有利が小シマロンの人たちを説得したのだということは、話を聞いていて何となく判った。 神族は奴隷だと思っていたとか、人だと考えたこともなかったとか、でも今そう思えないとか、そんな風に言っていたから。 有利の想いが通じたんだと喜べるところだったはずなのに、話の途中でわたしのことがちらっと出たとき、あのときのサラレギー王の言葉を思い出してしまった。 「あなたがわたしのものになってくれたら、とても嬉しい」 あのとき、有利とヨザックさんが出て行った操舵室でそんなことを言われた。 どこまでが本心で、どこからが冗談なのか、それすらも判らない。 そして、わたしがサラレギー王とそんな話をしているとき、外では有利がコンラッドに……海へ、突き落とされていて……。 大きな問題がひとつ、確かに悪くない方向へと解決したのに、もやもやとした不安や心細さは大きくなる一方だった。 104.嘘と真実(3) わたしたちが操舵室にいる間に、すでに船上では避難がほぼ終わっていた。 救命艇へ移乗する避難場所には後から遅れて行ったのに、四隻ある救命艇のうちで他より少し頑丈そうでサラレギー王や船長が乗り込んでいたボートに、わたしたち眞魔国組の席が確保されていた。 若い荷役ばかりの船には乗せられないという話だったものの、正直なところそっちに乗れたほうが少しは気が楽だったのに。 サラレギー王と狭い船内で四六時中一緒というのも気疲れするし……彼がいる船には、もちろんコンラッドも乗り込んでいる。 有利が花形操舵手の人から頼まれた伝言をサラレギー王と船長に伝えると、船長やその話を近くで聞いていた他の船員たちは驚いたように甲板の向こう見た。操舵室の入り口まで出てきた花形操舵手の人が手を振っている。 その決断に、格好つけやがってと呟く人もいれば、涙ぐむ人もいる。船長さんも眉を寄せ思い切るように首を振ったけれど、サラレギー王はそれほど興味も示さず、「へえ、そう」と簡単に一言で済ませてしまった。 わたしや有利は船が沈むことが嘘だと判っているけれど、サラレギー王はそうではない。 自分の部下が死んでいくと言っているのに、それだけなんだろうかと思っていたら、考えが顔に出ていたのかもしれない。 サラレギー王は、わたしを見て苦笑しながら首を傾げた。 「救命艇の操船は体力のものだから、熟練した技術が必要なものでもないし、本人の好きにさせてあげることが一番いいだろうと思うんだ。彼らの決断を尊重しなくては。それよりも我々だ。荒れた海域はもうすぐ終わりだけど、ここから陸地まで手で漕いで行くしかないからね」 「そう……ですね」 本人の決断の尊重と言われると、それ以上言う言葉もない。確かにその通りだ。だけどサラレギー王のそれは、単に興味がないように見えて……先入観かな、気をつけないと。 「では操舵手たちについてはそれでいいですね。さあ、あなた方もこちらへ」 胸に当てた手をぎゅっと握って不安定になっている気持ちを立て直そうとしていたら、救命艇からコンラッドが手を差し出してきた。 「どうぞ、お早く」 ……貨物船と救命艇との距離はそれほどないけど、船は揺れているし確かに乗り移る際はちょっと危ない。でもコンラッドの手を取って……いいのかな。 さっきヨザックさんの信用をなくしたばかりなので、一応聞いたほうがいいのかと振り返ったら、こっちが手を出さなくても強引に腕を掴んで引っ張り込まれた。 「わっ……!」 思い切り引っ張ったのは、中途半端なほうが転落の危険があるからだというのは判っているけど、勢い余ってコンラッドの胸に飛び込んでしまう。 たったこれだけのことなのに、心臓が大きく跳ねて胸がぎゅっと苦しくなる。 慌ててコンラッドに手をついて離れたら、そっと耳元で囁かれた。 「失礼。急いでいたものですから」 「……いいえ」 ここはお礼も加えるべきところなんだろうけど、どうしてもありがとうの一言が言えなくて俯いたまま首を振る。移乗のために手を貸してくれた人に、お礼すら言えなくなってるなんて、溜息が出そう。 後ろではヨザックさんが有利を抱えて飛び移ってきた。 「おれは荷物か!」 「一番安全な移動方法ってだけですよ」 船に残っていた船長が救命艇を吊っている鎖を降ろし始めると、最後に飛び移ってきた。 どういう仕組みなのか、誰かが張り付いて操作しなくても鎖が一気に落ちることはないようになっているらしい。 すぐにコンラッドから離れて有利とヨザックさんのほうへ移動したかったのに、海へ降ろしている途中の救命艇の中を行き来するのは揺れて危ないからとコンラッドに捕まってしまった。正論なのでぐうの音も出ない。 「できるだけ縁には近づかないように。あなたは海を見ると具合が悪くなるでしょう」 「……別に、そんなこと」 隣に座ったコンラッドの顔が見れなくて、俯いたまま上着の裾を握り締めて首を振った。 まったく怖くないと言えば、やっぱり嘘になる。救命艇が下に降りて行くほどに、潮の匂いもきつくなる。激しい波の音には耳を塞ぎたくなる。 でも、わたしには肩にかけられたコンラッドの上着がある。もうコンラッドの温もりは残っていないけど、でもコンラッドの匂いが残っている。寒さに耐えるかのように首を縮めて上着に顔を半ば埋めると、それだけで少し落ち着く。 今の状況ではすごく助かるけど、これって本当にどうなんだろう。 「あなたは先ほど魔術を使ったばかりだ。その上こんな小船で海に降りて、周りは男ばかりで……」 「あ、あなたに心配されなくても、平気です」 悪条件ばっかり揃っているのは言われなくても百も承知だよ。でもだからって我侭を言ってもどうしようもない事態じゃないの。大体、大変なのはみんな同じなんだからこんなところでそんな弱音なんて吐いてられないのに。 隣に座ったコンラッドから少し距離を空けようとジリジリとお尻を動かした。 「あなたの兄上や護衛は、あなたが魔術を使ったことを知っているんですか?」 「有利には言わないで。ヨザックさんにも」 余計な心配をかけたくないと慌てて口止めするようなことを言って、これでは二人は知らないのだと教えてしまったのと同じだと気がついた。うかつすぎて本当に嫌になる。 隣でひどく大きな溜息をつかれた。 「あまり縁へ近づかないで。揺れたら落ちますよ」 せっかくちょっとずつ距離を空けてたのに、腰に手なんて回されたらさっきより状態が酷くなってる! 「ちょ……ちょっと……」 「海へ降りたら離します。……そんなに俺に世話を焼かれるのが嫌なら、船に残ればよかったでしょう」 「え……」 ちょっと待って。 今から沈む、今にも沈むという船に残ればよかったってどういうこと? いくらなんでもそれはどういう意味だと振り仰いだら、コンラッドは真剣な表情でまっすぐにわたしを見ていた。 「せっかくの好機だったのに」 やっぱり、コンラッドは判っているんだ。船が沈むなんて嘘だって。 そんなの考えるまでも無いこと……か。サラレギー王はともかく、コンラッドは有利という人を知っている。奴隷だから見捨てても仕方が無いなんて言う有利じゃないって、それ以上に奴隷だなんてそれ自体を認める人じゃないって、判ってる。 でも。 「わたしに死ねばよかったのにって言ってるの?」 それを認めるわけにはいかない。嘘だと知られていても押し通さなくちゃ。 「……そういうことにしておきましょうか。酷いことを言うと、お怒りかもしれませんが」 「別に。あなたに酷いことを言われても、今更だわ」 ふいと顔を逸らしながら、わたしのほうが酷いことを言っている。コンラッドは船が沈まないと知っていて言ってると、判っているのに。 「そうですね。今更だ」 コンラッドは淡々と頷いて、わたしが着ていたコンラッドの上着の前を合わせた。 「これをしっかりと着て。ヨザックやあなたの兄上はあなたが魔術を使ったことを知らない。もし身体がつらいようなら、無理をせずに俺に」 「心配してるみたいなこと言わないで。聞きたくない」 魔術を使った相手がコンラッドだからって責任を感じてるのかもしれないけど、その傷をつけたのはわたしなんだから、コンラッドが気にすることじゃない。 優しくされたら……期待しちゃうから。後でまたつらくなるから、優しい言葉は聞きたくない。後でそれが義務感とか責任感だったんだって、思い知ったら泣きたくなるから、聞きたくない。 「……失礼。差し出口でした」 コンラッドはわたしに上着の上から更に外套をかけると、救命艇が着水したと同時に傍から離れた。 心配してくれる言葉にまであんな言い方して、自分でもどんどん嫌な奴になっていると思う。ううん、でもあの人は有利を海に突き落とした。 それを忘れてはいけない。 心配されて、息遣いが聞こえるほどの距離で話して、つらくて、悲しくて、苦しくて……。 それでもそれが嬉しいだなんて、もう考えてはいけない。 それを忘れてはいけない。 「えらく難しい顔しちゃって」 大きな手に肩を掴まれた。振り仰ぐといつの間に移動してきていたのか、ヨザックさんがわたしの隣に腰を降ろした。 「せっかくの姫の可愛らしいお顔が台無しよん。周りがムッサイ男ばっかりで、海の上にこんな小船で降りちゃっておつらいでしょうけど」 コンラッドと同じようなことを心配されてしまった。 「大丈夫ですよ。男の人ばっかりとか海の上って言っても、有利もヨザックさんもいるし」 「それに、コンラッドの野郎もいるし?」 「すみません……非常に反省しているので、もうその辺りで……」 コンラッドを部屋に入れたのは不可抗力というか……色々あったんだと抱えた膝に顔を埋めたら、ヨザックさんの困惑した声が聞こえた。 「ありゃ、今のは嫌味じゃなかったんですがね」 ヨザックさんに背中を軽く叩かれて膝を抱えたまま顔を上げると、有利はサラレギー王の正面に座って何を話していた。その横でコンラッドは腕組みをして会話には興味ないような顔で船の進む先を見ている。 「正直ね、陛下のことを考えるとオレは別の船に乗りたかったんですけどねー……姫のことを考えるとこの船でよかったのかなーと複雑で複雑で」 「別に一緒の船に乗ってるからってコンラッドに頼ったり……」 しませんよ、と言いたかったのに、はたと気づくとまた小さくなって上着に顔を埋めている。 頼ってる、思い切り頼ってるよ! 頭を抱えて唸り声を上げると、当たり前だけど隣のヨザックさんが驚いた。 「ど、どうしたんですか、姫」 「いえ……その……と、とにかく、一緒の船に乗ってるからっていいことどころか……むしろ気まずいのでわたしも別の船がよかったです……」 さっき煮詰ってとんでもないこともしでかしたし。 それを思うと恥ずかしいやら情けないやら悔しいやら悲しいやら、とにかく居たたまれなくて暴れたくなる。本当に、なんだってあんなことしちゃったんだろう。 でも貨物船に乗っていたときとは違って、今は個室ではないので暴れるわけにもいない。 結果、頭を抱えて唸るしかない。 「姫、本当にあいつと何があったんですか」 ヨザックさんが呆れたような困ったような、そんな苦笑を滲ませる。 「何って……」 床に押し倒して、剣を突きつけて、わたしがつけた傷を舐めて癒しました。 簡潔に事実だけを並べたら、どこの変質者だと言いたくなる。事細かに話せばもっと変質者くさい。しかも考えてみればですよ、別に傷を癒すときに傷口に直接触れる必要なんてないわけで! ギーゼラさんだって有利を癒すときは手を握ってたし、わたしがグウェンダルさんを癒したときだって手を握っていただけで、傷口に手とかをかざしたわけじゃない。 なのにわざわざ舐めたわたしってなに!?舐めておけば治るとかいう次元と混同してたとか!? 思い出せば思い出すほど変態染みた行動だったわけで、耐え切れずに頭を抱えたまま膝に顔を埋めてぎゅっと小さくなる。穴があったら入りたいとはまさにこのことだよ。 「いーやーだー!なかったことにしたい、過去の自分をぶっ飛ばしたいー!」 「あの、姫、何があったのか聞くのが段々と非常に怖くなってきたんですが、もう一遍聞きますよ?何をやらかしちゃったんです」 「『何があった』から『やらかした』に変わってますよ!?」 「だって姫が何かしたから、過去の自分をぶっ飛ばしたいんでしょ?」 正論だった。 ぐっと押し黙ったところで、視線を感じてそちらを見ると、何故かコンラッドが眉を寄せた心配そうな表情でこっちを見ていた。 だからそういう顔を見せないで欲しい……あ、そうか。さっきから頭を抱えて唸ってるから、頭痛がすると思ってるのかも。 違う、そうじゃなくて、別の意味では頭痛がするけど魔術の影響じゃない。 そう言っておくべきか迷ったけれど、今それを言うとヨザックさんに魔術を使ったことがバレる。 「……ヨザックさん、ちょっと背中に隠して……」 「はあ?あ、ちょっと姫?」 まったく意味が判らないだろうヨザックさんには非常に申し訳ないけれど、這うようにしてヨザックさんの後ろに回り込むと、コンラッドの目が届かないところに座り直して少しすっきりする。なんだ、最初からこうしていればよかった。 ほっと少しだけ安心して顔を上げると、波に揺られながら、またあの激しい海流の方へと貨物船が引き返していく姿が見えた。 「ヨザックさん」 「なんですか?」 肩越しにヨザックさんが振り返ったのが判ったけど、わたしは振り返らなかった。貨物船を見たまま、小声で呟くように告げる。 「コンラッドが、気づいてます」 何がとは言わなかったけど、ヨザックさんにはそれで十分のはずだった。 そして、やっぱり十分だった。 軽い吐息が聞こえる。 「でしょうね。奴は陛下の気性を知っている」 でも、判っていてサラレギー王にそのことを伝えない。 コンラッドが何を考えてるのか、さっぱり判らなくて、抱えた膝に顎を乗せて遠ざかる貨物船をじっと見ていた。 |
近くで不審な行動を取られ続けるヨザックが気の毒(^^;) |