風で飛ばされたローブを慌てて追いかけて、せっかくふたりと離れたからと昼間締めた サラシを緩めていると有利の悲鳴が聞えた。 高速で戻ってみると、涙目の有利の上に、わたしを見て焦ったグウェンダルさん。 いやね、ちょっと考えれば、すぐにわたしが帰ってくるのにそんなことするはずがないと わかりそうなものなんだけど。 だけど冷静さなんて欠片も残っていなかったわたしの中段回し蹴りは炸裂して。 わたしは謝った。 謝って謝って、謝り倒した。 だってまさか、誤解だなんて、全然考えてもみなかったんだもの。 ―――もっとグウェンダルさんを信用しないとダメだよ。 どの口が言ったの、その言葉。 はい、この口です。しかも今日の話。 025.静かな夜 グウェンダルさんは痛そうに首を押さえながらも、わたしを怒鳴りつけたりはしなかった。 もういい、と機嫌の悪そうな重低音で言ったきりのそのそとわたしたちから離れようとして 有利と繋がれた鎖が音を立てる。 離れられない。 忌々しげな舌打ちをするものの、それ以上の悪態もつかずに砂の上に腰を降ろした。 グウェンダルさんが怒らなかったのは、多分わたしがさっき泣いてしまったからだ。 最初の夜からそうだったけれど、女子供の涙に弱いタイプらしい。 怒られずに済んだ身でいうのもおかしいけど、泣き落としになってしまったのは不本意だ。 叱られるべきことは、叱られたほうが気が楽なこともある。 「悪かったよ、グウェンダル。ほら、これ」 スケルトンブルーのドルフィンキーホルダーを有利が差し出すと、グウェンダルさんの眉 がぴくりと動いた。 ちょっと有利、いくら少しばかり興味を持っていそうに見えたからってそんな貢物、馬鹿 にしているのかと余計に怒られるだけだってば! 焦るわたしとは対照的に、有利はさらにアクリルのちゃちなキーホルダーを押し付ける。 「やるよ」 今すぐその手を叩き落とすべきかとわたしが手を振り上げたその時、信じられないことが 起こった。 グウェンダルさんの大きな手が、ゆっくりと伸びて小さなキーホルダーにそっと触れる。 「いいのか……?」 わたしの目が確かならば、その手は微かにだけど震えていた。 怒りで、ではない。 感動で、だ。 唖然とするわたしの前で、ふたりのやりとりは続く。 「いいよ。おれ、そいつら苦手。なに考えてるかわかんないもん」 「愛らしいな………名前は?」 「バンドウくん……か、エイジくん」 「バンドウエイジか………」 正気を疑うような光景だった。 だれのって……。 だれのだろう。 グウェンダルさんのか、こんな幻覚を見ているわたしのかは、わからない。 でも、幻覚じゃないし。 ところでグウェンダルさん。バンドウくんとエイジくんは別の個体だから。続けてしまうと、 違う生物になるから。 バンドウくん(かエイジくん)のキーホルダーでご機嫌を伺った有利の作戦は見事的中で (というか、有利からすればいらないものだったわけだから、ゴミも増やさずにすんで一石 二鳥だったに違いない)、長々とした疑問にグウェンダルさんはすべて答えてくれた。 首の痛みよりも、面倒くささよりも、キーホルダーなのね。 ある意味、天晴れかもしれない。 グウェンダルさんが教えてくれた事柄は五つ。 茶色とベージュのパンダは砂熊といい、本来ならもっと大きな砂漠に住む生き物らしい。 最近スヴェレラでは法石という、法術を使うための補助道具が採れるらしく、その国外 流出を防ぐためのトラップだろうということだった。 二つ目は、その法術について。魔族が使う魔術に対して、人間が使う術が法術という。 生まれて持った資質の問題で、魔族以外には絶対に扱えない魔術に対して、法術は神 に誓いを立てて、修行なんかで使えるようになるのだとか。 三つ目は、どうして砂熊がわたしと有利にだけ見えたのか。これは、目くらましの法術が かけられていたのだろうということだった。なぜかわたしたち兄妹には術が効かなかった のだろうと。あら、これだとわたしと有利にだけ見えたというか、それ以外に見えなかった 理由かな。 四つ目は、鎖をどうして切らないのか。鎖には法石が練り込まれていて、魔族に従う要素 の少ない場所での魔術や、ましてや物理的攻撃なんてものではどうしようもないらしい。 次の街で、鎖を切れる法術士を探すということだった。 五つ目は、コンラッドたちのこと。これは結局は主観的予測だったわけだけど、コンラッド の剣の腕ならまず、心配する必要はないと断言した。 そのときだけ、有利じゃなくてわたしを見て。 そのとき、自分がどんな顔をしていたのかはわからない。でもきっとわかりやすい表情 だったのだろう。 グウェンダルさんの顔も、すこーしだけ、優しげに緩んだから。 話が終わると安心したらしく有利がうとうととし始めたから、わたしは慌てて有利に自分 が着ていたローブをかける。 すると、グウェンダルさんは火を突付きながらわたしたちに小難しく言った。 「保温効果を上げるためにもう少し近付け」 「……そんな小難しく言わなくても」 有利は苦笑しながら、わたしを抱き寄せてグウェンダルさんと肩を寄せ合った。 グウェンダルさんと肩をくっつけ合った有利の腕の中にわたし。その上から三人まとめて 覆うように、グウェンダルさんが巻きつけていたローブをかける。 確かに、だいぶ温かい。 サンドイッチ状態の有利はもっと温かいのか、急速に眠りに落ちようとしている。 「おい」 「まだなんかあんの?」 答える有利の声は、もう半分眠っていて口の中でもごもごと篭っていた。 「動物は好きか?ウサギとか猫とか」 「……オレンジ色のウサギは嫌い。猫は……そうだな、猫よりライオンが……好きだ… 白いやつ。白い獅子」 それは、某球団批判と、某球団崇拝ですか、有利さん。 眠る子供の体温は高いと言う。実際、眠った有利はますます温かくなった。 わたしは、有利にもたれかかったまま、オレンジ色の炎を眺めていた。 「おい」 有利の上から重低音が聞える。キーホルダーの件からこっち、もう不機嫌さはどこにも ない。 「お前も眠れ。明日も早くに出発する」 「ああ……日が昇る前に、ですね」 「そうだ。本格的な暑さになるまでに、少しでも進んでおきたい」 有利が馬を逃がしてしまったから、時間がさらにかかること請け合い。でも明日中には 次の街に着くだろうという話だった。 わかってる。眠らなきゃ。 快食快眠快便は健康の基本。一回目にこちらにきたときも、同じことを考えた。 人間の国の船で魔族だとばれて、船倉の部屋に閉じ込められた夜。 あのときは、コンラッドが慰めてくれた。落ち着かせてくれた。 ……あの夜のことで、後でとんでもないことにも、なったけど。 ああ、だけど……今はコンラッドがいない。 あのときの優しい声とか、大きな手とか、柔らかい苦笑とか。 全部、ないんだ。 「お、おい」 わずかに焦ったような上擦った声が聞えて、初めて自分が泣いていることに気付いた。 「あれれ?」 滲んだ視界に、手で擦ってみると透明の液体が甲を伝って落ちる。不思議なものでも 眺める気持ちでそれを見ていた。 「さ、寒いのか?それとも腹がすいたのか」 「そんなことで泣きません」 いくつの子供よ、それ。 ごしごしと擦っていると、焦れたような声が降ってきて手を掴まれた。 「だから擦るなと言っただろう。物覚えの悪い娘だ」 そんなこと言われたのは初めてだ。いつもは上のお兄さんに似て頭がいいねーとか、 双子の片割れとはエライ違いで頭いいなあ、とか。 いつも思いますが、世間は成績というものに振り回され過ぎです。お兄ちゃんはあれで ギャルゲー好きのプチ変態だし、有利は頭の回転速いのよ!? 違うところで憤ってどうする。 「どうした、なぜ泣いている」 「こ、これは目に砂が入って……」 どんなベタないいわけだ、。今は風だって吹いてないのに。 この人には、泣いているところばっかり見られている。いつからこんなに涙もろくなった んだろう。情けない。 「そうか………」 グウェンダルさんの大きな手が、軽く頭に乗せられる。 「お前はなんの動物が好きだ?」 は? なんの話と思ったけれど、これがグウェンダルさんの優しさなんだろう。話を逸らしてくれ たのかな。 「………ヒヨコかな」 あの小さくて黄色い毛玉は見ているだけで癒される。お父さんが好きな映画を録画した ビデオに入っていた某救急箱の古いCMが大好きだったりする。 「ならばお前はヒヨコだな」 なにが。 疑問を口にすることはなかった。他愛もない話がよかったのか、ようやく疲れが身体に 回ったのか、段々眠くなってきたから。 髪を梳く手は優しくて、耳に響く声は心地いい。 「お前の兄は獅子がいいという。…コンラートのことが、よほど気に入っているとみえる」 コンラッド? コンラッドと獅子になんの関係が…あれは有利ご贔屓の野球チームのマスコットで…。 「……だから心配するな。コンラートは無事だ」 眠りに落ちる瞬間に、小さく呟く声が聞えた。 ああ、なんだ。少し判りにくいけれど、本当に似たもの兄弟なんだ。 コンラッドとグウェンダルさんは。 気遣いの仕方が少し違うだけで、ふたりともこんなに優しい。 他人のわたしなんかより、コンラッドとヴォルフラムのお兄さんのグウェンダルさんの 方が、もっと心配しているはずなのに、わたしなんかに気を遣って。 わたしは頷いたつもりだったけど、グウェンダルさんに伝わったかはわからない。 目尻を伝って頬を濡らした一筋の流れを。 大きな指が、拭ってくれた感触がした。 |
長男と仲良くなろう企画が着々と進行(実はそんなコンセプトが) |