「大丈夫か、?」 もうすぐ春も終わりだというのに肌寒い。 眞魔国では春の第三月の終わりという辺りで、日が暮れるとこんなものらしい。 けれど、今ゆーちゃんにくっついているのは別に寒いからではない。ちょっとだけ、それもある けど。 久々に、男に竦んでしまった震えがまだ完全に止まらないのだ。 毎度ながらゆーちゃんにくっついていれば落ち着いてくるので、三人くらい座れそうなソファを ゆーちゃんとふたりで占領して、半分ゆーちゃんの腰に抱きつくようにしてぴったりと身体を くっつけている真っ最中。 ゆーちゃんは宥めるように優しく肩を撫でてくれる。 ゆーちゃんが撫でてくれるところから暖かさがじんわりと広がって、ようやく今度こそ完全に 震えが止まった。 もう大丈夫だ。 「ありがと。ごめんね、ゆーちゃん。もう平気」 人目もあるし、落ち着けばこの歳で気恥ずかしいくらい甘えた態勢から身体を起こした。 家では当たり前でも、さすがに他人の前でこれはないでしょう。 だというのに、ゆーちゃんはほっと安心しつつも、ほんの少し残念そうだった。 人のこと言えないけど、シスコンめ。 002.運命的偶然(3) 「――――、―――?」 わたしが身体を起こすのを見て、タイミングを計ったかのように近くに控えていた灰色の髪の人が 有利に話しかけた。 やっぱり、落ち着いて聞いていみるとドイツ語とも少し違う。 これが眞魔国の言葉ね。 有利はこともなげに操っているけど、これが蓄積言語とかいうやつなんだろう。 はっきりって、いつもの有利は自ら脳味噌筋肉族、略して脳筋族と称して憚らないほど日本語 以外は不自由だ。せめてわずかなりともニューヨークにいたのだから(ボストンにいたのは生後 半年だからノーカウントとして)、アメリカ英語くらいはと思うのだけど、そうもいかないのが有利 なのだ。 なのに、こっちではドイツ語もどきがペラペラ。 いいなあ、わたしは英語も中国語も、ネイティブの人と普通の速度で話せるようになるのに結構 努力したのに。 有利がなにやら灰色髪の美人さんと話しているけど、言葉がわからないとまったくもって暇。 今度こそ身体をきちんと起こして、借り物のスカートに少しでも皺が付かないように座り直すと、 ようやく通された部屋を観察する気になった。 まるで一流ホテルのイベントホール並みに広い。壁には剣と盾が掛けられていて、四隅には 中世の騎士風の甲冑人形が立っている。 この広い部屋で熱源は人と暖炉のみ。熱効率が悪いったらない。 部屋にいるのはソファに並んで座る有利とわたし、有利にさっきから喋りっぱなしの灰色髪の 美人さん、それから長い足を組んで壁に寄りかかっている茶髪のカッコいいお兄さん。 今、着ている服はこのお兄さんが城の女官さんから借りてきてくれたものらしい。 淡いブルーのフレアスカートのワンピースは、ふんわりと広がった裾も、そこから覗く白いレースも、 機能美よりは形状美を求めている。サテン生地はサラサラした肌触りで気持ちいい。 白いレースは袖口にもあり、ワンピースと同色の淡いブルーのふりふりレースが胸元を飾る。 ちょっとだけ胸がきついから、この胸元のレースは服の張りがごまかされて大変結構だ。 ウエストは少しだけ余る。ちょっと幸せ。 わたしはお母さんが喜びそうな、あっちの世界ならちょっとしたパーティドレスにもできそうな 服を着ているのに、有利は何故か学ラン。 魔王様なのに、なんか質素。あ、ちょっとだけデザインが違うか。 でも、ヒラヒラのオフホワイトのマントだかケープだかみたいなものをまとう灰色髪の人と、 カーキ色の軍服もどきみたいな茶髪の人に挟まれているのを見ると、なんだか有利が独り だけ浮いて見える。 それにしても、なんとなくこの灰色髪の人の衣装は、いかにも想像上のファンタジーっぽい ゆったりした服装なのに、茶髪の人は軍人風。 あ、軍人なのか。 で、こっちの人が文官とか。 文官の人はそのまんまの雰囲気だけど、軍人さんのほうは、こういったら失礼だけどちょっと、 ぽくない。 体格はいいし、腰に武器だって帯びてるわけだし、立ち姿も衣装と相まってとってもお似合い なのは確かです、ええ。 だけど、纏う雰囲気が暖かくて優しい。 特に有利を見る目が。 そりゃ、軍人さんだって四六時中ピリピリしているってもんでもないでしょうけど、この人の目は、 優しい。 あ、でも少しだけ。 寂しい? じっと見ていたつもりはなかったけれど、思った以上に視線を集中してしまっていたのか、軍人さん は気付いたようにこちらを見た。 ばっちりと目が合うと、すっごくカッコいい顔に爽やかな笑顔を載せてくれる。 うわ、鼻血出そう。 これは帰ったらお母さんに自慢しなくちゃ。 こっちも優雅に笑い返せればよかったけれど、所詮こちとら小市民。おまけにこんなカッコいい人 見慣れてないって、というそこら辺に転がっていそうな小娘としては、日本人的愛想笑いを返す ので精一杯だ。 ああもう、ここでお嬢様ならきっと「ごきげんよう」なんて言っちゃうような上品な笑みを浮かべ られただろうに。 体格立派で顔はカッコよくて、笑顔は爽やか。そしてなにより有利に優しそう。 ううむ、男性が苦手の身としてはありえないほどポイント高いんですけど、この人。 嫌いじゃないんです、苦手なんです。一部は、嫌いだけど。 まあ、最近じゃその苦手も大分克服して、今回みたいな不意打ちじゃなければ近づいても 平気なんだけどね。 「、紹介しておくな」 くいと肩を抱き寄せられて有利に視線を戻すと、空いている方の手で灰色髪の人を示した。 「こっちがフォンクライスト卿ギュンター。王佐とかってゆー、なんかおれの補佐してくれる人」 「なんかって有利…………」 呆れたように呟いたのに、有利は笑みを深くする。なんでだろう。 有利は日本語で説明したけれど、紹介しているのなんて雰囲気でわかるよね。自分の名前 は聞き取れただろうし。 ギュンターさんはにっこりと微笑んでくれた。 さっきは場面が場面とはいえ、悲鳴を上げてばかりの失礼な真似をしたので、気合いを入れて 会釈しながら微笑み返したら、とたんに美人さんの笑みはだらしないものに変わった。 なんなの、この人。 ちなみに後で聞いた話によると、卿とつくのは軍人さんだそうだ。なんと、文官だと思った 灰色髪の美人さん、ギュンターさんも軍人だという。まあ、あっちでいう宰相の役割の王佐と して働いているらしいので、現役というのはちょっと違うのかもしれないけど。 「で、あっちがウェラー卿コンラッド…や、コンラートが正式か。呼びやすいからおれはコンラッド って言ってるけど」 ふうん、コンラートさんね。さっきと同じ笑みで会釈してくれるカッコいいお兄さんに、今度こそは わりといい感じで笑い返せた。 「このふたりがおれを一人前の魔王に育てようコンビで、目下一番の味方」 「ええと、じゃあ有利がお世話になっているわけだし挨拶でも…ってわたし言葉話せない」 まあいいか。 きちんと居住まいを正してから、膝の上に両手を揃えて深々と頭を下げる。 「えーと、有利がいつもお世話になってます。妹の渋谷といいます。わたしまで突然お邪魔 してすみません」 取り敢えず、気は心ということで挨拶。どうせ通じないから日本語。 頭を下げると、ギュンターさんが大慌てで手を振りながらなにかを訴える。その様子にコン ラートさんは苦笑するだけだ。 多分、この国にとってはわたしは王妹に当たるわけだから、軽々しく頭なんて下げちゃだめ なんだろう。 でもホント、一般的小市民としては、頭を下げる挨拶はとっても基本。 とはいえ、郷に入れば郷に従え。できるだけご要望に沿えるように努力はしなくちゃいけま せんが、言葉がわからないことにはどうしようもない。 ギュンターさんは一通りなにかを喚いていたけど、どうやら有利がどうにか宥めたようで、 なにかの紙の束を持ってきて有利の前に置いた。 有利が苦虫を噛み潰したような顔でそれらとギュンターさんの顔を見比べる。 見てみると、どうやらなにかの書類らしい。 有利、勉強とかそういうデスクワーク苦手だもんね。 「ちょっと待っててくれよな。ちゃっちゃっと終わらせるから」 「ちゃっちゃっと終わらせられるの?」 軽く突っ込むと、有利はうっと呻く。どうやら自信がないらしい。 話し相手が有利しかいないけれど、国政をうっちゃって日本に帰ってきていたのだから、 眞魔国にきたときくらいは真面目に仕事してもらわないと渋谷家の沽券に関わるので、 大人しく終わるまで待つことにする。 と、有利には使い慣れないだろう羽ペンを握ったところで、なにかを思い出したように コンラートさんに話しかけた。 コンラートさんは片眉を軽く挙げ、二、三度頷いてこちらにゆっくりと歩み寄って来た。 「、コンラッドは英語が話せるから、話し相手になってもらってろよ」 「え、ホント?」 思わず声が弾む。だって有利としか話せないと思っていたから、ひとりでも言葉が通じる ならこんなに嬉しいことはない。なにかにつけて通訳として扱って有利の邪魔するわけに はいかないしね。 コンラートさんは、なぜかこちらとちょっと距離を開けて立ち止まった。 「こんにちは、様」 おお、容姿を裏切らない優しげな落ち着いた声。 イントネーションがアメリカ英語だ。よかった、クイーンイングリッシュだとちょっと戸惑う 羽目になるところだった。 「こんにちは、コンラートさん。敬称はよしてください。有利は王様かもしれないけれど、 わたしはこの国にとっては異邦人だし」 「けれど、陛下の妹君ですから。わたしにはあなたも大切な方だ」 「でも、さっき有利のこと名前で呼んでましたよね?」 震えてばかりいたとはいえ、聞き慣れた愛しの有利の名前には反応したのよ。 ギュンターさんが有利に話しかけるときは、ドイツ語で皇帝を指すカイザーに似た発音の 単語が聞こえる。 まだあんまりこの人が有利に話している言葉は聞いていないけれど、カイザーとは言わ なかった。 「ユーリ」とは聞こえたけれど。 コンラートさんは驚いたようにちょっと片眉を挙げて、笑みを深くした。 「驚きました。聞こえてらしたんですね」 「大事な有利の名前には反応するもので」 自慢することなのか、実のとこ微妙だとは思いながら胸を反らして断言すると、本気で感心 されてしまった。ちょっと恥ずかしい。 「ええ、なるほど。さすがは陛下の妹君」 「だから!わたしは陛下の妹君なんて名前じゃないです」 「ですから様、と」 「様は不要です、様は。コンラートさん………ウェラー卿の方こそ、魔王の有利の側近なん ですから、相当高い地位でいらっしゃるんでしょう?」 「どうぞコンラートと。ああ、英語に慣れてらっしゃるのでしたらコンラッドの方が発音しやすい でしょう。陛下と同じようにお呼びください」 それは助かる。有利はそう呼んでいても、やっぱり本人の許可がなければできるだけお国 発音のほうがいいってもんでしょう? コンラートさん、改めコンラッドさん。ああ、やっぱりこっちの方が呼びやすい。 「ではコンラッドさん」 「敬称は不要ですよ」 「あなたがと呼び捨ててくださるのでしたら」 にこにこと笑顔で応酬。わざわざ言わないけど、わたしは有利以上に難物ですからね。 有利もある意味ではわたし以上に難物だけど。 コンラッドさんはちょっと考えた後に、軽く息を吐いた。 「わかった、。これでいいかい?」 おお、話し方までいきなりフランクに。 そっちのほうがずっと嬉しい。 「ええ、コンラッド。では改めて。有利の妹のです。よろしくね」 にっこり笑って手を差し出すと、コンラッドはちょっと戸惑ってから握手を返してくれた。 あら、アメリカ風に会釈は避けて握手にしたけど、こっちではその習慣はなかったのかしらと 思えば、すぐに疑問は氷解した。 「その、男に触るのは平気なのかい?」 そういえばさっき風呂場で盛大に悲鳴上げてたんだっけ。 しかも、ちょっと尋常でないくらい。 近くまで来ないで途中で止まったのもそのせいか。 ああ、恥ずかしい、情けない。 コンラッドさんは優しく微笑んでくれた。 「眞魔国へようこそ、」 |
ようやくコンラッドと会話ができました。 もう6話なんですけど…?(^^;) |