それは、マリーナでもひときわ豪華で優美で目立つ船でした。 ツェツィーリエ様によく似合っておいでです。そんなことを言いたくなるほど絢爛豪華。 便器とかまで金にする必要、あるの? 「さあ、様。コンラートが帰ってくるまでに着替えておきましょう」 「はい?」 なんでここでお召し替え? まあ確かに出港準備の手伝いとはできないから有利たちが戻ってくるまで、ただ ヤキモキしているしかない。着替えのお手伝いくらいはしますよ。 衣装持ちよろしく渡された何着かのドレスを腕にかけながら、緊迫した状況のはず なのにまったく気にしていないツェツィーリエ様の器の大きさに脱力する思いだった。 「えーと、どうぞわたしのことはと呼び捨てにしてください」 こんなゴージャス美人に様付けで呼ばれるなんて居心地が悪い。それにコンラッドの お母さんと言う事は前魔王様で、とても身分の高い人だし。 「あらそぉ?でもそうよね、はあたくしの娘になるんですものね!」 はい? なんのことですかと聞き返すよりも、夢を見るように両手に持ったドレスを抱き締める 超絶美人さんという、こちらが夢見心地になりそうな光景にぼんやりとしてしまった。 「嬉しいわ。あたくしずっとのような可愛い娘が欲しかったの。なのにグウェンも コンラートもいい人を連れてきてくれないんですもの。さ、。少し裾が余るけれど ここを留めちゃえば問題ないでしょう?この黒と赤と緑と紫のどちらのドレスがお好み? それともここはあのキスに相応しく、初々しい白いドレスがいいかしら」 そんな腰までスリット、臍出し、上乳見えのドレスのどこが初々しいと? っていうか。 「なんでわたしにドレスを当ててらっしゃるのでしょうか……ツェツィーリエ様」 「やあね。愛しい恋人を迎えるのだから綺麗にするのは女の嗜み。せっかく あなたはこんなに可愛らしいんですもの。そんな武骨な服は脱いで、さあこっちに 袖を通して。それとあたくしのことはツェリって呼んでね」 ここにきてさっきは放心してツェリ様の誤解を解いていなかったことに気がついた。 「ち、違います!コンラッドとは恋人でもなんでもありません!!」 コンラッドとはなんでもないのだと、ツェリ様はなかなか信じてくれなかった。 コンラッドは気障なセリフは言っても、そうそうあんなナンパな真似はしないそうで。 膝枕とかなんだとか、わたしの印象とはかなり違う。 あの局面で、いつものおふざけなんてことはさすがにないと思うんだけど……まあ 頬だったし地球でも外国だったら親愛の情であれくらいはあるかも。 そういえば、コンラッドはアメリカで生活したこともあるんだった。なーんだ。 でもあれがコンラッドでなければ確実に拳は出ていた。例え呆気に取られていても、 わたしにとって異性との接触と暴力は切り離せない無意識の産物だから。 種が明かされればなんてことはない。わたしはようやく落ち着きを取り戻して、丁寧 にツェリ様に訂正を入れた。 017.伝えたかった事(1) 「有利!」 デッキに駆け上がってきた有利の無事な姿を見て、思わず涙が浮かぶ。 「!」 有利も片手に剣を包んだ布を抱えて、もう片手を横に広げた。 わたしは遠慮なく、その腕に飛び込む。 「―――っ」 上から有利が息を呑む音が聞えて、身体から血の気が引いた。 「まさか……怪我したの!?」 有利は痛みに少しだけ顔を歪めながら、わたしをぎゅっと抱き締めてくれた。 「ちょっとだけね。ちょっとだけ。大したことないよ。それにおれより……」 有利が振り返ると、ちょうどコンラッドがデッキに上がってきた。 コンラッドは、あの爽やかな笑顔で片手を軽く挙げる。 「ただいま。約束通り、ユーリを連れて帰ったよ」 わたしの目は、その笑顔よりも挙げられた手に注目していた。 「………約束通りじゃない」 「え?」 コンラッドが目を瞬く。ええ、あなたは覚えてないんでしょうね。 わたしは、怪我なんてしないで無事に、って言ったのよ。約束するって言ったのに! 無言でずかずかと歩み寄ると、コンラッドの腕を掴んだ。 「怪我してるじゃないっ!手、ひどい火傷だわ。ツェリ様、薬を……」 振り返ると、ツェリ様は嬉しそうに目を輝かせている。月9ドラマを見ているときの お母さんそっくり。 ああ、なにが言いたいのかわかりましたから、有利の前で言葉にしないでください。 「まあああ!やっぱり、やっぱりそうなのね、!コンラートってばさすがあたくし の息子だわ。こんなに可愛らしいを手に入れるだなんて!!」 せっかくどうにか納得してもらえたのに、また一からやり直し。なんてこったい。 それよりも、ツェリ様とわたしの間に位置する有利の笑顔が怖い。 「を手に入れたって、どういう話だ。コンラッド?」 だから誤解です。 モルギフとリックという少年の件がなければ、きっと事態はややこしいことになっていた。 わたしが手早く、キスのことだけは伏せて、コンラッドとのやりとりでツェリ様が誤解した のだと訴えると、有利は納得しがたそうにだけど渋々頷いた。治療の必要な怪我人が いたのでゴネなかったのだろう。 一行で一番重傷だというリックという少年を見て、わたしはあっと驚いた。 「この子、あの船に乗ってた……」 「そう、海賊だったんだ」 有利が沈痛な面持ちで手当てを受ける少年を見やった。 「知ってる。わたし、うっかりこの子に剣を突きつけられて捕まったんだもの」 うっかりは、今度もだ。 つい口が滑って、なんて言い訳にもならない。 「なんだって!?」 有利が叫んで立ち上がった。 「あ、しまった!え、えっと、とにかく座ってよ有利。手当てができない」 有利を無理やりに座らせて、肩の傷に薬を塗る。 「リックがに……」 「みろ、だから放って置けばよかったんだ。今からでも海に捨てるか?」 手当てを眺めていたヴォルフラムが不愉快そうに眉をしかめて、足を組み直す。 「ダメダメダメ!ほら、結局わたし別に怪我なんてしなかったんだから!」 それは人質になったわたしを見てコンラッドたちが剣を捨ててくれたからだけど。 「それはさすがに、ちょっと」 有利も眉を寄せて難しい顔をしながら、ヴォルフラムの意見を却下した。 ヴォルフラムは面白くなさそうに背もたれに体重を預け直す。 わたしはほっと息を吐きながら、もしこの子があの時わたしの突進から見ていたの なら、有利たちに漏れる前に口止めをしておく必要があると決心した。 隠れるどころか自分から海賊に、しかも短剣のみで突っかかったなんて知られたら、 叱られるだけでは済まない。恐ろしい。 コンラッドはどうだろうと様子を伺うと、ちょうどキャビンから出て行く背中が見えた。 有利も見ていたらしく、包帯を巻き終えたと同時に服を直しながら後を追う。 たぶん、意味なんてないのだろう。 有利の後を追ったわたしに、意味なんてなかったように。 「どういうつもりだ!?」 コンラッドの激しい声が聞えて、有利もその後ろのわたしも思わず足を止めた。 なにかが壁にぶつかった激しい音がする。たぶん、コンラッドがだれかを叩きつけのだ。 「なにが」 声は、予想通りにヨザックさんのものだった。 「ヴォルフラムが祭りについて知らないのは本当だ。あいつは人間に興味がないからな。 だがお前は十二を過ぎるまでシマロン本国で育ったんだ、文字が読めないはずはない! よからぬ行事に関しても、聞いていないわけがないだろう!」 「うまくいきそうだったじゃねーか。いざって時に陛下が怖気づきさえしなけりゃ、あの ガキの命を吸ってモルギフも満足だ。ま、結果的には爺さんので我慢したみてえだが。 これで魔剣をいつでも使える状態にして、国に持って帰れるだろ。使えねぇもん持ってた ところで、敵国は怖がっちゃくれないかんな」 有利はどうにかデッキを覗けるようだけど、さらにその背中しか見ていないわたしには、 音と声だけで状況を推理するしかない。 だけどわかる。 今、ヨザックさんはあの勘に触る賢い笑い方をして、話している。 「……お前たちのやり方は間違ってる」 「どこがだ!あんなお子様みたいな陛下に任せといたら、この国はどうなるか判んねー ぞ!?背後からうまーく舵とりゃいいんだよ。陛下だってそのほうが楽なはずだ」 「王をないがしろにして国政を操るのは、謀反と同じだ!」 「ないがしろに?してねーだろ。陛下が強い武器を持つのは悪いことじゃない。だったら いっそ、最強の兵器を手に入れて、どこよりも強くなっちまえばいい。そうすりゃ、隣国 も攻められない。なるほど、陛下のお考えにも一理ある。だからこうやってちゃんと協力 したさ。このまま陛下がモルギフを持って帰国すりゃあ、歴代魔王の中での地位も高くな る。強き王として民にも支持される。オレたちのどこが間違ってるって!?どこがないが しろにしてるって?」 そう。ヨザックさんの言葉にも一理ある。彼の言葉を借りれば、そうなる。 だけど、一理はあくまで一理だ。 だってそれでは、有利の心は伝わっていない。ヨザックさんにも、眞魔国の国民にも、 それに隣国にも、だ。 歴代魔王の中で地位は高くなるかもしれない。民にも支持されるかもしれない。攻め 込まれることもなくなるかもしれない。 それで、それから? どうやって隣国と誼を結ぶの? 力で?恐怖で? 脅して得た安寧なんて、安寧でもなんでもない。暴力が効力を失くすことを恐れて、 猜疑心が大きく育ち、そして怯えて暮らすのは、有利の方になる。 有利がモルギフを求めたのは、あくまで一時しのぎの手段として。 本当の有利の望みは、和平だ。国交だ。 だから、間違ってる。 あなたたちは、間違っている。 表面だけの有利の願いを手助けしたって、ないがしろにしているというんだよ、それは。 出て行って鳩尾に一発入れてやりたかったけど、有利が前にいるからできなかった。 有利は今、後ろにいるわたしに気付いていない。 「あんな危険な目に遭わせることはないだろう!?あんな、へたをしたら怪我だけは 済まなかったかもしれない……ましてや陛下に人を殺させるなんて、そんな」 コンラッドとふたりで療養所に行った時のことを思い出す。 有利に人の死を願わせることがどれだけ酷なのかを、コンラッドには言った。 たぶん、あの状態では気付かなくても、有利自身の手を下すことになりかけていた 今なら、わたしの説明なんてなくてもコンラッドは有利の苦悩に気付いただろう。 「結局お前はさぁ」 ヨザックさんの口調が、世間話でもするように変わった。 「あのお坊ちゃんが大事なわけだろ?表向きは人間との共存のためなんて言ってっ けど、新しい王サマを傷つけたくないから、一生懸命、誉めて守って持ち上げてるん だろ」 「お前は何も判っていない」 「判ってるって。そんなに大切な王サマなら、箱に入れて城の奥にしまっておけばいい」 「ヨザック!」 「高価な石でもかけてやって、なあ」 コンラッドからもらったという、最近有利が手放さない石を思い出した。 わたしは拳を握りしめる。 「お前達は、あれだけ軽蔑していたシュトッフェルと同じことをしようとしているんだぞ。 前王ツェツィーリエ陛下と同じ過ちを、新王陛下に犯させようとしている」 「違うね、ウェラー卿、コンラート閣下。ツェリ様の間違いは、ご自分で統治なさらな かったことじゃない。あの方は誰に任せるかを間違われたんだ。選ぶ人物を間違え たのさ」 「……フォンヴォルテール卿に任せるべきだったと?」 「いや」 一瞬、沈黙が降りる。静寂が痛い。 「……今となっては全てが手遅れだ。二度とあんなことにならないように、今度は しくじるわけにいかねぇよな」 「お前達がどんな謀略を巡らせようと、陛下を傀儡にできはしない」 「わっかんねーかなぁ、傀儡じゃねーって。愛があんのよ、ちゃんと愛が」 「だとしてもだ!再びこのようなことが起こり、ユーリに危険が及んだときには」 長い、沈黙が降りる。重い空気だ。 わたしは、踵を返した。話が終わりに近付いている。コンラッドが船の中に戻って くるなら、有利もこっちに戻ってきてしまう。 押し殺したような声なのに、微かに聞えた。 「……その生命、ないものと思え」 聞えたのは。 本物の殺気が、篭っているからだろうか。 キャビンに戻ると、リック少年の手当ては終わっていて、ちょうど誰もいなくなって いた。 わたしはベッドのすぐ横の椅子を引いて腰を掛けた。そうして、ようやく握り締めて いた拳を開くことができた。掌には、爪の跡。皮が破けて血が滲んでいる。 「なんなのよ………」 手を開いたせいで、傷口から血が少しだけ溢れた。 「無理ばっかり…酷いことばっかり言って………」 鼻の奥が、つんと痛んだ。涙は出ない。出さない。代わりに、血が流れ落ちる。 「………なんなのよ」 だれもかれも、有利を傷つけて。 あんなにも、だれも傷つかなければいいと願い、そのために努力もしているのに。 魔族というだけで罵り、憎しみをぶつけてきた人。 最初から、有利の思いをただの甘えた幻想だと決め付けて理解しようともしない人。 「勝手なことばっかり言って………!」 それでも……それだから。 有利の側に、せめてコンラッドがいてくれて本当によかった。 |
すごく真面目な場面なんですけど、押さえ難い欲求が気になったり。 鳩尾に一発って(汗) |