自分が暗殺なんて穏やかじゃないことに巻き込まれるなんて、一介の高校生にはあり えない事態だ。 いや、おれは魔王なんだけど。 呆然としながらも、小さな子供を打ち首だ市中引き回しだと騒ぐギュンターを宥めようと 立ち上がったら、右足首に強烈な痛みが走る。 「あいたっ」 おれの側で呆然とどこかを見つめていたが、びくりと震えてすごい勢いで振り返る。 「有利!?どこか怪我したの!?」 「え?えっと、強いて言えば右足が……」 強いて言わなくても、ズキズキと段々熱をもって痛みが強くなってきた。 「ああ、捻ったのかもしれませんね」 コンラッドはがいるのとは反対側からしゃがみ込んでおれの右足を触る。 「参ったな、軸足の方か……いてっ!」 「すみません、捻挫だけかどうか確かめようかと」 コンラッドがおれの悲鳴に眉を下げて謝った。 ギュンターが有能そうなきりりとした声で言い放つ。 「この国最高の名医を、大至急、王城に呼ぶのです!」 同時にコンラッドはおれの足の状態を見ながら、ごく普通に告げた。 「ギーゼラを寄越すように言ってくれ。それと、その子には見張りをつけろ」 どっちの命令が妥当かは言うまでもない。 子供を小脇に抱えて走り出した兵士が、気付いたように入り口に転がっていたナイフも 取り上げて部屋を出て行った。 そうか、はあれを見ていたのか。 041.抉られた古傷(2) 白衣の天使が駆けつけてくれるまで、はずっとおろおろとうろたえていた。 コンラッドはともかく、ヴォルフラムですら呆れるくらいに。 「有利、大丈夫?傷は痛む?」 「平気だよ。ちょっと捻っただけだから」 「ああ、陛下!お労しい!代われるものならこのギュンターが替わって差し上げたい」 「ギュンターはともかくまでなんだ。ちょっと捻ったくらいで、そんな倒れそうな顔 をするな」 「だ、だって……」 ぎゅっと眉を寄せて、は床に視線を落す。 「なんですかヴォルフラム!陛下がお怪我をなさったのですよ!殿下のご心配は当然 でしょう!」 「そう興奮するなギュンター。お前がそうだとの不安を煽る」 コンラッドは呆れ顔でギュンターをたしなめた。 が急に顔を上げる。 「そうだ、有利の怪我を治さないと……」 「よせ、。今頃ギーゼラがこちらに向かっている。お前程度の実力では、そんな 取り乱した状態で魔術が使えるはずないだろう」 この四ヶ月、コンラッドには道場に通えない代わりに剣術を、ヴォルフラムには魔術を 教わって、はおれよりずっと自由に魔術を使えるようになってきた。でも、あくまでも おれよりは。 まだまだ初心者の域を出ていないとヴォルフラムが首を捻っていた。 最初から要素と盟約を結んでいるほどの実力があるのに、と。 剣術は日本でもやっていたから最初からそれなりに扱える。コンラッドは困ったものだ とぼやいていたけど。 ギュンターが教鞭を取る勉強の方も順調に進んでいて、自分の教え方がいいのだと 胸を張っていた。もちろんを褒め称えることも忘れていなかったが。 ヴォルフラムが面倒を見ている魔術の取得だけが、なぜか遅れているらしい。 おれとしては、ギュンターの教える文字や文化の勉強は、内容こそまったく違うが地球 の勉強とやることは変わらないから、やりやすいんじゃないかと思うけど。 だけどヴォルフラムは一度だけ気になる事を漏らした。 「は魔術を覚えるつもりがないような気がする。拒否しているというか」 そのときは、それなら自分から積極的に教わりに行かないだろうと笑って聞き流した。 ヴォルフラムもそれはそうかと納得したけれど。 「失礼致します」 部屋の外から声が聞えて、思考を中断して顔を上げると女の子が入ってきた。 緑色の髪と青白い肌。確かギュンターから聞いたところによると癒しの手の一族。 コンラッドが場所を譲り、代わっておれの右足を診察する。 「大丈夫です、単純に捻っただけですね」 その診断結果に、はようやく安心したように息を吐いた。 「……あれ?どこかであったことある……?」 安っぽいナンパみたいなセリフを吐いたおれに、女の子は柔らかく微笑んだ。 彼女いない暦十五年のモテない野球小僧には目に毒なくらいに綺麗な笑顔だ。 「畏れ多くも陛下はわたしの仕事場で、お手を汚してくださいました。それも敵味方の 区別なく、慈悲深いお心で」 「ああ!あの野戦病院の!」 かなりの誇張表現ではあったけれど、確かにこのギーゼラという子はおれが初めて この世界に呼ばれたときに、あの野戦病院で働いていた女の子だ。 安っぽいナンパにならなくてよかったと安心していたら、の小さな呟きが聞えた。 「敵……?野戦病院?」 ……しまった。あのときの事は、いまだにに内緒にしていたんだ。 初めてのスタツアのときは、はこっちに来ていなかった。 おれはそのとき、国境付近の紛争にのこのこ出向いて行ったのだ。に言えば どれほど心配させて、どれほど怒らせることになるかわからなかったから、そのこと は伏せておいたわけだけど。 ギーゼラはそんなにはもちろん気付いておらず、おれの右足を膝の上に置くと 左手を握ってくる。 「初めてお会いしたとき、それは驚きました。高貴なる黒を髪にも瞳にも宿されたお方 が実際にわたしの目の前にいらして、魔族と人間の分け隔てなく治療にお力をお貸し くださるなんて」 「治療……」 の声が一段と低くなる。 真相をに知られたらと怯えたおれは、身体の異変に気付くのに少し遅れた。 いつの間にか、脈打つような踝の痛みがかなり治まっている。それと一緒に身体中の 熱が一直線に腕に集まり、握られた左手から彼女の掌に移っていくようだった。 「どうなってんだろ……痛みも腫れも引いていくみたいだ」 の追及した気な視線から逃れるためだけでなく、本当に素朴な疑問だ。 「これがわたしたち一族の魔術なんです。患者に触れ、相手の心に語りかけながら、 肉体と精神の奥深いところに呪文を囁いて、治癒の速度を何倍にも上げていく…… そのためには何よりも患者自身の治ろうという意志を引き出して、気力を与えること が重要です」 「すげぇ、ほんとだ!どんどん治っていく。これは便利だよな、チームにひとりいれば、 試合のときなんか重宝するし」 そういえば、はグウェンダルの傷を治したことがあるんだっけ。 「陛下のお力をもってすれば、このくらいの術は容易いことです」 「ええー?おれなんて水の蛇や骨の大群や泥の人形が精々だけど」 ギーゼラの顔一杯に疑問符が広がった。そりゃそうだ、目撃者にしかわかるまい。 がずっとおれに付っきりなので、コンラッドは部屋をうろつくギュンターを宥めること にしたらしい。 戸口からイライラしているギュンターと、それを扱いかねて辟易しているコンラッドとの 会話が聞えた。 「本当に陛下のお怪我をギーゼラごときに任せていていいものか。やはりこの国一番 の名医を呼んでくるべきでは……」 「落ち着けと言っているだろう。ギーゼラは打ち身から重度の刀傷まで今まで治療して いるんだ。捻挫くらいなら彼女に任せれば間違いない。自分の娘を少しは信じろよ」 コンラッドが大変そうだったので、おれも床に座ったままで援護する。 「そうだぞーギュンター。女医さんなんて、男の憧れシチュのベストスリーには入るんだ からな。例えそれがあんたの娘であろうと―――娘ぇ!?」 おれが長いノリツッコミで絶叫しながらを見ると、も驚いたようにギュンターと ギーゼラを交互に見ていた。 だって、ギュンターの娘がこんなに大きいなんて……。ああいや、でも魔族は見た目 の五倍の年齢だっけ。 「ええぇー!ギュンター結婚してたのかよ!?ずっと城にいるから気付かなかった! なんだよ、言ってくれれば休みくらいあげるのにさー。家族サービスも大事だぞー。 最近はおれだってちょっとはどうにかできるようになってきたんだから……」 いや、家族がいなくても休暇は絶対必要なんだけどさ。 考えてみれば、おれがギュンターに会わなかった日はないと思う。仕事じゃなくても 必ず一日一回は見かけているような。労働基準法で訴えられそうだ。 だがそんなおれの気遣いに、逆にギュンターはぎょっとするような状態になっていた。 両肩を脱臼したみたいにぶらつかせ、滂沱の涙と鼻水を流している。 おれの隣でが見事に引いていた。またひとつ、ギュンターに関するのトラウマ が増えた。 「なぜそのような意地の悪い事をおっしゃるのですか……」 「え、なんで!休暇ってサラリーマンは大好きだろ!?学生だって大好きだけど!」 「結婚などしておりませんーーーー!!それに陛下とお会いできない日のことなど、 考えたくもありませんっっ!!!」 詰め寄らんばかりのギュンターに、は小さく悲鳴を上げたけど、頑張ってその場に 踏み止まった。 どちらかというと、逃げ出したいけどおれを置いては行けないという感じで、床について いたおれの右手を震える手で握り締める。 の様子を見て、コンラッドがギュンターの肩を掴んで引き戻した。 「え?結婚してないって、じゃあシングルファーザー?まあ、離婚の一回や二回、男の 勲章とかいうしな」 「離婚もしておりませんーーーっっ!!私は陛下一筋ですのにぃぃぃ!!!」 「養女なのですよ」 取り返しのつかないほど崩壊した父親を尻目に、娘はごく自然に落ち着いた声で答え を教えてくれた。 「幼い頃に父親が亡くなり、母も病弱だったので、きちんとした高等教育が受けられる ようにと、閣下の母上が縁組みしてくださったんです」 「な、なるほど」 でも養女でも、家族なのには変わりがないわけで、家族サービスってやっぱり必要 なんじゃないの? 「さあ、これで治療は終わりました。あとは半月ほど、安静になさってください」 「え!?治ったんじゃないの!?」 「身体に無理をさせたわけですから、自然治癒したときよりは脆くなっています。大事 をとるにこしたことはございません」 ギーゼラは杖を取り出しておれに手渡す。 「歩くときはこれをお使いください。名前は喉笛一号」 「は?杖に名前が?」 持ち手がT字型になったそれは、うちの祖父も愛用していたものと似ている。つまりは 老人用ステッキ。 「がーん、若くしてステッキ生活」 「英国紳士みたいでステキですよ、陛下」 コンラッドがギャグなのか慰めなのか、微妙な事を口にする。もしもそれがギャグなら 五点だぞ。……百点満点中でな。 せめて仕込み杖だとか、座頭市を期待したおれが持ち手を引いてみると、しゅぽんと 抜けて刃ならぬ造花が現れた。 「お見事です!」 座頭市じゃなくて、マジシャンだった。 |
細かい差はあれほとんど原作通りなんですけれども…… なんというかギュンターが……(^^;) |