「……おはよう、」 部屋の前で待っていたら、いつものようにコンラッドに非常に微妙な顔をされた。 「おはよう、コンラッド。今から有利のところだよね」 「……俺が迎えにくるまで、部屋の中で待っていてと何度お願いすればわかってくれるの かなあ、このお姫様は」 「だから勝手にふらふらしないで部屋の前で待ってるんだよ。いいじゃない、ひとりで有利 のところまで行っちゃうよりは」 「でも、廊下は寒いだろう」 「平気」 本当は、廊下の角を曲がってくるコンラッドの姿を見るのが好きなんです。わたしを見つけ て、なんとも言えない表情をするのを見たくて。 コンラッドがこの状態に慣れてしまって、普通に笑いかけるようになったら残念だろうなあ と思いながらも、有利の部屋までのほんの短い距離をコンラッドの腕に抱きつくように手を 絡めて歩き出した。 「やっぱりちょっと冷えちゃった」 くっついたことを言い訳すると、コンラッドは軽く苦笑して髪にキスを落としてくれた。 王族プライベートフロアなのでほとんど人がいないからこそできることだけど、コンラッドを 完全に独り占めできるこの短い時間がとても好き。 040.笑顔をください ちなみにそんなベタベタした態度は有利の前では取らない。だって有利が怒るから。 怒らなくても機嫌が悪くなるといいましょうか。 有利の部屋の前でコンラッドから手を離すと、一応ノックして中に入る。有利が起きて いるときもあれば、まだ寝ているときもあって、今日は眠っているようだった。寝室続き の間にはだれもいない。 そのまま部屋を突っ切って、寝室に乱入した。 ベッドにはふたつの人影が。 「いいなあー……有利と一緒に寝るの、羨ましい……」 わたしがヴォルフラムに羨望の視線を注いでいる間にも、コンラッドは有利を起こしに 移動する。 「陛下……」 「うう……バンドウエイジのばかやろー……」 有利を揺すろうとしたコンラッドの手がぴたりと止まる。ちらりとわたしを見て、それから 予定通りに有利を軽く揺すった。 「起きてください、陛下」 「……へいかって呼ぶな。名付け親のくせに」 有利は寝起きがいい。夢を見ていたくらいだから眠りが浅くなっていたのだろうけれど、 寝起きすぐでいつものセリフが出てくる。 「失礼、つい癖で。もう三番目覚まし鳥が鳴きましたよ」 「嘘っ!?」 有利は飛び起きようとして上手くいかずに苦しそうに足掻く。そりゃね、ヴォルフラムの 手足が絡まっているんだから起き上がれないに決まっている。 そんな様子を扉にもたれて眺めながら、少し寒くて手を擦り合わせた。 わたしたちが眞魔国に来て、もう四ヶ月になる。眞魔国の暦では冬の第一月。 いくらわたしでも、さすがにコンラッドの側にいることだけを無邪気に喜んでいるわけに もいかなくなってきているから、有利はもっと切実だろう。 バンドウエイジは、四ヶ月前に有利をプールに落としてくれたイルカの名前。正しくは バンドウくんとエイジくん。別々の個体。 あんまり口にこそしないものの、有利は今でも地球に帰りたがっている。わたしだって、 さすがに日本に帰りたい。 お母さんやお兄ちゃんやお父さんや、友達にだって会いたい。 それでもやっぱり、有利ほどつらくないのはわたしが薄情だということなんだろう。 有利とコンラッドがいるから……焦りはしても切実じゃない。 「ここをお開けください、どうして私を入れてくださらないのですか陛下ー!!」 後ろで扉を激しく叩く音が振動と共に響いて、驚いて扉から飛びのいた。 ぼんやりしていた。 いつの間にか有利はこちらで作ってもらった特製の緑色のジャージ風の上下に着替え ていて、ようやくわたしに気付いたらしく苦笑する。 「おはよう、。元気か?」 「おはよう、有利」 元気なのかとは、むしろ有利に聞きたい。 そういう気持ちが顔に出ていたのか、有利は複雑そうな表情をして俯いた。 「さてと、ギュンターがうるさいし、走りに行くか」 誤魔化すようにそう言って、鍵を開けると俯いたまま扉の前にいたギュンターさんには 「走ってくる」とだけ言って部屋から出る。 わたしとコンラッドがそれに続いて廊下に出ると、後ろからヴォルフラムを叱るギュンター さんの悲鳴が聞えた。 この四ヶ月、有利は頑張って立派な王様になろうと努力している。 日本に帰れないことを悩みながら、この国のことだって大事にしたいと思っている。 いい加減に有利を日本に帰してあげて欲しい。 有利とコンラッドの後ろを走りながら、その背中を睨みつけるようにして眞王陛下に心の 中で悪態をついた。 本当に睨み付けたいのは、眞王という存在なのだ。 四ヶ月も経った今も、わたしは一生日本に帰れないとは思っていない。有利に言うと、 きっと有利を慰めようとしているとか、つらすぎて現実逃避しているとか言われそうで 黙っているけど、それは違うと断言できる。 だけど断言できる理由を理屈では説明できないから、結局口を噤むしかない。 眞王廟へもこっそり行ってみた。 有利やコンラッドに知られると、やはり日本に帰りたいんだろうと言われそうだったから、 ちょうど血盟城へ来ていたグウェンダルさんに付き合ってもらってこっそりと。 そして聞いた話は、ウルリーケさんにもどうして眞王陛下が応えてくれないのかわから ないということだけだった。 おまけにその時は、城に戻るとこっそり抜け出していたことがコンラッドにバレていて、 ものすごく絞られた。危うくグウェンダルさんが正直に眞王廟へ行っていたと言いかけた から、気晴らしに街への買い物に付き合ってもらったのだと説明したらコンラッドの機嫌 はますます悪くなって、グウェンダルさんとふたりでどこかへ行ってしまった。 そういえば、あれ以来グウェンダルさんとは会っていない。 それでもときどきグウェンダルさん作のあみぐるみが届けられるから、お礼の手紙は出し ている。 そのままなんとなく文通状態になっているので、わたしの部屋は着々とグウェンダルさん の第二のあみぐるみ置き場になってきた。自分でリクエストしたのもあるけれど。 いつものコースをぐるりと走って、城に戻る頃は冬の寒さに凍えていた身体も十分に暖ま っていた。 タオルで汗を拭いながら、朝食の前にお風呂に入ろうと有利とそれぞれ自分の部屋へ 着替えを取りに行こうとしたら、通りかかった謁見兼執務室から騒ぎが聞えてくる。 「まだ揉めてんのか、あのふたり」 根本原因の有利は人事のように呟いて、ちょっとだけ部屋を覗いた。 「陛下っ!」 すると、執務室には大騒ぎしているふたりの他にもうひとり、訪問者がいた。 スヴェレラから一緒に戻ってきたニコラさんだ。 臨月も近くなってきて、お腹の子は順調に育ってきているらしい。喜ばしいことだった。 「ニコラ、来てたんだ」 「グウェンダル閣下が直轄地を通る用事があるとかで、連れてきてくださったの」 ニコラさんはにこにこと、わたしにも笑顔を向ける。 「殿下もお元気そうでなによりです。コンラート閣下も」 「はい、ニコラさんも。もうかなり大きくなりましたね。触ってもいいですか?」 「ええ、もちろんです」 許可を得て、ニコラさんのお腹にそっと触ってみた。うーん、この中に人がひとり入って いるんだよね。凄いなあ、生命の神秘って。 おっかなびっくりでお腹を摩っていると、ニコラさんはコンラッドにとんでもないことを言い 出した。 「殿下とのご結婚はまだなんですか?」 「うーん、それがなかなかね。殿下がまだ成人されていないので、陛下から許可が下り なくて」 四ヶ月前、やたらと気になる視線を送ってきたニコラさんだったけれど、どうもあのとき はグウェンダルさんとの仲を疑っていたというのだ。どうして? まあ今ではその誤解も解けて、わたしの恋人がコンラッドだと納得したらしいのだけど、 納得したらしたで、今度はこうやって結婚はまだかと会うたびに聞いてくる。 どうしてそんなに結婚させたがるの……? わたしだってコンラッドと結婚したくないわけじゃないけれど、人生初の彼氏ができて まだ半年も経っていないのに、結婚というのは一足飛びに飛びすぎだと思うのです。 素直に恋人期間を楽しませてくれませんか。 聞えない振りでお腹を摩り続ける。 「婚約者はあくまで婚約者です!婚姻の契りを交わす前に夜を過ごすとは、なんという 破廉恥な!」 取り乱したギュンターさんの声に、ぎくりとしてニコラさんのお腹を撫でていた手を引っ 込めた。 ここにこうして、できちゃった婚(正式にはまだ婚姻していない)の人がいるというのに、 大声でそういう主張はどうなの、ギュンターさん。 「さすがはもうじき百五十歳。おそろしく前時代的な言い分だな!」 ヴォルフラム、今時の若者の主張。 ギュンターさんの発言にはいささか顔をしかめたものの、実のところ友達からは考えが 古いと言われるわたしとしては、大筋ではギュンターさんの主張に賛成だったりする。 まあね、結局のところ一番大事なのは当人たちの気持ちだと思うから、幸せなら細かく 言うこともないとは思うけれど、我が身で考えるとやっぱり結婚を先にしたいかな。 恥ずかしいというか、怖いというか。 むにゃむにゃと微妙な気持ちでコンラッドを横目で見上げると、なにかを勘違いしたのか 笑顔で手を握ってきた。 まるで「大丈夫だよ」と言われているようで、ちょっと居たたまれない。 ごめん、コンラッド。わたしはたぶん、あなたの考えの百八十度反対のことを考えている と思います。 有利と目が合った。 有利はわたしのそういう意味での古さを知っているから、気の毒そうにコンラッドを窺う。 その視線にコンラッドは気付いていないけど。 わたしとコンラッドがそんなことになっちゃったら、それはそれで怒るくせに。 |
明日マの始まりです。 勘違いしているコンラッドが妙に可哀想というか、可愛いというか(笑) |