「おっと、そろそろいい頃合かな。姫、ちょっくらお兄様をダンスにお誘いしてきます」 有利たちのペアが近づいてきたところで、ヨザックさんはスカートを翻して行ってしまった。 仕草が女らしいと、あれでもきちんと女性に見せるのだから驚きだ。 うーん、あの人は本物なのか、ただの任務の変装なのか。 ヨザックさんが有利に声を掛けると、さっき壁際から有利を見ていた女性たちが懐かしの 「ちょっと待ったコール」のごとく駆け寄ってきて有利をダンスに誘っている。 コンラッドはその輪から一歩引いて楽しそうに笑っていた。絶対面白がってる。 と、ふと気がつくとこちらにも数人の男性が寄ってきていた。 006.開かれし扉(2) 誘われる前に逃げ出そうと、コンラッドの方へ歩み寄る。 「コ……カクノシン、お兄様は?」 「あちらで可愛らしいお嬢さんを誘っておいでですよ」 コンラッドが示した方を見ると、いつの間にかたしかに可愛らしいお嬢さんの前に膝を ついて手を差し出していた。 「おんやあ、坊ちゃんは幼女趣味かあ?」 女性陣の散った後、残ったヨザックさんがケラケラと笑いながら言った。 ダンスに誘ったくらいで酷い言いがかりだ。 コンラッドが咳払いする。 「大丈夫ですよ、隊長。姫さんはオレに気付いてますって」 ヨザックさんがひらひらと手を振ると、コンラッドは驚いたように見下ろしてくる。 「よく気付いたね。ヨザックを知っていたかな?」 「え〜と…まあ………」 あの場で会ったとはなんとも言い辛い。 歯切れの悪いわたしにコンラッドが不審な顔をすると、ヨザックさんが解説してしまった。 「ほら、姫が現れた風呂にあんときオレもいたからさあ」 「ほお………そうだったかな……」 コンラッドの声色が一オクターブは下がった。 驚いて目を瞬くのと、ヨザックさんの逞しい腕がわたしを押し出すのは同時だった。 「ほ、ほら隊長、姫さんと踊ってきたらどうです?坊ちゃんはオレが見ておきますし」 「ええ!?わたし踊れないよ!」 じろりとヨザックさんを一睨みしてから、わたしを見下ろしたコンラッドはもういつもの 笑顔だった。 「大丈夫、俺が教えるよ。リードに任せてくれればいい」 「え、っていうか、その……待っ………」 拒む暇も無いくらい、自然にコンラッドに手を取られダンスホールへ連れ出された。 腰に頼りがいのある腕が回される。 「ひゃっ………」 思わずびくんと震えてしまったわたしに、コンラッドは手を止めた。 「あ………そうか、申し訳ない」 わたしが異性を苦手とすることを思い出したらしい。 コンラッドが驚いたとき、わたしは混乱していた。 急のことで驚きはしたけど、嫌じゃなかった。 だってさっきは他の男の人に触られるのなんて想像だけでも吐き気がしたのに。 「ちょ、ちょっと待って」 手を引いて戻ろうとしてくれたコンラッドの袖を掴んで、しどろもどろに言い募った。 「あ、あのね、も・もう一回……ゆ、ゆっくりしてくれる?」 「お嬢さん?」 コンラッドが目を丸くして立ち止まる。 「さっき急だったからびっくりしたの。……嫌じゃなかったから……あ、あのわたし 有……お兄様以外の男の人に触られるの、苦手なの」 「ええ、そうですよね」 「うんうん。で、でも、コ…カクノシンの手は、嫌じゃ、なかったの」 驚いていた表情から、微笑に代わって。う……だから心臓に悪いってば、コンラッド の笑顔は!! 「試すようで申し訳ないんだけど……カクノシンなら、大丈夫かもしれない、から…」 「そういうことなら喜んで」 ふわりと包み込むような軽やかさでコンラッドの腕が腰に回された。 「やっ……」 そっと触れられたのだけど、やっぱりびくついてコンラッドにしがみついてしまった。 でも腰が引けて逃げるんじゃなくて、コンラッドの方に詰め寄ったんだからやっぱり コンラッドとなら近付いても接触しても大丈夫というわけで。 腰に回された腕に少し力が篭ったのでコンラッドを見上げると、目に毒なほどの 穏やかな微笑は、真面目な表情に変わっていた。えーと? 「コン………っと」 思わず本名を呼びかけて慌てて口を押さえる。 コンラッドはわたしの耳に口を寄せてそっと囁いた。 「今の声も、表情も、俺以外には聞かせたり、見せたりしないように」 どういう意味? 「コンラッド?」 これだけ近いなら、周りには聞こえないだろうと本名で呼ぶと、物凄く嬉しそうな 笑顔。だから心臓に悪いってば!! 「じゃあこっちの手はここに置いて。ゆっくり始めるから、ステップは1,2,3のリズム を忘れずに」 と、片手を取られてダンスレッスンが始まってしまった。 しまった、引き止めるということはダンスを踊らなくちゃいけないのだと忘れていた。 ダンスが始まると、さっき感じた僅かな疑問なんて頭からすっ飛んでしまった。 それどころじゃない。 コンラッドのリードはよほど上手いのか、オクラホマミキサーと秩父音頭しか知らない はずのわたしでもそんなに詰まらずに踊れる。比較的踊りやすいワルツだったのも よかった。 「そうそう、上手いですよ、お嬢さん」 「カ、カクノシンのリードが上手いからだと………」 ダンスは男性次第、とよく聞くからね。 ああ、でもとにかく踊ったわけで。 コーディネイトしてくれたヴォルフラムにもこれで面目が立つ。 コンラッドがいてくれて本当によかった。彼がいないと、わたしが踊れる相手は有利 くらいしかいないし、有利とわたしではオクラホマミキサーが限度だ。せっかくドレス アップしたのに体育祭でのダンスなんてあんまりだろう。 そういえば有利もコンラッドから指導を受けたわけで、ワルツくらいなら今なら踊れる かも、と思ったけど有利はまだ小さなレディとお戯れ中だった。 ワルツの曲が終わって、わたしとコンラッドは礼をしてにっこりと笑みを交わした。 「すごい!こんなにちゃんと踊れるなんて思わなかった!」 「ええ、お嬢さん。お上手でしたよ。きっと元々リズム感がいいんでしょう」 「んーん。そういうことじゃなくて。それもあるけど」 コンラッドがごく自然に手を引いてくれて、一緒にヨザックさんの所へ戻った。 「わたし、男の人はダメだから。ダンスって密着するから絶対無理だと思ったのに」 「あれ、やっぱりそうですよね。オレも送り出した後失敗したかと思ったんですがね。 普通に踊れてましたよね」 カクテルのグラスを片手にヨザックさんが合いの手を入れる。 「家族以外でこんなに男の人と近づいたのは何年ぶりだろう。少しはマシになってきた ってことかな」 あれから八年経つ。いい加減少しはマシになったっていいだろう。でも、こっちに来た ときはあの発作が起き………。 「これならどうです?」 考え込んでいると、急にヨザックさんのアップが目の前に。 手を、掴まれて、抱き寄せられて、いまし、た。 「ぎゃーーー!!!」 思わず拳が出てしまいましたよ。 見事な腹筋にクリーンヒット。さすがに構えていない状態での攻撃は効いたらしく、 ヨザックさんはぐふっと声を漏らしながら二、三歩後ろに下がった。 「ふざけ過ぎだ、ヨザック!」 「え、あ、あのコ・コンラッド…ええっと、ご、ごめんなさいヨザックさん、つい……」 反射で殴ってしまった罪悪感と、コンラッドの手の置き所に混乱してどちらにも中途 半端な言葉を投げかける。 コンラッドの腕が肩に回されて、ぎゅっと抱き寄せられてしまったのだ。あわわわ! 「いえいえ〜姫。俺が悪かったんですからって…隊長は大丈夫なんだ……?」 「よ、よくわからないけど……コンラッドは、平気みたい」 別の意味では平気ではないですが。有利に抱きついたら落ち着くのに、何故か コンラッドに抱き寄せられたら心臓に凄い負担がかかるんですけど!! 「あ、あの、でも、もう、離して?」 コンラッドの手をちょいちょいと突付くと、小首を傾げて顔を寄せてきた。だから!! 「でも、せっかく俺が平気なんだったら、俺で接触に慣れるのも手じゃないかな?」 ユーリだと慣らしにならないみたいだしね。なんて。 世のお嬢さん方が腰砕けになりそうな声を耳元で出さないで!! 「隊長、なんかイカガワシイッスよ……」 ナイス突っ込み、ヨザックさん! じろりとヨザックさんを睨みつけてコンラッドの気が逸れた隙に逃げ出して、ヨザック さんの後ろに隠れた。 「ひ、姫……それされるとオレの命が……」 「…………ヨザ、後で色々話がある」 コンラッドがヨザックさんの肩を抱き寄せてなにかを囁くと、ヨザックさんの顔から 血の気が失せた。 女の人には腰砕けでも、やっぱり男同士で囁きなんて、男の人には嫌なのかな? |
ダンスが踊れました。 有利しか存在しなかった狭い世界の扉が開くといいのですが。 |