磨き込まれた床は、黒曜石の鏡かと言いたくなるほど黒く光っていた。靴音が高い天井に

反響して響く。

先導の女性兵士について歩いていると、広々とした通路の両脇に年頃の女の子たちが

興味深げにこちらを窺っているのが見えた。

いかにも『巫女』という服装は奥に進むに従って増えてくる。入り口付近の少女たちは見習

いというところかな。奥に入るほどにより動きにくそうな服と、床まで届きそうなくらいの長い

髪を結いもせずに垂らしている女性が見られるようになってきたからだ。

無宗教派のわたしとしては、どこの国でもどこの世界でも、宗教家って力があるのねえと

いう罰当たりな感想が浮かんだ。もっとも、この国の眞王様の御魂とやらはまだこの廟に

留まっているという話だから、宗教というべきなのか、眞王崇拝というべきかは微妙だ。

なるべく取りとめもないことを考えるようにしていた。

恐らく今は山道を下っているだろうコンラッドとヴォルフラムを思い浮かべると、泣きたく

なるから。

もう一度、来たい。

そして、もし本当に有利がこちらで暮らすようになるのなら、一緒にこの世界に置いて

欲しい。有利と離れたくない。コンラッドに会いたい。ヴォルフラムにも会いたい。

「前向きに、また、会えると信じる……」

自分に言い聞かせるように小さく呟いたとき、建物の最奥と思われる扉の前まで来た。





020.出逢いと別れ(4)





案内してくれた女性兵士は、ここで扉を守っていたと思われる衛視にバトンタッチをして

帰って行ってしまった。

「王妹殿下でいらっしゃいますね。言賜巫女様が奥でお待ちです」

衛視の女性が扉を押し開けた。

王妹殿下だって。間違っていないけれど、間違えられているんじゃないかとくすぐったい。

促されて入った部屋の中には、銀に輝く髪を床に流して座る少女がいた。

「ようこそ、様。眞王陛下のお膝元である眞王廟へ。わたしは眞王陛下の言賜巫女を

勤めております、ウルリーケと申します」

「は、はじめまして。渋谷です」

見た目は十歳前後の少女だけど、なんだろう、さすがに威厳がある。

「この度の急な召喚にさぞや驚きになられたことでしょう。ですが殿下がこちらに参られた

ことは、殿下ご自身の意志によるものだと陛下はおっしゃいました」

「え、そんな馬鹿な」

「いいえ、真実です」

どういうこと?

有利だって自由意志で行き来できないのに、なんでわたしにそれができるわけですか?

というより、こっちに来たいなんてちっとも考えてなかったんですけど!?

心当たりがあるとしたら、眞魔国の話を聞いたとき、有利が大変な目に遭うならその場に

いたいと考えたことくらいですが。

「それは、わたしも有利みたいにこの国に意味があるってことになるんでしょうか…?」

こちら産の魂を持っているらしいけれど、それにしたってなにか役目があるというのなら、

ギュンターさん辺りが凄い勢いで話してくれそうなものなのに。

「今からお話することは陛下が決して紙などにしたためず、口頭で殿下にお伝えせよと

のご意志をわたしに伝えられたことです。そこで、殿下にはここまでご足労頂きました」

「つまり、ここまで来なくても、帰るだけなら問題ない、と?」

「そうなります」

まあね、有利も水洗トイレから草原に、銭湯からお風呂にそれぞれ飛ばされている。

特定の場所でないと移動できないというわけではないのだろう。わたしだって呼ばれた

場所はお風呂からお風呂へ、だ。

ふと疑問が沸き起こる。

「でも、わたしはこっちに来るとき、男の人の声を聞きました」

「おそらくそれは眞王陛下のお声でしょう」

「だったら、ウルリーケさんに伝言を頼まなくても直接話せばいいのでは……?」

「陛下のご深慮はわたしにはわかりません」

思わずがくりと肩が落ちる。なんなんだ、一体。

「それで……その、眞王陛下のお話しというのは……」

「殿下の魂はかつては大いなる方のものであり、その役目は殿下にも続いているそう

です。役目については、いずれ殿下ご自身で思い出すことができるだろう、と」

「…話が荒唐無稽すぎてなんですが、つまり今の時点ではなんにもわからない、と?」

「それ以外のことはなにもお話しくださいませんでした」

「あ…あのね……」

それくらいなら、また帰りに一言くれればいいんじゃないですか?

わけがわからない。

しかも、魂が大いなる方のものだったって言われても、それは前世の話でわたし自身

ではないのに。

でも役目が続いているって……。

そんな知らない昔の話をつき付けられても、あまりいい気はしない。

口頭で伝えろなんてところが、益々もっていやな感じ。

「どうかこのことは殿下も胸に秘めておいてください。ユーリ陛下にもご相談せずに」

「だ、だめなんですか?」

有利にまで内緒だなんて、さらに不穏当な話の予感なんですけれども。

「では、そろそろチキュウへ。殿下はまだ完全に力を使いこなせてはいないと陛下が

おっしゃいましたので、わたしが陛下のお力をお借りしてお送りいたします」

「はあ、それはどうもお手数を掛け致しまして……」

微妙な話が続いて、わたしの反応も微妙なものだった。

話についていけない。

「ユーリ陛下と殿下のご帰還を、眞魔国一同お待ち申し上げております」

取り合えず。

またここにこれると確定らしいことを、素直に喜んでおこう。

なんにもわからないのに思い悩んでも仕方ないしね。

と腹を括ったところで足元に違和感を覚えた。下を向くと、黒曜石のような床が沼に

でもなったというのか、ずぶずぶと沈んでいっている。

「う、うわ、グロテスク……」

引き攣る口でどうにか言葉を発したときは、もう顔まで沈みかけていて。

視界が暗転した。




来るときはスタツアみたいにぐるぐるキラキラだったのに、今度は真っ暗な闇の中を

ひたすら落下していた。

「こわっ!これ相当スピードあるってば!」

だから絶叫系は嫌いなんだってば!

―――束の間の休息を、

落ちながら、突然あの男の人の声が聞こえた。

――今はただ、盟約の再結を。

額が熱い。濡れタオルと間違えてカイロでも当ててるのかと言いたくなる様な生暖かさ

から、段々と痛いくらいに熱を帯びてくる。

その間にも、どんどん身体は闇に落ちていく。

「せめてスピード落としてください!ブレーキどこー!?」

下に小さな光の点が見えた。

それがどんどん近付いてきて。




「ぷはぁあ!」

水面に浮かび上がって、止めていた息を吐き出した。

くらくらする。

見回すまでもなく、家のお風呂でした。

よかった、天井から落下とかじゃなくて。下手したら死んじゃうよ、それ。

「帰って……きた、の?」

まさか夢オチなんて話はないよね。

沈んでいた湯船から這い上がりながら、重い身体を見下ろした。

うん、夢オチじゃなかったよ。服着たままお風呂に入るほどボケちゃいない。

有利の言ったとおり、二週間ほどあっちにいたのに、こっちでは時間はほとんど経過

していないようだった。経過してたらわたし、家のお風呂で溺死というはめになってる

わけで。もしくは風呂から裸で行方不明扱い。か、勘弁して。

濡れて非常に脱ぎにくい服をどうにか剥がしながら、ようやく最後の一枚、ツヤツヤの

ヒモパンも脱ぐ。

有利の持ち物で先に知っていたとはいえ、さすがに自分ではくとなるとかなり引いた。

それでもノーパンよりはマシかって……。この歳で、こんなセクシーランジェリーはいり

ません。

今度あっちに行くときは、自分の服も持って行きたい。

下着も含めて衣装を全部、お母さんに見つからないように部屋干しにするしかない。

だってどこの仮装よ、そのカッコ。

お風呂で服一式を洗っていると、脱衣所のドアがノックされる。

ちゃん、随分長湯だけど大丈夫か?寝てないよな?」

お兄ちゃんの声だ。

ひどく懐かしい気分になって、わたしは力を抜いて湯船に腰掛けた。

「起きてるよ。もうあがるー!」

行ったときとそう変わらない時間ということは、有利は今頃、村田くんと野球観戦中と

いうわけで。

「帰って来たら、色々話さなくちゃ」

だけど、眞王の話はどうしよう?

前世の記憶とやらが戻っていない以上、どうして内密にしたいのかもわからない。

内密にするのが、眞王のためなのか、わたしのためなのか、それとも他のだれかの

ためなのか。理由がはっきりしない。

「………………一応、有利の味方ではあるんだし、従っておいたほうがいいかな」

それで有利の不利になるということは、今のところ窺えないし。

そういえば、最後の額のあの熱はなんだったんだろう。

手を当ててみても、体温は風呂に入ってちょっと上昇している程度だった。







ようやく帰ってこれました。どうやら眞魔国との行き来可能は確定の様子。
ですが別の問題が浮上しています。



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