すぐに追跡されることはないと思ったけれど、走ってその場を去った。 ううん、追跡されることが心配だったんじゃない。 あの場に、いたくなかったからだ。少しでも早く、少しでも遠くに離れたかったからだ。 子供の怯えた震えが、まだ腕に残っているみたい。 有利に会いたい。 有利に会って、泣きつきたい。 でも、自分でしたことなのに? 唇を噛み締める。 それでもコンラッドなら、あの大きな手で背中を撫でてくれるような気がした。 わたしは周りに依存してばかりだ。 028.早く逢いたい(1) 花嫁と花嫁泥棒捜しはまだ続いていて、それを避けながら宿に帰り着いた。 後ろ手にドアを閉めた途端、力が抜けて床に座り込む。 握り締めていた掌にも、首筋にも背中にも、嫌な汗をびっしょりとかいていた。 運動した後の爽快なものとは正反対の、ドロドロとした気分にさせる汗だった。 そのまま床で膝を引き寄せて、そこに顔を埋める。 「有利………有利、有利……」 呪文のように、何度も有利の名前を呼ぶ。 ように、じゃない。わたしにとっては、本当に呪文なんだ。 喉が涸れるまで有利の名前を連呼していると、本当にそれだけで少し落ち着いた。 落ち込んでいる場合じゃない。わたしにそんな余裕はない。 だけど。 「………コンラッド達と、合流して」 有利の居場所を伝えれば、コンラッドがきっとなんとかしてくれる。 他力本願この上ない。 だけどそれが一番確実だ。わたしの手で助けられるものならなんでもするけど、こんな 非力で無力な身で、なにができるだろう。 ……小さな子供を押さえつける程度が、限界。 明日の朝一番で街の入り口の門の近くに身を隠そう。入ってくるコンラッドを待つんだ。 だけどこの街の入り口は一つじゃない。そんなに小さな街じゃない。 本当に無事にコンラッド達と合流できるだろうか。 不吉な不安を払うように、大慌てで首を振った。 できるかじゃない。やるんだ。 有利が囚われているんだから。 監獄はどんなところだろう。きっと有利は辛い目に遭ってる。 待ってて。 きっと助けてもらうから。 助けてみせるから、と言えたらどんなにいいだろう。 孫を人質に恐喝された男が他の魔族の存在を通報して捜査がされるかもしれない。 あるいは、花嫁泥棒の捜査があるかもしれない。 テーブルと椅子をドアの前に置いて、すぐには侵入されないようにすると窓を開いて逃走 経路を確認する。 大丈夫、途中までなら雨どいにしがみついて降りられるだろう。雨どいが切れたところか らなら、飛び下りても支障はない。 夕食を食べる気にどうしてもなれなくて、剣とお金を入れた袋を抱いて服もそのままに、 質素なベッドに潜り込んだ。 深くは眠れなかった。 有利が酷い目に遭う夢を見て、夜中に何度も目が覚めた。 小さな子供が震えている夢もあった。 とにかく何度も起きた。 朝が来て、そんなに眠った気になれないままにテーブルと椅子をどかして部屋を出る。 昨日の朝以来なにも食べていない状況なのに、また食欲がない。 食は健康の基本。そして活動の基盤。 無理やりに朝食を押し込むと、宿を引き払った。今日中にコンラッドを見つけられなくて も、一ヶ所に居つかないほうがいい。 今日の宿を探す必要があるかどうかはわからないから、探すのは日が落ちかけてから でもいいだろうと、馬を引いて街門へ向かう。 どこの街門を張るべきか考えて、結局自分たちがくぐってきたところに決めた。 一番可能性が高いのは、やはりここだと思う。同じ方角からくるのだから。 フードを被って門に向かう途中、前からあの特徴的な髪型の兵士たちが数人で歩いて きた。 ぎくりと身を強ばらせたけど、どうやらなにかを探しているという様子は無い。単に見回 りかなにかなのだろう。 すれ違う時に、兵士の話が聞えた。 「しっかしなあ……俺はわからんねえ……男のどこがいいんだ」 「さあてね。だが結構可愛い顔してたぞ。片方は」 思わず足を止める。 くるりと振り返ると、兵士たちはわたしに気付くことなくそのまま歩いていく。 「だけど男を寄場に送ってどうするんだ?」 「そりゃ、荷運びとかなんとか。いくらでも仕事もあるだろう」 可愛い顔をした男が、寄場に送られた、と。 有利は監獄じゃなくて寄場に送られたんだ。場所を聞いておいてよかった。 有利とグウェンダルさんがそれぞれ別の場所に送られたというのは、都合が悪い。 救出作戦が立て辛くなる。 「コンラッド……早く……」 街門へと足を向けかけて、路地に知った顔を見つけたときは泣きたくなった。 「…………っ」 グウェンダルさんの部下の人だった。 無事……だったんだ! 「!………殿下!!」 わたしがそちらに辿りつく前に、向こうも気付いた。 慌てて駆け寄ってくる人数、六人。 街中でとんでもない敬称で呼ばれて、わたしは慌てて人差し指を立てた。 「しっ!静かに」 「も、申し訳ありません。で、ですがご無事で………」 目の前で涙ぐまれてぎょっとした。 わたしが泣かせたようで居心地が悪い。というか、そんなに心配してもらえるようなこと はなにもしていない。それもこれも、有利の妹効果というやつね。申し訳ないのはこちら の方だよ。勝手に押しかけて、勝手についてきて、挙句に行方不明になって。 「あなた方も無事でよかったです。それで、あの、コンラッド……ウェラー卿は?」 なぜか彼らは少し言い辛そうに顔を見合わせる。 「閣下は、陛下の救出に向かわれました」 「そうなの!?」 なんだ、やっぱりさすがはコンラッド。わたしなんかが下手に情報収集するよりも早く確実 に、有利の居場所を探り当てていたんだ。 「ああ、でもそれならグウェンダルさ…フォンヴォルテール卿は?獄に繋がれてしまった はずなんですけど」 「はい。グウェンダル閣下の救出は我々に一任されました。命に代えても、閣下をお救い する所存であります」 命に代えても、ねえ。 軍人という人種はそのフレーズが大好きらしい。わたしは嫌いですけどね。 だけど今ここでそれを言っても始まらない。コンラッド相手に自説をぶち上げたときは 酷い目にあった。まさか求婚したことになるなんて。 「あの、コンラート閣下は、その、殿下もてっきり陛下とご一緒だと思われたらしく…… それで慌てて寄場とやらの方へ」 なんだか焦ったような説明をされて、わたしは首をかしげた。 「あら、そうなんですか?それじゃあ、居もしない存在を探し回らなくてもいいように、 わたしもそちらに向かおうかしら」 こちらにも数人いるのだから、寄場に向かった人数もたかが知れている。 寄場がどんな広さかはわからないけれど、大事な法石というものを掘り出しているの なら、警備が数人なんてことはないと思う。居もしないわたしを探して、撤退の時期を 逃すことになったりしたら目も当てられない。有利だけを見つけて、風のように駆け抜 けて逃げるべきなのに。 「いいえ!危険な場所に殿下を向かわせるわけには参りません。殿下はどうか、ここ にいて吉報をお待ちください」 「でもそれじゃあ、ウェラー卿は無駄に走り回る羽目になるかもしれない……」 「ですから、我々で伝令に走ります」 「まさか!フォンヴォルテール卿の救出に向かうのでしょう!?これ以上人数を減らす なんて、わたしは許しません!」 冗談じゃないと振り仰ぐと、グウェンダルさんの部下の人たちはたじたじになって顔を 見合わせた。 「ですが、やはり殿下に行っていただくわけには……」 「あなたたちはフォンヴォルテール卿の救出班!ウェラー卿は有利…陛下の救出班! 役割がないのはわたしだけです。わたしが向かうべきでしょう!」 「殿下!どうかお静まりください。……コンラート閣下はそれはもう、殿下のことを気に かけておられました。陛下の下へ向かわれたのも、殿下がご一緒だと思われたから こそです」 「それは聞きました」 なんだか話がズレている気がして、わたしは眉根を寄せる。 わたしがコンラッドの所に行くのはわたしが寄場にはいないことを告げるためで、コン ラッドに会いたいというわけでは………。 急激に彼等の誤解を理解して、憤りにか恥ずかしさにか、とにかくきっと顔は真っ赤に なってしまったに違いない。 「わたしは!有利に嫉妬してるわけじゃないですっ!」 |
主要人物不在が続きます。すみません。 |