コンラッドの膝の上でじっとしていたら、ようやく抱き締める腕から力が抜けた。 ほっとして身体を起こすとコンラッドはまだ少しつらそうな笑顔で、どうしたものかと 思いながらなんとなく、いい子いい子と頭を撫でてみた。 コンラッドが驚いたように目を瞬く。 ご、ごめん外した? 031.変化の自覚 「慰めてくれるの?」 コンラッドはゆっくりと微笑む。 「ど、どうしたらいいかわからなくて」 「一発で俺が元気になる方法があるよ」 「えっと、ど、どんな方法?」 「からキスしてくれたら、すぐにでも」 「もう復活してるじゃない!」 思わず手のひらでコンラッドの顔を押し返した。 「いたたた。待って、目に指が……」 「え!?ご、ごめんなさいっ」 ぱっと手を離してコンラッドの目を覗き込もうとしたら、そのまま頭の後ろに大きな手が 添えられた。 コンラッドの端整な顔が近付いてきて。 「コッ……」 絶妙なタイミングで、入り口のドアが開いた。 いえ、絶妙じゃない。あと二秒早かったらもっとよかった。 戸口に立っていたのはグウェンダルさんと、グウェンダルさんの副官の人と、コンラッド の副官の人。 しばしの沈黙。 「……邪魔をした」 「待って!行かないで!!」 グウェンダルさんが苦虫を噛み潰したような顔で扉を閉めようとしたので、慌てて引き 止めてコンラッドの膝から飛び下りた。 コンラッドは少し残念そうにこちらを見たけれど、気を取り直して入り口に向き直る。 「グウェン、怪我の具合は」 コンラッドの質問でようやくグウェンダルさんたちは建物に入ってきてドアを閉めた。 「肋骨を折った。それ以外は大したことはない」 「肋骨を折ったって………重傷なんじゃ」 心配を貼り付けた表情で顔を上げたわたしに、グウェンダルさんが眉間に皺を寄せる。 そしてなにか言いそうになる前に、コンラッドが上から被せてきた。 「心配しなくても大丈夫。グウェンダルは怪我くらいで弱音を吐かないし、国に帰れば 癒しの手の一族がいるから」 「でも……」 「それで?」 コンラッドはわたしの心配をねじ伏せて話を進める。 仕事の邪魔はできないから、不承不承口を閉ざした。 「………囚人たちの中の数名が亡命を希望している」 グウェンダルさんの顔がわずかに引き攣っている。きっと傷が痛むんだ。 「グウェンダルの考えは」 「これ以上の厄介事は御免被る」 わたしが口を開く前に、コンラッドが小さく笑った。 「それで、陛下はどうお考えになると予想しているんだ?」 「聞くまでもなかろう」 そして、深い溜息。 有利なら絶対に彼女たちを連れて行くと言い張る。鎖で腰を繋がれていた女性たち。 ただだれかを愛しただけの、なにも悪いことなどしていない人たちを放っておける有利 じゃない。 グウェンダルさんは冷静な判断の元、反対するわけなんだろうけれど、主である有利 は連れて帰ると主張するだろうわけで。 結局どうなるの、とコンラッドを見上げると安心しろとばかりに爽やかに微笑んだ。 「大丈夫、よほどのことでなければ陛下の意見が通るから」 「不本意だがな」 その答えにわたしは大いに安堵した。 有利が悲しむところなんて、見たくないもの。 とりあえず怪我人に立ち話をさせるものではないと、わたしはひっくりかえった様子の 事務所の中から比較的大きな椅子を見繕ってグウェンダルさんの下に持っていった。 「ああ、殿下!申し訳ありません!」 「すまんな」 グウェンダルさんの部下の人が恐縮してしまったので、愛想良く微笑んでおいた。 「いいんです、お仕事の話をしているんですから。あら、グウェンダルさん、包帯が」 椅子に座ったグウェンダルさんの右手首の包帯が解け掛かっていた。 何気なく巻きなおそうとその手を取って、思わず息を飲む。 「ひどい………」 火傷がかなりの広範囲に渡って広がっていた。掌の下半分から肘の近くまで。 特に手首は焼けた皮膚の下の肉が見えるほどだった。 「法術の掛かった手錠をしていたからな」 「それでこんなに?」 肋骨だけで後は大したことないなんて言っていたけど、これは十分ひどいと思う。 「癒しの手の一族という人たちなら、治せるんですか?」 「一瞬でというわけにはいかないけどね」 いつの間にかわたしの後ろに立っていたコンラッドが、グウェンダルさんの腕を取って 包帯を巻き直した。 「しかしグウェンダルともあろうものが、鎖に繋がれるなんてね」 どこかからかうような口調のコンラッドに、グウェンダルさんは苦虫を噛み潰したような 顔をする。 わたしはぎゅっと握り締めた拳を胸に引き寄せて、小さく呟いた。 「ごめんなさい……」 そんなつもりじゃなかったけど、ものすごく情けない声が出た。 グウェンダルさんだけでなく、コンラッドもぎょっとしたような顔で振り返った。 「ごめんなさい…わたしと有利がついてきたばっかりに、こんな怪我……」 よくよく考えてみなくても、砂熊以外の件は全部有利と駆け落ち者と勘違いされたこと から事が起こっている。 駆け落ち者と思われなければ鎖で繋がれることもなかったし、鎖で繋がれなければ 教会に行くこともなくて、花嫁泥棒呼ばわりされることもなかった。 そして捕まって獄に繋がれることだって……。 「、きみや陛下のせいじゃないよ」 「そ、そうだ。だから泣くな」 「泣いてません」 そんなに泣き出しそうな顔をしているのだろうか。 コンラッドは困惑顔で、グウェンダルさんはおろおろと取り乱しかけている。 前回だってあんなに反省して自己嫌悪に陥ったのに、今回も懲りもせずに押しかけて ついてきてこの様だ。 でも、次があったらわたしはまた同じことを繰り返すだろう。有利が突撃してしまう限り。 わたしだけでもいなければ、それだけで負担が軽くなることがわかっているのに有利 の帰りを待つことができない。 情けない。悔しい。 そっとグウェンダルさんの手を取って、火傷に触らないようにぎゅっと指を握り締めた。 と。 グウェンダルさんとわたしの周りに軽く風が吹いた。 気のせいかと思うほど、髪を僅かに揺らすか揺らさないか。それくらいの。 室内なのに風なんて、と思うと同時にズキンと掌に痛みが走った。 痛みは、そのまま腕を伝って肩口へと駆け抜ける。 思わずグウェンダルさんの手を取り落としかけて、怪我をしていることを思い出すと揃え られていた指を握り直す。 「もういい!よせっ」 急に落として衝撃を与えないようにと握っていた手を、他ならぬグウェンダルさんが振り 払ってわたしはそのまま後ろに尻餅をついた。 「!」 コンラッドが慌ててわたしの横に膝を突いて、背中を支えるように手を差し伸べてくれる。 「グウェンダル!なにを……」 コンラッドが怒鳴りつけるより先に、グウェンダルさんは椅子から降りてわたしの目の前 に膝をついた。 「大事無いか?どこか痛むところはないか。頭や心臓や……」 「グウェン?」 こけて痛むのはお尻だと思うのだけど。 わたしと同じ疑問をコンラッドも抱いたようだ。 「人間の土地で魔術を使うなど愚かなことを。わずかなことでも慣れぬ行為は命取りだ」 「魔術?」 なんのこと、と聞き返す前にグウェンダルさんが溜息をついて手の包帯を解いた。 「あ!ダメですよ、傷口は安静に……」 火傷は、依然としてあった。 だけど、随分とマシになっている。掌は火脹れも無くなっていて、肘の近くまであった 軽度の火傷も半分ほどは綺麗な色の皮膚に戻っている。手首の抉れるようだった 焼け跡も、傷を塞ぎ新しい皮膚が再生しようと盛り上がりかけていた。 「ええぇ!?」 傷が治ったのはいいことだけど。いいことだけど! 「これはお前が治したのだ」 自覚がないのかと、呆れた声で告げられたその内容は、到底受け入れられるもの ではない。 「はい?」 「お前がやったと言っているのだ。魔術を使い慣れた者ならまだしも、法石だらけの こんな法術の強い場所で、魔術を使ったことのないお前が、だ」 そんな馬鹿な。 でも、それがもし本当なら。 「だ、だったらもう少し治しておけば」 やり方がわからないけど。 「聞いていなかったのか?」 ギロリと射殺されそうな目で睨みつけられて、思わず横にいたコンラッドの腕に縋りつく。 「コンラート、そいつを連れて行け。目を離すな。ろくなことがない」 そこまで言わなくても。 せっかく逃れたのに、またコンラッドに抱き上げられてしまった。 「じゃあ、後の指揮はグウェンに任せるよ」 コンラッドが軽い調子でわたしを抱き上げたまま、建物から出て行こうとする。 「ああ。お陰でだいぶ楽になった。後は引き受けよう」 コンラッドの肩越しにグウェンダルさんを見たけれど、振り返ってくれることはなかった。 建物を出てコンラッドが小さく笑いながらわたしに耳打ちする。 「わかりにくいね、グウェンの礼の言い方は」 あれ、お礼だったの? 傷を治すより椅子を持っていくほうがわかりやすいお礼というのはどうなんだろう。 |
有利に引き摺られたのではなく、単独で魔術の発動。 お礼も言われましたけど、同時に怒られてしまいました(笑) |