眞王廟まで見送りをと言ったギュンターさんを宥めるのはちょっとした労力が必要だった。 なにしろ有利絡みになると正気を失いがちな彼は、その妹にもご執心だったから。 「私もお供いたします!」 「大丈夫ですよ。ヴォルフラムもコンラッドも来てくれるし。ギュンターさんは有利が不在の 間の執務をこなしてもらわないと…もう何日も城を開けっ放しだったんでしょう?」 「ええ、ですからあと一日くらい遅れてもどうということはございません」 ギュンターさんの後ろで、補佐と思われる人が蒼白になってぶんぶんと首を振ってわたし に合図を送っている。全然大丈夫じゃないらしい。それはそうだ。 「急を要する案件はヴォルテール城でこなしておりました。私もお供いたします。それに どうぞ私のことは呼び捨てになさってください。敬称はいりません」 そうは言われても、日本人的感覚のわたしからすると年上を相手にそれは失礼になる のに。こっちでは王の妹になるんだから、どうしてもそうなるんだろうけど。 そっちにまで反応していたら、話が進まない。本当はそっと手を取って「有利があなたを 頼りにしているんです。どうかお仕事を」とか言いたいのだけど、まだ自分からギュンター さんに近付くことはできない。 ごめんね、足が竦むのよ。第一印象って大事だね。 なのでわたしは、その場からできるだけ優雅に見えるように努力して微笑んだ。 「有利はあなたを頼りに思っています。どうかそれに応えてあげてくださいませんか?」 ギュンターさん、鼻血を噴いて居残り決定。 020.出逢いと別れ(3) 眞王廟は、血盟城の北の山にあるという。 中腹までは馬でどうにかこられたけど、そこからは徒歩だった。 山登りといっても、ヴァン・ダー・ヴィーアでモルギフが眠っていた山ほど急ではない。 斜面を登りながら、ヴォルフラムがとんでもないことを言い出した。 「それにしても、。お前はこちらに残るつもりはないのか?」 「はあ?え、あ、だ、だって、だからこうして眞王廟に向かって……」 「どうせいずれユーリもこちらに落ち着くことになる。それに先んじているだけだと思えば いいだろう」 それは、どうだろう。 わたしだってもちろん家族や友人たちに会いたいけれど、最終的にもしも有利が本当に こちらに落ち着くというのなら、わたしはこっちの世界を選ぶ。 お父さんより、お母さんより、お兄ちゃんより、友達より、自分の産まれて生きた世界より、 わたしは有利を選ぶ。 だけど有利はそうはいかない。いつもはぞんざいに扱っていても、有利は家族を大事に しているし、友達だって大切に思っている。この国も好きになっているとはいえ、日本を 嫌いになったわけじゃないし、野球をこよなく愛しているのに、こっちの世界ではコンラッド ひとりしか野球人口がいない。 どう考えても、こちらの世界だけに落ち着くと言うことは、有利の意志に反すると思うけど。 「ヴォルフラム」 振り返ったコンラッドが少し怖い顔で嗜めるように語気を強めた。 「簡単に言うな。陛下にとっても、にとっても、ニホンは生まれ育った国で、生きてきた 積み重ねがある。家族だって、友人だって」 「ユーリがここにいれば家族もいることになるだろう。ぼくももう家族同然だ。友人だって、 住んでしまえば」 「ならお前は眞魔国を捨てられるというのか?」 「なぜぼくが国を捨てなければならない」 ヴォルフラムが不快そうに眉をしかめた。 「お前が言ったことはそういうことだ。に、国を捨てろと言っているのも同然だ」 ヴォルフラムは不機嫌そうな表情のまま、自分の兄を睨みつける。 わたしたち三人とも完全に足が止まっていた。空気が重い。 「お前だって、そうなればいいと思っているくせに」 噛み締めた歯の間から唸るように言って睨みつける弟に、コンラッドは目を細めて地面 に視線を落とした。 「その通りだ」 そんなこと言うコンラッドがよほど珍しいのか、ヴォルフラムは絶句する。 わたしも、声が出ない。 だって、だってそんなこと言われても。 昨夜に色々と言われたけれど、わたしの中でコンラッドの言葉はいまだ消化しきれて いなかったから、戸惑いはなおさらだった。 悪いけど、コンラッドの言ったわたしの長所が納得できなかったんだもの。 可愛いなんて、到底納得できない。こちらの美の基準は違うとわかっていても、有利 に言わせると小動物みたいなの和み系となるこじんまりした小市民が可愛いなんて、 それこそ動物を可愛がっている可愛いと大差ない気がするし。 優しいって、有利には優しいかもしれないけど、他の人には普通に接しているだけだし。 聡明な人間は、大事な旅を邪魔したり、無謀な勝負を挑んだりしません。 強い意志を込めた瞳、なんて。有利絡みじゃあ引かない頑固者ってだけのことで。 やっぱりコンラッドに好かれる要素は有利の妹だってことしか、納得できない。 そんなことを夜明け近くまでぐるぐると考えていたのに、短く答えたコンラッドの声には なにかが滲むような重さがあった。 だけど次にコンラッドが顔を上げたときには、もういつもの優しい微笑が浮かんでいて。 「だから、名残惜しいけれど……あと少しだ。きっともうすぐユーリに会えるよ」 強烈な罪悪感が込み上げてきて、息苦しい。 寂しさが込み上げて、目頭が熱い。 だって、あんなに人のこと好きだとか言っておいて、あっさり諦めすぎ。 本当に好きなの? だったら、いっそ攫ってでも離さないくらいの根性を見せてよ。 ……言ってることがめちゃくちゃだ。 わたしは男の人が怖い。どうしてかコンラッドだけは触っても平気だけど、きっとそれも 家族のような親愛があるからだ。 コンラッドのことを異性として好きにはなれないのに、好きなら意志を押し通せと言って いることになる。本当におかしい、ひどい話。 結局わたしはどうしたいのだろう。 コンラッドが何事もなかったように歩き出して、わたしとヴォルフラムは黙ってそれに 続いた。なにを言えばいいのかわからない。 そうして、黙々と歩いてようやく……とうとう眞王廟についてしまった。 「お疲れ様、。ここが眞王廟だ。さっそく中へ……」 「コンラート閣下並びにヴォルフラム閣下は、ここより先はご遠慮ください」 長身のコンラッドの六倍はありそうな巨大な入り口で、門衛と思われる女性兵士が行く手 を遮るように武器を交差させた。 「陛下の妹君をお送りする場に立ち合いたいと、先に連絡していたはずだが」 「なりません。巫女がお許しになられませんでした」 「なんだと!?なんの権利があって、ぼくが妹を見送る邪魔をする!」 「眞王陛下とその声をお聞きする言賜巫女様の権限です」 ふたりの女性兵士はヴォルフラムの剣幕にも押されない。さすが素晴らしい職業意識の 高さだね。 「ここ、男子禁制なの?」 エキサイトするヴォルフラムの横で、わたしはのんきにコンラッドを見上げる。 「そう。巫女の許可がない限り、男は一歩も入れない」 なるほど、尼寺みたいなものか。 「決まりならしょうがないね。ヴォルフラム、いいよ。ここまで一緒に来てくれてありがとう」 「だが、ぼくは」 「それに、たくさん助けてくれてありがとう。どうかこれからも、有利のことをよろしくね」 被せるようにそういうと、ヴォルフラムは口を尖らせて拗ねた表情をしながら腰に手を 当ててそっぽを向いた。 「礼を言われるようなことはしていない。ぼくは妹を手助けしただけなんだからな」 昨日コンラッドが言った予想は正しかった。ヴォルフラムもお礼なんていらないって。 それが嬉しくて、暖かくもあった。 「ユーリのことは任せておけ。あいつはへなちょこだからな。ぼくがいないとなにもでき ない。も、これからも遠慮せずぼくを頼れ」 「え?」 「なんだ、なにか不満か?」 「えっと……ううん。ありがとう。嬉しいな」 ヴォルフラムは、これが最後の別れになるかもしれないなんて、ちっとも考えていない ようだった。 「ね、。こんな風に前向きに考えるほうがいいよ?」 コンラッドがそっと耳打ちしてきて、振り仰ぐとにっこりと微笑んでくれた。 「また逢える日を待ってる」 |
ヴォルフラムのあの常に前向きの姿勢は見習うべきものがあるのかもしれません。 |