おれの中ではその間ずっと、ポーリュシカポーレが流れていた。 「……ロシア民謡が……」 「なんですか、東西冷戦問題ですか?」 「違う、それはもう、終わったよ」 コンラッドが気軽に応じてくれたので、おれも気軽に答えて身体を起こした。 どうやらコンラッドの肩を借りて眠っていたらしい。 あたりを見回すと、なぜか粗末な部屋の中。 戸口にはバスローブ姿のままのヴォルフラムと。 「――――っゆーちゃん!」 「ぐぉっ……っ!」 が腹にものすごいタックルを食らわせてくれた。 012.影響力の大きさ(2) 「って…………?」 「よかったよ、ゆーちゃん!目が覚めてよかったっ!!」 おれの腹に抱きついて半べそかいているも赤いドレスのままだ。 「ね、だから心配ないって言っただろう?」 コンラッドの手がの髪を優しく撫でる。 なんとなく、ムッとしたおれはその手を跳ね除けてぎゅっとを抱き締め返した。 コンラッドが驚いたように目を瞬いたが、おれはちょっとバツが悪いこともあって知らん顔。 大人気ないけど、いくらコンラッドでもに馴れ馴れしく触って欲しくない。 「ゆーちゃん?」 「ごめんな、心配かけて」 「ううん。目が覚めて本当によかった」 目尻にたまっていた涙を指先で拭ってやると、はぎこちなくだけど笑った。 これはもう、結構キテたらしい。 を宥めるように背中を軽く叩きながら状況を知りたくてコンラッドを振り仰いだ。 「ところでなんでおれたちこんなトコいんの?……ああ!そうだ、ベアトリス!海賊は!? ベアトリスは無事なのか!?」 おれに抱きついたままのの肩が揺れた。 「落ち着いて、ひとつずつ説明します」 コンラッドの説明に、おれは愕然とした。 ベアトリスが無事だった事はいい。喜ばしいことだ。 おれが魔術でことを納めた直後にシマロンの巡視船が到着して、海賊は捕まったという のもいい。 けれどおれたちが魔族とバレたからって、こうして閉じ込められたというのはどうしてだ。 そんな理不尽な話ってありか!? 「……ごめん……」 おれが小さく謝ると、おれに抱きついていたの腕にぎゅっと力が篭る。 なぐさめてくれてるんだな。おれが自分よりものことが大事なように、はおれのこと でも自分のことのように傷つく。 おれがコンラッド達に感じた罪悪感を、そしてこの仕打ちにうけた衝撃を、も感じたに 違いない。………はなんにも悪くないのに。 「なにがです?」 「軽はずみなことしちゃって」 ヴォルフラムは両脚を投げ出し、おれに喉を向けた無防備な姿勢のままで言った。 「ユーリが謝ることはない。愚かなのは人間どもだ」 「ヴォルフ……」 この話はここまでにしよう。それよりもこれからどうするかのほうがずっと重要だ。 そう思って真面目に口を開こうとしたのに、おれの寝起きの腹が、山鳩のような呻きを 発した。一日半飲まず食わずでいれば、胃腸も苦情を訴える。 が溜息をついて、おれから離れてしまった。 「つくづくシリアスが続かないね、有利………」 ああ、もう復活してしまった。ゆーちゃんから有利に戻っているのはその証だ。 いや、が落ち込んでるのはつらいからいいことなんだけど、ちょっと寂しい。兄貴心と 秋の空は複雑なのだ。あれ、元意味のままでもちょっと違うな。 「豪華ディナーは無理だとしてもさ、とりあえず脳味噌に燃料やんないと、今後の計画も 立てられないよ」 おれが咳払いして気を取り直して言ったとき、勢いよくドアが開いて寄りかかっていた ヴォルフラムが前に弾かれた。 「ちゃッらーんッ!」 そこにはオレンジの髪を緩くまとめ、大きな銀の盆を捧げ持った笑顔の男が立っていた。 おれが見張りのふざけた人選に唖然としている間にも、は男に警戒することなくその 足元で顔面スライディングして呻いているヴォルフラムににじり寄った。 「だ、大丈夫?」 「くそっ!グリエめっ!」 「お待たせ、豪華夕メシよんっ」 そして男はそんなふたりをまったく無視して部屋にずかずかと入ってくると、おれの前で いきなり跪いた。 「お目覚めのようですな陛下。大事にはいたらず何よりです。さ、これは他の客と寸分 違わぬ献立ですが、陛下のお口にあいますかどうか……」 「ななななんでおれのこと陛下なんて呼ぶの!?確かに魔族だってバレちゃったけど、 おれ平凡な魔族で、もっと正確にいうと身体は人間で……」 すると男はしなやかな上半身を起こし、不敵な笑い方でおれの両肩をどついてきた。 「いーねぇ!ほんとだ、聞いてたとおりだ。素だと相当かわいいねーェ」 「おい、陛下に失礼だろう」 そう男に文句をつけながら、コンラッドはが抱き起こしていたヴォルフラムを、猫の子供 でも持ち上げるように襟首を掴んで引き離す。 その口調からも態度からも、どうやら男が敵対勢力でないことは明らかだった。 「だぁねェー。けどそりゃ国内なら無礼だけど、ここは遠い海の上、オレのこと忘れてる つれない男を、ちょっとくらい困らせてもいいんじゃねぇかぁ?」 「忘れてる、ということは、おれはどっかでアナタにお会いしてるわけですか?」 やや吊り気味の切れ長の目は、現在はいたずらっぽく笑っている。だがそれは簡単な スイッチで、どんなに冷酷にもなれそうなブルーだ。 「……すいません、お顔に覚えが……」 言いながら全身を、特に肩から背中への絶妙な曲線、服の上からでも断言できる惚れ 惚れするような外野選手体形を見て、パズルのピースがかちりと合った。 「あっ、みっ、ミス・上腕二頭筋!?」 「ご名答―ぅ」 「えっ、あれっ、でもなんで男性になっちゃったんですか!?」 「兄妹揃って妙なことを仰いますな、オレは元から男だよ。女装は仕事、仕事上の都合」 兄妹揃って、ということはも同じことを言ったらしい。 コンラッドが簡単に説明してくれた。 「彼の名前はグリエ・ヨザック。非常時に俺達を支援するようにと、シルドクラウドから ついていた護衛です。無礼な奴だけど腕は立つんで、旅の間だけ目をつぶってください」 「ホントいうと乗船する前に、国内で裸の付き合いしてんだけどね」 「裸の…あっもしかして、ニューハーフ風呂にいた!?じゃああの時おれの、こっ、こっ」 「息子さん?拝ませていただきやしたよーォ」 「ぎゃああああああ」 「なんだと!?ユーリ、ぼくに内緒で子供なんか生んだのか!?」 「生むかボケっ!」 「夫婦漫才?」 がおれの横で恐ろしい感想を述べる。だれが夫婦だ、だれが。 ん?しかしあそこにいたことは……。 「ヨザック、だっけ」 「はい?」 「じゃあ、の裸、見た?」 「ゆ、有利!!」 が真っ赤になっておれの口を塞ぐ。ヨザックの曖昧な笑顔は、肯定の証だ。 これはちょっと、聞き捨てならない。 「今すぐ忘れろ!」 おれは立ち上がってヨザックに指を突きつけた。 「い、いや忘れろと言われましても……」 あんな眼福、と呟いたのをおれは聞き逃さなかったぞ! 「それは俺も同感だな」 コンラッドも横でなにかを含んだ笑顔を見せながら同意する。 ヨザックの顔が引き攣った。おれは賛同者を得て、勢い込んで畳み掛けた。 「いいか!の裸を見てもいいのはおれだけ!おれの許可なく、おれのの裸を見るな!」 ………狭い部屋に沈黙が降りる。 あ、あれ? 「あ、あの陛下?」 「い、いまのはどういう意味だ、ユーリ」 「ユーリ、おれだけっていうのは…ちょっと聞き流せないよ」 コ、コンラッドまで! だがだけはちょっとだけ苦情内容が違っていた。 「おれの許可なくって、許可なんかしないでよ、有利」 「いやいや、そうじゃなくて!!!」 魔族三人、息ぴったり。 「い、いまのユーリの言葉だと、まるでユーリはの裸を、その」 「見てるよ、おれは」 「な、なんだと!?お、お前は実の妹とそんな破廉恥な行為をしているというのか!?」 「お風呂に入るのが破廉恥なの?」 が頬に指を当てて小首を傾げる。 ああ、おれは三人の誤解がわかったぞ。いい、はわからなくていい。 「風呂?風呂だけか?」 「お前はなんでもそっちに繋げるな。風呂だけだよ」 「いや、今のは閣下の気持ちがよくわかりますぜ」 「そっちってどっち?」 「ちょっと待ってください。それはいつもですか?」 場は混乱を極める一方だ。 「兄妹で風呂に入ってなにが悪いんだよ、微笑ましい光景だろ?あーもう、おれは腹減って んだから食う!お前らも食え!!」 「微笑ましいってユーリ……確かに、幼い兄妹ならそうかもしれないけど……」 コンラッドの微妙な抗議など聞えないふりで、おれは子羊の骨付き肉ハーブソース添えを 掴んだ。 「あ、有利!一昨日からなにも食べてないんだから、まずは胃に優しいものから……」 「大丈夫!二日くらいどってことないって!」 の忠告を無視して、おれはいきなりメインディッシュにかぶりついた。己の内臓を過信 していたのだ。 「いいねぇ、そうこなくちゃいけねぇや。こいつは厨房長がお前さんたちの行為に意気を 感じて、こそっと持たせてくれたんだぜ。普段、何気なく捨てちまってる物で、あんな芸 術見せてもらったのぉ初めてだって」 「へえ、芸術だってさ。コンラッド、リサイクル品でなんか作ったの?」 兄弟との視線はおれに注がれている。 「……おれ?」 「まあ気にしなさんな」 ヨザックが含み笑いで胡坐をかいた。 その後もだれもメインの肉には手を出さなかった。 おいしいのに、何故だろう。 |
第1話の3節で勝利兄が言っていたとおり、有利とは一緒にお風呂にも入ります。 でもコンラッドとヴォルフラムには聞き流せない話ですよね(^^;) |