モルギフの心臓ともいえる黒曜石を持って、ヨザックさんはシルドクラウドで船を降りた。

どこへ行くかは、有利にもコンラッドにも告げずに。

わたしには、オレの話をよく考えてくださいね、と念押しして。

ツェリ様はヴォルテール領にわたしたちを降ろすと、再び自由恋愛旅行に戻っていった。

リック少年は、結局彼の希望もあってそのまま船に乗せられている。傷が癒えれば下働き

として第二の人生がスタートする。それが幸運になるか不運になるかは、彼次第だ。

少なくともツェリ様は、海賊行為はさせないし、不当な暴力も振るわないだろう。

しばしの別れだと、ツェリ様に渡されたのは、ほとんど紐じゃないのと言いたくなる様な

ドレスだった。水着じゃない。一応ドレスらしい。わたしには、パレオ付きの紐水着に

しか見えなかったんですけど、こんなのいつ着ろというんですか、ツェリ様。

有利は、船の中でツェリ様に乗せられて、うっかりわたしにツェリ様監修のドレスアップ

をさせようとしたことを反省したのか、どことなく目を合わせようとしない。

そしてコンラッドは。

ふたりきりになることから、わたしが逃げ回っていた。





019.平行線上の二人





「こんな細かい文字に、よくお気がつかれましたね!」

千切れんばかりに手を振って有利を出迎えたギュンターさんは、ようやくヴォルテール城

に落ち着いてから、モルギフの鍔裏に彫られた文字を確認して、しきりに有利を褒め称え

ていた。

「確かに鍔の裏に文章が刻まれております。我が名を呼べ、さすれば限界を超えよう。

我が名はウィレム・デュソイエ・イーライ・ド・モルギフ。もし額石を喪失し我が身が凡剣

と成り果てども、魔王の忠実な下僕であり、戦場で共に討ち果てん」

「そ、そーいうふうに読むもんだったの?」

なぜか有利はちょっと引き攣っている。そういえば、有利は「なぜ女言葉!?」と叫んで

いたっけ。どういうふうに聞えたんだか。

「しかし文字を解されなかった陛下が、触れられただけで頭に閃くというのは興味深い

ですね。やはり下々の魔族とは異なり、高貴な御力を授かってらっしゃる」

最終兵器が無効になってしまったことは、ギュンターさんにはさほど問題ではないらしい。

いや、問題なんだろうけれど、有利の勇姿を褒め称えることよりは大事じゃないという…

そんな政治補佐というのもどうだろう。

だけど、本職に戻るとさすがだった。

有利が旅の顛末と意思を伝えると、彼は魔族が魔剣を手に入れ損ねたという情報をわざ

と漏洩させたのだ。不利な情報が公然と触れ回るのはあまりに不自然で策略との疑惑を

持たれる恐れがある。人というのは、集めた情報の真偽を判断するときに、どうしても希望

を挟んで選んでしまう傾向がある。特に公表なら疑わしくとも、「漏洩」ならば事実だと信じ

たくなる。それを逆手に取ったというわけだ。

まあ、実際本当の話なわけですが。

差し迫った問題は、当初有利が武器で威嚇して開戦を断念させようと考えていた、カヴァ

ルケードという国とのことだった。

核ならぬ魔剣の抑止力に頼ることをやめた以上、別の方法を探さなければならない。

「いっそおれが出向いて行って、頭下げて仲良くしようって持ち掛けるのはどうだろう?」

頭を抱えた有利が漏らした一言に、わたしは猛抗議をした。

それは無茶ってものでしょう。本当にあちらに開戦の心積もりがあるのなら、どこの世界

にのこのこと人質になりに行く人がいますか。

ところが解決方法は、先方から転がり込んできた。

「陛下…カヴァルケードから訪国、拝謁の打診がございましたが……かねてよりかの国の

船団を脅かしていた海賊の一部を、旅の魔族が打ち倒し、元王太子とその妻女、ご息女

の命を救ったことに対する感謝の意を……そのようなことなさいましたか?」

「海賊はひどい目に遭わせたらしいけど。ま、例によっておれ自身は覚えてないんだ。

コンラッドかヴォルフかに訊いてくれる?」

有利は驚きながらも肩を竦める。

ごめん、わたしはあの光景、思い出したくない。

ふと、コンラッドとばっちり目があって思い切り動揺してしまった。

そういえば、あのときわたしは地獄絵図の甲板に降ろされたくなくて、コンラッドに抱き

かかえてもらった上に、首にしがみついていたのだ。今考えるとなんて恥ずかしい真似

を。……でも、あのときに戻ったとしても、同じことをするだろうけど。

「どうもヒスクライフなる人物らしいのですが……」

「ヒスクライフ!?」

有利が声を裏返して驚いている。

「だれ?」

こっそりとヴォルフラムに耳打ちすると、わからないと首を振られた。人選ミスだ。

ヴォルフラムはあの船ではほとんど部屋から出てない。

「有利が踊っていた女の子がいただろ?あの子の父親だよ」

コンラッドがそっと教えてくれた。

耳打ちされた声に思わす肩をすくませると、小さく苦笑の声が聞える。

「そんなに警戒しなくても、なにもしないよ」

さすがに傷つくな、と言われてバツが悪かった。

「ごめんなさい………」

コンラッドは笑ってそれに応えてくれる。

その間にも、話は進んでいる。

「どうやら現カヴァルケード王の長男、ヒスクライフは、ヒルドヤードの商人の娘と道

ならぬ恋に落ち、王室を出奔して野に下ったようなのです。ところが現王の次男が

病で亡くなり、子を生していなかったために跡継ぎがなく、カヴァルケード王室典範

によりヒスクライフの息女に継承権が生じたということで、近々彼等を呼び戻すとか」

「なんてこったい!それじゃベアトリスは本物の王女様だったんだ!」

有利はぺちりと額を叩いて椅子にもたれかかった。

「偶然って恐ろしいなあ」

「どうして」

「だって偶然、同じ船に乗り合わせて、偶然、海賊に襲われて、偶然、ベアトリスを助けた

から、今になって平和的に解決できたわけだろ?」

そう。これで戦争を回避できたことになる。

しかも、有利の手で。

兵器なんて頼らずに。

「全部が全部、偶然というわけじゃないですよ」

コンラッドは訳知りのあの笑顔で、有利の乱れていた衿を直した。

「あの船に誰が乗っていようとも、あなたは同じことをしたはずだ。そこだけは必然であって

偶然じゃない。もしこれが誰かの筋書きだとしたら、成功の可能性は極めて高い」

そう、そこだけは必然。有利はあの船に件の国の王族がいると知っていて行動したわけ

じゃない。

「筋書き!?こんなこと企画たててやるやついるー!?」

「いないでしょうね、この世には」

コンラッドの誇らしそうな、称えたそうな笑顔を見ていると、段々悩んでいるのが馬鹿ら

しくなってきた。

コンラッドの話なんて、冗談に決まっている。

少なくとも、コンラッドにとっては有利の方がずっと大事なはずだ。わたしのことなんて、

そのオマケなんだから、本気で好きだなんて言うはずがない。

だって有利にはあんなにやにの下がった笑顔で。

なんか、腹が立ってきた。




有利は、ようやく揺れないベッドで眠れると、泳ぐようにして怪しげな足取りで、ヴォル

テール城の宛がわれた一室に戻っていった。

開戦かそれを阻止できるかとか、魔族だとか王としての資質だとか、先月まで一高校生

だった有利には、心労が絶えない状況だっただろう。可哀想に。

久々に一緒に眠りたかったけれど、ゆっくりしてほしいから諦めてわたしはわたしで用意

してもらっていた部屋に下がることにした。

それにしても。

あんな悪質な冗談で人を混乱させたコンラッドには、なにか呪いの反撃でもしてやりたい。

だけどわたしはこれからコンラッドに剣の教えを請う立場であって、強く抗議できない。

ものすごく、悔しい。

「………なによ、コンラッドのバーカ!」

精々、だれもいない廊下で悪態をつくくらいしか。

「馬鹿とはひどいな」

くすくすと笑う声は、庭から聞えました。

なんで……明かりも持たずに夜の庭にいるの、コンラッド……。

負けずに突っ込んで誤魔化そうかと考えて、やめた。

コンラッドも悪質な冗談で人をからかったのだ。どう考えたって、否はわたしにばっかり

あるんじゃない。

「馬鹿を馬鹿って言って、なにが悪いの?」

「だから、いきなり回廊で悪態をつくほどの俺がした愚かな行為っていうのはなに?」

「わたしのことからかったじゃない!」

「からかう?」

コンラッドは庭から上がってくると、わたしの正面に立って首を傾げた。

くっ、この長身に目の前に立たれるとなんとなく威圧感があるのよね。

「婚約者だとかなんとか」

「ああ、それ」

ああってなによ、ああって!!忘れてたわけ!?

「あのねぇ!こっちの習慣を知らなかったとはいえ、わたしだって悪かったと思うわよ。

だけど、だからって純情を弄んだとかなんだとか……」

が、求婚の行為を認めてくれたらそんなこと俺も言わないけどね」

「そういう態度が腹立つの!大体悪乗りして右頬差し出したのはコンラッドでしょう!?

なんでわたしばっかりが人非人呼ばわりされなきゃならないのよ!」

「悪乗りって……俺は嬉しくてつい、差し出したわけで悪乗りしたわけじゃないよ」

「ああそう!そうやってまだからかい続行なわけ!?」

「ああ、

コンラッドは額に手を当てて溜息をついた。

なに、その態度。

呆れるのはこっちの方だよ!

「俺の気持ち、嘘だと思ってる?」

「本当だって、信じられるほどお気楽でも自惚れてもいないものでね!」

もはや反射で答えていたのだと思う。

打てば響くような早業で反論したわたしの頬の横を、風が横切った。

……風を起こしたのは、コンラッドの左腕だった。

「では、どうすれば本気だと信じてくれる?」

わたしを廊下の壁に追い込んで。

微笑みながら、コンラッドの目は笑っていない。

ちょ、ちょっと……いくら軽い冗談のつもりでも、これはやりすぎじゃないの?

思わず息を止めて背中を壁にぴったりとつけた。

「俺がを好きなのだと、どうすれば信じてくれる?がどんなに魅力的なのかを、

どうすれば自覚してくれるんだ?」

って、またコンラッド!近い、近いってば!!

近寄ってくる端正な男前な顔に、わたしの顔は赤くなっているにちがいない。

いや、青褪めてるかも。

……目を閉じて」

唇に、コンラッドの吐息がかかる。

この距離は、ヴァン・ダー・ヴィーアの島の療養所でも経験したけど……。

目を閉じてって、閉じたらどうなるの!?

微かに、触れたのかと身を強ばらせた。

「ウェラー卿!なにをやっている!?」

廊下の向こうから、怒髪天をついた少年特有のアルトの美声が響いた。

コンラッドが溜息をついて身体を起こす。

わたしは、力が抜けて廊下にそのままずるずるとへたりこんだ。




、無事か!?」

「ヴォ……ヴォルフラム………」

なんかもう、涙声。

ヴォルフラムが荒々しい足音を立てて駆け付けてくれた。

もう、縋りつきたい気分だったけど、さすがにそれはできない。

ヴォルフラムは、今まで見たどの女の子よりもすっごく可愛くて有利の婚約者ではある

のだけれど、れっきとした男の子だ。近付くことも触れることもできるけど、さすがに縋り

つくのは、ちょっと。

「貴様、コンラート!ユーリの妹に対して穢れた手で触れるな!これだから人間の血が

混じった輩は嫌なんだ!」

なんだか違う怒りも混じってるよ。

けどもう、今は救世主です。

でもひとつだけ、人間の血が混じってるのはわたしもなんだけどね。

廊下にへたりこんだわたしの前に膝を突いて覗き込んでまで心配してくれたヴォルフラム

に大丈夫だと告げようとして、思考が止まった。

ナイトガウンを羽織っているのはいいのです。もう夜だし、いつもヴォルフラムは寝てる

時間だし。

その下、ガウン下の服。

ええ。それは寝巻きです。たしかに寝巻きです。

けどね。

スケスケヒラヒラのネグリジェって、男の着るものじゃないと思うんですけど!?

しかもめちゃくちゃ似合ってて、色っぽくて可愛い。

緊張感が一気に吹き飛んで、違う意味で脱力して廊下に両手をついて項垂れた。

!?こいつになにかされたのか!?」

確かにひどくからかわれましたけど、とどめをさしたのはあなたです。

とは言えずに、わたしはさっきコンラッドから感じた威圧感をヴォルフラムのお陰で綺麗

さっぱり忘れることができて、ようやく立ち上がった。

立ち直れば、段々と腹が立ってくる。

「いきなりわけわかんない習慣を持ち出してきて……」

「わけがわからないって、だからそれは……」

「うるさーい!!もう知らない!コンラッドなんて大っ嫌い!触んないで!」

とにかく勢いで怒鳴り散らしたから、自分でもなにを言っているのかよくわからない。

「こんな人ほっといて行こう!ヴォルフラム!」

ヴォルフラムの腕を掴んで歩こうとすると、わたしの癇癪に唖然としていたヴォルフラム

が思い出したように叫んだ。

「ああ!そうだ!!大変だ、!」

その内容は、本日で一番わたしを打ちのめした。

「ユーリが消えた!」

「なんですって!?」




正しくは、有利は地球に戻ったということらしい。寝室続きの浴室に駆け込んで、その

まま姿が消えたということだった。

あ、あの……。

た、確かに来たのはバラバラだったけど……。

有利が帰っちゃったなら、わたしはどうなるの?

そう一日の間に、何度も混乱させないでよ。







報われない男……。
次回から数話は原作2巻〜3巻の挿話になります。
せっかくお兄さんが不在です。頑張ってください閣下。



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