暗殺されかかったり、怪我したり、そのせいで杖生活になったり、おれがあんまり落ち

込むものだから、コンラッドが気晴らしにと城から連れ出してくれた。

コンラッドはも連れて行こうと思っていたらしいが、おれが暗殺されかかるという

場面を見て、精神的ショックで疲れていたのを見て断念して、ベッドに送ってきたらしい。

今頃は部屋で眠っているだろう。

相手は小さい子供だったけど、あれは色々と悪条件が重なりすぎた。

武器はナイフで、朝焼けと夕焼けの差はあるけれど、空はまだ赤い色に明るかった。

コンラッドは純粋に今回の件でショックを受けたのだろうと思っているけど、本当は違う。

今だけは、おれが居ない方が気持ちも和らぐだろうと、おれもを置いて城を出る

ことに異論を唱えなかった。





041.抉られた古傷(3)





街を抜けてから三十分くらい馬で走ると、休耕中の田畑地帯が終わって連山への一本道

になった。整備された道を馬で登る。だけど周囲はみんな足で山を登っていた。

「子供も歩いてる。おれも歩きたいよ」

「捻挫が治ったら、そうしましょう」

コンラッドは振り返らずに、気軽そうに聞えるように付け足す。

「大丈夫、今だけです。ちゃんと治りますよ」

「……判ってるけどさ」

それでも、不安になってしまうものはどうしようもない。

ギーゼラの処置は完璧らしく、痛みはもうない。それなのに杖を常備という状態が、むしろ

不安を煽ることになるとは思わなかった。魔法の治療となんて縁がなかったからなあ。

冬の日差しでも昼には緩やかに気温も上がり、ダウンジャケットを着ていると少し汗ばむ

ほどだった。

ちょっとだけの外出だったから、髪も瞳もフードを被ってごまかしているだけだ。

小一時間ほど山道を行くと、急に常緑樹が途切れて視界一杯に冬の空が広がる。

「さあ降りて。足に負担を掛けないように」

使い慣れない杖をついて左足に重心を置いて歩く。まあなんとかなりそうだ。

「気をつけて。ちゃんと喉笛一号を使ってください」

「判ってるって」

ギュンターが側にいると目立たないけど、コンラッドも結構な心配性だ。おれと限定

のようだけど。

「山頂にくると、やっぱり山びこだよな」

杖を突きつつ展望台になっている柵まで歩み寄る。

だがここでも、異文化を実感することになる。

「やっ……」

「うっふーん!」

隣の子供とほぼ同時。なにが起こったのか驚いて続きのほーがでなかった。山頂では

子供の一声を皮切りに、あちこちで声が上がってうっふん天国になる。

「一体これはどういうこと?」

「頂でのメジャーな掛け声なので。日本ではどんな感じですか?」

「やっほーだよ」

「それはまた色気のない」

「山頂でだれに色気をふりまくんだ」

魔族の考える事はよくわからない。それともこれは眞魔国特有じゃなくて、この世界共通

なんだろうか。

ひとしきり叫んで子供は気が済んだのか、振り返って両親らしき男女の元へ駆けて行く。

「……あれくらいだったよな」

赤い巻き毛を揺らして、走ってきた子供。

ナイフを構えて。

おれの言いたい事は簡単に伝わってしまうらしく、コンラッドがあやすようにおれの頭に

手を置いた。

「今、背後関係を調べています。ユーリの仰るとおり、手荒な真似はさせませんから安心

してください」

「うん」

まだ十歳くらいの子供だった。あんな子供が、暗殺なんて考えつくとは思えない。

だれかに利用されているのなら、酷いことはしたくない。

おれがあの子くらいの頃は、野球漬けの毎日だったと思う。

今まで通りに走れるようになっていて、スライディングも平気でやった。おれの怪我に

過敏に反応していたも、もう小さな傷では騒がなくなっていて……。

ああそうだ、おれはもっと酷い怪我からもちゃんと治っていたんだ。

のことですが……」

一瞬、コンラッドはおれの心が読めるかのと思ってびっくりした。

だけど、そんなはずはない。話題を切り出すタイミングをずっと計っていたんだろう。

「あなたを心配するのはいつものことですが、少し様子が変だったような気がします」

「ああ、だろうね。あんなの見ちゃね」

「ですが……こう言ってはなんですが、今回以上に危険なことは今までもあったでしょう」

「だけどは直接見てないだろ?ヴァン・ダー・ヴィーアでの闘技場には来てないし、

スヴェレラでもおれが上様モードに突入してから駆けつけたって話だし」

「ええ……」

コンラッドは微妙に納得しづらい顔で頷いた。実際、納得なんてしてないだろう。

「……ナイフが悪かった」

「え?」

はナイフが嫌いなんだ」

「ですが、ニッポンでも剣術を習っているのでしょう?」

「料理が好きだから、包丁だって使っているよ」

コンラッドはますます困惑した顔でどういう意味かと訊ねたそうにしている。

これを言うとコンラッドは過剰反応しそうだったから、あんまり言いたくなかったんだけど

なあ。

でも、コンラッドはの恋人だ。心配なのはわかる。




諦めて、フードの下に手をつっこんで、髪を掻きながら隣のコンラッドにも聞えるか聞え

ないかの小さな声で呟いた。

「前にね、おれがナイフで斬られたことがあって……はそれを側で見てたんだ」

「斬られた!?あなたがですか!?」

爽やかな山頂で、常にないコンラッドの焦った絶叫に周囲が何事だとこちらを窺う。

斬られただなんて、物騒な単語もよくない。

おれは慌ててコンラッドの袖を引いて展望台の端まで移動した。

「一体どういうことですか!?ニッポンは安全な国だと……っ」

「ああ、落ち着いてくれよ。そうだよ、世界中でも指折りの安全大国だよ。まあ最近はその

神話も崩れてるとか言われているけどね。それでも基本は銃も剣も魔法もない国だ」

「ですがあなたは斬られたと……!」

「だから声を落せって。言っただろ、斬られたって言ってもナイフだよ」

滅多に取り乱さないウェラー卿が周囲を憚ることを一瞬でも忘れるとは、思っていた以上

にギュンターに近かったのかもしれない。

元々コンラッドは過保護だったけど、と付き合い始めてからは、ばっかりになるん

じゃないかと思っていたから、おれとしては不謹慎ながらも、ちょっとだけ嬉しかったりする

けどね。

「なんていうのかな、ちょっと変な奴っていうのは安全大国にだっているもんなの。おれは

右足のふくらはぎを少し斬られて……考えてみれば今回よりあのときの方がずっと大きな

怪我だ。それでもおれが普通に走っているのも知ってるだろ。すぐに完治するくらいの怪我

だったんだよ」

おれの怪我はそんなものだった。

血を流す、という意味ではなかったけれど、あの時はの怪我の方がずっと大変だった。

そのおかげというのも変な話だが、それでおれにはあの件がトラウマになるだけの暇が

なかった。

おれは、を最悪の事態から守れたことに誇りを持てた。

でもは。

心の傷は、目に見えないだけに深刻なときがある。あのときのはまさしくそうだった。

恐ろしい目に遭って、目の前でおれが怪我をして。

どれだけ傷ついただろう。

「おれの怪我に、はずっと責任を感じていた。おれがを庇ったから斬られたと思って。

気がつけば居合いとか、弓道とかもやり始めるし……」

が超武闘派になってしまったのは、半分くらいはおれのせいとも言える。

「……それで、はあんなにあなたを守ることにこだわるんですね……?」

「まあね。今度は絶対におれを守るんだと決めているみたいで……おれの兄貴としての

立場はどうなるんだ」

「兄と言っても、双子じゃないですか」

「双子だって兄貴は兄貴だよ!はね、おれの可愛い妹なの!守るのは当然なの!」

わけのわからない癇癪を起こして憤慨するおれに、コンラッドはようやくちょっとだけ笑った。

「あなたもも、今よりずっと幼い頃に大切なことを決めていたんですね」

「ああ、そうだね。これだけはずっと変わらない。あ、サンキュ」

温まりますよ、と渡された銀のコップに入った琥珀色の液体をなんの疑問も持たずに口に

含んだ。

「さ、酒じゃん、これ!」

うっかり飲んでしまって、口の中が辛い。こんなのが美味いという親父たちの気が知れない。

そういえば、ヴォルフラムもよくワインを飲んでたっけ。

「もうすぐ十六歳なんだから、そろそろ慣れておかないと」

「酒は二十歳になってから!」

「日本ではそうでしたっけ」

「え?ああ、そうか。ここでは十六歳で成人だっけ?でも魔族で十六歳って……」

実年齢計算方式でいけば、三歳とちょっとくらいだ。まだ幼稚園にも行っていない。

「子供の頃はさすがに成長も少しは早いですよ。それでも、ヴォルフラムなんて由緒正しい

純血魔族だったから、まだまだ子供でしたけどね。そうだな、ちょうど今日の自称ご落胤の

女の子くらい」

「女の子だったんだ?」

「気付かなかったんですか?」

残念ながら、モテない暦十五年の野球小僧はこんなものだ。眞魔国一のモテ男とタメを

張れるはずがない。

「十六歳で、重要な決断をするんだっけ?」

「そうです。十六の誕生日に、自分がどう生きるのかを決めるんです。軍人として誓いを

立てるか、文民として繁栄を担うか、決めなくてはならない事項は人によって様々です」

その成人を迎える前におれはある意味、一番重要な決断をしている。

なんたって、魔王に就任しちゃったんだから。

「グウェンもヴォルフも、両親のどちらの姓を名乗るか選ばなくてはいけなかった。俺も

魔族の一員として生きる事を決めました。人間の側ではなく」

気軽な声には後悔なんて微塵も感じられず、おれは密かにほっと息をついた。

コンラッドがおれの絶対的味方だということはよく知っているけれど、同時に自分がどう

しようもないへなちょこ魔王だということも、嫌というほど知っている。

コンラッドがおれに愛想を尽かして他国へ行きたいと思っても、引き止める術がない。

コンラッドの色ボケを期待して、で釣るというのは王としていかにも情けないしね。

「じゃあおれも、早く十六になんないと」

「何故?」

おれが頑なにまだ十五歳だと言い張っていることを知っているコンラッドは、驚いたよう

に軽く目を見張った。

「……形だけじゃ意味ないけどね。いつまでも半人前だと、ギュンターが困ってそうだ」

「そんなはずがアラスカ」

おれの苦笑を否定したその爽やかな笑顔に似合わぬセリフに、一瞬呆然としてしまう。

「………は?」

おれが聞き返したと思ったのか、コンラッドは再び口を開く。

声が発せられる前に、慌てて割り込んだ。聞きたくない。

二度も聞きたくないぞ!

「もう言わなくていい!ホントにいいからっ!」

「元気がないようだから、笑ってもらおうかと」

やっぱりギャグだったのかよ!?あのステッキもネタだったのか!?

こんな非の打ち所のない奴がいるものなのかと、常々思ってはいた。顔も性格も声もよく、

腕が立って気の利いたことがサラリと言える。影のある過去を抱えながら、現在は笑顔も

爽やかに完璧な好青年。

欠点らしい欠点もなく、無理やり強いて上げればのことでは嫉妬深いくらいかと思って

いたら!

そうか……本当の欠点は、壊滅的にギャグが寒い事だったのか……。というより、すでに

ギャグとして成立していないと思うのはおれだけか?

ちなみには、コンラッドの嫉妬深さも愛情表現だと信じている。まあ、付き合い始めだ

からアリなんだろう。ずっとこれだとたぶん鬱陶しい……と思うけど、は嫉妬深い奴の

相手はおれや勝利で慣れている。案外平気かもしれない。

「とにかく、おれは元気だから笑わせようなんて考えなくて良い。今後一切まったくだ!」

「手厳しいなあ。でも元気だというなら、安心して誘えますね」

「誘うって?」

悪戯の計画でもするように、コンラッドは腰を屈めておれの耳元で小さく囁いた。

「リハビリテーションに」

間違いなく裏なんてない笑顔なんだけど。

普段はカッコ良いくせに、ちょっとした悪戯心も忘れない男なんて。

がここにいたら、この男にますます惚れ直していたかもしれない。

いなくてよかった。







やはりコンラッドのこのギャグだけは外せない…(^^;)



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