やっぱりゆーちゃんがキレました。 ゆーちゃんに機を見るなんてこと、期待しても無駄だろうと思っていたけど、やっぱりだった。 でもお陰でわたしは気分的にちょっと救われた。 だってこれでこそ有利。 わたしのお兄さん。 008.向こう側にある明日は とはいえ、人質のひとりの怒りなど、親分はどこ吹く風。悔しいけどその方がいいのは確か だった。耳障りだと判断された途端、有利が斬りつけられかねない。 そうなったら、この身を挺してでも有利を傷つける武器の前に立ちはだかるつもりでいた。 相手は男じゃなくて、武器だと思えばまだ勇気が湧いてくる。 有利の立派な演説も聞かず、 海賊の親分は軽く指を差して指示するに留まった。 「連れてけ、こいつは高く売れるぞ。片目だけじゃが、黒に近い」 「人の話を聞かない男だなぁ、もう!」 その時、大半の女子供が隣の船に移されてかなり広くなったデッキの端の方へと、見覚え のあるベージュの髪の女の子が連れていかれた。有利と踊ったあの子だ。 少女は肩に置かれた賊の手を、まるで汚れを拒否するように強く素早く払い除けた。 男の頭に血が昇り、小さな身体を突き飛ばす。 「ベアトリス!」 男性客から悲鳴が上がった。それと同時に、わたしは大分緩くなっていた親分の手を振り 払って走り出す。 桜色のふんわりしたワンピース。 小さな身体は大きくバランスを崩し、低い柵を越えてしまう。 「危な……っ」 後ろから有利の悲鳴が聞こえた。 最初に走り出した上、場所も近かったわたしが一番に辿りついた。 落ちかける少女の腕を掴み、自分も引きずり込まれながら、身を乗り出して持ち堪える。 だれかがわたしの腰を掴んだ。 「しっかり……ベアトリス……もう一本…手を伸ばしてっ」 わたしの腰を掴みつつ、横から手を伸ばしているのは有利だった。 「いいの」 「……なにが、いい、の」 少女が手を伸ばさないので、わたしが掴んでいる腕を一緒に引きながら有利が言葉を繋ぐ。 後ろに引く力に加勢が入った。コンラッドとヴォルフラムと、あともうひとり。 「お父さまやお母さまと会えなくなるくらいなら、落ちてもいいの」 「……そんな、こと」 「言っちゃだめ!」 苦しそうな有利の声にわたしが続けて叫んだ。 「つらいことや悲しいことはたくさんある!でも、きっと乗り越えられる!心が負けなければ、 いつかは乗り越えられる!助けてくれる人だって、ご両親だけじゃないよ!生きていれば、 例え離れ離れになっても、また会えるのにっ」 死んでしまったらなんにもならない。 つらくて、苦しくて。 でもそこで死んでしまったら、なにかに負けたままじゃない。 なにもかもに負けたままじゃない。 みっともなくたって、頼りきりだって、生きてさえいれば。 いつかきっと恩を返せる。いつかきっと役に立てる。 わたしはそう信じて、未だに成功しない有利からの自立を目指して、挫折しながら今度こそ と繰り返している。 使い古された言葉だけど。 「明けない夜はないのよ!逃げないで、戦って!」 力強い数本の腕が小さな少女ごとわたしを引っ張り上げた。 女の子は父親だろう男性に抱えられる。 有利は精根尽きたように、尻餅をついてさらに甲板の上に仰向けに転がった。 「!怪我は………っ」 引き上げられた勢いで転がりそうになったわたしを抱きとめてくれたのは、コンラッドだった。 もしも有利に頼らなくなったって、別のだれかに頼っていれば、一緒なのにね。 我ながら呆れるのに、そう思うのに。 色々なことが重なりすぎて久しぶりのように感じるコンラッドの腕に、強く抱きついてしまった。 「………」 コンラッドがそっと頬を撫でてくれた。 同時に。 船の上では起こりえない震動が突き上げてきた。 下から地響きが聞こえる。 でもここは大地ではない。緩やかで規則的な揺れを繰り返す波の上。 コンラッドから離れて周囲を見回すけれど、なにもない。 疲れ果てていた有利がひとりで起き上がった。 「ゆう………」 そのまま、デッキの中央へと歩いて行ってしまう。 有利は、コンタクトの外れた片方だけ黒い目で、正面の親分を鋭く見据えた。 「有利………」 追いかけようとしたところを、コンラッドに捕獲される。 「ちょ……コンラッド、有利が………」 「コンラート、こいつ」 はっと気付いたようにヴォルフラムが自分の兄を振り仰いだ。 「わかっている。でも俺達にはどうすることもできない」 「え?なに?」 「……力を持たぬ船に限って襲い、壊し奪う悪行三昧」 有利の口調はともかく声まで違う。一体どうなってるの? 「正々堂々、勝負もせず、卑怯な手段で押し込めては、か弱き者まで刃で脅しおのれの 所有と言い立てる」 船が波間以外のなにかに揺れている。地響きが音と共に這い上がってくるような。 海賊たちも異変を感じて親分の許に集まってきた。 「盗人猛々しいとはこのことであるっ!」 「な、なにがどうなってるの?」 まるで有利の好きな時代劇のそれこそ上様、あるいは大岡越前のようだけど、なんで いきなり物真似なの? 「海に生きる誇りもなくした愚かな者どもめ!命を奪うことは予の本意ではないが、やむ をえぬ、おぬしを斬るッ!」 「有利!」 斬るだなんて、そんなこと、有利が言うはずは無いのに。 ヴォルフラムが横で苦い顔になった。 「ぼくもあれをやられた」 「手厳しかったな」 「そんな悠長なこと言っている場合なの!?」 わたしの腕を掴んで有利の許へ行かせないようにしているコンラッドを振り仰ぐけど、 アメリカナイズされた仕種で肩を竦めるだけ。こ、この〜〜! 「ゆう……」 コンラッドを当てにせず自分でどうにかしようともがいた瞬間、ずしんと胸に重りが圧し 掛かったような息苦しさを感じた。 まだヴォルフラムとコンラッドの会話がうっすらと上から聞こえる。だけど頭に薄いけれど 不透明で防音に優れた膜を張られたように、言葉までは聞き取れない。 頭が重い。ずくずくと芯から脈動するような痛み。酷い吐き気が襲ってきて、同時に力が 抜けてへたりこみそうになる。 腕が上に引き上げられる。 たぶんコンラッドが力の抜けた身体を抱き上げてくれたんだろう。 自分の身体の状態以外の感覚は、外界から遮断されたようになにもわからない。 引き上げられたことはわかったけれど、腕を掴まれている感覚がないのだ。 ただ、リアルな痛みと不快感と脱力感だけが。 ―――引き摺られるな。 痛みの渦の中心から、声が聞こえた。 どこかで聞いた覚えのある、男の人の声。 ―――落ち着け。お前はお前、魔王の魔力に引き摺られるな。 ま、おう………? ―――引き摺られただけ……。 ―――引き戻せ!! 思い出した。 この声。 この世界に落ちてきたとき、聞こえた―――。 「!」 ぐん、と意識が急浮上した。 目の前に、コンラッドのドアップ。 「ぎゃ!」 色気のないことこの上ない悲鳴を上げて、コンラッドの顔を押しのける。 「な、なになになになに!?」 「いたたた、落ち着いて、落ちるよ」 落ちるって………。 いやーー!!い、今、コ、コンラッドに横抱きに抱え上げられてるよ!?背中と膝の後ろ に腕を回して、いわゆるお姫様抱っこ!?なんで!? 「頼むから大人しくしてくれ。きみは素足だし、落して怪我でもされたら大変なんだ」 そういえば靴を脱いだままだったから素足だった。薄いストッキングだけで船内も甲板 も走り回ったんだ。見てみると、ストッキングはところどころ破れてボロボロだった。 今頃足の裏が痛くなる。 ぴたりと暴れるのを止めると、コンラッドは今度は傍らでぴょんぴょん跳ねている弟を 見下ろした。ヴォルフラム、なにやってんの? 「動かないでじっとしているんだ。蠍や毒グモをやり過ごす要領で」 「あーっ、のっ、のっ、登ってくる!」 「騒ぐな」 登るってなにが。 ようやくコンラッドから視線を外して、周囲の地獄絵図に気がついた。 こんなのに気付かなかったなんて、きっとわたしまだ頭がぼんやりしてたんでしょうね。 「な、なにこれーッ!?」 辺り一面、骨。鳥や魚の小骨から、カルビのこり骨、スペアリブの骨だけ、巨大な牛の 頭蓋骨まで、ありとあらゆる食肉の骨が海賊たちに襲い掛かっていた。 避けて通っているのは有利だけ。攻撃されているのは海賊だけ。つまり、乗客と客船 の船員の上は通過している。騒ぎになっているのが海賊だけなのは、乗客と船員の ほとんどが気を失っているからだ。う、うわあ……。 そっと見下ろすと、涼しい顔をしているコンラッドの足の上も無数の骨が通過していた。 ヴォルフラムは暴れているせいで余計に骨に取り付かれているけど、これで落ち着いて いるほうが、ある意味オカシイのかもしれない。 とにかく、落されてはたまらないとコンラッドの首にぎゅっとしがみついて顔を埋めた。 耳元でくすりと笑う声が微かに聞こえたけど、こんなの見たら絶対落ちたくないし降ろさ れたくないです。お願いします、コンラッド。小馬鹿にされてもいいからこのままで。 ああ、夢に見そう。 「な、なんなのこれ」 「ユーリの魔術だよ」 「魔術!?有利が!?」 自分の兄が魔法使いだと初めて知りましたよ。 素っ頓狂な声を上げると、コンラッドの方も面食らったような声で答える。 「……ユーリは魔王だよ」 そうでした。 それにしても、もう少しスマートな魔法はないものか。 確かにイギリスの超有名魔法少年小説でも、呪いではナメクジ吐いたり鼻が爛れたりは してましたが、縛り上げたり、炎を上げたりするようなものもありましたよ、有利さん! 向こうの方で、悪魔だーと叫ぶ親分の声は聞こえたけれど、振り返る気にならない。 あんな地獄をみるくらいなら、コンラッドのカッコいい顔を眺めている方が一千万倍いい。 こんな間近で見る勇気と胆力はないので、首筋に顔を埋めたままですが。 それにしても、コンラッドに触れてよかった。 もしコンラッドのことも他の男の人と同様に怖かったら、わたしは自ら骨にダイブするか、 恐怖と吐き気に震えるかの究極の二択を迫られるところだった。 本当に、それくらい、男の人はだめだ。 でもどうしてコンラッドだけは平気なんだろう? 有利の名付け親だから、ある意味では家族みたいだとか? まさか。今まで存在も知らなかったのに。 コンラッドの背中越しに、海の向こうから近づいてくる光が見えた。 「船よっ、シマロンの巡視船よーっ」 海賊船のほうに移送されていた女性達から歓声が上がる。 あちこちから乾いた破裂音が聞こえて、どうやら骨が動かなくなったようだった。 「おのれの行いを悔い、極刑をもって償う覚悟をいたせ!……追って沙汰を、申し渡す」 どさりとだれかが倒れる音が響いた。 |
今日は駄目でも明日はできるかもしれない。未来を信じるのも強さです。 |