「コンラッドって昼間も有利の護衛をしているのに、晩もしてるの?」 階段を下りながらいつ眠っているのだろうと心配になって訊ねると、柔らかな苦笑が 返ってきた。 「たまにね。基本的には俺は日中の護衛なんだけど、今日は特別」 「特別?」 「だって、の部屋だったから」 だめだ、その笑顔だけで頭がくらくらする。 037.厄介な副作用(2) 今までのわたしは、どうやってこのキザなセリフを流していたのだろう。 いえ、今までだって平気で流していたわけじゃないけど。 こんな嬉しくて恥ずかしくて、大声を上げて逃げ出したい気分になんてならなかった! コンラッドって、わたしのこと好きだとか言うけど、いつもすごい余裕があると思う。 経験の差なのか、自信の差なのかわからないけど。 「」 呼ばれて見上げると、コンラッドはなぜか笑いを堪えている。 「元気になったみたいでよかった」 はて一体なんのこと、と思ったのは今の状況でいっぱいいっぱいで、昨日コンラッドと どんな別れ方をしたのか覚えていなかったからだ。 コンラッドは楽しそうに、指先でわたしの頬をつついてきた。 「さっきからひとりで百面相」 「なっ…………」 つつかれた頬を抑えて、コンラッドから飛びのく。 百面相って……どんな面白顔をしていたの!? 今から……今から、すごく真面目な話をするのに! 思わず近くにあった柱に抱きついて嘆く。なんでこう、大事なときにまで締まらないん だろう。 肩を指先で叩かれて、振り向くとなぜかコンラッドは両手を広げていて。 「抱きつくなら、柱なんかじゃなくて俺にして欲しいな」 馬鹿なこと言わないで!という言葉が喉まで出かかったのに、音になることはなかった。 言葉にならない抗議は諦めて、早く人気のないところに行こうと柱から離れて身を翻す。 「?ひとりで先に行かないでくれ」 これ以上、面白行動をしてコンラッドに笑われるのは耐えられない。せめて話を、話を すれば緊張がひとつ消えて、少しはましな対応ができるはず。…………たぶん。 人気のないところ、と思ってやってきたのは前回コンラッドと話し合った、あの森みたい な林に繋がっている裏庭だった。 階段を降りて、ずんずんと森に向かって歩くわたしに、コンラッドが戸惑ったように腕を 掴んで引っ張った。 「、待ってくれ。この林は結構深いから」 「コ、コンラッド!」 止めてもらえて助かった。 振り返る勢いで、どう切り出そうか考えていた話を口にすることができた。 「わたし、婚約を解消したいの!」 エンギワルー。 森の方から不吉な鳴き声が聞えたけれど、それに気を回している余裕なんてない。 驚いたような表情で、返事もしないコンラッドに畳み掛けるようにまくし立てる。 「あのね!やっぱりあのプロポーズは無効だと思うの!だってあれは事故なんだもん。 ああいう形でなし崩しの婚約はよくないと思うの!わたしにはそのつもりはなかったし、 コンラッドだってそれをわかっていて、返事したでしょ?」 コンラッドがなにかを言いたそうに口を開けたけれど、結局なにも言わなかった。 それを肯定と見なして、朝起きてから考えていたことを続けて語る。 「コンラッドのこと大事だから、このまま成り行きでいたくないの。間違いは正して、 ちゃんと初めからやり直したい。それでね、コンラッドにも納得してもらってから…」 「間違い?」 ぽつりとコンラッドがすくい上げた言葉に、わたしの次の話は空転した。 なにかコンラッドも言いたいことがあるのかと待ったけれど、それ以上はなにも言わない。 なんとなく、言葉選びを間違ったような気がしてきた。コンラッドの様子がおかしい。 「コ……コンラッド……?」 恐る恐る様子を伺っていると、コンラッドが真剣な表情で一歩進み出てきた。 それに気圧されて一歩下がったことに他意はない。 ないけれど、わたしの腕を掴んでいたコンラッドの手に力が篭る。 「成り行きだって、なし崩しだって、俺は構わない。が手に入るなら、それがどんな きっかけだろうと構わない。いや、あれは俺にとって幸運だった。それを、納得も出来ない のに手放せと?」 「え?あ、あのぉ……」 「理由を聞かせてくれるかな?」 だ、だからそれを今から説明するところだったんですけど。 怒っているというか、どこか鬼気迫るような印象に口ごもっていると、コンラッドが勝手に 理由を推測し始めた。 「俺が嫌い?そんなことはないよね。は俺に触れられることを嫌がったりしなかった。 まさか他に好きな男がいるとでも?は男を嫌っているのに、そんな話は信じられない。 俺を好きだと思えない?それだけなら婚約解消なんてしない。まだ結論を出すには早い だろう?」 「え、えっと、そうじゃなくて……」 なにか誤解が生じているような気がする。言い方が不味かったのかしら。 「と、とにかく、話を……」 どうにか弱々しく声を絞り出すと、コンラッドはますます不機嫌そうに顔を曇らせる。 「そんなに俺と別れたい?まさか、グウェンを好きになったなんて言わないよね?」 一瞬、頭が真っ白になった。 「なんでグウェンダルさん!?」 昨日、なぜか有利もグウェンダルさんを引き合いに出してきたけれど、どうしてそういう ことになるのかわからない。 だって、わたしがグウェンダルさんにしたことといえば、夜中に強襲して叩き起こして、 有利を襲っていると誤解して回し蹴りを食らわせて、側にいて欲しいとお願いしたのに 殴りつけたくらいで。……思い出すだけでも土下座をして謝りたくなる。 なぜ、こんな話の中で彼の名前が出てくるのかさっぱりだ。 「ち、違うから!ありえないから!そりゃ、グウェンダルさんにはいっぱい色々お世話 になったけど、そういうのは」 掴まれていた腕をぐいっと引き寄せられて。 コンラッドの端整な顔が直ぐ目の前に。 「言ったはずだ。俺は君を逃がさない、と」 いつそんなこと言ったっけ!? なんて反論する間もない。 唇に吐息がかかって。 わあ、コンラッドってば睫毛長いんだ。 と思うと同時に、手が出た。 咄嗟に出るのが平手じゃなくて拳というのは、十六歳の乙女としてどうなんだろう。 コンラッドを殴り飛ばした拳の甲で唇を乱暴に拭う。 触ってないと思いたい。 だけど、ちょっとだけ感触がした。 成り行きで婚約したのに、キスまで成り行きなの!? 腹が立つのか悔しいのか情けないのか、よくわからなくて涙が滲んだ。 優しいコンラッドがこんなに怒るなんて、きっとわたしの言い方がよくなかったんだ。 だけど、だからって無理やりキスするっていうのもどうなのよ! 「し……信じ、られな、い」 睨みつけるわたしに、コンラッドは殴られた左頬を押さえて眉を下げた。 「、今のは俺が悪か……」 そっと宥めるように伸ばしてきたコンラッドの手を、乱暴に払い落とす。 コンラッドがますます戸惑った表情をしたけれど、やっぱり腹が立つのか悔しいのか 情けないのか、わからない。 「わ……わたし、は……」 ぐるぐると渦巻くような感情に、なにを言うつもりなのかわからないまま口を開いた。 「わたしは、有利ばっかりで………い、今はまだ、有利から自立もできなくて……」 「?」 「でも、ちゃんと自分の足で立てるようになりたいの!コンラッドの隣にいられるよう になりたいの!」 口を拭っていた拳を振り下ろして、驚いたように目を見開いたコンラッドを睨みつける 勢いで見上げた。 「だから待ってて欲しかった!わたしがあなたの隣に立てるまでを待ってて欲しかった!」 「……それは、つまり……」 「か、勝手な言い分だと思ったから、待てないと言われても仕方ないし……だ、だから 一度、全部白紙に戻してから、コンラッドに選んでもらいたかったのに……」 本当に、待てないからさようならと言われたら、きっと悲しくて苦しくてつらかった。 でもこの弱さはわたしの勝手で、コンラッドはずっとわたしに誠意を見せてくれていた。 だからこそ、流されたままじゃなくて、ちゃんと選び直して欲しかった。 肯定でも………否定でも。 それだって、わたしのわがままだけど。 「でも……こ、こんなのはヤダ……」 わがままだけど、だからって無理やりのキスでこれ以上、成り行きやなし崩しになるの はいやだ。 ……腹が立ったんじゃなくて、悔しかったんじゃなくて、情けなかったんじゃなくて。 悲しかったんだ。 「ごめん。もう二度と、の気持ちを蔑ろにしたりしないから」 コンラッドの長い指がそっとわたしの目尻に触れて、滲みかけていた涙を拭う。 「だから泣かないでくれ」 「な……いて、ない」 泣きかけだけど、泣いてない。 コンラッドは少しだけ微笑むように目を細めて、そして大きな手のひらでわたしの頬を 包むようにそっと撫でた。 「キスしてもいい?」 「だ、ダメ……」 こんな朝早くから。 いくら人気がないからって、だれが通りかかるかわからないところでなんて。 結局、告白までぐだぐだの成り行きになってしまった。成り行きが嫌で話し合いをする つもりだったのに、なんだってわたしはいつもこうなんだろう。 「じゃあ、の気持ちを聞かせてくれないか?」 わたしの考えを見透かしたようにコンラッドがそう言って、自分でも顔に熱が篭るのが わかった。 銀の光彩を散らしたような輝きの茶の瞳に、魅入られるように。 目を逸らせない。 「コンラッド……」 声が震えて、視界の中のコンラッドの顔が涙で歪む。 「わたし、あ……あなたが」 泣いてないと言ったのに、涙が零れてしまった。 「好き……です」 コンラッドの端正な顔がゆっくりと降りてきて、わたしも目を閉じる。 そっと触れた唇は、とても温かかった。 |
どうにかこうにか、ようやく。 |