おふざけは一旦お仕舞いにして、乗船からこっち船内の様子を見て回ったコンラッドと ヨザックさんが情報交換をしている最中に、わたしはダンスホールを見回した。 「あれ、有利がいない?」 「え!?」 コンラッドが驚いてダンスホールを振り返る。 「大方、気の合ったお嬢さんとどっかにシケ込んでんじゃないですかー?」 「それはない」 わたしとコンラッドが同時に首を振る。有利にそんな甲斐性があれば今頃彼女いない暦 十六年ー!などと叫ぶハメに陥っているはずが無い。 「じゃあ、部屋に帰ってるんじゃないですかね。ちっちゃな子供じゃないんだから心配 いらないでしょ」 ここでは魔族、ましてや魔王と知られているわけでもないから。 声にしない部分もわかった。 わたしもここが地球、さらに日本なら心配しないんだけどね。でもここはわたしたちの常識 が通用しないことも多々ある異世界だからなあ。 なんて。 まさか本当に心配が的中するなんて。 007.大丈夫なんて嘘(1) 船を突き上げるような衝撃があった。 思わず踏鞴を踏んだわたしを、近くにいたコンラッドが抱きとめてくれた。 「あ、ありがとう………」 見上げるといつもの笑顔はなく、油断無く周囲を見回す優秀な軍人の顔をしたコンラッド がいた。 「状況は……」 「わかるわけないでしょ。単なる座礁であることを祈るばかりですが………」 「座礁にしては、衝撃が一撃だけっておかしくないかな?」 わたしの言葉に、ふたりは深刻な顔をして頷く。 「海賊だー!!!」 予感的中、おそらく甲板から応援要請の悲鳴が上がった。 「ヨザック!」 「了解っ!」 ヨザックさんがドレスをたくし上げて駆け出していく。 「も早く………っ」 「行って!」 コンラッドが伸ばした手を払って、わたしは強く睨み付けた。 ヨザックさんはホールの入り口から驚いたように振り返る。 「な………」 「早く有利のところに行って!わたしを連れて行ったら遅くなる」 「だがっ」 「いいから行きなさい!わたしはなにもできない小さな子供じゃないのよ!」 ヨザックさんの言葉を借りて怒鳴りつけた。 睨み付けた目に力がありますように。有利の、魔王の妹としての。 コンラッドの躊躇は、一瞬だった。 「他の女性客とどこかに隠れているんだ。目立たないようにできればひとり、怖いのなら 少数人数で」 「わかった。ゆーちゃんをどうかお願い」 「当然です」 今度こそコンラッドは走り出した。入り口でヨザックさんの肩を軽く叩いてふたりで外へと 駆け出して行く。 さて、わたしも隠れなくちゃ。 有利の安全が最優先だと思わずあんなことを言ったものの、本当は怖くてしょうがない。 気合いをかなり入れていないと震えがきそうだ。 それでも、海賊の襲撃だなんてまだ本当の実感があるわけじゃない。心のどこかで現実 として受け入れきっていなのだろう。当然だ。現代日本で海賊の襲撃に遭う可能性って、 あるわけない。ああ、銀行強盗と思えばいいのかな? なんてズレたことを考えてへたれている場合じゃない。自分で残ると言ったのだから。 わたしは、第二七代魔王、渋谷有利の妹だ。へこたれるな。 果たして特別室の客が隠れたところで見つからないということがあるものなのか。 ここは逃げ場なんてない洋上で、広いとはいえ船内に絶対にいることは間違いない。 この海域の国の警備隊がやってくるまでが、おそらく海賊の制限時間なんだろうけれど、 それもどれほど掛かるものか。 それまで隠れていられれば問題ないけど、生憎とキャビンとダイナーとデッキくらいしか うろついていないので、いい隠れ場所なんて思いつかない。 なにもできない子供じゃないなんて啖呵きっておいて、情けないことこの上ない。 とにかくこの襲って下さいと言わんばかりのこの会場からは出て行くべきだろう。 走りにくいヒールの靴は脱ぎたいのだけど、せめてこの会場を出ないことには脱げない。 ストッキング越しになんて骨を踏んだら刺さってしまう。 骨を蹴散らしながらどうにか会場を出て、とにかくデッキから遠ざかるように走り出す。 とはいえ、通路はパニックを起こした人の群れで詰まっていてどこに向かうにしても進む ことが出来ない。苛つく。 しかも、反対にデッキに出て海賊の応戦に向かおうとしている船員の邪魔までしている。 「ああ、もう!」 苛立ちが頂点に達して、思わずヒールが折れるのではないかというほど足を踏み鳴らした。 「船員に道を開けなさい!海賊に襲われたいの!?」 わたしの声が聞こえた範囲の乗客たちは、ぎょっとしたようにわたしを顧みて通路の端に 張り付いた。 驚いたのは船員たちも同じようだったけど、道が開いたと悟ると剣を持ち直して駆け抜けて いく。 よしよし、と思うのも束の間、船員たちがいなくなると乗客たちはまた押し合いへし合いを 始めてしまった。こ、効率悪ー。 後方から悲鳴が上がった。 振り返ると、船員数名と海賊の戦闘が始まっていた。 ちょっと早くない!?デッキ組はなにしてるのよー! 隠れるどころか、その暇だってないし! 乗客たちのパニックはますます酷くなる。 とはいえ、わたしも悠長にしている暇なんぞなくなったので前方の人を押しのけようとして、 小さな悲鳴を聞いた。 「ベアトリス!」 もう一度振り返ると、なんと有利と踊っていた可愛い女の子が海賊のひとりに腕を掴まれて いる。母親らしき女性がそれに取りすがろうとして、別の海賊に引き離されていた。 船員たちは自分たちの戦闘だけで手一杯だ。 ええい、袖振り合うも他生の縁! 有利と踊った女の子を見捨てることなどできようか!? わたしはヒールを脱ぎ捨て、元来た道を駆け出した。 「その手を離しなさい!」 わたしの声に顔を上げた海賊は、単にわたしが色仕掛けしようとしただけに見えたかも しれない。 派手にドレスの裾をたくし上げたからだ。 ただし、そこから出てきたのはガードル姿でも鳩でも兎でもハンカチでもない。 短剣だ。 逆さにしてベルトで固定していた短剣は、ボタンを外すとするりと手の中に落ちてきた。 こんなの不意打ち以外に使いようなんて無い。一撃必中! 「ぎゃあーー!!」 男の悲鳴と、肉を切り裂く感触。 頬にわずかだけど返り血。 一連の動作として、男の手が離れたと同時に女の子の手を引いて後ろに隠したものの、 吐き気が込み上げてくる。 斬りつけたのは女の子を捕まえていた腕だけど。 人を、刺した。 衝撃に身体が震えて、まるで雲の上に立っているように足元が覚束ない。 だけど相手は当然待ってなんてくれない。 母親らしき女性を捕まえていた海賊が、武器を振りかざす。 咄嗟に、その攻撃が床に落ちるように短剣で受け流した。 「早く行って!」 海賊がわたしに攻撃を開始したせいで母親の方も自由になった。そちらに女の子を突き 飛ばして、もう一度繰り返した。 「早く行って!もう持たない、早く!!」 もう一撃をさらに短剣で受け流し、同時にぬるりと手を濡らした血に喉を鳴らした。 ほんとにもう、吐きそう。 親子がどうしたのかなんて見る余裕はなかったけれど、駆け去る足音が聞こえたから 行ってくれたのだろう。「ごめんなさい、ありがとう」という声も聞こえた気がする。幻聴 かもしれないけど。 よし、もう守らなくていい。 落ち着け。師範の言葉を思い出せ。吐き気に囚われるな。 集中、集中! さらに一撃、受け流したと同時に短剣を小さく巻いて剣先を床に叩き落した。 「なっ!」 海賊が驚いたのと同時に、足を振り上げて相手が剣を握っていた腕の肘を強かに 蹴り上げる。いくら鍛えていたとしても、ここは急所。意思に反して掌が開くもの。 うちの道場はちょっと風変わりに、ただの居合いだけじゃなくて、組打ちもするのよ! ありがとう、師範! 床に転がりかけた剣の柄をつま先で蹴って跳ね上げて手に収める。 短剣だけの子供に気を抜いていた隙をついて、相手の武器を奪うことに成功。 ここから本領発揮と言いたいところなんですが。 きちんとした武器を手に入れたことで、逆に少し安心してしまったらしく集中力が切れて しまい……再び吐き気のオンパレード。 込みあがってきたものを無理やり飲み込んで、喉に嫌な味を覚えつつもどうにか剣を 構える。 相手の顔が変。 そうでしょう。上段でも中段でも下段でもない構え。鞘もないのに抜刀態勢は変だろう。 わたしも混乱してるんだよ! だけど、構え慣れた姿勢がよかった。 込み上げる吐き気を抑えながら新手の一撃を、真正面から受け止めて弾き返す。 ………でも、ここからどうするの? 嫌なことに、明確に相手を斬り伏せる映像を思い浮かべてしまって剣が鈍った。 同時に横手から喉元に剣先が突きつけられる。 「困りますよ、お客さん。見た目と違って随分乱暴なんだから」 舞踏会会場入り口から、わたしに剣を突きつけたのは、何度か見かけた覚えのある この船の下働きの少年だった。 なるほど、手引きがいたからおそらく別の入り口からデッキを簡単に通り抜けたんだ。 ああ、ごめんコンラッド。 隠れるどころか真正面から戦って、おまけに捕まりました。 ホールドアップして剣を落したとき、さっき逃がした親子や他の乗客が捕まって武器に 追い立てられながら戻ってくる姿が見えた。 せめて有利が無事でありますように。 |
木刀を振り回すような気の強い面がようやく発揮されました(^^;) ですが善戦むなしく捕まってしまい。 現代日本の女子高生としては充分強いとは思いますが、無謀と勇気は別物です。 |