背の高い人は、当然脚も長い。 グウェンダルさんの一歩に二歩を必要とするわたしは、小走りでその後を追いかける。 階段を上がろうとして、急ぎすぎたのかつまづいてしまった。 「わっ!」 三段ほど上でグウェンダルさんは立ち止まって待っていてくれたけど、わたしが起き 上がるとまた階段を昇り出す。 ああ恥ずかしい、と思いながら階段を昇りきると、グウェンダルさんの歩く速度が格段 に緩やかになっていた。 や、優しいなあ。 036.はみだした想い(2) 「あ、あの」 コンラッドの言うとおり、本当に嫌われてはいないのかなとちょっと自信が出てきて、 思い切って小走りで横に並ぶと、グウェンダルさんはちらりとだけわたしを見下ろして また前を向く。 「面倒をおかけしてすみません」 「構わん」 「そ、それとあのぉ……あ、顎は大丈夫ですか?」 グウェンダルさんはかっと目を見開いて、勢いよく見下ろしてくる。 「ご、ごめんなさい!わ、わたし男の人が苦手でその、ほ、本当に申し訳なく思って……」 「……いや、いい」 思わず一歩遠のいて必死に頭を下げると、グウェンダルさんは短く言ってまた歩き出す。 「えーと、その」 「別にお前を怒っているわけではない」 まだ言い訳を探していると、上からそんな言葉が降ってくる。 振り仰ぐと、前を向いたままグウェンダルさんが続けた。 「お前を怒っているわけではない。他に、色々とあってな……」 「そ、そうなんですか?」 問い返した言葉に返事は無かったけれど、ひとつ大きな気がかりが消えたようで、ほっと 溜息が漏れた。 「そういえば、グウェンダルさん。ちゃんと傷の手当てしたんですか?」 「ああ。もう傷そのものはほぼふさがっている。後は安静にしておくだけだ」 「よかった。お大事にしてくださいね」 ふっと笑ってわたしを見下ろした青い瞳に、もう不機嫌さはなかった。 「不思議な奴だな。男は嫌いなのではないのか?」 「に、苦手なだけです。それに、これでも随分マシになったほうです」 「それでか?」 「ひどいときはゆーちゃ……有利しか受け入れられなくて……」 お父さんやお兄ちゃんですら、泣いて拒否していた時期を思えば、ずっとましになって いる。今では、満員電車にだって、覚悟を決めてたら乗ることだってできる。 「そうか。それなら確かにましにはなっているのだろうな。今ではコンラートと婚約する ほどなのだからな」 「いえ、あの、それ、事故ですから」 「事故?」 周囲の言動から、どうもコンラッドとのことが広まっているような気はしていたけれど、 これではっきりした。やっぱり広まっている。 「平手打ちが求婚だなんて、知らなかったんです」 「なんだ、王と同じか」 「だから、コンラッドだってわかってたはずなのに、ふざけて右頬を差し出してくるし…… 無効です、無効!」 コンラッドはふざけていたわけじゃないとは言われたけどね。でも、こんな風になし崩し で婚約だなんて、到底受け入れられない。 なのに、なぜかグウェンダルさんは驚いたような表情で立ち止まる。 「無効?お前にそのつもりはないというのか?」 「だ、だって怒ったから引っ叩いたのに、それで婚約だなんて言われても」 「だがお前は、コンラートに対しては拒絶していないではないか。あれは婚約者だから ではないのか」 「それはっ―――」 それは、なに? 反論しようと口を開けたまま、声が出なくなった。 どうしてコンラッドだけは近付いても触っても……それどころか、自分から抱きついたり できるの? ……そんなの知らない。 上から溜息が聞えて、自分が俯いて考え込んでしまっていたことに気がついた。 「どうだろうと私には関係はないことだったな」 「閣下!」 急に飛び込んできた第三者の声に、わたしは驚いて飛び上がってしまった。 廊下の角を曲がってきた兵士が、グウェンダルさんを見つけて駆け寄ってくる。 側にわたしがいるのを見つけて、なぜかその人が目を丸めるとグウェンダルさんは急に 機嫌悪く声を低くした。 「なんだ」 「あ、あの、ギュンター閣下がお探ししておられましたが」 「わかったすぐ行く。……貴様、ダカスコスだったか」 「は、はい!」 「殿下を部屋までお連れしろ」 確かギュンターさんの部下の人だったと思うけど、そのダカスコスさんが敬礼して了解 すると、先に行こうとしたグウェンダルさんは一度立ち止まって振り返る。 「あの夜、お前はだれの心配をして泣いていた?」 「え?」 「私から言えることはそれだけだ」 あの夜って、どの夜ですか? グウェンダルさんはそれだけ言うと、今度こそお仕事のために、廊下の角を曲がって 行ってしまった。 「あのぉ…殿下」 「あ、はい、すみません。お願いします」 いつの間にか、グウェンダルさんを見送ったままぼんやりと立ち尽くしていたらしい。 ダカスコスさんが遠慮がちに声をかけてくれて、慌てて道案内をお願いする。 その後ろについて歩きながら、さっきのグウェンダルさんの言葉を何度も繰り返して 考える。 あの夜って、グウェンダルさんと一緒にいたのは、眞魔国に来た夜と、スヴェレラの 砂漠での夜と、そして寄場での夜。 泣いていたって……全部だよ。 思い返して頭を抱えたくなった。 側で泣いてばっかりいられたら、さぞかし辛気臭かったに違いない。 ……でも、心配して泣いていたのは砂漠での夜だけだ。 眞魔国に来た日のは、コンラッドに会いたくて寂しくて泣いただけだし、寄場の夜は 激しい自己嫌悪で涙が出ただけで。 どちらのことも、詳しい理由はグウェンダルさんは知らないだろうけれど、逆に砂漠 の夜だけは、泣いた理由も知っている。 砂熊の巣穴に落ちたコンラッドが心配で、気が付けば泣いていたのだ。 でも、あんな事態なら泣くのはともかく心配くらいはだれでもすると思うけどな。 大体、グウェンダルさんのあれがなんのアドバイスなのかも実はよくわからない。 話の流れから言えば、コンラッドのことをどう思っているかなんだけど。 言われなくても、好意は持ってるよ。 有利の名付け親だし、絶対的味方だし、わたしにも優しいし…その優しさに戸惑いも するのだけど。 だって、す、好きって言われても……。 「あ、いたっ!!」 T字路の横手から有利の声がして振り返ると、有利とヴォルフラムが駆け寄ってくる。 ふたりの後ろには、コンラッドの姿も見えた。 「あ………っ」 ヴォルフラムの姿を見た途端、ガツンと頭を殴られたようなショックが襲ってきた。 わたしはあの夜、だれの心配をしていた? 「どこ行ってたんだよ!お前の部屋に行ったらまだ帰ってないしさ!おれの部屋にも いないしさ!コンラッドが迷子になってるんじゃないかって言うから……どうした?」 途方に暮れたわたしに気がついたのか、怒っていた有利は急に声のトーンを落として 俯いたわたしの顔を覗き込んでくる。 「なんだ、。具合が悪いのか?」 ヴォルフラムが心配そうに言ってくれて、ひどく申し訳ない気分になって首を振った。 「なんでもない」 「なんでもないわけあるか。そんな泣きそうな顔しておいて」 「なんでもない」 「?」 コンラッドの声がすぐ前から聞えてきて、つい有利の腕に縋りついた。 「?どうした?」 顔を上げられない。 コンラッドにも、ヴォルフラムにも、どんな顔をすればいいのかわからない。 だって、あの日の夜。 危険な目に遭っていたのはヴォルフラムもなのに。 わたしはコンラッドのことだけで一杯だったんだ。 |
弟が有利にフォローを入れている一方、兄もまた密かな支援を入れてくれました。 これがどういう方向に転がるのでしょうか。 |