有利のお陰でようやくコンラッドが出て行って、鏡を探したもののそんなものは なかったので、仕方なしに窓ガラスににじり寄って見た。 ……思ったとおり、ひどい顔。 瞼は腫れぼったいし、目の下も隈みたいになっている。頬だってほんのりなんて 可愛らしい染まり方ではないようだし。 よく見えないガラスでこれなんだから、やっぱりコンラッドにはこんな顔を見せ たくない! 顔を洗ってさっぱりしたかったけど、水不足のこの国でそれは贅沢だった。 布を濡らして顔を拭くと、目を閉じて瞼の上に畳んだ布を置いて上を向く。 ちょっとでもマシになるといいんだけど。 033.寄り添わせた肩(3) 「、そろそろ行くぞ。大丈夫か?」 しばらく安静にしていると、有利が事務所の扉をノックした。 瞼に乗せていた布を取って窓ガラスに顔を映す。 鏡じゃないからはっきりとはしないけど、ちょっとはマシになっているだろう。 毛布を放り出すと椅子に掛けていたローブを取って羽織り、フードを深く被る。 小屋から出ると、有利とヴォルフラムだけが待っていてくれた。 コンラッドとグウェンダルさんは出発の準備に行ったらしい。 「肩は大丈夫か、?」 ヴォルフラムが開口一番にそう訊ねてきた。肩を痛めたのはバレバレでしたか。 「うん。もう大丈夫。ちょっと痛かっただけだから。ごめんね、心配かけて」 「構わない。お前が怪我でもしたら、その方が大変だ」 「はいはい、行くぞ」 有利がわたしの手を引っ張って歩き出す。急だったので二、三歩よろめいた。 いきなり会話を打ち切った有利にヴォルフラムがちょっと不満を言ったけど、有利 はまったく気にしない。 「あ、ねえ有利」 「なに?」 「グウェンダルさん、大丈夫だった?」 有利がぴたりと足を止める。ヴォルフラムも一瞬静かになった。 え?な、なにか問題でも? わたしがグウェンダルさんのどこを殴りつけたのか、わたし自身には記憶にない。 どこか怪我でもさせたのかと思ったら、有利はにっこりと笑顔で振り返った。 「気にすんな。ちょっと顎を赤くしてた程度だよ」 「そ、そう……でも」 わたしは手の甲が痛んでいたし、どうもグウェンダルさんの顎に裏拳が入ったらしい。 非常に申し訳ないことをしてしまった。 「いや、本当には気にするな。だから兄上に謝ろうとしなくてもいいぞ」 ヴォルフラムがちょっと優れない顔色で首を振る。 最後に「むしろ近付くな」と小さく付け足したように聞えたのは気のせい……? 集合場所に着くと、出発の準備は全部整っていた。 その中に、ノリカさんの姿を見つけて思わず足が竦む。 彼女に、罪を懺悔するべきなんだろうか? だけど、それは自己満足になりはしない? あなたの息子を人質にして、あなたのお父さんを脅しました。 そんな話を聞かされて、彼女にどうすることができるだろう。 今ここにいるのは眞魔国の兵士や、彼女にとっては恩人である有利で。 もういいよ、という言葉を聞いて安心したいのか。 なんて酷い事をするんだと罵られて、楽になりたいのか。 コンラッドが休めと言って小屋を出て行ったときノリカさんを探せば、ふたりきり で話せるチャンスだったのに。 自分のことだけで一杯になっていて、懺悔だとか謝罪だとか、考えつきもしなかった。 「ノリカねーさんはどうすんの?」 「彼女は首都に戻るということだから、ここを出たらすぐに別れることになります」 コンラッドはそう説明しながら、幌をつけたソリのようなの馬車の幕を開けて有利と わたしを手招いた。 ノリカさんと話したいような、それは怖いような、後ろ髪を引かれる思いでコンラッド の方に歩く。 「陛下とはこれで」 「え?わたし平気。馬でも歩きでも」 馬の数と人数を数えたら、タンデムでも歩きの人が出る。 見ると強制労働させられていたという女性たちはみんなひどく痩せているし、騎乗 でもつらいだろう。 小さなソリだけど、できるだけこちらに入れた方がいいと思う。それでも四人が 限度だろうし。 「おれも!おれも平気!」 有利も同じことを考えたようで元気よく立候補。 「だめです」 「なにを言っている」 「有利はダメ」 コンラッドとヴォルフラムとわたしの三人で押し込めると、有利は不機嫌そうに頬 を膨らませた。 「なんでだよ!女の人が優先だろ!?」 「有利は大きな魔術を使ったんだよ?今回はあんまり寝てないし、ソリの中で少し でも寝ていくこと!」 「そこまでわかっているなら、もこっちだ」 コンラッドが怖い顔でわたしを戒める。 「なんで?わたし魔術なんて使ってないよ?」 「グウェンの傷を癒したじゃないか」 そうでした。 でも、有利みたいに倒れたりしてないし、眩暈とかもない。 「え?、そんなことしたの?」 有利が初耳だと目を瞬く。 「なんか、そうみたい。どうやったのかはさっぱりなんだけど」 「そうか…は僧侶か白魔術士か。うん、そんな感じだよな」 有利は何故かひとりで納得して頷いている。 「こんな場所で魔術を使ったのか?ならコンラートの言うとおりだ。もソリに 乗れ」 「わたし平気だよ。それを言うなら、肋骨まで折ってる重傷人のグウェンダルさん の方が乗るべきだよ」 何故か周囲でざわめきが起こる。 なんだろう、と見回すと目を逸らされた。 「そんなにソリに乗りたくないのか……」 コンラッドが困ったように溜息をついた。 なぜ、グウェンダルさんが乗るとそういうことになるんだろう。 どっちにしても乗りたくないことは確かだったので、わたしがさっさと逃げ出して、 ソリ班は怪我人の有利とグウェンダルさんと、有利の婚約者であるヴォルフラムと、 そしてなんと妊婦さんだったというニコラさんとなった。 妊婦さんなのに、教会から脱走したとき全力疾走だったよね?大丈夫だったみたい だからよかったけど。 そう思っていたら、ソリに乗る前にニコラさんはじっとわたしを見る。 「え、なにか?」 「……はユーリとグウェンダル閣下のことを認めて、駆け落ちの手助けをして いたのよね?」 「……なにを認めているとか駆け落ちとかはともかく、逃げることの手助けはする つもりでしたけど」 「そうよねえ……」 頬に手を当て、何故か溜息。 「ニコラ!もう出発するよ!」 有利がソリから慌てて手招いている。 ニコラさんがソリに向かうのとほぼ同時に、後ろから肩を叩かれた。 「も出発するよ。俺の後ろに乗って」 「はーい」 コンラッドの後ろならいいか。他の男の人だと嫌だけど。 コンラッドの馬に上がろうとして、なぜか注目されていることに気がついた。 眞魔国の兵士の人たちはじーっとこちらの様子を見ている。 そういえば、コンラッドとの婚約のことが広まっていそうな感じがあった。 取りあえず、その件は取り消すつもりのわたしとしてはこのまま、状況に一人歩き して欲しくない。 戸惑っていると、ひとりで騎乗していた女性が手綱を捌きかねて馬を制御しきれて いない姿が目に入る。 「あ、わたしあの人と乗る。あの人よりは手綱も捌けるしね」 砂漠での乗馬にもだいぶ慣れてきた。首都から寄場までも、最後の方は結構 順調に走れていたし。 複雑そうな顔をするコンラッドから逃げるようにしてその女性のところに行くと、 声を掛けて了承を取ってから同乗することにした。 ノリカさんと寄場の前で早々に別れたとき、ついほっと息を吐いてしまった。 彼女が側にいなくても、わたしのしたことが消えるわけではないけど、やっぱり その姿を見ていたくないのが本音だから。 結局、勇気が足りなくて罪を告白することができなかった。 家に帰り着けば、お父さんからわたしがしたことを聞くだろう。 ノリカさんは有利のしたことに感謝していたけれど、その話を聞けばどう思うの だろう。 わたしのことはどれほど憎んでも罵っても、有利のことは別だと思ってくれない かな。 ……それは虫が良すぎるか。 せめて、あの子の恐ろしい体験が、お母さんの温かさでできる限り癒すことが できたらいいのだけど。 わたしが、有利に救われているように。 |
行ってしまったことは消えません。だからこそ、少しでも傷が薄まる事を願うわけで。 ……もちろん、気の毒な閣下の誤解も広がったままです(^^;) |