すぐにコンラッドが荒い足音を立てて駆け降りてきた。 なにも教えられなくても、それだけですべてを物語っている。 「有利は………」 「……いない」 ふとコンラッドの手のチラシが、二枚に増えていることに気付いた。 「やっぱり……部屋にあったの?」 わたしの目線に気がついて、コンラッドはチラシを握りつぶした。 016.飲み込んだ言葉(2) 「急ごう」 わたしが踵を返して走ろうとすると、後ろから肩を掴まれた。 振り返るとコンラッドが難しい顔をしている。 「もしもユーリの出場までに会場に間に合わなければ、荒事になるかもしれない」 「うん、だから急ごうよ」 「先に待ち合わせ場所を決めておこう」 「それは走りながらでも……」 「この家から、会場のスタジアムは右に、港へは左に行く。一緒には行けない」 そうか。わたしは足手纏いなんだ。 わたしを連れていたらコンラッドも思うように動けない。できるだけ急ぐ必要があると いうのに。 「わかった。じゃあ……」 荒事になる可能性でいうのなら、いつでも逃げ出せるように港のほうがいいだろう。 問題は、あの有利命名の代打ニック号の乗客だった人たちに出くわさないように すること。 「………だけど、置いていくのも不安なんだ」 解りやすく一番ドックで待っていると言いかけたわたしに、コンラッドは困ったことを 言い出した。 「それは…確かに頼りなく見えるかもしれないけど、今は有利のことが優先でしょう? 大丈夫、フラフラせずにちゃんと待ってるから」 「そうじゃない。そうじゃないんだ」 コンラッドの眉間の皺が増える。 そ、そこまでわたし、頼りない? コンラッドから見れば、頼りないに決まっている。 「理性ではわかっている。きみを置いていくのが一番いい。きみのためにも。だけど、 俺が嫌なんだ。を置いていきたくない」 ちょっとお兄さん、聞く人によれば変な誤解をしてしまうような言い方ですよ、それ。 いやまあ、わたしは誤解せずにわかりましたけど。 だってこの状況、ちょっとあのときと似ている。 海賊に襲われて、有利は恐らく部屋に帰っていると思われた、あの時。 わたしは、コンラッドに置いて行けと言った。 そしてコンラッドはその通りに、わたしを置いて有利の元に走った。 ちゃんと隠れているようにと指示を受けたのに、真正面から海賊と戦ったのは、この わたしです。 コンラッドは隠れている場所を見つけられて戦ったと思ってるみたいだけど。 ああ、過去の暴挙が今をこんなに混乱させるなんて。 わたしをひとりにしておくと碌なことがないと、コンラッドの教訓になってしまったのかも しれない。 だけど今は。 「大丈夫。会場ならまだしも港の方で戦闘になんてなるはずもないし、変な気を回して 余計な事になったりしないように、なにもしないで待ってる。心配いらないから、早く 有利のところに……」 「こんなところでひとりを置いては………」 「ええい、しつこい!そんなにわたしがトラブルメーカーに見えるっていうわけ!?」 「そうじゃない。俺が嫌なだけなんだ。目の届くところにいてほしい……だけど」 もう、わけがわかんない。 一体どうしたいっていうのよ、コンラッドは。 連れて行ったら足手纏いだし、置いていくのは不安一杯と。 やっぱりわたしが頼りないっていうことじゃない! 「こんなことしてる場合じゃないでしょ!?さっさと行けーーー!!」 コンラッドを蹴り出そうと足を振り上げたとき。 「あぁら、コンラートじゃない!陛下のお側にいなくていいの?」 やけに艶やかな女の人の声が聞えた。 コンラッドの脇から見てみると、金の巻き毛の超絶美人が。 華やかなんて形容すらも霞むほどの美女。どこかで見たような気もするけど、こんな 美人を見て忘れることなんてありえないから、きっと気のせいなんだろう。 扇情的な服はもはや芸術的な組み合わせをした布といっても差し支えなく、スリット なんだか布の合わせ目なんだか区別のつかない部分からは、惜しげもなく脚線美が さらされている。胸も形も良くバンっと出ていて、谷間に顔を埋めたら間違いなく窒息 する。あの肩紐を引いたら、ポロリどころかストンとドレスが地面に落ちるだろう。 「コ、コンラッド……も、もしかして」 恋人とか? ズキンと心臓の辺りが痛んで、言葉が続かなかった。なに、わたし高血圧でも不整脈 でもないはずだけど、いつの間にか心筋梗塞予備軍なったの?この歳で!? 「母上こそ、どうしてこちらに」 なんだお母さんなの?へえ、すっごい美人。うちのお母さんも年齢と比較しなくても かなり可愛いけど、コンラッドのお母さんの場合は扇情的というのよね。ウインク ひとつで世の男性陣を骨抜きにできるわね、きっと……って―――。 「は、母上!?コンラッドのお母さんなの!?こ、このスーパーウルトラ超絶美人さん が!?」 あ、ありえない。どう見てもありえない。 年上の彼女と頼りがいのある年下の彼氏と言ったほうがまだ納得できる。 そりゃあ魔族は人間の五倍の年齢だと聞きましたけど、だってそれだって魔族なり に老けていくはずでしょう?百歳というか外見二十代の息子を持つ母親の若々しさ じゃない。 コンラッドの脇で悲鳴を上げたわたしに気付いて、美女の目が輝く。 なんで? 「まあ、コンラート。いったいどこでこんなに可愛らしいお嬢さんをお誘いしたの? 陛下もお可愛らしい方だけれど、このお嬢さんの愛らしさはそれ以上かも!」 なんて、この世の限界に挑んで勝利したような美人さんに誉められても、空しくなる だけです。こっちの世界の美的感覚はわたしたちと違うにしても、ね……。 コンラッドのお母さんは、優雅な足取りでわたしの横に立つと、その細く美しい指先 でわたしの頬を撫でて包んだ。 「コンラートってばずるーい。あたくしもこんなお嬢さんと戯れたいわ」 「母上。は陛下の妹君です。あまり失礼のないように。それより……」 「まあ!陛下の妹君でいらっしゃったの?どおりでお可愛らしいはずだわ。ああん、 あたくしの自由恋愛旅行に連れて行きたかったのに!」 自由恋愛旅行!? 息子の前で力説するような旅行ですか、それ。 まあ、コンラッドもヴォルフラムも、あのグウェンダルさんもみんなお父さんが違うと いう話だし、アリなんだろうか。 「それより、母上。なぜここに。しかも供もつけずに」 「シュバリエを連れていたわよ。でも今はヴォルフと一緒にいるわ」 「ヴォルフと接触したんですか?」 「ええ。あたくし、ヴァン・ダー・ヴィーアの火祭りを見にきたのだけれど、魔族が 捕まったと噂を聞いたの。それでシュバリエに調査をさせていて、今日ようやく ヴォルフを見つけたのよ。ちょっと面倒なことになるかもしれないから、あたくしは 先にクルーザーに戻って、いつでも出航できるように準備をさせておくことに」 「面倒なこと?」 「陛下が祭りの神事にお出になられてね」 「有利が!?」 有利のこととなると黙っていられないのがわたしの悪い癖だ。 話の腰を折る勢いで割り込んでしまい、コンラッドのお母さんはぱちくりと瞬きをして、 すぐに優雅に微笑まれた。 「大丈夫よ。ヴォルフにシュバリエをつけてきたし、陛下のことは心配されなくても、 きちんとお守りしますわ」 「で、でも……」 わたしはコンラッドを見上げた。 コンラッドはわたしを見てひとつ頷いて、表情を引き締める。 「母上、をお願いします。一緒に船へ。俺は陛下をお迎えに上がります」 「ええ。それがいいでしょうね。さ、行きましょう?様とおっしゃるのね?」 「は、はい。渋谷です。有利の双子の妹にあたります」 「まあ、双子!それでどことなく陛下の面影がおありなのね」 面影といえば、そうかこの人はヴォルフラムに似ているのだ。だから見たことがある ような気になったのか。 「じゃあ、どれほど陛下が心配でも、決して短気を起こさないように。母上と一緒に 船で待っていてくれ」 「わ、わかった……」 緊張した面持ちで頷いたわたしに、コンラッドはふと表情を和らげる。 「大丈夫。ヴォルフもヨザックもついている。シュバリエも信頼できる母上の従者だ。 きっとユーリを無事に連れて帰るよ」 わたしが頷く間もなく、コンラッドが身を翻す。 その一瞬にだけ見えた厳しい表情の横顔。走り出そうとしている広い背中。 急いでいるとわかっているのに、思わずコンラッドの服の裾を掴んだ。 驚いて振り返るコンラッドに、縋るようにして身を乗り出す。 口を突いて出かけた言葉を飲み込んで、別の言葉を口にした。 どうして「行かないで」なんて。 「コンラッドも、怪我なんてしないで無事に帰ってきてね。絶対よ」 もちろん口にしたほうの言葉でも、コンラッドは充分に驚いて目を見開いて。 そして、笑った。 「約束するよ」 そっとコンラッドの手がわたしの頬に添えられる。 それとは反対側の頬に、感触が。 コンラッドに自分の命を大切にしろと怒鳴りつけた夜、これが誓いだと手の甲に 当てられた。 コンラッドの唇。 余りのことに声も出ないでぽかんと見上げるわたしに微笑んで、コンラッドは 今度こそ立ち止まらずに走り去った。 わたしは、その背中が見えなくなるまで呆然としていた。 「まあぁ!様はコンラートと恋仲になったの?まるで物語のワンシーンのよう。 羨ましい。あたくしもそんな情熱的な恋がしたいわ」 わたしはまだ、固まっている。 その横で、麗しい声が監督業を始めるかのようにダメ出しとアイディアを紡いでいた。 「でもせっかくならキスは頬なんて言わずに唇に欲しいかしら。いいえ、頬なんていう 初々しさが美しいのかもしれないわ。どうせなら、なにか約束に物を手渡すというのも いいかもしれないわね。いつも身につけている物とか。ああ、それに……」 |
どうやらお義母さんには歓迎されているようですよ。 嫁姑問題の心配はいらなさそうです(気が早い) |