もうすぐ国境の町が近いという頃になって、有利がとうとうソリから抜け出した。 コンラッドに助けを求めたらしい。 代わりにわたしがソリに乗れとのお達しが来たので、慌てて逃げ出した。 当初はソリにいたグウェンダルさんは有利よりずっと早く、武人として騎乗すると 言い張って、ソリから出てきている。せっかく四人乗りなんだから、あと二人ほど 亡命者の女性が乗ったらいいのに。 そう考えながら、グウェンダルさんに昨夜のお礼と謝罪をするために馬を寄せた。 034.天気予報は雨 「な、なんだ?」 グウェンダルさんはなぜか不機嫌そうというより、怯えた様子で身を引く。 「いえ、昨日のお礼と謝罪を……」 「わかった。聞いた。礼には及ばん。謝罪も必要ない」 どこかへ行けオーラが出ている。 昨日はあんなに優しかったのに。 やっぱりあんな風にいきなり大声を出されたり、殴られたりしたら引くよね……。 「」 いきなりグウェンダルさんとの間に馬の鼻面が割り込んできて、びっくりして手綱 を引いてちょっと脇に避ける。 割り込んできたのは、やっぱりというかコンラッドだった。 「疲れてない?ここのところは強行軍だったし」 「平気。大丈夫」 コンラッドと話していると、グウェンダルさんはすうっと離れて行ってしまった。 「ならいいけど、無理だけはしないように。急に倒れたら大変だ。落馬とかね」 「もうしません!あのときは、有利に引っ張られただけだもん」 心配しているんだか、からかっているんだかのコンラッドに、わたしはつんとそっぽ を向いた。 コンラッドとその後ろに乗っていた有利の苦笑が聞える。 「元気ならいいけどさ、疲れたらソリに移れよ」 「それ、有利にこそ言うよ……」 わたしたち兄妹のやりとりを聞いて笑っていたコンラッドが、後ろを振り向いて急に 表情を引き締めた。 それにつられて後ろを見ると、遥か後方に土煙が見える。 「追っ手か。早いな……ユーリとはソリへ……」 そう言われてわたしが素直にソリに近付いたのは、コンラッドのリクエストに答える ためじゃない。 「ヴォルフラム、ごめん幕開けて!」 ヴォルフラムが幕を開けてひょっこり顔を出す。 「どうした、こちらに移るのか?」 「この人がね。受け止めてあげて」 後ろに座る女性を示すと、ヴォルフラムは途端に眉をしかめた。 「なぜぼくが人間を……」 「追っ手が来たの。わたしにだれかを庇いながら戦えるほどの器用さはないから」 「なんだと!?だったらそれこそがこちらにくるべきだろう!ぼくと代われ!」 「わたしがなんのために剣を買ってもらったと思ってるのよ。飾りじゃないんだから。 さあ、あなたはソリに移って」 女性の腕を引いて無理やりヴォルフラムに預けると、さっさとソリから距離を取ろう と……して、思い直した。 「ヴォルフラム!」 「わかった、馬を寄せろ。そちらに飛び移るから、お前は入れ替わって……」 「違うよ!魔術の使い方教えて!」 とにかく敵の足止めが必要だ。こちらの騎馬の半数は乗りなれていない女性だし 兵士も徒歩では不利極まりない。 有利みたいな派手なものじゃなくていいから、まずはこけおどし程度でいいから魔術 を見せればあちらも警戒して追撃の足を鈍らせるかもしれない。 やってみる価値はあるはずだった。 「馬鹿なことを言うな!ここは人間の土地だ。魔族に従う要素は少ない。いくら国境 が近付いているからといって、使い慣れないお前にできるはずもないだろう!」 「やってみなくちゃわからないじゃない!教えるだけでも教えてよ!」 「大体、お前はまだどの要素とも盟約を結んでいない。その状態で攻撃に有効な 魔術が使えるはずもない」 「ああ、もう!まだるっこしい!」 思わず魔術に八つ当たり。 「だから……って何処へ行く!ぼくと代われっ!」 ヴォルフラムを無視してソリから離れた。 「!どうしてソリに入ってないんだ!」 ソリの方から離れたわたしに気がついて、コンラッドが厳しい表情で叱咤する。 「そうだぞ、!弓兵がいる場合は布一枚でも命拾いすることがあるってコンラッド が…」 「そうだ弓!弓はある!?」 こっちの世界の弓の訓練はしてないけれど、基本は一緒のはずだ。 コンラッドに聞くと、厳しいお叱りが待っていた。 「、これは訓練じゃないんだ。馬鹿なことを考えないで陛下とふたりでソリへ……」 「おれよりご婦人方だって!」 「わたしが武装したのは、格好だけのことじゃないの!」 コンラッドが苛立ったような顔をしたのを初めて見た。心配をかけているのはわかる けど、丸腰の女の人を外において、剣を帯びた自分がソリなんておかしいじゃない。 「あいたー、あそこに砂熊がいるよ」 有利が前方に気がついて額を押さえる。 「どこにですか!?」 コンラッドと一緒に前を見てみると、確かに進行方向と一致する場所にあのベージュ と茶色のツートンカラーのパンダがいた。パンダじゃなくて、砂熊。 非常に危ういことになってきた。 迂回するしかないわけだけど、迂回すればその間に追撃を受けることになる。 どれくらいの人数で追撃隊が編成されているかも問題だけど、女性たちを庇いながら となると全滅の危機かもしれない。 「とにかくグウェンダルさんに砂熊の位置を知らせてくる!」 わたしは馬の腹を蹴って、先頭集団の方へ走った。 「グウェンダルさん、砂熊が!」 「なんだと!?」 女性たちの騎馬を先に行かせながら陣形を組みつつあったグウェンダルさんと 部下の人たちがぎょっと振り返る。 「あそこ!ここから三つ目の砂丘の上に!」 「なんということだっ」 ギリギリと歯軋りさえ聞えそうな呻き声の後、わたしを振り返る。 「お前は前を行く亡命者たちが砂熊にぶつからぬよう先導しろ!」 反論しようと思ったけれど、確かにそっちも切羽詰っている。 「わかりました!」 更にスピードを上げて、女性たちに追いつくべく走り出した。 と、後ろからソプラノリコーダーの音色が。 「ゆ…有利……」 力が抜けるとはこのことだ。 魔笛は嵐を呼び込むという話だった。 上手くいってくれれば、確かに足止めはできるだろうけれど。 わたしが魔術を使えればな。 グウェンダルさんは怪我人だし、ヴォルフラムも長く法術の強い場所にいたせい で調子が悪い。 有利ほど強力じゃなくても、なにか力を……。 砂丘を二つ越えたところで、女性たちに追いついた。 「待って!進路を変えて、西にとって!」 「で、でもそうしたら追っ手が………」 「大丈夫だからまずは西に行って!」 砂熊の位置を確認しておこうと思ったら、背筋に寒気のような、高揚感のような 奇妙な感覚が駆け抜けた。 「……水が………」 え?という問いかけが聞えて、はっと正気に戻る。 大丈夫なのこの子、というような目に、引き攣った笑いで答えた。 「ええっと、とにかく……」 砂熊の前に、見覚えのある人が立っている。 確か……。 「ライアンさん?」 コンラッドの部下の人だ。 えええ!?なんで砂熊のすぐ側で手を振ってるの!? 「殿下ー!こちらです、こちらー」 こちらって、砂熊の罠へのこのこ捕まりに行けと?というか、ライアンさんに砂熊は 見えているのかしら? 「ラ、ライアンさーん!う、後ろに砂熊が……!」 人間の言葉はわかるまいと大声でそこから離れろと注意したのに、彼は驚くべき ことを言った。 「はいー!安全な帰路を確保しましたーー!このケイジの巣穴です〜」 ケイジって……もしかして、砂熊の名前? わたしが迷っている間に、ぽつりぽつりと雨が降り出す。 それはすぐに豪雨と発展する。 敵の足止めができても、こっちも足止めを食らっては意味がない。 「あそこ!あの手を振っている兵士のところへ走って!」 目を開けているのも困難な雨に、他に方法もないのでライアンさんを信じる以外に なかった。 |
相変わらず大人しくしてません。 コンラッドも苦労…。 |