結果から言うと、療養所には死に瀕した患者はいなかった。

比較的症状の軽い患者は雰囲気だけでも祭りを楽しむために自宅へ帰っていると

いうことで、人も疎ら。

残っている人たちも、今日明日の命というほどの重病人はいない。

良いことなのだけど、困った。

ほっと胸を撫で下ろしながら、こうなるといよいよヨザックさん辺りがなにを言い出す

かわからないと、胸の辺りがずしんと重くなった。

憂鬱な気分が顔に出ていたのか、繋いでいた手をきゅっと握られる。

コンラッドを見上げると、困ったねと言いながらとても優しい表情で、わたしを見下ろ

してくれていた。

繋いだ大きな手は、暖かかった。





016.飲み込んだ言葉(1)





結局、気を遣わせてるし。

色々な意味で自己嫌悪に陥りながら、慰問という名目の視察を終えて療養所を

後にした。

「困ったねぇ……」

思わず溜息が零れる。

「確かに困ったね」

コンラッドも難しい顔で馬の腹を蹴った。わたしもそれに続く。

「やっぱり、モルギフを使える様にしておかないと、駄目なんだよね?」

今更なにを言うのだと呆れられるかと思ったけれど、コンラッドは少し考えてから

首を振った。

「駄目だろうね。矢じりのない矢を構えても、だれも両手を挙げてはくれない。モル

ギフの力を解放することはなくても、その力の一端は見せておかないと魔剣とは

向こうも認めないだろうし」

「……だよね」

また零れそうになった溜息を、寸前で飲み込む。

「でも、思うんだけど」

ちょっと苦しい言い訳みたいだけど、本当に気になっていたことをこの際コンラッド

にはぶつけてみることにした。せっかくふたりきりで、ヨザックさんに聞かれる心配

もないことだし。

「これって結局、一時凌ぎなんじゃないかな?」

「一時凌ぎ?」

「だってね、確かに今回は伝承通りの力をモルギフが見せれば、その威力に恐れ

をなして撤退って結果になるかもしれないけど、そしたら今度はモルギフ対策を立て

ようとするんじゃないかな、と思って」

「モルギフ対策と言っても」

「だって、魔術も絶対じゃないんでしょう?モルギフの力は、結局魔力によるものなん

だから、魔力や魔術対策を応用すれば、なにかできるかもしれないし」

「……確かに。ありえないとは言えないな」

「そんなことになったら…そう、それこそ東西冷戦みたいなことにならないか、それが

心配で」

地球ではハムラビ法典みたいに、核爆弾に対抗して核爆弾を。ってなことで確かに

やったらやり返されるということから、ある意味では本来の目的である抑止力を発揮

したことになるのかもしれないけれど、結果として地球を滅ぼすことができるくらいを

遥かに越えた核爆弾が作られて、今もその処理に困っている。

直接戦火を交えるよりはずっとましかもしれないけれど、そうやって軍備ばかりが膨れ

るというような状況に、こちらの世界までもがなってしまいはしないか。

そんなことになったら、有利の目指す友好的外交なんて更に遠のくような気がして、

どうも強い武器をという今回の作戦に胸騒ぎを覚えるのだ。

「まあ…だからって、今すぐ戦火を避ける別の方法が思いつくわけでもないんだけど…」

言いっ放しはよくないよね。

「結局、心配は心配なんだけど、代案がない以上、これが一番上策なんだよねえ……」

とほほと溜息をつくと、コンラッドが慰めるように首を振った。

「いや、だけど俺としてはがそこまで真剣に眞魔国のことを考えていてくれたこと

が嬉しいよ」

「そりゃ、有利に関わることですから」

眞魔国になにかあれば、有利が悲しむ。有利が苦しむ。

王様業ともなれば避けては通れない道だとしても、できる限りそこから遠ざけたいと

思うのが人情だと思うのです。

それに。

「あの……あのね………」

言い辛くて、小さく訊ねた声は蹄の音でコンラッドまで届かなかったようだ。返事は

ない。

声を大きくしようかと思って、止めた。

心配なのは、有利のことだけじゃない。

もしも。

あくまでもしもだ。それを避けようと今、有利が頑張っているのだから。

だけど。

もしも、開戦なんてことになったとき、コンラッドは戦いに出ることになるの?

返事が怖くて、聞けない。

ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような痛みに、わたしはいつの間にか呼吸を止めて

いたことに気がついた。

手にも、じっとりと嫌な汗をかいている。

怖い。

脳裏に、つい先日の豪華客船の甲板が思い出される。

たくさんの人が、死んでいた、あの光景。

その中に、コンラッドの姿がなくてどれだけ安堵したか。

戦いになれば、またあの光景が繰り返されるのだ。またコンラッドがあの中にいるの

ではないかと、胃と心臓が悲鳴を上げるのだ。

有利が苦しむのは嫌だ。

だれかが死んでいくのも嫌だ。

だけど。

コンラッドが戦地に向かうという可能性は、そのどれよりもわたしに恐怖を与えた。




有利に人殺しをさせるのはとんでもないけれど、開戦なんてことになるのも嫌だ。

考え込みすぎて、街につく頃にはもうほとんどヘロヘロになっていた。

考えたって、現実がどうなるわけでもないのだけど。ましてや、いやだいやだと繰り

返すだけなんて、まったく意味がない。

「あらま、お兄さんたち、帰ってきたんだね」

街中に戻って、借りていた馬を返しにいくと馬主の奥さんが満面の笑みで迎えて

くれた。

「ああ、祭りの最中に無理言ってすまなかった」

コンラッドがひらりと馬から降りて手綱を奥さんに渡す。わたしもそれに倣った。

「いいえぇ、こっちも商売だからね。それより、なんとか間に合ったね」

「間に合った?」

わたしは酷く悪くなった気分を誤魔化すように奥さんに問い返す。

「祭りの最大行事にさ。もうそろそろ始まってる頃だろうけど、今ならまだ間に合うよ。

だってこれを見なきゃヴァン・ダー・ヴィーアの祭りに来た意味ないだろう?」

こっちは祭りどころの気分じゃない。

「そんなに勇壮な行事なのか?」

わたしの様子をちらりと見ながら、コンラッドが続きを引き受けてくれた。

「知らずに来たのかい!?そりゃあそうさ。神聖な行事だよ。港近くの闘技場に行って

ご覧よ。ほら、これは立会人の募集のチラシだけど、持っていきな。会場までの地図が

載ってる」

コンラッドがチラシを受け取って、有利たちが待つ民家に戻ることにした。

、どうせならこの行事を見に行こうか?ユーリも一緒に。いい気晴らしになるかも

しれない」

そんな気にはなれなかったけれど、だからこそ気分転換が必要なのかな。

「そうだね……で、どんな祭りなの?」

「ええっと、これは立会人の募集のチラシだったね。『急募!命の最後に立ち会う仕事。

死を目前にした同年代の少年を励ましてみませんか?十代の容姿端麗な少年を求む。

剣持参歓迎、賃金破格、面接随時、世の中を綺麗にする名誉職』……これは……」

「命の最後に立ち会う仕事ってなに?」

医者か看護婦か救急隊員くらいしか思いつかない。葬儀屋さんやお坊さんは死後の

話だし。

おまけに剣持参歓迎ってどういうこと?

「……嫌な予感がする。急ごう」

足を速めたコンラッドに置いていかれまいとして、わたしは半ば駆け足になる。

「な、なに?」

「もしこのチラシがユーリや……ヨザックの目に触れていたら………」

「だからなんなの!?」

コンラッドの長い足とのコンパスの差で、こっちは既にランニング態勢。

「これは恐らく、公開処刑の、処刑人募集のチラシだ」

「こ、公開処刑!?」

馴染みのない単語に、思わず大声を上げてしまった。慌てて口を押さえたけど、周囲

の人は興奮気味で他人の話なんて聞いていない。

「そ、それがなんでお祭りの行事なの?」

「血で彩った供物を捧げる、といったところだろう。こういった例は探せば他にいくら

でもある」

なんて血生臭い話。

だけど、地球にもそんな儀式を伴った祭りが昔はいくつもあったはずだ。太陽の神に

抉り出した心臓を供えるとか、ちょっと違うけど橋の施工の為に水神に人柱を捧げる

とか。

そこまで考えて、ようやくコンラッドがなにを危惧しているのか薄々わかってきた。

「こ、これに有利が出てるかもしれない……て?」

「……ユーリは字が読めない。ヴォルフも人間社会の崩し字体はあまり細かく読もう

としないだろう。………ヨザックは」

ヨザックさんは、恐らく有利の誤解を解いたりはしない。有利が自ら行事に参加すれ

ば、願ったり叶ったりの状況のはずだから。

「コンラッド!先行って!!」

どう考えても、わたしは足手纏いになっている。

コンラッドはちらりとわたしを振り返り、首を振った。

「いや。だめだ」

「なんで!?」

「ヨザックは養老院を訪問しているはずで、ユーリは民家から出ていないはず。これ

はあくまで可能性の低い話なんだ。それなのに、を置いては行けない」

「低くても可能性があるんでしょう!?街の中突っ走るくらい、ひとりでも大丈夫よ!」

「だめだ」

「コンラッド!!」

言い合っているうちに、結局借りた民家まで辿りついた。

わずかに呼吸を乱したわたしを置いて、コンラッドは二階に駆け上がる。

有利がいればいい。

だけど、もし有利がいなくなっていたら。

わたしがコンラッドについていったりしなければ、コンラッドはもっと早く帰ってこれた

かもしれない。

わたしが有利についていれば、怪しげなチラシの怪しげな仕事なんてさせなかった。

美味しいことだけ大文字で書いて、公序良俗に反することは細かな字で書くなんて、

詐欺の常套手段じゃない。

どうかお願い……有利、部屋にいて。







難しい問題が続きすぎて、頭が痛くなってきたようです。
身近な人が危機に遭うなんて、想像でも嫌な気分になるものです。



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