはない」

「じゃあ、が起きるから静かにしろ」

今度はヴォルフラムも黙り込んだ。

「それにしても、一体見張りにはなんて言って連れ出したんです?」

ヴォルフラムが不機嫌そうに口を引き結ぶ中、コンラッドだけは怒っても呆れてもいな

かった。の様子は気になるようだったけど、基本的にはおれのしたことを咎める

つもりはないらしい。

「ちょっと親子水入らずで話したいからって」

「それじゃ認めたも同然だ」

断じて違う。

違うが、確かに認めたことになる……よなあ。

のことを考えてやらなかったのか?」

常にない低音で、怒りに掠れそうな声で呟くようにヴォルフラムがおれを睨み付けた。

「お前を心配しすぎてあんなに疲れているのに。よくものうのうとこんな真似ができるな」

「考えなかったわけじゃないけどさ……でも、にはおれもコンラッドもいるだろ?」

「ぼくもいるぞ」

……シスコンがひとり増えていた。

「まあ、そう。ヴォルフだっているだろ?でも、あの子をあのまま城に置いていたら」

「確かに、ギュンターの怒りは爆発するかもしれない」

コンラッドが肩を竦めた。どうやらヴォルフラムはコンラッドのその態度も気に食わない

らしい。

「お前もだ、コンラート。にそうやって頼られているのに、どうしてが傷つく

ような真似を容認する?」

「では逆に聞くがヴォルフラム、陛下が小さな子を平気で見殺しにする方だと思うか?」

「話をすり替えるな!」

「すり替えたわけじゃないさ。だけど、お前だって陛下がどれだけを大切にしている

か、よく知っているだろう。その上でのご判断なんだぞ」

そこまで言われると、衝動で動いたことが申し訳なくなる。が気分を害する可能性

は考えたけど、目の前の小さな子を放り出すこともできなかっただけだ。

「こいつがそこまで複雑に物を考えているはずがないだろう。どうせ、いつものように

思いつきで動いたに決まっている!」

この件に関してだけなら、ヴォルフラムの方が正解だ。とにかくおれのせいで兄弟喧嘩

が始まるのはいただけないので、原因のくせに割って入ってみる。

「悪かったよ。後悔はしてないけど謝るよ」

「後悔していないと謝る意味がないだろう!?」

「有利の気持ちが一番大事」

眠っていたはずのの声に、おれたちは一斉にを見た。

ヴォルフラムの大声で起きてしまったんだろう。

コンラッドの膝から顔をあげないまま、はもう一度繰り返す。

「有利が危険な目に遭うこと以外は……有利の気持ちが一番大事。賛成しないけど、

怒るつもりもないよ」

押し殺した声色は、はっきりとはの感情を悟らせなかったけれど、それだけに

の葛藤がわかった。

まだ割り切れてなんていない。

おれを傷つけようとした相手を許せないし、だからといって小さな子供がひどい目に遭う

かもしれないことを見捨てることもできないんだろう。

でも。

の一番の葛藤は、そこじゃない。

それを言うべきかどうか迷って、結局反対しないと言ってくれたことに小さく礼を言って

口を閉ざした。

ここにはヴォルフラムもいるし、コンラッドにだって全部話したわけじゃない。コンラッドは

勘がいいし、ヴォルフラムの興味を煽るようなことは言わない方がいいだろう。

それから馬車の中は、港町に到着するまで静かだった。




「あー、疲れたぁ」

狭い個室の中でじっと座っていることは、予想以上に肩が凝った。馬車から降りてすぐ、

おれが大きく伸びをすると、後からコンラッドに支えられても馬車から降りてきた。

あれからもう一度コンラッドに頭を撫でられて眠りについたは、到着してから起こ

されてまだ頭がぼんやりしているようだった。

「有利、杖を使って」

でも、おれのことには気を回す。

「わかってるよ。心配すんな」

笑って振り返ると、ようやく少しぎこちなかったけれど、笑い返してくれた。

それにしても、椅子に座っていたおれでもこれだけ足腰が凝ったとなると、床で膝を抱え

ていた女の子はさぞや疲れているだろうと思ったのだが、やっぱりおれからは警戒する

ように距離を開けて俯いて立っていた。

「なあ、足は大丈夫?エコノミー症候群とかなってない?」

刺客の女の子はふいとそっぽを向いてしまった。それを見て、無礼だとヴォルフラムが

また怒る。今更問いかけを無視するくらい、無礼のうちに入るんだろうか。

「……エコノミー症候群って言っても通じないと思うけど」

「いや、そうなんだけどさ」

そっとおれが溜息をついていると、乗船する船に空き部屋がないかを聞きに行っていた

コンラッドが苦笑しながら戻ってきた。

「申し訳ありませんが、部屋に空きはないそうです。従って五人部屋ということで」

「うわぁ、三人部屋で五人か」

「だから暗殺者など連れてこなければよかったんだ」

不機嫌そうなヴォルフラムに一言。

この子より、お前の方がかさばるんだけどな。

口にして言ったら怒るから、心の中で呟く小心者なおれ。

「これなら本当に、ヴォルフも最初から人数に入れて二部屋とるべきだったかもしれま

せんね」

コンラッドは肩をすくめて笑うだけだ。

当初、は別部屋にするべきじゃないかと提案したおれに、コンラッドは警備の都合上

それはできないと言った。

おれととコンラッド。護衛ひとりに対して、護衛対象はふたりいるわけで、別部屋には

できないというその主張の正しさを認めて、おれも一緒だからまあいいかと思ったわけ

だけど。

「ちょっと待てよ、コンラッド。その場合、あんたは部屋割りをどう考えるわけ?」

「もちろん、へい……っと。坊ちゃんとヴォルフ、と俺ですよね」

「そんな部屋割り認めない!認めないぞっ!!」

「やだなあ、坊ちゃん。じゃあとヴォルフを一緒にするつもりですか?」

「うっ……」

おれが返答に詰まると、後ろでが溜息をついた。

「仮定の話で盛り上がってどうするの……」

そうだった。どうせ全員で雑魚寝なんだっけ。




船に乗ると、荷物を整理しておれたちは船の内部を把握するために散歩に出かけた。

デッキからキャビンまでと、キャビンからダイナーまで。あと、一応もしものときの非常用

小船までの道のりチェック。まさか今回も海賊と出くわすなんてことはないだろうけど、

経験は人を成長させるのだ。

一通り見て回ると、部屋に帰ってもすることもないので全員でぞろぞろとデッキまで出る。

すでに陸地は見えなくなっていた。

なぜか並んで欄干に腕を掛けて、見えなくなった陸地に向かって顔を向ける。

「船旅……船旅かー……今回は大丈夫だよなあ」

「まあ、前回の事件が特殊だっただけですから」

「こんなボロ船、好んで襲う海賊はいないだろう」

そうか、ヴォルフラムにはボロ船か。おれにはこれくらいが一般的なんだけどな。

今回は、お茶会や舞踏会なんてものは存在しない。なんて気楽な旅なんだ。

……刺客のことがなければね。

おれの隣で、じーっと海を見下ろしているには、やっぱりいつもの元気がない。

ちょっとだけ横目でヴォルフラムとコンラッドを確認すると、ふたりともぼんやりと海を

眺めていた。ヴォルフは微妙に顔色が悪い。一番向こうにいる女の子もだ。

おれは僅かにの方ににじり寄って、小声で話し掛ける。

「なあ、

ゆっくりとの視線がおれに向く。

は海賊の少年リックとは、普通に話せていた。

は直接その場面は見ていないけど、リックはおれにちょっとした傷を負わせた。その

手当てをしたのはだ。だけど今回のこの子は、おれを襲いはしても怪我をしたのは

おれの不注意からきたものだ。

だからきっと、どうしても拭えずに引っかかっている事は。

「大丈夫だよ、。この子は理由があったんだよ。だからさ、理由さえわかれば説得

できるかもしれないだろ?…………あの時とは違うよ」

音がしたのかと思うほど、一気にの顔から血の気が引いた。

失敗したと思う間もない。

紙のように白い顔色で、は身を翻してデッキを走って行ってしまう。

!?」

「追うなっ!」

慌てて後を追いかけようとしたコンラッドの腕を掴んで引っ張った。

勢いに負けておれが少し引き摺られたので、コンラッドは慌てて足を止める。

「陛……坊ちゃん、無茶しないでください!」

腕を掴んで引き起こされて、杖に寄りかかりながら自分の足で立つ。

「足は?痛めてませんか?」

「平気、平気。それより、のことはしばらくそっとしておいてやって」

「ですが……」

コンラッドとヴォルフラムは、おれとが走り去ったキャビンへ降りる階段とを交互に

見る。

「失敗したよ。が嫌がる話を無造作に出しちゃって。今追ったら、コンラッドにも八つ

当たりする可能性があるから」

「それくらい俺は別に」

「そうじゃなくて。喧嘩したおれ本人ならともかく、コンラッドにまで八つ当たりしたら、

落ち着いた後に、その事でも落ち込むだろ。だから追うな」

ということにしておけば、コンラッドは追わないだろう。

案の定、のことは気になるようだが渋々と追うのを諦めたようだ。

今はたぶん、それがコンラッドでも男は側にいない方がいい。

コンラッドと付き合い始めたし、の男性恐怖症もだいぶマシになったという考えが

甘かった。なんてダメ兄貴なんだ、おれ。

おれがこういう失敗をしたとき、それをフォローしてくれるのはお袋だった……。

家族を思い出して、おれは慌てて首を振ってその考えを思考の隅に追いやった。







珍しく、有利と噛み合いません。



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