「いやああああああああああぁっ!!」 絹を引き裂く、なんてものじゃない。 心そのものを引き裂くんじゃないかというほどの悲鳴に、おれは飛び起きた。 「!?」 薄暗い事務所を見回しても、の姿がない。 「なんだ!?」 ロッキングチェアのすぐ側に寝込んでいた、あの寝汚いヴォルフですら一発で飛び起きる。 「いやっ!いやあぁっ!やだぁ!ゆーちゃんっ!ゆーちゃぁんっ!!」 「か?」 ヴォルフラムが剣を掴んで立ち上げるより先に、おれは事務所の戸口に突っ走った。 033.寄り添わせた肩(2) 今回はおれのこと、昔みたいにゆーちゃんとはほとんど呼ばずに、すぐに有利と 呼んだ。 いつもよりずっーと早くに、が落ち着いたのは幸いだった。 幸いだったんだけど。 おれの気分はかなり複雑だ。 だってそれって、コンラッドが側にいたからだ。 今まで、男性恐怖症で発作的に暴れたり叫んだりしているときに、おれ以外のやつに 宥められたことなんてなかったのに。 のやつ、やっぱりコンラッドのこと。 むっとするような、ちょっとだけ嬉しいような、胸が痛いような。 とりあえず、遠くでこちらの様子を伺っている兵士たちに、ふたりほどこっちにくるように 呼びつけた。 の悲鳴が聞えたものの、グウェンダルやコンラッドが側にいて大きな動きがないので、 近付いていいかどうか、判断しかねていたようだ。 の悲鳴を、どうごまかすか。 考え込みながら、どこか怪我したらしいを小屋に運び込んだはずのコンラッドがいつ まで経っても出てこないから、入り口から覗いてみればを抱き締めている。 「コンラッドー!いい加減に出て来いっ!」 おーれーの!おれのになにしてんだ! イライラして足を踏み鳴らすと、コンラッドはようやく渋々と、という感じで出てきた。 半ば宥めていたとはいえ、おれが出てきた途端にはおればっかりになってコンラッド を見向きもしなかった。 それで小屋に入るまではちょっと不満そうにしていたのに、出てきたらめちゃめちゃ機嫌 が良くなってる。 この野郎。 「コンラート、は」 状況をまったく把握できていないヴォルフラムはおれと同様不機嫌そうに、扉を閉めた コンラッドを睨みつけた。 「たぶん、肩を痛めたんだと思う。それほど酷くはないようだったけど」 「肩?」 「ここから落ちたから」 コンラッドがウッドデッキの階段を軽く踵で蹴って、おれとヴォルフは同時に叫んだ。 「落ちた!?なんで!」 途端に、コンラッドの顔に薄ら寒い笑顔が張り付く。 「グウェンダルに抱き締められて、怯えたみたいですよ」 「なんだとーー!?」 「待て!誤解だ!」 おれの叫びとグウェンダルの悲鳴が重なった。 コンラッドは絶対零度の声で、いまだ階段に腰を降ろしたままの兄貴を見下ろした。 「を抱き締めて眠っていたくせに」 「密着で?」 「ええ、そうです」 ああ、そりゃ決まりだ。よりによって寝起きに気付けば男と密着。 それはもう、一発サヨナラ逆転満塁ホームランを打たれるよりも性質が悪い。 涼しい顔をしているけどコンラッドの怒りのオーラは凄まじい。今のおれもそれに近い と思う。 「私の話を聞け!」 グウェンの悲痛な叫びと前後して、ちょうどコンラッドたちの副官ふたりが到着した。 「陛下!」 「ああ、すまない。がびっくりさせただろ」 おれが振り返ると、ふたりは慌てて膝を折る。 「い、いいえ。それで殿下は、ご無事で……?」 「ちょっと興奮状態だったから、奥で休んでる」 心配ないと言ってから、おれはにっこりと笑った。たぶん、目は笑ってない。 ふたりが硬直した。 「実は、ちょっと男が苦手でね」 ちょっとか?と呟いた三男の声はこの際無視。 「グウェンダルにセクハラされたから、パニックになっちゃったらしいんだ」 「セ、セクハラ……ですか?」 「ま、待て!それは誤解……」 慌てて立ち上がった長身を睨み上げると、初めてその言葉を封じることができた。 加害者を黙らせることに成功して、おれはまたふたりに向き直る。 「どちらかというと、この場合、強制猥褻と言いませんか?」 至極真面目な顔をした次男が恐ろしい訂正を入れて、長男の顔から血の気が失せる。 ふたりの部下からもだ。 「待て!」 蒼白な顔色で、いかにも殴られましたという赤くなった顎をさらして叫んでも説得力の 欠片もありはしない。 「で。状況が理解できたところで、後ろの人だかりを解散させてくれるか?ああそれから、 こういうことはいちいち思い出させない方がいいから、誰もになにも聞かないように」 グウェンダルの悲痛な叫びよりも、おれの笑顔の方が怖かったらしい。ふたりは即座に 身を翻して、遠巻きにこちらを窺っている部下たちと、国に連れて帰る女性たちの方へ 走っていった。 「待てというに!」 「悪いな、グウェンダル。ちょっとさすがに今回は只事じゃない感じに見えたはずだから、 何でもないじゃあ通らないと思って」 「私の信用はどうなる!?」 「なぁに、あんたならすぐに誤解だったって、信用回復もできるだろ?」 「お前……段々コンラートに似てきたな……」 ヴォルフラムが小さく呟いたけど、おれは素知らぬ振りで通した。コンラッドも、だ。 「でさ、結局なんでグウェンがを抱っこして寝てたのかが、おれ的にすごく気になる ところなんだけど」 とりあえず、全責任をグウェンダルに押し付けて気が晴れたので、前向きに事態を把握 しておくことにした。 グウェンダルは苦々しげな口調で吐き捨てる。 「………寒かろうと思ってのことだ」 「………もう少し状況を説明してもらえるとありがたいんですが」 ことの問題となると、おれも負けてはいない。 「ってことは、グウェンが来たときにはあそこで寝てたってわけ?」 「いや………」 グウェンダルは少し思案するように、顎を撫でて遠くを見た。 「私が小屋へ赴いたときには、ウッドデッキに座り込んでいた。休むように言い置いた はずの娘が外でなにをしているのかと近づけば、が泣いていて」 「泣いて?」 なんでだろう。 おれとは再会を果たしたし、コンラッドだって無事とわかった後だ。 安心したらひとりきりだった時の不安が襲ってきたとか? いいや、それだったらおれの側から離れないはずだ。 「自己嫌悪だと言っていたな」 「自己嫌悪?」 ますますわからない。 確かにおれだって、自分の馬鹿さ加減に泣きそうなくらい自己嫌悪に陥りはしたけど、 それでが暗闇の中ひとりでしくしく泣いていたというのもどうにも理由がわからない。 いや、自己嫌悪になりそうな理由といえばおれと一緒で、この旅に無理やりついてきて 挙句の果てに足手纏い兼トラブルメーカーになってしまったことくらいだろう。 だけどはおれとは違って、それほど問題は起こしていない。 ……強いて挙げれば、おれを逃がすために馬で追っ手に突撃したことくらいか。 あれは本当に心臓が止まるかと思った。 結局、は無事に潜伏しておれとグウェンダルが捕まっちゃったわけだけど。 「落ち込めるだけ落ち込めと言ってやると、が更に泣き出して、側にいろ、と」 「側にだろ?抱き締めろじゃなくて」 「そのまま眠ってしまったから、風邪を引かれてはかなわんと思ってのことだ!」 グウェンダルが濡れ衣に憤慨して絶叫する。 「どうにもわかんねえなあ……」 泣いてるときは気弱になるものだから、だれかに側にいて欲しかったのはわかるけど、 その泣く原因の方がわからない。 「大方、ひとりでいた夜でも思い出していたのだろう」 「うーん……なんかそれだと微妙に納得いかない」 だから、そんな理由ならおれから離れないはずだ。 「ひとりでいたときのことを思い出して、自己嫌悪はおかしいだろう」 隣で黙って聞いてたコンラッドがぼそりと呟いた。 まったくだ。 「とにかく、理由までは知らん。まったくあの娘は私の前は泣いてばかりだ」 「そりゃ、あんたがそんなおっかない顔してるからじゃ……」 おれの無礼な発言に、眉間の皺がさらに深くなる。 「いや、それは冗談だけどさ。そんなに泣いてばっかだっけ?」 「なにを言う。こちらに現れたときも、コンラートと別れた夜も、それから昨夜も泣いて いた」 「え?いやあ……あのときはとんだ勘違いを」 コンラッドとはぐれた夜は、おれが襲われると勘違いして悲鳴を上げて、助けに入った の見事な回し蹴りがグウェンの首にヒットしたんだった。 そのことを思い出して、おれはごまかすように軽く謝る。 「そのことではない!お前が眠ったあと、コンラートを案じて泣いていた」 隣でコンラッドがちょっと反応した。泣くほど心配されたのが嬉しいんだろう。 ああ、なんとなくむかつく。 「コンラッドのことで?おれさっさと寝ちゃったもんなぁ、悪いことし……」 嫌なことを思い出したと苦々しい顔をしたグウェンダルに、あれと首を傾げた。 「こちらに現れたときって……グウェンのベッドに放り出されたってやつ?」 「ああ、そうだ」 「なんで?」 「私が知るものか!」 グウェンダルの指が空中を掻くような妙な動きをする。 「グウェンのベッドに?」 隣から地の底を這うような声が聞えた。 おれと長男は、揃ってお互いの顔だけを見て聞えなかったふりをする。 「男のベッドの上だったからかなぁ……」 「一瞬、私のせいかと焦ったが、もう泣き止んだ後のようだった」 「ってことは、あっちで泣いてたのか。なんでだろう?……グウェンダルはなにか 聞いてない?」 「私は知ら……いや、そういえばむこうで感傷に浸っていたとかどうとか」 「感傷に?泣くほどの」 「だからそれ以上は知らん」 「一体あっちではどこにいたんだ、」 「自宅だと言っていたぞ」 「家ぇ?家でなんの感傷に浸ってたっていうんだろう?」 そのとき、おれはふと思い出した。 そういや、はコンラッドと再会したとき妙に避けていた。 理由はあとで教えてくれると言っていたのに、事件続きで忘れていた。 |
引き続き気の毒な長男。なにも悪い事してないのに……。 お兄ちゃんは恋人候補にジリジリとヤキモチを焼いているようです。 |