コンラッドの姿はすぐに見えなくなって、わたしは浮かんでいた涙を乱暴に手の甲で

拭った。

大丈夫。コンラッドは大丈夫だと言った。

頬に残る感触だとか、そんなことは前みたいに気にならない……ううん、その約束に

勇気付けられて、きゅっと唇を噛み締めて気持ちを切り替えようとした。

あんまりわたしが落ち込んでいたら、コンラッドに戻るように命令した有利まで不安に

なってしまう。

でも、どうしてわたしは再会してすぐにコンラッドともっと話しておかなかったんだろう。

恥ずかしがってなんていないで、もっとちゃんと顔を見て話して、それから。

………後悔する必要なんて、ない。

だって、コンラッドとはすぐにまた会えるんだから。





024.狼狽した指先(2)





ここで待っていてもコンラッドたちは別の場所から脱出するので無意味、ということで

すぐに出発することになった。

わたしとグウェンダルさんの馬は無事だった。

ここで馬の負担を考えるならわたしと有利が乗るべきなのだろうけれど、今はとにかく

早く砂漠を抜ける必要がある。荷物の大半はなくなったし、砂漠の昼と夜の気温差は、

素人連れでは厳しすぎるから。

そこで馬の扱いになれたグウェンダルさんが有利を引き受けることになった。

有利はやっぱり自分の決断に迷いが出たようで、助かっていたコンラッドまで危険に

さらしてしまったことに悩んでいる。砂漠の暑さにやられているせいもあるんだろう。

なんとか気を紛らわせようと、必死にグウェンダルさんに話しかけているけれど、返事

は「ああ」とか「いや」だとか、至極短くて会話になっていない。我が兄ながらちょっと

不憫になる。

「おい」

グウェンダルさんが水嚢を有利に差し出している。

「いいよ、おれさっき飲んだばっかりだし」

砂漠で飲み水は貴重。そこのところはわたしも有利も理解しているつもりだ。

こんな砂漠で熱中症とか脱水症状とかになったら危ない。

やはりそのあたりも訓練なのか、グウェンダルさんが水を飲む回数はわたしたち兄妹

よりも断然少ない。有利が遠慮するのもわかる。

「いいから飲め。口を抉じ開けられたいか」

「……いただきます」

ふたりとも真剣そのものなんだけど、傍で見ていると漫才みたいだ。

無理をして余計に足を引っ張ることになっては目も当てられないから、わたしも自分

の馬から水嚢を取って、唇を濡らす程度にわずかに水を飲んだ。

有利が前方を見て、目を擦っている。

大丈夫、蜃気楼じゃないから。

「気のせいかな。街が見える」

「有利、蜃気楼じゃないよ。本当に見えてきたの」

グウェンダルさんが一向に答えないので、わたしが代わりに答えた。

うーん、仲良しには程遠いふたりだね。

街の規模は小さく、縦に長い商店街くらいのものだった。それでも街だ。水を買うこと

ができる。たぶん砂漠の中継地点の街だろうから、泊まる施設もあるはず。

街の門が近付いてきて、グウェンダルさんはわたしに近くの岩陰に隠れているように

指示した。先に様子を見てくるつもりらしい。

それに従って、馬を降りて岩陰に腰を降ろした。




じりじりと照りつける太陽とは直接に顔を合わせていないけれど、ひどく暑い。

日陰でようやくフードのように被っていた布を後ろに払って、安堵の溜息をついた。

時間を確かめようと袖を捲くってみると、砂で中が詰まったのかアナログの腕時計は

午後1時半で止まっていた。あーあ、そんなに新しいものでもないけれど、気に入って

いたのに壊れてしまった。砂で詰まっただけなら、直せるかな。

まあなんにせよ。

女連れは色々面倒だろうから、ウィッグの髪型を変えて無造作なひとつ括りのスタイル

にしておいた。ちょっとでも女らしく見えるものは排除しておこう。無駄な努力というもの

かもしれないけれど、胸もサラシみたいに布を巻いて押さえつけておく。

街の近くの岩陰で、怪しいことこの上ない動き。

ごそごそと変装を終えて服を調えるとまた膝を抱えて俯いた。

溜息が漏れる。

コンラッドは大丈夫だろうか。ヴォルフラムは無事なんだろうか。グウェンダルさんと

コンラッドの部下の人たちも、ひどい怪我なんてしていなければいいけれど。

砂の上で俯いて項垂れていると、馬が嘶きを上げた。どうやら太陽が少しずつずれた

お陰で、日陰からはみ出てしまったことが不満らしい。

「はいはい。待ってね」

馬を日陰に引っ張りこんでやりながら、水嚢の水を少量、手に出して馬に舐めさせた。

「もうちょっと多く飲ませてあげたいんだけどね……」

この街でどれくらいの水と食料が手に入るかまだわからない。記録的旱魃というくらい

だから、いくら金を積んでも少量も手に入らない可能性だってあるわけだし。

溜息をついていると、街の方がにわかに騒がしくなる。

なんだろうと岩陰から顔を覗かせると、街からグウェンダルさんが馬を疾走させてきて

いる。有利は引き摺り上げられていた。

トラブル発生を感知して、慌てて岩に括っていた手綱を解いて馬上に上がる。

「走れっ!」

通り抜け様に叫ばれたとおり、馬の腹を蹴ってすぐさまグウェンダルさんの後を追い

かけた。




「え?駆け落ちぃ!?」

追っ手がないところまで逃げたのを確認してからトラブルの原因を聞くと、駆け落ち者

と間違われて捕まったのだと有利が説明した。

「だって駆け落ちって……ふたりとも男なのに?」

「おれ、胸がないだけの成長待ちだってさ……」

つまり有利がAAカップの女の子と思われたわけね。

有利が力なく笑うと、左手の鎖がジャラリと音を立てる。有利の左手首とグウェンダル

さんの右手首が太い手鎖で繋がれていた。

「なんか街に入ったらチャーリー・ブラウンみたいな似顔絵があっちこっちベタベタ貼っ

てあってさ、それが駆け落ちものの手配書だったんだってさ」

「……有利のどこかチャーリー・ブラウンなのよ」

不満を漏らすと、有利はそれ以上に大きく嘆いた。

「このシーワールドのスタンプが駆け落ち者の印だとか言われてさー。ワンデイフリー

パスのどこに犯罪の匂いがあるんだよぉ」

「………つまり、この件の原因は村田健にもあるわけね」

有利をシーワールドへ無理やり引っ張って行ったのはあのメガネだ。

「い……いや、まあ……ムラケンごめん……」

有利が小さく呟いたけれど、わたしはそれを無視して拳を握り締めた。

「とにかくこうなったら、早く次の街を目指すしかないよね。今度はわたしも一緒に行く

から、三人でいて駆け落ち者とは思われないだろうし」

代わりに今度は鎖が厄介なんだけどね。

「そうだよなあ……が一緒なら駆け落ちだなんて思われなかっただろうに……」

有利ががっくりと項垂れる。

「どうかな?そしたら、今度はわたしとグウェンダルさんが駆け落ち者と思われたかも

しれないよ。有利は駆け落ちの段取りを整えた人だとか」

ちょっとした思い付きで言ったのに、有利が凄い勢いでわたしを振り返った。

「なんだよ!駆け落ち者に間違えられそうなことでもあったのかよ!?」

「……はあ?」

意味がわからない。

あったのかよって、有利とグウェンダルさんだってなにかをして間違えられたわけでも

ないのに、なんの行為を指して言っているのやら。

「そ、そういえば聞きそびれてたんだけどさ!お前、今回は飛ばされたときどこに現れた

わけ!?」

「グウェンダルさんの寝室。えーとベッドの上」

ぶっと有利が噴き出した。

グウェンダルさんが咳払いとともに話しに割って入ってきた。

「言っておくが、より正確には鏡から飛び出したのだ。たまたま下に私のベッドがあった

にすぎない」

「あ、ああそうなんだ。じゃあ抱き合っていたってのも、そんときのこと」

「抱き合ってた!?」

わたしとグウェンダルさんが見事にハモった。

「ああ、いやそのあの、え〜と………も、目撃証言がね」

「………やつか…」

グウェンダルさんがボソリとだれかの名前を呟いた。や、やばい、わたしのせいで彼

(多分、あの赤い髪の人)が降格処分とか減棒処分とかになったらどうしよう。

「でで、でもあの状態ならそう見えたかも。やあねえ、わたしったらそそっかしいから、

ベッドから飛び下りようとして落ちかけたのよ。そこをね、グウェンダルさんが引っ張り

上げてくれたの。お陰で頭から落っこちずにすんだの!」

必死に言い訳してみると、有利は目を丸くして、グウェンダルさんは頭が痛いと言わん

ばかりに額を押さえて溜息をついている。

あれ、もしかして、わざとらしかった?

でも本当の話なんだけど。







駆け落ち者って…相手が有利で実は長男助かったのかもしれませんね。
(三男より次男の方がそこはかとなく怖いので^^;)



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