夜明け前にヨザックさんが戻ってきて、脱出するからと叩き起こされた。

だれかに抱き寄せられている暖かさの中で目を覚ましたとき、最初は相手が有利だと

思った。眠る前に暖を取る意味も込めて有利と身を寄せ合っていたから。

それで甘えるように胸に擦り寄ったけど、有利にしては妙に逞しい。

……匂いも有利じゃない。

ヴォルフラムは有利と同じでこんなに逞しいわけなくて、もう答えなんてわかりきって

いたけれど、わたしの脳は理解する事を拒否して身体が固まる。

「おはよう、。少しは眠れた?」

もちろん犯人はコンラッド。だからいつの間に腕枕!?

固まっている間にぎゅっと抱き締められて、わたしは奇声を発しながら飛び起きる。

「ななななななにがどうなってこんなことに!?有利、有利はっ!?」

傍らで身を寄せ合って寝ていたはずの有利は、ヴォルフラムと足をかなり際どい角度で

絡ませ合ってうなされていた。う〜〜夕飯のときは、あんなに「おれの」って言ってた

くせに!なんでヴォルフラムのほうにいっちゃうのよ!

わたしが項垂れているのを横目に、ヨザックさんは有利とヴォルフラムを揺り起こす。

「こっからは救命艇で手漕ぎでも、本船より先に上陸できるだろ。海の真ん中で逃げ出し

たって、漂流すんのが精々だもんな。さ、陛下も姫も隊長も起きてくれ。閣下はまだまだ

おねむらしーけどな」

目を擦ったヴォルフラムは、粗末な毛布を手繰り寄せる。め、眩暈がするくらい可愛いし、

似合ってる。少女漫画の世界だよ。粗末な板床なのに、花畑が出現しそう。

「ヴォルフラム、二度寝は遅刻の元だぞ。一限の数学は寝てていいから」

有利も寝惚けてる。

「体調はどう?寒そうだったから暖めようと思ったんだけど、風邪なんて引いてない?」

元気なのはこの人だけだ。ものすごい笑顔で聞かれて、つい文句を言いそびれたけれど、

昨日の晩あたりからコンラッドの笑顔、なんか企みモード入ってない?

なんだか被害妄想染みてきた。

いけない、いけない。だってこの人は、わたしの剣の師匠になる人で。

なにより、有利の一番の味方なのだから。





013.勇気をください





「荷物が半分しか取り戻せなくてよォ。要るもんが揃ってりゃいいんだが」

「船はどうしたんだ?この船の救命艇は、海賊どもに壊されていただろう」

「直させといた。そいつが見張りも誤魔化して、うまく脱出させてくれるって手筈よ」

さすが頼りになる。たったひとりで二晩の間にそこまで手配できるだなんて。

ヨザックさんは抱えてきた袋から、四人分の服と薄黄色いゴム風船を取り出した。

自分もひとつに口をつけ、息を吹き込んで膨らませる。

「ぼーっと見てないで、早く脱いでそれ着て、これ膨らまして」

「なにそれ?」

有利が豪快に服を脱ぎ捨てながら段々空気の入ってきたゴム風船を指差した。

「水難救助訓練用人形、救命くん」

息を吹きいれながら説明してくれるには、これに今着ている服を着せて脱出。船の人間

はこの風船がわたしたちの化けた姿と思い込んで、気持ちの悪い魔術に怯えて救命くん

を幽閉したりするだろうということだった。

なんか、かなり間抜けな話。

「……そういうことするから、魔族に関してでたらめな噂ばっか流れてるんじゃねーの?」

わたしが着替えている間、有利は風船を膨らませながら他のふたりの視線がこちらに

向かないように見張ってくれていた。

衝立なんかないから、わたしも諦めてさっと脱いで…って、これ、ファスナーじゃなくて

紐でいくつも括ってるから脱ぐのも面倒。あとで人形に着せるもの面倒そう。

「ひーん、背中の紐が絡まった〜!有利ぃ、脱がせてぇ」

ぶっと風船から口を外してヨザックさんが噴いた。コンラッドもぴたりと手を止める。

「脱がせるなら俺が……」

「あんたが言うとなんか卑猥!いいから振り返るな!の着替えを覗くつもりか!」

「人聞き悪いなあ、ユーリ。俺は応援の要請に応えるだけで、しかも堂々振り返るから

覗きじゃなくて、手伝いで」

「堂々なんてなお悪い!しかも応援を要請されたのは、おれ!」

「ゆ、有利ぃ、早く…やん、これホントに固い………」

ヨザックさんは人形ごと前へつんのめって倒れた。コンラッドも人形の吹き込み口を

押さえて、なぜか口元も手で押さえている。息切れかしら?

「どら、貸してみろ」

後ろに回った有利が、わたしの手から結び目を引き継いで格闘し始める。

「ん…この隙間、狭いな……ここに指を入れれば……もっとスムーズに……こら、

動くなよ、

「やっ…だって有利、強引なんだもん……」

「お前がしてって言ったんだぞ」

「わかってるけど……もっと優しくしてくれないと……」

「いいだろ。これ一回だけなんだから」

「あ、そんな無茶しないで」

床で突っ伏していたヨザックさんが復活した。

「わざと!?陛下も姫もわざとですかい!?」

「なにが?」

わたしと有利は同時に首を傾げる。

コンラッドは、ごほごほとわざとらしい咳払いをしながら人形のまだ膨らんでいない部分

で指遊びをしている。

こんな騒ぎの中でも、ヴォルフラムは少女漫画の世界のような可愛い寝顔で夢の中

だった。




どうにかヴォルフラムを叩き起こして、足音を忍ばせながら暗がりを走ってボートデッキ

に辿りつくと、準備万端で繋がれていた救命艇に乗り込んだ。

ニヤリと笑って葉巻をくわえて親指を突き出して送り出してくれた船員さんが、ユーリ

は気に食わないようだった。

「大丈夫かな、あいつすぐチクったりしないかな」

オールを動かす手を止めないで、コンラッドは遠くなる客船に視線を向ける。

「金を受け取る者には、二通りあります。小銭で動いて裏切る者と、大金でしか動かず

裏切らない者と。あいつは金には汚いけれど、貰ったからには裏切りませんよ」

「なるほど。あ、じゃあ大金を貰っといて裏切るパターンは?」

「それは金銭じゃなくて、損得で動いてるんでしょう」

なんだか人間不信になりそうな殺伐とした話だ。

「あんたら喋ってねーでどんどん漕げ!本船に追い付かれちゃ元も子もねーだろ!?」

ヨザックさんが仮にも陛下と上司を怒鳴りつける。まあ正論だからね。

と、ボートがわずかに曲がり出した。

「わーっヴォルフ、寝るな!回る、回っちまう!」

「はへ?」

「はへじゃなーい!漕げっ、漕げってほら、引いてェ戻す、引いてェ戻す、ヒーヒーフー、

ヒーヒーフー」

「……陛下それ、ラマーズ法なんじゃないかなぁ……」

有利も有利だけど、そんな突っ込みできるなんてコンラッドもホントに何者!?NASAは

宇宙人にそんなことまで指導する気なのだろうか。そうでなければアメリカ生活の間に

コンラッドが自分で得た知識というわけで、なんだかアメリカ時代のコンラッドを知るのが

怖い。まあ、この人はどこでもモテ男になりそうだから、アメリカに限らないか。

「どいて、ヴォルフラム。わたしが代わるから」

「おい、ヴォルフ!か弱い女の子に働かせて自分は寝てるのか!って聞けよ、おい!」

「有利、無駄。もう夢の中だよ」

大体わたしは全然か弱くない。むしろ、有利の方がこういう労働に向いてないだろう。

脳筋族って言ったって、有利は瞬発力に優れているほうで、持久力はあまりない。

最近は野球を再開したけど、まだ少し体力作りもし足りないだろうし。

その点わたしは十歳の頃に始めた居合いは一度も辞めたことないし、十二歳で弓道を

始めてからは、毎日素振りとゴム引きと腕立て伏せは欠かしたことはない。

もちろん居合いも弓道も上半身だけでなく下半身の安定も必要だから、ランニングと

スクワットも欠かしません。

とにかく、だからへばるのはわたしより有利が先だと思う。

「よーし、待ってろよ、魔剣メルギブ!」

「モルギフ」

気合いを入れた有利は、あっという間に訂正されている。

遠ざかる帆船と、近付いていく今はまだ静まり返った陸地を見て、有利は。

「はーれーるーやー」

魔王なのに神様を称えて歌っていた。気持ちはわかるけど、いいのそれ?

それに今から行くヴァン・ダー・ヴィーアはご当地音頭によると、天国ではなく夢の島。




そうして、ヴォルフラムが起き出した頃には半死半生だったユーリは、わたしより先には

ギブアップできないと頑張ったけれど、漕ぐ力が弱いと逆に足手纏いだとまで貶されて

ヴォルフラムと交代して、陸地に着く頃にはふたりとも腕がもう上がらないという状態に

なっていた。

「だらしねぇなあ、坊ちゃん方は」

どうにか上陸した後、使われていない海の家を発見してそこで仮眠をとることにしたの

だけど、その前にへばっている有利とヴォルフラムに軽くマッサージをしておくになった。

それでもふたりは数時間後に目を覚ませば筋肉痛に悩まされることになるだろう。

「………は、割りと平気そうだね」

ヴォルフラムの腕を揉んであげながら、コンラッドはなぜか少し残念そうだ。

わたしは有利の腕を揉みながら笑う。

「それはそうよ。わたし毎日鍛錬しているもの」

「………そうだったな…腕立てと背筋とスクワットはもう、絶対セットだったっけ……」

ぐったりとした可哀想な有利。有利の場合、結局食べた夕飯を全部もどしちゃったから、

バテるのも無理ないんだけどね。だから丸一日絶食の上、起き抜けに肉なんて重いもの

食べるなって言ったのに。

「あと、素振りとゴム引きもね」

「素振りはともかく、ゴム引きってなんだい?」

「弓の弦を曳く練習で、ゴムを代わりに曳くの。これなら弓が持てない場所でも練習できる

から」

でもこっちの世界にきてからやってないなあ。

「へえ、姫は戦闘訓練受けてるんですか?」

「戦闘訓練ってほどじゃないです。日本の武道は心身ともに鍛える…とはいえ、こちらの

人の武道に比べたら精神的なものを鍛えるくらいの意味合いしか、今はもうないから」

だから海賊相手に引けを取った。技術的には、恐らく負けてはいなかったはずだ。

……一対一なら。

道場の剣術と、実戦の一番大きな差はそこだと思う。

「そりゃまた、生ぬるいこって」

「それだけ日本は平和なんだよ。いいことなの!」

反戦派の有利はムキになって答える。

確かにね、いいことだろう。だけどわたしの場合、心を鍛えることが第一目的だったとは

いえ、攻撃の力を手に入れたかったのも事実。

もちろん、相手を……殺す……ことなんて想定はしていない。痴漢なんかを撃退したり

取り押さえたりしたかっただけ。

けれどこちらでは、そうはいかない。

有利を守るためなら、有利の側にいるためなら、わたしは。

………できる……はず。



軽く背中を叩かれて、コンラッドを見上げた。

考え込んでいる間に有利は眠っていた。疲れと睡眠不足のダブルパンチですっかり深く

寝入っている。

わたしが考えていたことがわかっているのだろう。コンラッドの笑顔は、今ならまだ取り

消しが聞くのだと言っている。

わたしは、ゆっくりと首を振る。

脇に置いた、ヨザックさんが取り戻してくれた剣を一度触って、有利に身を寄せるように

して床板に横になった。







天然ボケ兄妹。まあ、尻軽をフットワークのことと勘違いする有利ですし(^^;)
それにしても決意は固いようです。コンラッド、苦労人…。



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