ヴォルテール城から王都までは馬で移動した。 わたしが馬に乗れると知って、ギュンターさんはひどく感動して、なにやら華美な修飾 で褒め称えてくれましたが、わたしは引き攣った笑いを返すことしかできなかった。 だって、こっちでは当たり前の技術なんでしょう? 有利が乗れなかったからだとは思うけど、当たり前のことを褒められるのはどうにも 居心地が悪い。 まあそれだけじゃなくて。 第一印象が悪かったせいで、わたしはギュンターさんに近寄られると、いまだに少し 身構えてしまうのだ。 彼がにじり寄るたびに、ついヴォルフラムの後ろに隠れてしまってショックを与えて しまったようだった。 ご、ごめんなさい。 020.出逢いと別れ(1) なぜこちらの世界に来れたのかわからないわたしには、帰り方など知る由もない。 有利に先に帰られて初めて事の重大さに気付いたとは、有利のことをあげつらう ことなどできないひどく能天気な話だ。 コンラッドによると、どうやら有利も自分の意思で行き来できるわけではないらしい けれど。 とにかく、それが世界のどこであっても―――もちろん異世界だったとしても、有利 さえ側にいればわたしに不満はなかった。不安も。 だけど、有利がいなくなって。 「ど、どうしよう!?有利がいなくなったなんて!」 ヴォルテール城の廊下で、有利が帰ったと憤慨していたヴォルフラムは、悲鳴を 上げたわたしに顔を曇らせた。 「心配するな、ユーリはあちらに無事に戻っている」 励ましてくれるのはありがたいけど、パニックしてる理由はそうじゃなくて――。 「そうじゃないヴォルフ。大丈夫だ。王都に戻って眞王廟の巫女に頼ろう。 巫女ならの帰り方もわかるはずだから」 「ほ、本当?」 「ああ。俺もあちらへは巫女に通してもらったんだ。できるはずだよ」 異界越えをした先人からの力強い肯定に、ようやく落ち着きを取り戻した。 「よ、よかった………」 胸を撫で下ろすしていると、ヴォルフラムが眉根を寄せて難しい顔をする。 「なんだ、そんなことを心配していたのか」 「そんなことってヴォルフラム、わたしにとっては重要事項だよ」 「今まで一度も帰りへの不安など言ったことはなかっただろう?」 「それは有利がいたから」 「なるほど、ユーリに帰してもらえると思っていたわけか」 「ううん。有利の意志で自由に行き来できるなら、わたしがなんて主張しようとも、 眞魔国を出るときに問答無用でわたしをあっちに帰したはずだから、有利を頼って いたわけじゃなくて……単に、忘れてたの」 「忘れてたぁ?」 ますます理解できないというヴォルフラム。 「わたしは有利がいれば満足だから、ここが異世界ということ自体はそんなに大きな 問題じゃないの。有利に会えない場所だというのが問題なわけで」 「………………………」 「………………………」 今、コンラッドとヴォルフラムはそっくりな表情をしている。さすが兄弟ね。 「そんなに呆れることないと思う」 「呆れるところだと思った」 「お前も少し、おかしなところがあるな。やはりユーリの妹だ」 有利に似ていると言われるのは好きだけど、さすがにこれはいただけない。 沈黙が、夜の城に降りる。 「ま、まあとにかく」 気を取り直したコンラッドが手を叩いて、場の気まずさを霧散させた。 「明日王都に向けて発とう。はできるだけ早く帰りたいだろう?」 「そうね。有利に会いたい」 こだわるべきところはそこか!?という兄弟の視線を知らないふりでやり過ごして、 明日の出発時間を決めてその場でコンラッドたちと別れた。 部屋に送ってくれるというコンラッドの申し出を辞退したのは、当然だろう。 そうして、翌朝。 コンラッドから有利の帰国を聞かされていたギュンターさんは、泣きはらした目で わたしを励ましてくれた。 励ましが必要なのは、わたしじゃなくてギュンターさんなんじゃあないかな。 お世話になった城主のグウェンダルさんにお礼を言って王都に向けて出発したのは、 わたしとコンラッドとヴォルフラムとギュンターさんの四人。 ヴォルフラムは領地に戻らなくてもいいのかと疑問だったのだけど、それを訊ねて それでじゃあ帰ると言われるのが怖くてなにも聞かなかった。 コンラッドとは気まずいし、ギュンターさんはちょっと怖い。 正直な話、ヴォルフラムがいなければわたしは根を上げていたかもしれない。 王都への旅、一日目の終わり。 ひたすら馬を走らせて、休憩は昼食時の一回だけ。馬に乗れるといっても流鏑馬用 に身につけた技術。長時間の走行は身体に毒だった。 わたしはヘロヘロになりながらも、ギュンターさんの過剰な心配を敬遠して平気な振り をしていた。 今日はこの町に泊まりますと下馬できる段になって、膝が笑って困り果てる。 上手く降りられるだろうか。 わたしが意を決して降りようと足を振り上げたとき、脇からコンラッドの手がふわりと 柔らかく抱き上げてくれた。 「はい、。お疲れ様」 地面に降ろしてくれた後も、支えるように腰に手を回したまま。 「………ありがとう」 こういう細かな気遣いができるから、コンラッドは侮れない。 そう。 結局、あの夜の態度はなんだったんだというほど、コンラッドはこれまでと同じように 接してくる。 大人だとみるべきか、やっぱり本当はただのからかいだったからとみるべきか。 ……後者かな。 コンラッドは背が高くて顔立ちは精悍で端整、剣の腕もあって、元王子様で現魔王の 側近という申し分ない地位もある。 そんな人が、こんな平々凡々な高校生を本気で好きになるなんて、やっぱりどう考え ても信じられない。 コンラッドのアレが笑えないアメリカンジョークだったとしたら、これほど腹の立つ話は ない。コンラッドにとってはキスくらいなんでもないかもしれないけれど、わたしには ファーストキスになるところだったんですけど!? ムカムカとする苛立ちに、笑う膝を懸命に堪えてコンラッドの腕からなんでもないよう に抜け出して、反対側にいたヴォルフラムの肩に手を落いた。 「ごめん、ヴォルフラム。肩貸して」 「む、疲れたか。仕方ないな、は女だからな。よし、ぼくが手を引いてやる」 「長距離には慣れてなくって」 「殿下!ヴォルフラムに頼らずとも、このギュンターにお命じ戴きましたならば、僭越 ながら私めがお部屋までお運びいたしましたのに」 「いい、いいです。大丈夫、だから」 ヴォルフラムの肩に寄りかかって逃げるように後退ると、途端に悲しげな顔をされた。 ごめんなさい。でも、有利がいない今、あの発作を起こしても収める方法がないし。 苦手な人には近付かない方が、わたしはもちろん相手のためにもいいはずだ。 迷惑しているだろうヴォルフラムはなぜかとっても上機嫌で、肩によりかかるわたし の速度に合わせてゆっくり歩いてくれた。 「ヴォルフラムは優しいなあ」 肩に頬をつけてしみじみ言うと、後ろから引っ張られてヴォルフラムから引き離された。 「わ、ととっ!」 こけそうになったわたしを抱きとめたのは、コンラッド。もちろん引っ張ったのも。 「おい、ウェラー卿」 ヴォルフラムがむっと眉を顰める。 「だめだよ、。ヴォルフは陛下の婚約者だから。そんなにくっついてはいけない」 「はユーリの妹だ。つまりぼくの妹でもある。くだらない嫉妬でを困らせるな」 不機嫌そうに、わたしをコンラッドの腕から攫ってくれた。 そっか、妹か。 ヴォルフラムにとって、有利の妹のわたしは義理の妹にあたることになるのか。 あ、なんかますます安心できた。 わたしがぎゅっと腕に抱きつくと、優しく笑って頭を撫でてくれた。 こういう包容力を見せられたとき、ヴォルフラムはわたしたちよりずっと年上なのだと 実感できる。 それにしても、ほんとに綺麗な笑顔だなあ。 後ろの人の目が険しく光ったなどと、このときのわたしたちは知る由もなかった。 そんなこんなで王都へたどり着きました。 旅の間中、わたしときたらヴォルフラムばっかりにくっついていて、ギュンターさんを 大いに嘆かせた。 一日目の宿のとき以来、コンラッドが過剰にわたしに構うことはなくなった。からかう のに飽きたのか、ヴォルフラムに任せておけば楽だと思ったのかは知らない。 おかげで快適な旅になったのだけど、ちょっと淋しかったのはわがままというもので しょうか。……やっぱりわがままだよね。 コンラッドと出会ってからなんだか自分に馴染みのない感情ばかり覚えて、振り回さ れているみたいで疲れる。 「さあ、殿下!」 巨大なハウステンボスというか、ヨーロッパはオランダっぽい町並み。行ったことない けどね、オランダも他のヨーロッパの国々も。 そんな大都市に着いて、ギュンターさんがいよいよ本領を発揮した。 「偉大なる眞王とその民たる魔族に栄えあれああ世界の全ては我等魔族から始まった のだということを忘れてはならない創主たちをも打ち倒した力と叡智と勇気をもって魔族 の繁栄は永遠なるものなり……」 いきなり美声で滔々と謳い上げるのにはびっくりした。 「国歌?」 「いや、国名」 「……王国の王都へようこそ、殿下」 本当に国名らしい。な、長っ! 「……眞魔国は俗称?」 「そうでございます」 「……有利は、正式な国名を覚えてるかなあ」 かなり怪しいと思う。 「もちろんですよ。ここはユーリ陛下の統治される国なのですから」 過剰な期待は有利には迷惑だと思うよ? 思ったことは黙っておいて、わたしはヴォルフラムに続いて手綱をくって馬を進めた。 王都へ着いたのは日も暮れかけた頃だったこともあって、眞王廟を訪ねるのは翌日 ということになった。 それで、本日は有利の居城である血盟城へお泊り。血盟城ってなんか不穏な名前 と思ったけれど、地の霊との盟約が名前の由来だそうで、血判状とかそんな仰々しい ものが理由ではないらしい。 通されたお城はドイツの古城タイプではなく、イギリスのカントリーハウスの大規模版 が左右対称に広がっていた。せせこましい島国の城とは基本が違う。まあ、日本の 城下町は塀で囲ってすらいないかわりに、機能美は兼ね備えているけれどね。 後ろは緑豊かな山が聳え、水路は山腹のトンネルから始まっていた。 だからスケールが…。 「先に知らせを飛ばしておりますから、殿下のお部屋もご用意してございます。本日は そちらでお休みください」 城の中庭を馬で歩きながら、ギュンターさんが説明してくれる。 「ありがとうございます。……これだけ広ければ客間には困らなさそうだけど」 「客間!?なにをおっしゃいますか!こちらは陛下の居城ですよ!?殿下のお部屋 をご用意いたしましたに決まっているでしょう!」 「え、あ、そ、そう?で、でも……」 部屋を作ってもらって、ふと疑問に思ったことに、わたし自身呆然とした。 そうだ。よくよく考えてみれば、わたしは有利のようになにかの役目を負っているわけ ではない。魂がこちらの世界のものだという話だけど、それだけのことで。 今、こちらから帰ればもう二度と来れない可能性が高いんじゃないの? コンラッドから剣を習うとか約束を取り付けたものの、それもまったく無意味になって しまったということなのか。 一体なにを思い悩んだのだと馬鹿馬鹿しくなって首を振ると、隣を行くコンラッドと 目が合った。 そうか。もうこちらに来ないなら、コンラッドと会うのも明日で最後になる。 そう自覚した途端、急に淋しいという感情が沸き起こってきた。 クルーザーでのコンラッドの爆弾発言でここ五日ほどは少し気まずくなっていた けれど、わたしはこの人に頼りきりだった。そのお礼も、ちゃんと言ってない。 それは駄目だろう、人として。 それにこれからも、有利のことはこの人に頼るのだから。 ……もう、会えないのか。 帰れると思えば心弾むはずなのに、どうしてだかあまり浮かれた気分になれない。 明日になれば、ようやく有利と会えるのに。 どうして、淋しいと、涙を堪えなくてはいけないのだろう。 ……コンラッドと出会ってから、わたしは色々とおかしい。 |
日本に帰ればそれで終わり? 今ごろ気付いて呆然です。 |