宿に帰ると、有利はひとりで部屋に篭ろうとして、留守番をしていたヴォルフラムに

連れて行かれた。

わたしは声をかけることもできなくて、ひとりで大浴場に向かう。

山頂の温泉があの状態になってしまって、大浴場の方も温泉を止めて湯を沸かして

いるということだった。この土地の人たちも苦労をしている。

有利が魔剣を手に取ることができれば、それらもすべて解決だ。ヨザックさんの危惧

もなくなるだろう。

だけど、魔剣を手にすることで、もしも有利になにかありでもしたら?

有利が嫌がっても、後で罵られても、有利を連れてここから逃げ出してしまいたい。

どうして有利がこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。

どうして、こんなときにまで。

有利のためになにもできないんだろう。

あれほど有利は、わたしを助けてくれるのに。





014.君がため(3)





誰もいない湯船で膝を抱えて、そこに顔を埋めた。

酷い罪悪感と無力感で、惨めな気持ちに涙が滲む。

ヨザックさんは有利に悪意があるんじゃない。

王の器かどうか、測っているんだ。

命を預ける者として。

それを責める権利はわたしにはない。どれだけ腹が立って、どんなに理不尽を感じても

あの人の行為を責める権利はない。

それでも、叫びたかった。

もうやめて。

それ以上、有利を責めないで、と。

だけど結局わたしがしたことは、中途半端にヒステリーを起こしただけ。

ただ有利を傷つけたくなかったのなら、もっと早くにヨザックさんを止めるべきだった。

口を挟む権利がないというのなら、最後まで黙っているべきだった。

そのどちらもできなくて。

有利は自分で王になると決めた。

眞王のお告げとやらを守らないと恐ろしい目に遭うだとか脅されもしたけれど、結局

自分で王になると、――戦争を失くすのだと、即位を決意した。

そう、有利も言った。

でも、有利はただの高校生なんだよ?いきなり常識から生態系から違う異世界に

放り込まれて、それでもそれを自分の中で消化しようと努力し続けてるんだよ?

いきなりあなたは魔王だなんて重責を押し付けて、だからすべてをこなせなんて。

どんなに酷い言い草だろう。

だけど。

子供だろうと大人だろうと、男だろうと女だろうと「王」には責任がある。国を導く……

導いていきたい道を示す、義務がある。

有利の受験勉強につきあっていたときに見た、深夜のテレビに戦争映画があった。

有利は勉強そっちのけで映画に見入って、人が人を殺す理不尽に本気で憤って泣い

ていた。お父さんが起きてくるくらい泣いた。

その悲惨な映像を、わたしも一緒に見ていた。

だけど、あれはあくまで作り物だ。

本当の戦場の理不尽さと、おぞましさと、恐怖を、わたしたちは知らない。

そして、ヨザックさんたちは知っている。

その惨状を。

有利がいくら反戦を唱えても、それを実現できる手段がなければ現実は止まらない。

それでも、わたしは有利が大事。

わたしにとって、有利のことはすべてに優先される。そう思ってる。

だからもう、有利を連れて帰ってしまいたい。

今の時点で開戦は可能性で、有利の恐怖は現実のものだから。

……だけど、ここで魔剣に尻込みしてすべてを諦めてしまうことは、本当に有利の

ためになるの?

ここで魔剣を諦めて、もしも開戦という事態に陥ったら、きっと有利は自分を決して

許さない。

有利が大切で、大切だから……そんな戦争だとか、知らないと、言えない。

もし可能性が現実となったとき、責任をとって戦場に出るのはわたしじゃない。

有利のために、なにもしてあげられない。

そして、前線に立つかもしれない人たちのためにできることも、なにもない。




鬱々とした入浴を終えて、重い足を引き摺って大浴場から戻ると、有利から悲壮さ

が薄れていた。この短時間で自力で立ち直ったとは思えないから、ヴォルフラムが

なにか言ってくれたに違いない。

……すごいな、ヴォルフラム。

それにしても、ヴォルフラムがクローゼットに立て篭もっているのは何故だろう。

「あ、!ヴォルフをどうにかしてくれ!!」

「……無理だよわたしには。婚約者なんだから、有利がどうにかしないと」

「それこそ無理だ!」

「『それこそ』とはなんだ!!」

ヴォルフラムは怒り心頭で、早々に扉をぶち破る勢いで飛び出してきた。

その後、みんなで夕食をとるとヴォルフラムはワインを飲んでさっさと寝てしまった。

わたしは、ヴォルフラムと違って有利のためになにもできなかった無力感から、有利

とふたりきりという状態に耐えかねて、温泉好きのようにもう一度大浴場に向かった。

今ここの湯は温泉じゃないのだから何度も入る意味はないんだけどね。

ヴォルフラムは有利を立ち直らせる切欠みたいなものを与えることができた。

コンラッドは言うに及ばず。

ヨザックさんだって、剣の腕や密偵として国の、ひいては有利のために働いている。

わたしだけが、有利のためになにもできない。




大浴場から部屋に戻る途中、上着を羽織って外へ行くコンラッドと会った。

、風呂上り?そうしていると色っぽいね」

笑顔はどことなくぎこちない。

「どこか行くの?」

「少しね。は部屋に戻って眠るんだ。明日も早いよ」

「え?」

「こうなったら、一刻も早い下山が必要だから」

「そんなっ!」

確かにそうだ。魔剣を取って、それを軍事的脅威として他国を威圧するという方法

がなくなった以上、他の方策を探すにしても開戦に備えるにしても、早く戻るに越し

たことはない。

だけど。

「待って。まだ有利は納得してない」

「……魔剣は魔王にだけ持つことができる。だからと言って魔王に何事も起こらない

という保証があるわけじゃない。現にユーリは魔剣に指を咬まれたと言った。ユーリ

になにかあるかもしれないことに、もう一度チャレンジしろとは言うのかい?」

「わたしは……できることなら……有利を連れて帰りたい。今すぐに」

でもきっと有利は。

「でも有利は、きっとこのまま帰ったりしない。魔剣を手にできてもできなくても、

まだ納得いく答えを出してない。有利の……想いを傷つけないで」

有利は、このままでは終わらない。

コンラッドは驚いたように目を見開いて、そしてわたしの頭に軽く手を置いた。

「さすが双子というべきかな。よく繋がっている」

まるで小さな子供のような扱いに、頭を振ってその手を払い落とす。

コンラッドは笑ってわたしの横を通り過ぎた。

「いいね、。もう寝るんだよ」

こんな山の中で一体どこへ行くんだろう、とその大きな背中を見送った。

その後ろから。

「どーこ行くんだかね、隊長は」

その声に震えて振り返ると、あの賢い獣の笑い方でヨザックさんが壁にもたれて

いたずらっぽく手を振った。

「それにしても、オレとしてはちょっと意外だったね」

「………なにが、ですか?」

よっこいせ、なんてわざとらしい掛け声で壁から身を起こして、ヨザックさんはゆっくり

と歩み寄ってくる。

「姫が、オレを怒らなかったこと」

「なにか、怒られるようなことをしたの?」

「隊長には怒鳴られたけどね。無礼が過ぎると」

「コンラッドはあなたの上司だもの。有利が良いといっても、咎めるべき立場にある

わけだから」

「じゃあ姫は、オレが陛下を小バカにしたような物言いを許すとおっしゃるんですか?」

「いつ有利を小バカにしたの?」

わたしの前で足を止めて、ヨザックさんは腰を折って楽しそうに顔を覗き込んでくる。

「本当に、意外だな」

「同じ答えよ。グリエ・ヨザック。わたしに口を挟む権利はないわ」

ここで負けて、有利が舐められる原因を増やすわけにはいかない。同じ間違いは

繰り返さない。

助けることができなくても、せめて足を引っ張らないように。

それが今のわたしにできる、たったひとつの、そして最大のこと。

「わたしはこの国に対して、責任がない。だから、権利もないの」

「陛下の妹君であらせられるのに?」

内心で唇を噛み締めて、だけど表面上は余裕を見せるように胸の前で腕を組んで、

悠然と笑いながら顎を上げて長身の男を見上げる。

「そうね。わたしは有利の妹よ。だから、ひとつだけ忠告をしてあげる」

「忠告ですか?」

「有利を、見た目で測れると思わないことね」

ヨザックさんは片方だけ眉を跳ね上げると、あの腹の立つ笑みで折っていた腰を

伸ばした。

「それは楽しみで」

「ええ、楽しみにしておいてくださいな」

有利は善王になるだけの素質を持っている。

身内びいきと言われようと、それはわたしにとって確信だから。

魔王の妹として、決して相手に呑まれたりしないように。

余裕を見せて虚勢を張る。

それが有利のために今のわたしができる、たったひとつのこと。







今できることを、できるかぎりで。



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