お母さん、世界は広いです。

いやまあ、だってここは異世界ですし。

でも隣でコンラッドも唖然としているから、眞魔国ではない風習なんでしょう。

そう考えると、やっぱり世界は広いです。





006.開かれし扉(1)





床に散らばる無数の骨。そういえば食事の時も、わたしたち以外の周りには、鳥や魚の骨

が落ちていた気がする。そうこうしている間にも、すぐ前のテーブルで立食中だった女性が

フライドチキンの肉を食いちぎり、ぺっとばかりに骨を投げ捨てた。男らしい。

「そういうマナー……なのかな」

「としか考えられませんね」

呆然と有利が呟くと、わずかに乾いた笑いでコンラッドが答える。

これがマナーだなんて、ほんと世界は広い。

ダンスホールへ向かうには、無数の骨を踏み越え砕くことになる。まさかこんな事態は

ヴォルフラムも予想していなかっただろう。ヒール部分が細いから骨を踏みつけて転び

そうになる。

「オギンお嬢さん、手を」

コンラッドがごく自然に手をとってエスコートしてくれたので、人の食べ終えた骨の上に

転ぶという大惨事にはなんとか見舞われずに済んだ。

それにしても、ピアノは木琴の音色で、バイオリンは弦の張り過ぎで超高音。雰囲気が

でないと感じるのは感性が違うからでしょうか。

コンラッドはわたしの手を離すと、幾分青い顔色の有利を見下ろした。

「ここまできたら腹を決めて、踊っていただかなくては」

「おれ!?おれが踊れるわけないじゃん!中三の途中まで野球部だったんだよ!?

チアリーダーじゃなくてキャッチャーだったんだから」

男の子なんだからチアリーダーはないよ、有利。でも、チアガール姿の有利って案外

似合いそう。本人に言ったらトルコ行進曲で怒るだろうから言わないけど。

「そうはいっても、ご婦人方が、誘ってもらいたそうにこっちを見てるし」

うわ本当。獲物を狙う獣のようによだれをたらさんばかりに有利を見ているご婦人もいる。

なぜか男の人も混じっているのは……。こ、こわ。

コンラッドがちらりと一点を見て顎を杓った。

そちらの方を見ると、オレンジ髪の大柄の女性がいる。

「ではお嬢さん。少し坊ちゃんと踊って来ますので、ここから離れないようにしてくださいね」

有利が男性パート、コンラッドが女性パートで即席授業を行うらしい。

ホールを見回すと、男同士のペアも何組もあるから可笑しくはないのだろう。でも、普通に

身長で考えると逆よね。有利の勉強なんだから仕方ないけど。

どうせ踊れないし、わたしみたいな子供をこんな場で誘う人もいないだろうと気楽に手を

振って見送った。




ところが、だ。

「お嬢さん、よろしければ一曲」

有利たちがホールで踊り始めた途端、男の人がわたしの前に手を差し出してきた。

しかもひとりじゃない。一気に五人。

後ろを見れば何人かがこちらに焦って走ってきている。

うわ、どうしよう。

そういえば、昼間にお茶に誘われたときも勉強したのに。

こういう階級の人たちはお付き合いを広げることが大事なのだ。子供だろうといい

きっかけなんだから、誘ってくるのは当然だ。

思わず助けを求めて首を巡らせると、有利と踊っていたコンラッドがこちらの様子に

気付いたようだ。

すぐにでも助けに来ようとする気配を感じ取って首を振る。有利の勉強が先でしょう。

軽くだれかひとりと踊ってお茶を濁して……。

う、でも。

話をしたり同じテーブルについてお茶を飲むくらいならどうということはないけれど、

手を取って腰に手を回されて……。だめだ、想像だけでも吐き気がする。

向かい合って手を取り合って密着するのは、向く方向がバラバラの満員電車よりも

我慢できない。

こ、ここは時代劇のお約束「持病の癪が……」で部屋に逃げ帰るべきか。

部屋ならヴォルフラムもいるから暇ってことはないし。

でもせっかくヴォルフラムにドレスを見立ててもらったのに、ものの五分で逃げ帰れば、

がっかりさせるだろう。

だけどもう迷っている暇は無かった。差し出された手が10本に増えて、わたしを包囲

していたからだ。

ええい、持病作戦、開……。

「あらみなさん。お退きになって。お嬢さんは私とお話しする約束をしていたから壁の花

になっていたのよ」

ハスキーボイスが男の人たちの後ろから聞こえた。

同時に3人ほどが弾き飛ばされて、その間から伸びてきた手が私の腕を掴んで包囲網

から引きずり出してくれた。

コンラッドと視線を交わしていた、あのオレンジ髪の女性だった。

服の上からでも判るような、筋肉質で引き締まった胴回り。肘まで隠す絹の手袋。

反対に剥き出しの肩から背への曲線は、惚れ惚れするような彫像のごとき筋肉。

この腕なら強い弓でもさぞや軽々と曳けるだろう。

羨ましい。

名残惜しそうな男性陣を一睨みで追い散らしてくれたスーパーレディに頭を下げた。

「ありがとうございます。助かりました」

「いえいえん、お嬢さんは可愛らしいんだから、こんなところにボーっとしてちゃだめよん」

妙にシナを作った話し方は止して欲しい。

近くに来てようやく気がついた。

コンラッドと知り合いらしかったのもヒントになったんだけど。

「この旅、三人きりだと聞いていたんですけど」

途端に笑顔が消えた。驚いたように瞬きをして、それから今度はなにかの企みを隠した

ような不敵な笑みを見せる。

「お気づきになられましたか」

「城で会った人ですね?」

そう、この人は女性じゃなくて男性だ。まあ、もしかしたら男性と言ったら傷つくかもしれ

ない人だけど。

……思い出したくも無い忌まわしい記憶、つい五日ほど前に図らずも裸のお付き合い

をした人だ。わたしがこの世界に飛ばされたとき、お風呂にいたニューハーフさんたち

のうちのひとり。

混乱を起こした後は有利のことしか覚えていないけど、その前のことはちゃんと認識して

いる。

「グウェンダル閣下からの命でシルドクラウドから護衛につかせていただいております」

「そう……ですか…」

全然気付かなかった。

では、四人旅の予定が五人になったと。きっとヴォルフラムの存在はグウェンダルさんも

予想外だろうから。

「お名前を聞かせていただいても?」

「グリエ・ヨザックと申します。……姫、オレに丁寧に話される必要はないんですよ」

「わたしは渋谷です。今はオギンと名乗っていますけど。…わたしを姫と呼ばなけれ

ば考えます」

「面白いことを仰る。陛下の妹君であらせられる方を」

「こちらの世界でわたしはイレギュラーな存在ですから、国に対して責任を持つ立場に

ありません。それは、権利もないということだと認識しておりますので」

ヨザックさんは片眉を跳ね上げた。笑みが深くなる。まるで獣のような。

「では、こちらで責任をお持ちになればいい」

「なにもできない小娘が、ですか?」

「なにもできない?オレにはそうは見えませんがね?」

これは、どっちに取るべきだろう。

気に入られたのか、はたまた小馬鹿にされているのか。

できれば前者であって欲しいけど、それほど目新しいことがあったわけではないし、

後者なのかな。

あるいは、できることがないのなら、それを自分で見つけろという叱咤かもしれない。

新米魔王の有利の足を引っ張るような真似は避けないといけないのに。

「ま、姫とは呼ばせてくださいよ。話し方はお言葉に甘えてくだけさせていただきます

がね」

とにかく、無難に友好的な笑顔で頷いた。







グリ江ちゃんの登場。
気に入られたんでしょうか、馬鹿にされているのでしょうか?



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