「ここはどこ……」 わたしはだあれ、とは続きません、さすがに。 明日で日本に帰るのなら、コンラッドとヴォルフラムに今までありがとうございましたと、 これからも有利をお願いしますを言わなくちゃいけないだろうと部屋を出て。 お城の中で迷いました。 こんなことなら改めてご挨拶に伺おうなんて考えずに夕食の席で言ってしまえばよかった と本格的に後悔し始めた頃、なぜか森の前でぽつんと立っていた。 020.出逢いと別れ(2) ここは城内です。城壁は越えてないからね。そしてここがどこかもわかっている。 部屋に案内されるときに教えてもらった裏庭のはず。 庭の雑木林とか言ってたけど、どう見たって森だよと思ったからたぶんあってる。 それにしても。 「こ……こわ………」 夜の森はとてつもなく怖い。 思わず腰に差していた短剣を手にとってぎゅっと握り締めた。 ちなみにこの短剣は、元ヴォルテール城の武器庫にあったものだ。グウェンダルさんに 返却するときに、「使い慣れたならくれてやる」というお言葉とともに差し出され、あの時 はコンラッドに指導してもらうことに燃えていたので、その好意に甘えておくことにした 代物である。 人間と魔族のハーフで有利みたいな理由もなくこの地にやってきたわたしを嫌っている のかと思えば、やっぱりあの人はよくわからない。 と、とにかくこんなところでぼうっと突っ立っていても、恐怖に震えるだけだ。城内の森で 危険な獣がいるとは思わないけれど、別の方面が……。 幽霊とかそういうものは信じていないけど、それは日本の話であって、常識からして違う こっちの世界ではいるかもしれない。なにしろ竜がいて、剣が意志を持ったりする世界 なんだから。 怖いとか気持ち悪いとか思うものって、目を逸らすか逆に目が離せないものなんだよね。 反転しようと思うのに、風にざわめく木の葉の音にびくりと震え、どこからともなく聞こえて くる獣の遠吠えにぎくりと足を止め、なぜか森の方を見たまま城に向かって後退り。 それならさっさと歩いちゃいなよと自分でも思うのに、なぜか抜き足差し足忍び足。 そろりそろりと歩いて、踵が城の廊下に上がる階段にぶつかって、ほっとした瞬間。 ぽん、と肩を叩かれました。 「ぎゃーーーー!!!」 悲鳴を上げて逃走。後ろには正体不明の手があるわけで、前方へ全力疾走。 「!待ってくれっ」 森に突撃しようとしたところで、腕を掴まれて引き戻された。 後ろから大きな手にぎゅーと抱きすくめられて身動きが取れない。 「びっくりした。急に大声を上げて林に向かって走り出すから。散歩したいのなら明日、 日が昇ってからにしてくれないか?」 「さ、さ、散歩じゃないよぉ……」 というか、わたしがびくついて逃げ出したとわかっているくせに。 こんなときでもコンラッドの声は爽やかに笑う。 「だろうね。とにかく夜にこんなところへ入るのだけは止めてくれ」 上から降ってくる声は少し笑いを噛み殺しているような雰囲気が混じっていて、腹が 立ってくる。 「だ、だれのせいだと!」 「はいはい。俺のせいでした。先に一声掛ければよかったね」 子供をあやすような謝り方には更に腹が立ったけれど、喧嘩するために探していたん じゃないんだからと深呼吸する。 深く吸い込んだ息を吐き出して、少し落ちつたら今の体勢にはたと気がついた。 背中には密着したコンラッドの体温が。逞しい腕はわたしをぎゅっと抱き締めていて。 「は……離してーーっ!!」 じたばたと暴れてコンラッドの腕から逃れようとすると、ますますきつく抱き締められる。 「やだってば!」 「だって手を離したら林に駆け込みそうな勢いだから」 「行かない!行きません!」 「約束だよ」 いちいち耳元で囁くのはやめてください! 「ところで、どうしてこんなところにいるのかな?」 ようやくコンラッドが手を離してくれたので、じりじりと後退り少し距離を開ける。 「こ、コンラッドとヴォルフラムの部屋に行こうとして……」 「それで城内で迷ったのか」 言わずもがなですか。そうだよね、コンラッドやヴォルフラムは元王子様で現在でも閣下 なんて呼ばれちゃう立場なんだから、こんな裏庭近くに部屋があるはずない。 「それにしても、俺はともかくどうしてヴォルフラムの部屋に」 俺はともかくってなに? 「……明日で日本に帰るなら、ちゃんとお礼を言いたいと思って」 「お礼?」 「コンラッドにもヴォルフラムにもお世話になりっぱなしだったから」 「なんだそんなこと。言っただろう?のためになら手でも胸でも命でも差し出すって。 礼を言われるほどのことはなにもしてないよ」 「……それ、わざと?」 手も胸も命も、わたしに差し出すものがあるなら全部有利に差し出してと返したのに。 そして、その延長で。 「まさか。もう一度、意味を判った上でのの平手が欲しいだなんて思ってないよ」 さ、爽やかな笑顔でここまで言われるといっそ清々しい。 その延長でコンラッドを平手打ちしてとんでもない目に遭ったというのに。 「それとも今度は俺の方から求婚した方がいいかな」 「いりません!結構です!」 「そこまで否定されるとさすがの俺でも傷つくよ?」 眉尻を下げて本当に傷ついたように弱々しく笑うのには参った。演技もそこまでできれば オスカー賞を進呈したい。 「大体ね、コンラッドのセリフ嘘くさいの」 「嘘くさいって、ひどいなあ」 「だってわたしのどこに好きなる要素があるっていうわけ!?」 「そんなこと」 文句を言い始めたら止まらなくなってきて、なにか反論しかけたコンラッドに被せるように して怒鳴りつけた。 「おまけにいきなり人の意思を無視してキスしようとしてきたり、そのくせ次の日にはなん でもない顔してるし!わたしなんかより有利に見せる笑顔の方がずっと嬉しそうだったり して、どうやってそんな話を信じろって言うのよ!」 コンラッドはなぜかぱかりと口を開けてわたしを凝視して、それから小さく笑った。 「笑ってないで……!?」 頭に昇りかけた血は、顔に集まって止まった。 またもやコンラッドに抱き締められてしまった。今度は正面から。 「ちょっとーー!!」 至近距離でかなりの大声を上げたというのに、コンラッドの腕は緩むどころか更に力が 篭る。その上、頭の直ぐ上からくすくすと楽しそうな笑い声が聞えてきて、恥ずかしいん だか腹立たしいんだかわからなくなる。 「翌日になるべく普通に接したのは、そうした方がに負担をかけなくていいかと思った んだ。だって、俺がこうやって迫ったら困らなかった?」 「せ、迫る!?」 「強引にキスしようとしたことは謝るよ。あんまりにも信じてもらえなかったから、つい」 「つい!?ついでキスされそうになったわけ!?」 「ついは言葉のあや。でも俺の気持ちを端から否定して信じてくれなかっただろ?」 「だって信じられる要素がどこにもないでしょ!?」 どうにかしてコンラッドを押し返そうとしているのだけど、さすがにびくともしない。 力を込めるのに疲れて気を抜いた一瞬に、少しだけコンラッドの腕から力が抜けた。 チャンスと思ったときにはもう遅い。少しだけ距離を開けることはできたけど、ほんとに ちょっと。おまけにそれ自体が罠でした。 わずかにできた隙間から、わたしの顎にコンラッドの手が伸びてきて、軽く顔を持ち上げ られる。 目と鼻の先に美男子の精悍な顔が。 し、心臓に悪い! 腰に回されている腕は一本だけなのに、やっぱりびくともしない。力の差がありすぎる。 「自分ではわからないものなのかな。は可愛いし、優しいし、聡明で、気配りも 細やかで」 歯、歯、歯が浮く。浮いてどっかに飛んでっちゃう勢いだよ!? それはだれの話ですか、そんな人が本当にいるなら紹介してよと言いたくて、でも言葉 も出ないでいるわたしに、コンラッドはいつの間にか笑顔を消した真剣な表情で、一言 ぽつりと漏らした。 「でも俺が一番好きなのは……目、かな」 それは。 「有利と一緒の色だから?」 なんか卑屈だなーとは思うけれど、思いついたことをそのまま口にしてしまう。 コンラッドは、銀の光彩を散らした瞳を少しだけ細めて苦笑した。 「違うよ。きみの、その強い意志を込めた瞳が好きなんだ。黒でも赤でも青でも紫でも、 色なんてどれでもいい。の、強い目が好きなんだ」 も、もうなんか、なんか駄目だ。あまりに長時間整った顔を間近で注視し続けた挙句に こんなとどめの言葉。 脳味噌が沸騰してスープ状に溶けちゃいそう。 怒ったら目つきが悪くなるのって、だれでもじゃない!?とか。 有利の妹だからって贔屓の引き倒し過ぎだってば!とか。 言いたい言葉が喉につかえて音にならない。 出てきたのは。 「は……離して」 我ながらなんとも情けなく弱々しい声だけだった。 どれだけ力を込めても離してくれなかったコンラッドは、こんな力ない一言であっさりと 両手を引いてくれた。 そしてどうしていいのかわからなくて困惑するわたしの手を取って、急に歩き出す。 「コ、コンラッド?」 「ヴォルフに話があるんだろう?連れて行ってあげるよ」 え、あれでこの話は終わり? いえ、とても助かるといえば助かるのだけど、なんだか中途半端な気がしてならない。 うんうん唸りながらコンラッドに引かれるままに歩いていて、そういえば手を繋ぐ必要 なんてどこにもなかったんじゃないのと気がついたときには、もうヴォルフラムの部屋 に到着していた。 「はい、着いたよ」 手を振り払う前に離されて、まあいいかと気を取り直してドアをノックした。 返事がない。 もう一度ノックする。 やっぱり返事はなかった。 「出かけてるのかな……ひょっとしてもう寝てる?」 「かもね。様子を見てこようか?」 「……それって無断侵入するっていうこと?」 「ちょっと見てくるだけだよ」 そういって結局コンラッドは無断で部屋に踏み込んだ。兄弟だし、いいのだろうか。 まあ、わたしも有利の部屋に無断で乱入する事はあるんですけどね。 すぐに戻ってきたコンラッドは、やっぱり眠っていたよと軽く肩をすくめてそっと扉を閉 めた。 「お礼、言いそびれちゃった」 帰りも迷わないようにとコンラッドが部屋まで送ってくれることになって、並んで長い 廊下を歩く。 「別に、ヴォルフラムは礼なんていらないと思うよ。俺だって、のために少しでも なにかできたらなら、それだけで満足だしね」 だからどうしてそういうセリフがつるりと口から滑り出すのですか? こっちが恥ずかしい。 「」 するりと大きな手がわたしの手を握ってきた。 ぎょっとして振りほどこうとするけれど、がっちりと握り締められてて離れない。 「部屋までの少しの間だけ」 「そ、そんなこと言われても!」 迷子になる小さな子供を捕まえておくようなさっきのもどうかと思うけど、指を絡める ようなこんなカップル握りはもっとイヤだ。 「今は俺の気持ちだけ知っていてくれたらいい」 え、と声につられるようにして顔をあげると、真剣な瞳がわたしを見下ろしていた。 「だから、急いで結論を出さないでくれ」 「そ……そうはおっしゃられても……」 腰の引けたわたしがどう見えたのか、くすりと苦笑いしてコンラッドは繋いだ手を揺ら した。 「今の俺にはユーリに勝てる要素がないみたいだからね。一度焦って失敗したから、 気長に待つよ。俺を好きになってくれるのを」 どうしたらいいのかわからなくて、コンラッドから視線を逸らして床を見つめた。 「ま……待ってても、無駄だと……思う」 「手厳しいな」 「だって」 交互に動くつま先だけを見つめる。 そうしていないと、なぜか涙が滲みそうだったから。 「わたしは有利とは違うから。日本に帰ったら、きっともう二度とこっちにはこれないよ」 ぴたりとコンラッドの足が止まった。 どうしたのだろうと振り仰げば、驚いたように目を見開いていて。 まさか、これだけそつのない人がいままで気付いていなかったのだろうか。 「そうか……そうだな、それじゃあ」 コンラッドは思案顔になってわたしを覗き込んだ。 「眞王廟に行くのは、やめておこうか?」 「ええ!?ちょ、ちょっと!」 「はユーリがいれば満足できるんだろう?大丈夫、ユーリはまたこちらにくるから」 「いや、その、そうだけど、そうなんだけど」 ここはどう返せばいいんだろう? 馬鹿なこと言わないでと突っ込むべきか、それもそうねなんて笑ってボケ流しをする べきか。 しどろもどろになっているわたしに、コンラッドは苦笑してまた歩き出す。 「それでも待つよ」 引っ張られるようにして歩くわたしには、一歩先をゆくコンラッドの背中しか見えない。 「それでも、待つよ。それは俺にとって無意味なことじゃないから」 「でも」 コンラッドの足が止まった。 今度はどうしたのだろうと思えば、いつの間にかわたしの部屋に着いていた。 振り返ったコンラッドは、もう穏やかに笑っている。 「言っただろう?急いで結論を出さないでって」 「いえ、でもあのね」 「急いで結論を出さないでくれ。俺のことも、眞魔国のことも」 「ど、どういう意味?」 コンラッドがドアを開いて部屋の中にエスコートするように手を引いて入れてくれた。 慌てて振り返ると、コンラッドはドアを閉めようとすでにノブに手をかけている。 「ちょっと待って!」 「もうこちらにこれないなんて、思い込まないで。思うなら、もう一度こちらにくると思って 欲しい」 「な、なるほど」 病は気から、じゃなくて信じるものは救われる? ……でもない気がする。 適切な言葉を脳内検索していると、そっと頬に触れるものがあった。 それは大きなコンラッドの手で。 「おやすみ。よい夢を、」 額に柔らかな口付けが降りてきた。 呆然とするわたしを置いて、目の前で静かに扉が閉められる。 パタンと乾いた音がしたと同時に、へなへなと腰が抜けて絨毯の上に座り込んでしまった。 「そういえば、結局コンラッドにもお礼言ってない……」 ぼんやりと呟いた言葉に、まったく力はなかった。 |
コンラッドは色々確信犯です。 |