「でも訓練は、この旅から帰ってからだよ」 「それはさすがにわかってます」 そんな暇はないし、もしあったとしても有利の目の前でいきなり始めるわけにも いかない。 「とりあえず、ひとりで復習でもしてる」 「復習?」 「あっちでの鍛錬。筋トレと素振り。あと走り込みとか」 「なるほど。それはやっておいた方がいいだろう」 剣術そのものはともかく、その土台となる基礎くらいは自分ひとりでもやって おかないとね。 「では師範」 「シハン?」 「ああ、ええっと、先生ってこと。日本で居合いの先生のことを師範とお呼びして いるから。コンラッドもこちらでの剣術の先生だし………」 「いや、普段はいつもどおりでいてくれたほうがいいよ」 「そう?でも………」 「いや、訓練中と普段をわけてくれたほうが、俺が助かる」 「……そうね、わたしもその方が、実を言うといい。それに、鈍らないように鍛錬に 付き合ってもらっているだけなら、そこまで師事にこだわるのも変だし。有利に不審 がられるといけないか」 「そうそう」 コンラッドのどこか媚びたような笑みをそれこそ不審に思いながら、わたしは再び コンラッドの前で背筋を伸ばした。 「じゃあ、さっそく」 一礼して、わたしは右手を振り上げた。 011.無理な約束(2) 頬を張る乾いた音と、呆然としたコンラッド。 わたしは、ゆっくりとコンラッドを叩いた右手を下ろした。 もちろん、本気で殴るつもりじゃなかったから平手だったし、それも音はしても そんなに痛くしたつもりはない。 コンラッドは呆然としたまま、ゆっくりと左の頬に手をやる。 「………………?」 「さっき!命は差し出さないでって言ったのに!有利はいいけど、わたしには いやだって言ったのに!」 そう。わたしははっきりと言った。命はいらないと。 どうしてもと言うならそれは有利に差し出して、そうすれば有利は絶対にそれを 守ろうとすると、言った。 それはコンラッドにも無事でいて欲しいということなのに、そのすぐあとにこの男 ときたら、「命に代えても」と言ったのだ。 しかも、有利だけなら頷けても、わたしも含めて。 「例え言葉の綾でも、もっと自分を大事にして……お願いだから」 「………」 コンラッドは左頬を手で覆ったまま、少し真面目な表情でわたしを見下ろした。 「これ、取り消さないときっと後悔するよ?」 う………そんなに凄んでみせても、負けないんだから。 だってわたしは間違ってない。後悔なんてするはずがない。 「取り消さない。後悔もしない!」 少しだけ腰が引けかけて、だけどもう一度背筋をシャンと伸ばしてまっすぐに コンラッドを見据えた。 「どうしても?」 「絶対!」 「……絶対?」 「なにがあっても!」 きりりと顔を引き締めて言い切ったわたしに、コンラッドの表情が途端に和らいだ。 「わかった」 いきなりの微笑みは、だから心臓に悪いってば!! 「わ、わかってくれたのね?」 「ああ。の気持ちは痛いほどわかった。俺も肝に銘じる」 そりゃ痛いほどでしょう。それほどではないはずだけど、実際少しは痛かったはず だし。 と思ったらコンラッドは右の頬も差し出した。 「……コンラッド?」 「これが返事だよ」 …………………なんのこと? ああ、ひょっとして、右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せとかいう、キリスト教 の教え、左右逆バージョン? でもあれ、争いになりそうなときの話じゃなかったっけ? 敬虔とは程遠い、更に仏教徒だからよくわかってないけど。 うーん、コンラッドの決意の言葉を否定したわけだから、これは論争ということで 捉えて、争い扱いとか? コンラッドは異世界の人で、こっちの宗教はキリスト教なんてないみたいなんだけど、 アメリカに滞在したコンラッドには、地球的宗教はキリスト教なのかな? わたし、仏教徒なんだけど、信心深くないから、チャンポンしちゃってもいいか。 ああ、さっぱりわからない。 コンラッドは混乱したわたしの手を握って、そのまま口元に運んで甲にキスをした。 「なっ!?な、なに!?」 「これで本当に取り消しは効かないよ?」 「だ、だから取り消さないってば」 なんとか手を引こうとするのだけど、がっちりと掴まれて動かない。 わたしの頑固な言葉に、コンラッドは頬を緩ませる。 あの、なんでそんなに幸せそうな笑顔? 頑固といえば、何度も取り消しを確認するコンラッドも相当しつこい。 もう一度、甲にキスされた。 ひゃあ、く、唇の感触が!コンラッドの唇が!? 「俺はマシとはいえ、まだ男と接触するのは苦手だろう?だから、これが誓いだよ」 に、苦手でなくてもこれはどうかと思います。 だって、白馬に乗った王子さまが実在したなんて言いたくなるような人がだよ!? 手をとって甲にキスなんかしちゃってさ!大半の女の子なら失神モノだよ。 かくいうわたしもくらくらする。 だって誓いだなんて言っちゃって、それってまるで。 ぎゃああああ、なんて乙女な発想!!ありえない!! 少なくとも、異性が苦手な渋谷にはありえない想像でしょう! 大体、わりと血生臭い話だったはずなのに。 わたしの頭、どうかしちゃったの!? |
お約束の時間です(笑) あーあ、有利も大事な妹なんだから、一言説明しておけばよかったのに(^^;) |