ふたりで旅行なんてあるわけない。 待ち合わせ場所で隣に立つコンラッドを横目で見上げると、有利が来るだろう方向を じっと見つめて待っている。 コンラッドに温泉旅行を持ちかけられたとき、一瞬ふたりで行くのかと勘違いしたこと は言ってない。口を滑らせなくて良かった。危うくこれ以上ないくらいにからかわれる ところだった。 すぐあとに「ユーリのリハビリテーションのためにいい温泉があるんだ」という言葉が 続いて助かった。 でもコンラッド、それなら旅行じゃなくて湯治って言って欲しかったよ。 042.素っ気無い態度(1) 待っていたのは有利なのに、やってきたのはヴォルフラムだった。旅支度もばっちり。 「あれ、ヴォルフラムも一緒?」 聞いてないよと今度こそちゃんとコンラッドを見上げると、どうやらコンラッドにとっても 予想外のことだったらしい。 バレたかと呟いて苦笑している。 「ユーリが遠出するならぼくが同行するのは当たり前だろう。あいつは不貞で尻軽な へなちょこだからな。旅先で浮気などしないようにしっかり監督する必要がある!」 「……どちらかというと、有利は身持ちが固い方だと思うけど」 なにしろ彼女いない暦十五年。不貞のしようがないと思います。 目的地は人間の国だけど眞魔国とも中立地帯であるヒルドヤードの温泉地。そこの 湯に浸かれば、傷の治りも治癒後の負傷箇所の強化にもいいという。 中立地帯とはいえ、黒い髪や目は目立つもの。 わたしは例によって親友三人から誕生日プレゼントにもらった茶髪のウィッグを被り、 目の色はダテ眼鏡で誤魔化している。薄く色も入っているから大丈夫だろう。 ウィッグをクローゼットから引っ張り出したときは、親友たちを思い出して少ししんみり してしまった。もう四ヵ月も会っていない。 「それに、ウェラー卿ひとりでユーリとの両方の護衛は勤まらないだろう。ユーリ はぼくに任せておけ」 自信満々に言い切ったヴォルフラムには悪いけど、護衛ということだけに絞っていう なら、有利の護衛はコンラッドに任せたい。安全確保の優先順位は間違いなく有利 が至上なんだしね。 コンラッドと顔を見合わせて肩を竦めた。 「でも、これってパックツアーなんでしょ?いきなり人数が増えて大丈夫なの?」 「宿と船は、部屋さえ空いていれば余分に取ればいいだろう」 そうこう言っていると、遅れていた有利がようやくやってきた。 「わりぃ、ちょっと準備に手間取って」 「遅いぞ、ユーリ!」 「……な、なんで?」 予定外の同行者、ヴォルフラムの姿に驚いて杖を突きつつ一歩下がった有利の姿は、 はっきりいって不審者としか言いようがない。 ひとりで髪を染められないからピンク色の毛糸の帽子と、目の色を隠すための丸眼鏡 のサングラス。あれになまず髭を付けたら、マンガで誇張表現するときの怪しい中国人 みたい……。変装するにしても、もうちょっとどうにか道具はなかったのだろうか。 「婚約者を置いて行こうなどと何事だ!へなちょこのお前がよからぬ恋情に巻き込まれ たりしないよう、ぼくがしっかり監督してやる!」 「……へなちょこ言うな」 がっくりと肩を落とした有利に、わたしの方がちょっと呆れた。 「なんでと言うなら、有利になんでと聞きたいよ。せいぜい一週間ちょっとの旅なのに、 なんでそんなに荷物が多いの」 まさか一週間、全部違う服を着るなんて言うわけじゃないでしょうね?これくらいの旅 なら、服や下着は洗って着ればいい。冬物の服はかさばるのに。 足を痛めているくせに、自分の腰あたりまでありそうな大きなトランクを転がしてきた 有利から、荷物を預かろうとすると僅かに逃げられた。 「有利?」 「荷物なら俺が持つよ。さあ行こうか。こんなところでギュンターに見つかったら大変だ」 コンラッドが荷物を受け取って、ちょっと驚いたようにトランクを見る。なんの変哲もない トランクに見えるけどなにか気になることがあったのだろうか。 それよりも今のコンラッドの発言には問題がなかった? 「え、ギュンターさんにも秘密の湯治なの……?」 王佐に黙って城を空けるのはさすがにマズくない? 「心配ないだろう。ユーリの姿だけが消えたら大変だけど、も俺も、それにヴォルフ も一緒にいなくなれば、ちょっと抜け出しただけだとわかるさ」 つまり、内緒なのね。 ギュンターさんの日頃の言動を見る限り、有利が黙っていなくなるなんて、例えコンラッド が付いていようともちっとも大丈夫じゃないだろうと思うのはわたしだけでしょうか? 港町までは街の馬車を使うということで、血盟城を歩いて出発する。 コンラッドはさりげない仕草で、わたしの旅行鞄も当たり前のように持っていってしまった。 うーん、紳士だなあ。 「大丈夫だよ、。おれが置手紙してきたら」 「置手紙って……家出じゃあるまいし。なんて書いてきたの?」 「最初は『ちょっとリハビリに行ってくる』って書きたかったんだけどさ」 「じゃあ目的地は書かず……?」 「有名なリハビリ温泉なんだろ?いや、まあ結局リハビリってどう書けばいいかわかん なくてさ。じゃあ『城を出ます』にしようとしたら、城の単語がわかんねえの。最終的に 『家を出ます』って書いてきた」 ものすごく不安に駆られるお答えだった。 ちなみに、どういう文章かを杖で地面に書いてもらったら、正しくは「おれ、出る、家を」 という書置きだった。頭が痛い。 たぶん、一番頭が痛いのは主に脱走された挙句に、残された手紙が片言文法間違い という教え子を持った、王佐で教師のギュンターさんだと思うけど。 馬車を拾って御者に港町まで行くように指示を出すと、コンラッドはトランクに手をかけて 有利を顧みた。 「随分重いですけれど、一体なにを持ってきたんです?」 「えー?あー、うー、えー」 なぜか有利の目が泳ぐ。 ついでにわたしを見たときは、萎れたように床に項垂れてしまった。 「変なものを持ってきたの?」 「変じゃないよ……変じゃ……ああ!隠し切れるわけねえもんな。開けていいよ」 有利がピンクの毛糸の帽子を外して溜息をつくと、許しを得てコンラッドがトランクを開く。 転がり出てきたのは。 「暗殺者じゃないですか!」 赤茶の髪とオリーブ色の肌の少女だった。 コンラッドは笑いを堪えたような様子だったけど、わたしとヴォルフラムは瞬時に有利を 庇うように前に出る。 だけど少女は馬車の床に座り込んだまま、じりじりとこちらを警戒するように後退りする。 攻撃の意志はないようだった。 「自分を殺そうとした相手を連れ出すとは、お前はなにを考えているんだ!!」 今度ばかりはヴォルフラムに大賛成。 わたしとヴォルフラムに左右から睨みつけられて、有利は天井を見上げてそっと溜息を ついた。 「だってさ、この子を置いてきたら、怒り狂ったギュンターがなにするかわかんないだろ」 「お前を殺そうとしたんだ。その場で切り捨ててもおかしくはなかったんだぞ」 「だからさ!こんな子供が自分で暗殺なんて考えないだろ!?それなのに、この子に ひどいことしたって、仕方ないだろ!?なあ、!」 有利がわたしを呼ぶと、同時にヴォルフラムもわたしを見る。 ヴォルフラムは当然自分の主張を支持すると思っている目だし、有利は賛同して欲しそう な目をしていた。 だって。 この子は有利に殺意を向けた。武器を向けた。 だけど、ギュンターさんは市中引き回しだ、打ち首獄門だと叫んでいた。 この子に対して同情的なのは有利だけで、その有利がいなくなれば、この子がどういう 形の尋問を受ける事になるか。 それはわからない。 だけどこの子は、有利に危害を加えようとしたのに。 わたしが少女に目を向けると、ひどく震えて怯えたように馬車の端まで後退りした。 怯えた子供は、つらいことを思い出させる。 わたしが返事もせずに腰を浮かすと、少女は馬車に壁板に手をついてそこに身体を押し 付けるようにして、一ミリでも距離を開けようとする。 それに見向きもせずにコンラッドの隣に移動して、横からぎゅっと腰に抱きつくように顔を 伏せた。 「……」 有利の戸惑う声は聞えたけれど、顔を上げる気になれない。 「寝る」 あの子は今、武器も持っていないし、攻撃の意志もない。ヴォルフラムもいるし、有利に 危険はないだろうとコンラッドに抱きつくと、優しく頭を撫でてくれた。 「港町についたら起こすよ」 どう返事をしたらいいのか、言いたい事も考えもまとまらない。 だって、あの子は有利にひどいことをしようとしたのに。 だけど、まだ子供で、有利の言うように全部自分で考えて行動したとは思えない。 少なくとも、徽章をあの子に渡した人がいる。 わたしはね、有利。 慈愛の心を持って、仇に優しくすることなんてできないの。 有利のように、優しい強さは持っていない。 だけど、じゃああの子が処刑されればいいとも思えない。 中途半端だ。 だから、有利に賛成できないし、ヴォルフラムも支持できない。 罪を憎んで人を憎まずって、難しい。 |
頷くことも、否定することもできません。 |