コンラッドと揉めて……というか一方的に詰め寄っているうちに気がつけば、少し揺れが収まってきていたようで、今度はベッドから放り出されるようなことにはならなかった。 しばらくベッドで天井を見上げているうちに頭痛は治まったけど、今度は寒くなってくる。 いつまでもここで拗ねていたってしょうがないから、いい加減に着替えようとコンラッドの上着をベッドに置いて床に降り、サラレギー王から借りている服の一着を取った。 それにしても、揺れはマシになったけど、今度は代わりに部屋の上の甲板からバタバタとなにやら激しい足音が行き交って響いてくる。 「なんだろ?」 何かあったのかと気になりはしたけれど、勝手に部屋を出るとヨザックさんの雷が落ちる。 何か問題があれば、誰かがくるだろうと割り切って濡れた服を脱いで着替えにかかる。 「……でもさ、服は替えがあるけど、下着にはないんだよね……」 特にブラが。この航海の間中、自分でこっそり手洗いしては、乾かしている間は布をサラシにして胸に巻いていたんだけど、今回もそうするか、濡れたといっても下着まで染みたのは少々なのでこのままつけているか。 「………このままでいっか」 下着を脱ぐか否かを迷っていたので、このときは当然まだ上半身は下着姿だった。 そして、そんなときに限ってノックもなく扉が開くのはどういうわけなんだろう? 「!大変だ、船を降りるぞっ」 「わっ!え、なに……」 相手が有利だったから驚いただけだったのに、入り口を見るとその後ろにヨザックさんが立っていた。有利だけなら別にいいけど、ヨザックさんに見られ……。 「ぎゃあーっ!」 悲鳴を上げて、ベッドの上に置いていた服を掴むとヨザックさん目掛けて投げつけた。 104.嘘と真実(1) 「おわっ」 ヨザックさんが顔面に飛んできた服を手で掴んだところで、有利が謝りながら扉を閉めた。 「ご、ごめんっ」 本当にごめんだよ!ヨザックさんが一緒にいるなら気をつけてよ! ……と、半泣きになりながら急いで服を着る。 今は大変な旅の最中で、着替えを見られるのがどうとか騒いでいるような場合じゃないのは判るけど、だからって見られて平気なわけじゃないんだから! 「そうだよ、大変なときだから恥ずかしいとか言ってる場合じゃな……」 部屋から出たくないとか言ってる場合じゃないと自分に言い聞かせようとして、有利の言葉を思い出した。 「……船を降りる?」 首を傾げたところで、また船が大きく揺れてたたらを踏む。 「聖砂国が見えてきたってこと?」 それにしては有利が嬉しそうというより大慌てだったことや、陸地が近くてこの揺れってどうなんだろうと首を傾げつつ、よろよろと扉に近寄ってノブを捻った。 「有利?」 「あ、!大変だ、今すぐ船を降りるぞ!」 扉を開けると、廊下の壁にもたれていた有利が飛び起きて詰め寄ってくる。 「聖砂国に着きそうなの?」 「違う!船が沈みそうなんだ!」 「えっ……!?」 こんな荒波の中で船が沈んだら、一体どうなるのか。 ……助かる可能性なんてほとんどない。 有利を守ると決めたからって、自然を相手にどうすればと蒼白になったわたしに、有利は顔を近づけてこっそりと耳打ちしてきた。 「と、いうことにするから」 「は?」 船が沈むなんて深刻な話を、「ということにする」とはどういうことだろうと眉を潜めたけど、有利は手を振って船の奥を指差す。 「詳しい話は後でな。今はサラを連れて出なくちゃいけないから。とにかく、船は沈むんだと思っててくれ。行くぞ!」 「え、あの、な、何がなんだか?」 先へ進む有利の背中を見て、説明を求めてヨザックさんを見上げる。 有利が後でと言うほど急いでいるなら、説明なんてないかもしれないとは思ったけど、ヨザックさんの反応は予想外だった。 え、笑顔、笑顔が怖い!口だけ笑って、目が半目なのが怖い怖い! 「姫」 「は、はい!」 服をぶつけて怒っているのか、でもそれってヨザックさんらしくないと首を傾げる前に、ヨザックさんは手にしていた服をわたしに広げて見せた。 「げ……」 ドアを開けっ放しにしていた部屋を慌てて振り返ると、ベッドの上にはわたしが脱いだ濡れた服しかない。 ……コンラッドの上着は、ヨザックさんの手に。 「これ、なーんだ?」 「な………なん、でしょう……ね?」 可愛く首を傾げたヨザックさんを真似るように、ぎこちなく一緒に首を傾げたらヨザックさんから笑みが消えた。 「誰を部屋に入れたんです?」 「え……いや……その………」 「言わなくても判りますけどね。あなたが自室に招き入れるような男、陛下とオレを除けば二人しかない。立場上、今は断るのが難しい小シマロン王と」 気まずくてそろりと視線を外したけど、ヨザックさんは容赦なく追及してきた。 「ウェラー卿だ。この上着はあのお人形さんみたいな王には大き過ぎる」 「い、言い訳を聞いてくださいーっ」 両手を握り締めて懇願するように見上げたら、ヨザックさんに指先で額を弾かれた。 「いたっ!」 「後です。今は急ぎます。陛下がお人形さんの王の元へ行っちまいましたからね」 気がつけば、いつの間にか有利の背中が廊下の角を曲がって消えていた。 「姫は陛下を追って。オレは避難勧告を煽りに先に上がりますから、陛下とあの王様と……ウェラー卿と一緒に上がってきてください」 コンラッドの名前を言うときだけ、ヨザックさんの声が半音下がった。 お、怒ってる。でも、それは怒るよね、護衛対象がこれじゃ、いくらヨザックさんが優秀だろうと護り切れるはずがない。 「ご、ごめんなさい……ぶっ」 あれだけ釘を刺されたのに、理由はどうあれ……というか今思い返すと部屋に戻ってからはとんでもないことをしでかしたわけで、床に視線を落として謝ったら頭から上着を掛けられた。 「まあ使えるものは使いましょ。姫はそいつをちゃんと着て。波飛沫がすごいですからね」 それだけ言うと、ヨザックさんは甲板に向かって走っていってしまった。 「やっぱり……一人だったら走れるんだ」 さっきよりは揺れが収まっているとはいえ、わたしはまだ手すりに掴まってないと左右の壁にぶつかりながらでしか進めない。 着ておけと言われたけれど、上着はコンラッドに返しておこうと腕にかけて、手すりをしっかりと握ってサラレギー王の部屋へ向かった。 廊下を進んで角を曲がると、開けっ放しの扉から有利の怒鳴り声が聞こえてくる。 「船がヤバイいんだ、もうすぐ沈む!花形操舵手も船長も言っていた!積荷担当の話では、船底の数ヶ所から早くも浸水しているって!急いでくれサラ!」 有利は必死に言い募っている。けど、さっきは「ということにする」とか言っていた。何のための嘘だろう? 壁の手すりを掴んだままたどり着いたサラレギー王の開けっ放しになっている部屋を覗くと、入り口に立っていた有利の背中がまず目に入った。 「このままだとあと十数分もすれば、中央から真っ二つになるかもしれないって!おれたちも早く脱出しないと!」 「脱出ってどうやって……あ、!気分はどうだい?さっきは顔色が悪かったから心配していたんだ」 有利の後ろから顔を出したわたしに気づいたサラレギー王が、椅子から立ち上がって歩み寄ってくる。有利もそれで気づいて振り返った。 「平気です。少し船に酔っただけで……」 「よし、も揃ったし、サラも行こう!この船には救命ボートがあるだろう?それで逃げるんだ!」 そう言いながら部屋に駆け込んだ有利は、サラレギー王の数ある衣装箱の一つを逆さまにして、中から色鮮やかな絹の服を放り出して、代わりにコートや毛布を詰め込み始めた。 「あ、ユーリ!何をするつもり!?」 さすがのサラレギー王も驚いた様子で有利に駆け寄る。 「この気候だ。防寒着がいるだろう!?」 わたしがいたときから散らかっていた部屋は、さらに散らかっていた。中に踏み込むと、部屋の端に立っていたコンラッドと目が合った。両手にサラレギー王の煌びやかな衣装を掛けて、人間ハンガー状態。 ……き、気まずい。その格好を笑うよりも、さっきのことがあるから非常に気まずい。 けど、上着は返さないと。 散らかった衣装を踏まないように注意しているふりで、目線を床に落としたまま、コンラッドの方へ歩み寄った。 「あの……さっきお借りしてた上着を」 お返ししますと、コンラッドを見ないように上着を差し出すと、コンラッドは両手に掛けられていた服を振り落として受け取る。 すぐに有利の方へ行こうとしたら、返したはずの上着を肩に掛けられた。 驚いて、思わず振り返ってしまった。う、また目が合った。 「あなたの兄上の仰る通り、防寒着が必要です。どうぞ着ていてください」 「で、も……」 まともにコンラッドを見ることができなくて、両手を握り締めて視線を逸らすと大きな手が伸びてくる。 思わずぎゅっと目を瞑ってしまったけど、大きな暖かい手は触れるか触れないか、それくらいほんの微かに、わたしの頬を掠めるだけだった。 「頭痛は?」 そろりと目を開けると、触れそうな距離にあったコンラッドの手がゆっくりと引いていくところが見えた。 「気分は悪くありませんか?顔色は少し良くなってはいるようですが……」 「……平気です」 顔色が悪かったというのなら、それはサラレギー王と話したせいだから、時間を置いて落ち着けばなんてことはない。頭痛だってもう治まっている。 顔を上げてコンラッドを見上げると、首の傷はうっすらと消えそうな赤い線のままだった。 早く……消えないかな……わたしの独占欲の証。 口の中に血の味が蘇ったような気がした。 ……我ながらアブナイ人のようだよ。 「あなたは、自分のことでは嘘ばかり言うから」 さっき剣を突きつけられたというのに、まるでわたしのことを心配するようなこと言うコンラッドがすごく不思議だ。 そういうことを言われると勘違いしそうになるから、本当に止めて欲しい。ただでさえ、ちっともコンラッドのことを思い切れないのに。 「でもユーリ、救命艇は船員と食料と水を積み込めばそれで精一杯だ。献上品や……奴隷達はどうするの?」 サラレギー王の声が聞こえて、自分のことは今は横に置くべき状況だったと思い出す。 肩に掛けられたコンラッドの上着を握って振り返ると、上着や毛布を詰め終えた有利は、ぎゅうぎゅうとそれを押し込めながら蓋を締めた。 「もったいないけど、必要最低限のもの以外は捨てるしかない。それから、彼らは……」 有利は、痛みを堪えるようにぎゅっと眉を寄せた。 「この船に残す。き……気の毒、だけど……仕方がない。彼らは、ど、奴隷、なんだろう?」 違和感どころじゃない。明らかな嘘に、驚くよりも唖然とする。 有利がそんなことを言うなんてありえない。船が沈むのは嘘だと事前に聞かされてはいるけれど、聞いてなくても今の話だけで十分嘘だと判る。 もし、もし本当に船に沈没の危険があったとして、救命艇の数が足りないのだとしても、有利ならギリギリまでは逃げるよりも、船が沈まないように努力するほうに賭ける。 逃げようとこんなところに駆け込んで来ずに、浸水を少しでも食い止める方法を探して駆け回っているはずだ。 「奴隷、より……おれたちの命が優先だ。せめて女の人や子供だけでもって声を掛けたけど、言葉が通じてない。誰も上がって来てくれないんだ……しか、仕方が、ない」 演技というより、人を見捨てるなんてことを嘘でも言う、神族の人たちを奴隷だと切り捨てるようなことを言う、そしてこんな大きな嘘を言う緊張と罪悪感で言葉に詰まっている感じだ。 「あ……あとは、奇跡でも起こるよう……祈ってあげることくらいしか」 「うん」 胸の辺りでぎゅっと服を握り締めて言い募る有利に、サラレギー王はにっこりと微笑んだ。 明らかに、今までとは違う主張する有利に嘘を見抜いたのかと思ったらそうではなかった。 「そうだよ、ユーリ。彼らは奴隷だ。そう生まれついた者たちのことで、あなたが気にすることはない。生まれとはそういうものだ」 ……そうか、彼は有利がどういう人なのか、まだ本当には判っていないんだ。 自分が危険かもしれないとなったら、努力する前にまず逃げるなんてありえないとは、思わない。 まして頑丈な貨物船から小型の救命艇に移るために嘘つくなんて、理由がないと思っている。 その通り、普通ならその通り。 でも有利の正義感は普通じゃないんだよ、サラレギー陛下。 彼らを残すというのなら、有利の狙いはこの船を神族の人たちに譲ることにあるんだろう。 有利にすっかり騙されているサラレギー王に、つい笑みが零れかけて口元を手で隠して俯いた。 後ろで、コンラッドが一歩進み出てくる。 「そちらの御仁の言うとおりになさるのなら、お早く避難したほうがいいでしょう」 サラレギー王は有利を知らない。 けど、コンラッドが騙されるような嘘じゃない。 振り返ってコンラッドを見上げたけれど、もう冷静な表情に戻っていて、その本心をうかがわせるようなものはどこにも見当たらなかった。 「ほら、護衛の人もああ言ってる!サラは先に避難しててくれ!おれは舵取りの連中を引き上げさせてくるから!行くぞ、!」 「あ、うん」 嘘がバレないようにか、それとも嘘に居たたまれなくてか……たぶん後者で、有利は部屋を出て行こうと駆け出した。わたしも慌てて追いかける。 廊下に飛び出して、手すりに掴まった有利は胃の辺りを抑えて呟いた。 「胃が痛い……気がする……」 「慣れないことをするからだよ」 そう言うと、有利は振り返って弱々しく苦笑する。 正直者の有利は、わたしと違って嘘が下手だからね。 |
理由はまだ判らないままですが、とにかくサラレギーが有利に騙されるという状況に ついにんまりと笑みが零れてます(^^;) |